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38.キョウヤの話(sideキョウヤ後編)

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彼女がかけた魔法は、今だ解けなくて。

僕は待っているんだ、いつか誰かがこの魔法を解いてくれる日を。

「私は思うの。自分が無知だから、世界はいつまでも小さいままなんだって。」

悪の組織と戦っていた僕は、とある神社で巫女をしている少女に出会った。

彼女は当時、誰にも知られることもなく巫女をしていて、探偵だったヒビキや姉であり、お嬢様だったコト、同志のアスカたちとは少し違っていた。

そんな彼女と仲良くなり、神について語り合ったりもした。

真っ直ぐで、正義感が強いところなんかはヒビキに似ていたけど、彼女は優しく、全てを包み込むような慈愛に満ちた彼女にそのときの僕には少し分からない友だった。

そんな彼女と世界の大きさについての話をしていた時、彼女が僕にそういった。

「“自分が無知だから、世界はいつまでも小さいまま”??」

「そう。」

「それって逆じゃないの?」

自分がたくさん知っているから、世界は小さく感じるんだ。

そのときの僕はそう思っていた。

そんな僕の言葉に彼女は小さく横に首を振る。

「何かを知るということは、その世界を見ることになるの。」

「そしたら世界は小さくなるんじゃないの?」

「まぁ、聞いてよ。その世界はただそこにあるんじゃなくて、そこからさらに広がってるのよ。」

足元に広がる土の上に彼女は当時、知られていなかった魔法で絵を描いて、僕に見せた。

小さな円を中心に、それに少しだけ接している大きな円が幾つも取り巻く。

「こんな感じに。で、何かを知ったらここの接する部分からその大きな円を見れるわ。」

“ここの”と指差されたその場所は、中心の小さな円に接しているほんの一部。

それから彼女は、ここも、ここもと同じように接している部分を指さした。

「これがどういうことか分かるかしら?」

「わからない。」

小さな質問の答えもわからず、首をふる。

「何かを知るということは、その全部を知ることではなく、その接する部分に立ったというだけ。また、そこから何かを知って言って、その世界を知り尽くさない限りはその新しく見えた世界は未知のままなのよ。」

その言葉にまだ分からずに首を傾げると、彼女は笑いながらいった。

「何かを知ることは、新しい世界の一部を見ることだわ。私たちが何かを知る分だけ、世界は大きくなるのよ。だから世界が小さい奴は何も知らない、つまりは無知だと思うの。」

簡略化されたその言葉を何度も何度も頭の中にめぐらせた。

するとゆっくりとその意味が理解され始め、しばらくたって僕はしっかりとその意味を理解した。

「わかった。そうか、そういうことなのか!」

「私はもっと大きな世界で生きたい。だから、巫女なの。彼の望んだ、伝説のようにならないように、彼の望む未来に行けるようにね。」

その目は輝いていた。

僕が知っていた彼らのように。






「それから僕は、彼女の仲間になった。そして、戦ったんだ、絶望にね。」

「戦った?」

絶望。

それは、仲間を失う原因となった、世界の宿命となった敵。

「そう。あの戦いで僕たちは仲間を失ったんだよ。助けられなかった。」

「その後、どうしたんですか?」

「別れたよ。また、戦うべき時に、再会を誓ってね。」

戦いは、僕たちの関係をガラリと変えた。

絶望を知らぬ少女が、絶望を知ったし、穢れと血を知らぬ少女が、穢れと血を知った。

冷たく、僕たちを仲間と思っていなかった男が、僕たちを頼るほど。

戦いを知らない仲間達は知らされた。

虚しさを。

悲しみを。

「けど、運命の神は全てを知っていた。」

「全て?」

「そう。再び、僕たちが辿った道を誰かが辿ることになることをね。いつかは、僕たちも失った仲間たちのように、誰かの道になるんだと思う。その道が険しくならないように、僕たちは道を作らないと行けない。……僕も、仲間たちと共に戦えれば、良かったのにな。」

僕の口から本心が溢れでる。

もう、僕は飛べない。

あの戦いで僕の翼となってくれた彼は、僕のために、翼を失ってしまった。

他の仲間たちとの連絡は本当に、定期的になって、何年もしなかった。

ただ、限られた仲間とだけ、密に連絡をとっていた。

僕が仲間たちの中でも、最初の方に出会った四人の仲間のうち、二人は僕に会いに来て、少しの話を聞かせた。

それが、ヒナとヒナが彼と呼んだ男。

「彼女のお腹には小さな命が宿っていること、彼が彼女と共に生きることを聞いた。」

その夜はやけに静かで、風さえも吹いていなくて空には雲も何も無く、空に星が散っているだけだった。

窓から見えるその景色と、二人が刻々と聞かせるその話に僕は静かに目を閉じた。

「それから二人はこの世界から消えると言った。」

「え!?死ぬってことですか!?」

「そうじゃないよ。姿を隠すと言ったんだ。」

驚いたセルス君の顔が落ち着くように安心を見せた。

「彼と彼女は私にだけそれを告げると、その夜、空を飛んでいってしまった。」

それから彼らは何の連絡もよこさず、2年が過ぎた春。

彼女は突然、僕の前に姿を見せた。

「彼女は僕に言った。」

椅子に腰を預けて座っていた彼女の笑顔。

窓から流れてくるまだ少し冷たい風と遊びながら、楽しそうに揺れる白いカーテン。

全てが瞼の裏でくっきりと思い出される。

「“女の子だったわ。”始まりはそんな言葉だった。」

その言葉が意味するものは、生まれた赤ちゃんのこと。

そして彼女の優しげな目が、2年前とは少し違っている事にも気づいた。

その目はすっかり母親で、生き生きした目をしていた。

僕はその目に、ただ驚いた。

「僕は彼女に尋ねた。“後悔はしてないのか、しないのか”と。」

それは、仲間達を失ったことへの問い。

その言葉に彼女は少し笑って、小さく首を振った。

「彼女の答えは簡単だった。“後悔なんてするはずないわ、今、生きているのは、みんなのおかげだもの。感謝こそすれど、後悔は一つさえないわ。”彼女は笑いながら僕にそういったんだ。」

これが子を持つ親の眼なんだ。

強くて、真っ直ぐで、命の意味を理解していた。

死さえも恐れずに、全てを受け入れているようなそんな目だった。

「“唯、心残りはあるの。……あの子が戦いに巻き込まれないか心配なの。”と、彼女は悲しそうな目を見せて言った。そしてその願いを“私の変わりに、お願いね。”と僕に託したんだ。」

彼女は笑った。

笑うというよりも、悲しいのに笑顔を作っているようだった。

「彼女は笑って言った。“彼が言ったの。『いつか出会うんだ』って、あの子と。まるで『俺とお前が出会ったように。』って。”」

その時の笑顔を見て思ったんだ。

彼女は全ての人にたくさんの魔法をかけて、それを解くことなく空を飛ぶのだと。

「何故、戦わないんですか?」

「僕の竜は片方翼がない。自衛がやっとで、空をもう飛ぶことが出来ないんだよ。」

いわば、片翼の竜。

力があり、恐れられていたかつての面影はもうない。

「きっと彼女は信じているんだよ。僕と僕の竜が再び空を飛べるようになるのだと。そして、“まるで俺とお前が出会ったように。”という言葉を。」

彼女は何も言わなかった。

それは、彼の言葉を信じてみたかったから。

だから僕も信じようと思った。

まだ見ぬ、彼と彼女の愛する娘と出会えるという運命を、そして。

彼女がかけた魔法を、その少女が解いてくれるという未来を。
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