血を吸うかぐや姫

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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伊澄瑠璃子

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◆伊澄瑠璃子

 その人が姿を現すと、校庭に散らばっていた生徒たちが一斉に集まり始める。

 その人の名は伊澄瑠璃子。
 この春、よその町から転校してきた女の子だ。
 彼女が姿を現すと、生徒達の間から感嘆の溜息が漏れる。
 みんな見惚れているのだ。男子は当然、女子の目も憧れの対象として眺めている。

 伊澄瑠璃子はそんな様子など気にも留めず観覧の生徒達で熱くなった空気を切るように真っ直ぐに歩く。
 長い髪が歩調に合わせて揺れ、その神秘的な姿を際立たせている。
 その切れ長の瞳には誰の姿も映っていない。

 同じ年頃の女子たちが、伊澄瑠璃子に憧れても、自分たちがその容姿を持つことはできない。
 ……それは不可能だよ。
 伊澄瑠璃子はそう言いながら自分の姿を人前にさらしながら歩いているように見えた。

 抜けるような白い肌・・制服以外、特に着飾っているわけでもないのに、何かを身にまとっているように映る容 姿。
僕はなぜか、彼女の出す雰囲気に人離れしたものを感じ取っていた。
 今までに出会ったことのない存在。

 まさしく高嶺の花だ。
 誰も手が届かない・・
 ・・いや、手が届いたかどうか確かめようもない。
 まだ誰も「つき合ってください」とかの類の告白をした者はいないらしい。
 恐れ多くてできないのだろう。

 だが、そんな彼女を快く思わない人種だっている。
 俗にいう、女の嫉妬だ。
 自分より上を歩く人間に向けられた眼差しだ。
「なによ、あんな女」
「たいして綺麗でもないのに、みんな、見ちゃってさ」
 憧れの声に混ざって、そんな別の声も耳に入ってくる。

 幸か不幸か、僕はそんな彼女と同じクラスだ。
 けれど、いくら綺麗でも、彼女とは住む世界が異なる。それ故にどうでもいいことだ。
 僕は現実的だ。
 憧れや夢など追いかけても空しい。その先には何もない。

「由緒ある家の出らしいわよ」
「おい、そんなことを何で知ってるんだよ」
「あくまでも・・噂よ」

 ・・そう、噂はいろんな方向に向かう。
 小さなことが大きく膨らんだり、
 噂の陰で、肝心な情報が漏れたりもする。
 それに、伊澄瑠璃子の家は教師以外には誰も知らない。
 当然ながら、家族構成も知らない。
 要するに、伊澄瑠璃子のことは誰も何も知らないのだ。

 だが、この世に生きる人に、謎なんてない。
 みんなただの人だ・・
 それは僕の父の言葉だ。
 だが、例外もある・・後になってそれはわかることだ。

 連休前の朝、 
 どこかの国の王妃様のお出迎えのように、男子はもちろんのこと、多くの女子も先に来て待っている。
 校門の向こうに彼女の姿が現れると、生徒達は一斉にざわつき始める。
 
 おかしい・・絶対におかしいのだ。
 ただの女の子が綺麗なだけで、それほどまでに惹かれるだろうか?
 彼女に夢中になったり、興味を持ったりするのは万人共通の心理なのだと、彼女自身がそんな風に仕向けているのではないだろうか?
 それは何かの魔法か集団催眠のようにも思えた。

 僕は群衆を避けるように、彼女を囲んで立ち並ぶ生徒達の脇をすり抜けて歩いた。
 伊澄瑠璃子は、生徒達の壁の向こうを歩いている。
 見ていないのに、歩いているのが感じられた。
 まるで、僕か、彼女のどちらかが歩調を合わせているように、並行して歩いている。
 そして、
 生徒達壁が途切れた瞬間、
 僕と伊澄瑠璃子の間を塞ぐものはなくなった。
 僕は自然と彼女の方に首を向けた。いや、向けてしまったのだ。
 なぜか、彼女の目も僕に向けられている。
 二人の間を一筋の風が吹いた。
 風が彼女の髪をすくい上げ、ふわりと風になびかせた。
 そして、ゆっくり落ちてきた数本の黒髪が彼女の顔の頬をよぎった瞬間、
 彼女は微笑んだ。
 いや、そう見えただけなのかもしれない。

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