血を吸うかぐや姫

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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旧ヘルマン邸二号館

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◆旧ヘルマン邸二号館

 旧ヘルマン邸二号館・・通称お化け屋敷、又は幽霊屋敷と称される建物は大学の裏手の坂を上がった所にある。
 位置的には十文字山の麓、登山道に入る道の脇にある。その向こうには深い竹林だ。
 屋敷は木造の二階建て、和風ではなく洋館だ。窓はどれもアーチ状で細長い観音開き。
 屋敷の周囲を伸び放題の雑草が囲んでいる。おそらく以前は小奇麗な庭園だったと思われるが、今は何の面影もない。ただの鬱蒼とした茂みだ。
 そして、その雑草だらけの庭を更に囲んでいるのは、朽ちかけた煉瓦塀と、雰囲気に似つかわしくない鉄条網だ。

 金曜日の放課後、僕と委員長の神城涼子とその友達の佐々木奈々、そして、学園の羨望の的の伊澄瑠璃子と、その腰巾着の黒崎みどりと白山あかねの計6人は、打ち合わせ通り、屋敷前に集まった。全員が高校の制服のままだ。

 僕たちは屋敷を見上げた。
時刻は夕方の4時。太陽は暗い雲の中に隠れている。
 ここに出入りしているという大学生たちもいない、当然、この時刻に逢引など誰もしないだろう。立ち入り禁止にもなっていないのか、貼り紙や立て看板の類も見当たらない。
 これじゃ、まるで子供のお化け屋敷探検だ。
 度胸試しで中に入って、誰が一番奥まで入れるかを競い合う・・そんなレベルの行事にも思えてくる。

 僕の横にぺったりと引っ付く神城が、
「ここって・・本当に大学生が楽器の物置に使っているの?」と疑問を投げかけた。
 佐々木も「なんでわざわざこんな所に大事な楽器を置いたりするのでしょうか?」と同調した。
「それにこの場所は何だか湿気ているし、楽器の保存にはよくないと思うけど」
 と神城が言うと、佐々木が「涼子ちゃん、そんなことより、ずいぶんと屑木くんに寄り添ってますね」と冷やかした。
 そう指摘された神城は慌てて「ちょ、ちょっと奈々、そんなんじゃないんだって」と言って僕と距離を置いた。
 神城が佐々木奈々に「奈々は、松村くんと一度ここに入ったんでしょ」と確認した。
「でも、私が入ったのって・・玄関までですよ。すぐに引き返したんですよ」と佐々木は説明した。
 こんな場所、女の子の行くところじゃないな。

「あんたたち、ひょっとして怖いの?」
 伊澄瑠璃子の腰巾着の一人の黒崎みどりが、からかうように言った。
 神城は黒崎の言葉に動じず、
「怖いと言うか・・この場所って、ちょっとおかしくない?」と言った。
「おかしいって・・何がよ」と同じく伊澄瑠璃子の金魚のフン的存在の白山あかねが言った。
 僕は神城と佐々木を庇うわけではないが、
「黒崎たちもおかしいと思わないか? ここの鉄条網、まるで入られることを強く拒んでいるように見えるし、肝心の大学生など出入りしている様子もない」と言った。
 もし、大学生が出入りしているのならどこから屋敷に入っているのだろう?

 佐々木が鉄網でできた臨時の扉を見ながら、
「おかしいですね。前に来た時は、ここの網の戸が開いていたんですけど、今は鍵がかかってますね」と言った。
 見ると、自転車のタイヤをロックするような鍵がかけられている。これでは中に入ることができない。
 鍵を見た神城が「もうやめようよ」と言った。目の前に小さな障害があると、すぐに引き返す。神城はそんな性格のようだ。
  
 そんな僕たちの様子を背後から黙って見ていた伊澄瑠璃子が、
「みなさん。あちらに網が切られている箇所がありますわ」と壁の北側を指差した。
 その方向には、なるほど、人が一人ようやく入れるほどの隙間がある。よく見つけたな。
 黒崎みどりが、「さすがは伊澄さんだわ。目もいいのね」と褒めちぎって「あそこから入りましょう」と皆を急かした。
 神城は「なんか、やだなあ」と気の進まない声を出した。そんな神城に佐々木が「涼子ちゃん、ここまで来て帰ったりしたら来た意味がないですよ」と言って背を押した。
 僕も佐々木に合わせて「神城は委員長の責務って、言ってたじゃないか」と後押しした。
 神城は「でもぉ・・」と言って「先頭は屑木くんね」と僕の背後にまわった。
 すると、佐々木が「私は玄関までは一度来てるんで、私が案内しますよ」と言って先頭にまわった。
 佐々木を先頭に、僕、神城と続き、その後ろを黒崎、白山、最後尾が伊澄瑠璃子という順番に鉄条網の隙間を抜けた。

 全員が敷地内に入ると、黒崎が「やだあ、汚い!」と大きな声を出した。「制服が汚れちゃう」
 確かに茂みの中は外で見るのと違って遥かに汚い。蜘蛛の巣はあちこちにあるし、足元は枯葉や枝木で埋め尽くされている。
 雑草や、左右から迫るような木の枝がピンピンと体のあちこちで跳ねる。

 おそらく僕も含めて神城も他の皆もここに来たことを後悔しているだろう。それにあと数時間で夕暮れだ。こんな場所が暗くなったらたまったものじゃない。

 雨も降っていないのに、首筋にポタリと水滴が落ちる。見上げると大きな樹木の葉から落ちてきたようだ。水滴は他の女の子にも落ちているのか「冷たい」とか「ひゃッ」という声が上がった。
 僕は声を上げなかったが、最も大きな声を上げた女の子が一人いた。
 それは、ここに来たことを最も後悔している人物・・
 伊澄瑠璃子の腰巾着の一人の白山あかねだった。
 まず最初、白山あかねは「ねえ、みどり、寒くない?」と言った。
 そう言われると、この辺りの温度が少し低いように感じられる。
 しかし、白山の「寒い」という言葉は、ただの寒いではなかった。
 その様子にいち早く気づいた腰巾着の片割れの黒崎みどりが。
「ちょっと、あかねっ、あんた、震えてない? もしかして、もう怖くなっているの?」と叱咤するように言った。
 僕たちはこの時点では「怖い」というよりも「きたない」ことの感覚が先立っていた。
 白山だけが、怖い・・そう思っているのだろうか?
「だ、大丈夫よ・・」白山あかねはそんな弱々しい声を出した。

 そう言えば、先日、黒崎と白山は口喧嘩をしていた。
 白山あかねに男友達が出来、黒崎みどりがそれを責め立てていた。
 片方に男が出来ることによって、二人の仲が壊れる・・そんな喧嘩に見えた。
 そう思っていると、
 最後尾の伊澄瑠璃子がこう言った。
「守るものがある人は・・怖くてしょうがないのね」
 それは、白山あかねの心情をあざ笑うような言い方だった。
 
 そういうことか・・
 何となくだが、伊澄瑠璃子の言葉の意味が理解できた。
 僕には彼女と呼べる女子はいない。おそらく神城や佐々木にも。
だが、白山あかねは男とつき合い始めているらしい。よりによって、こんな日の前だ。
 白山あかねの頭の中は、いかに伊澄瑠璃子の付き添いとはいえ、こんな場所には来たくはなかったのだろう。それに彼氏ができたのだったら、そっちの予定が優先する。もし、こんなところで何かあったりしたら、彼氏に会えなくなる・・そんなことばかりを考えてしまうのかもしれない。

 伊澄瑠璃子に心を見透かされたような白山あかねは「大丈夫・・大丈夫」と自分に言い聞かせるように言葉を重ねた。
 いつも一緒にいる双子に見えた二人はどうやら、強気の黒崎みどりと弱気になっている怖がりの白山あかねに分かれてしまったようだ。

 茂みをかき分けて進むと、屋敷の玄関前に辿り着いた。
 神城は佐々木に「ねえ、奈々、このドアって、開くの?」と尋ねた。
 佐々木は「前に松村くんと来た時には、簡単に開きましたよ」と答えて、
「屑木くん・・ドアノブを回してください」と言った。
「僕かよ!」と思わず僕は大きな声を出した。
 佐々木は「男の子でしょ」と再度言った。
 佐々木に言われる通り、ドアノブを回すと、ドアはギイイッと軋む音を立てたが、簡単に開いた。鍵もかかっていない。
 こんな場所に学生が楽器を置いていたら盗まれるじゃないか、とも思う。
 
 伊澄瑠璃子のしもべの黒崎みどりが、「ここって、本当に大学生が出入りしているの?」と誰ともなしに言った。
 神城が「なんで?」と言った。「どうしてそんなことを訊くの?」という意味だろう。みんな言葉のセンテンスが短い。
「だって・・人が出入りしているわりには、ドアが汚いし、足元も人が大勢通った形跡はないわ」黒崎みどりはそう言った。
 確かに、ドアノブに触れた僕の手にはべったりと変な汚れが付いているし、靴もドロドロだ。足の踏み場も不安定だ。
 佐々木は「大学生が利用しているといってもほんの僅かな数の人達なんでしょね」と言った。
 怯えていると黒崎に指摘されている白山あかねは、「こんな所で逢引をする人なんて、頭がどうかしているわ」と言った。
 自分ならこんな野暮な所で彼氏と会わない・・そう言いたいのだろう。
 そう言った白山に黒崎みどりが、
「やっぱり、木田くんとつき合っているんでしょ」と個人的な話を持ち込む。
 そんな二人に委員長の神城が「ちょっと、今はそんな言い合いをしないでよ」と制した。
 
 そんな二人とは関係なく、ここに来たことのある佐々木奈々が「この廊下の先は、私は行ってないから、知らないんですよ」と言った。「だから、ここからは屑木くんが先頭になってくださいね」
 結局、僕が先頭か・・
 玄関口から細長い廊下に足を踏み入れると、ぎしいっと床が軋んだ。まさか床が抜けることはないだろうが、それを彷彿させる軋み方だ。
 どこからか差す明かりで、進む先と足元はほんのりと見えるが、それでも暗い。白山あかねではないが、次第に怖くなってくる、
 僕の後ろで神城が「どうして、私、こんなところに行こうって屑木くんを誘ったのかなあ」と小さく言った。
「元々、松村の顔が気になって・・と言ってたじゃないか」と僕は軽く抗議した。僕だってこんな所に自ら進んで来たくない。

 更にさっきからもっと怖がっている白山あかねが、
「わ、私、やっぱり、帰るわ」と言いだした。まだ中に入ったばかりだというのに。
 相方の黒崎みどりが「ちょっと、あかね・・私たち、伊澄さんの行くところには、どこでも行くって誓ったじゃないの!」と言った。
 こいつら、そんなことを言っていたのか。本当の腰巾着だな。
 すると、それまで黙って最後尾に徹していた伊澄瑠璃子が、
「私、別にあなたたちに来てくれとは頼んでいないわよ」
と冷たく言った。
「ごめんなさい、伊澄さん。あかねが帰るなんて言い出して・・」と黒崎が伊澄瑠璃子に丁寧に謝った。
「・・・」
 伊澄瑠璃子は無言だ。
 その顔を見ると、切れ長の瞳の奥が暗闇の中で光っているようにも見える。
 その不気味な顔が白山あかねに静かに向けられた。
「それで、白山あかねさん・・ここから一人で帰られるのかしら?」と伊澄瑠璃子は強く問うた。
 問われた白山あかねは、少し考えた後、ここから一人で戻ることはできないと判断したのか、
「い、行きます・・ついていきます」と弱く答えた。けっこう精神的に参っているように見えた。早くこんな所とはオサラバして、つき合い始めた彼氏に会いたいのだろう。
 佐々木が神城に「なんだか白山さん、可哀相ですね」と耳打ちした。

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