フジタイツキに告ぐ

Sora Jinnai

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一 残り90分

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 夏は目覚まし時計がいらない。
 大学生の夏休みにおいては、普段からびっしりとセットしてあるアラームはすべてオフになっている。

 今時刻は8時57分。戸外のセミの音が、騒々しく頭に響く。ズキズキと痛い。

 世の中では虫の音は環境音として優れているとのたまうものもいるが、一体あの雑音のどこが優れているというのだろうか。

 五月のハエ、と書いて五月蠅い。馬または虫、と書いて騒がしい。きっと言葉を考えた人は俺と同じ考えだったに違いない。

 昨日はバーベキューのあと、負ければ一気飲みの麻雀大会が催された。酒が抜けきっておらず、午前中の外出は無理だと諦める。

 起き上がって部屋を出る。ダイニングではテレビをかじりつく様に見る男の姿があった。

「おはよう、玄。朝早いんだね」
「藤田。日曜朝の特撮だけは俺絶対に見逃せないから」

 テレビの前で体育座りしている彼は森野玄太郎もりのげんたろう。俺と同じ学部の友人だ。

「そっか、始まるの9時だったか」

 シイッっと右手人差し指をたて、玄太郎は俺を黙らせる。すこしムッとしたが、俺は彼が一週間このひと時を楽しみにしていることを知っている。彼の大切な時間を邪魔することはよくないだろう。

 オープニングが終わり、CMに入る。

「今のやつって主人公二人なんだ」
「バディものだからね。でも戦うときは一人だから。ベルトを付けることで二人の精神が一つの肉体に集まるの」

 へえーっと玄太郎の語りに耳を傾けながら俺はテーブルについた。

 こういう作品は子ども向けに作られてはいるが、それを一緒に見る親、つまり大人からも支持されているらしい。たたかうシーンがあることは今も昔も変わらないが、そこにいたるまでの脚本が昔より洗練されているのだという。

 俺もテレビを眺めていると、ガチャッと扉が開いて眠たそうな顔がひょっこり現れた。

「おはよ。二人ともいつ起きたんだ」
「ああ、さっきだよ」
「シッ!」
 またしても玄太郎に注意されてしまった。

 今起きてきた男は南来壮二なんらいそうじ。彼も同じ学部の友人だ。いつもは茶髪のソフトモヒカンがアンテナのように主張しているが、今朝はぺちゃんこに潰れている。

 俺たちは今、Y県山中の保養所にいる。父親の会社が持っている施設で、都内から車で二時間ほどの場所に位置する。

 もともと家族で宿泊する予定だったが、急遽仕事が入ったとかで中止になった。とはいえせっかく準備をしたのだからと、俺と友人だけで泊まらせてくれたのだ。

 こういうわけもあり、宿泊の進行はすべて俺にまかされている。保養所までの運転、買い物、バーベキューの準備と片付け、皿洗い、洗濯、掃除、あげだすとキリがない。

 おかげで身体はずっしりと重い。眠ってもアルコールの分解にフルスロットルで、疲れが取れていないのだろう。

いつき、朝ごはんできたら起こしてほしい」

 壮二はキッチンでコップ一杯の水を飲み干すと、再び部屋の中に消えた。

 まったく、俺は家事が得意だけども、ここまで丸投げにされるとムカっ腹が立つというものだ。

「そういえば、大河たいがはまだ起きてこないんだ」
「いや、あいつ起きてたよ」
「なんだ。上がってこないからまだ寝てるのかと思った」

 新津にいつ大河、この保養所に泊っている俺の三人目の友人。天才肌という単語が板についているようなやつで、いやでも目立ってしまうたち。本人はそれを苦とは思っていないようだが、それによって俺たちがどんな気持ちでいるかは知るまい。


 時刻は9時29分。特撮番組を見終わり、玄太郎がテレビを消す。
 俺はトイレに行こうと思い、扉を開けて階段を下りた。

 階段を降りるとすぐがリビングになっており、正方形のテーブルの上には昨日使った麻雀牌マージャンパイが放置されている。
俺は昨夜の出来事を思い出した。あのときは、国士無双まであと一歩のところで、大河にロンをゆるしてしまった。

 トイレのドアノブに手をかける。瞬間、俺の耳が音を拾った。

 ピピピピ ピピピピ  ピピピピ ピピピピ

 目覚まし時計のアラームのような機械音。誰かが携帯電話を置きっぱなしにしているのだろうか。

 トイレのドアを開ける。電子音がどこか籠った場所から聞こえてくる。
 トイレは入ると左に扉があり、浴室に繋がっている。誰かが用を足しているときはシャワーが浴びられない、少々厄介な間取りなのだ。

 俺は来た目的など忘れていた。何者かに促されるように、そっと浴室のドアノブをひねる。

 押して手を離すと、ツーっと滑るように開いた。

 音の正体はやはり携帯電話だった。浴室の床でブルブルとバイブレーションしている。
 携帯電話のすこし奥、こちらへ向けられた足の裏が視界に入り込む。
 俺はゆっくりと視線を動かした。

 新津大河は赤い水たまりの中で仰向けに倒れていた。ワイシャツは赤くにじみ、その中で突き刺さったナイフがギラリと光っている。

 一瞬、そこに大河がいたことに驚いて飛び退く。
 次の瞬間、俺は喉が壊れそうなくらい叫んでいた。
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