血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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器(うつわ)①

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◆器(うつわ)

 窓の向こう・・老婆たちの数が増えている。若い人間はいない。
 僕は窓と反対の玄関のドアの方を見た。物音はしていない。ドア側から逃げれば何とかなりそうだ。
 そんな脱出方法を考えている時、
 伊澄瑠璃子は、僕たちの心を呼び戻すようにこう言った。
「けれど・・レミ姉さんを完全な体にする為には、足りないものがあるのよ」
 足りないもの?
 いや、今はそんなことよりもここから脱出しないとダメだ。
 僕は「神城、君島さん、ドアの方から出るぞ!」と声をかけた。
 だが、僕の慌てぶりに比して、落ち着いている君島さんが、「足りないものって、何なのよ!」と強く訊いた。
 伊澄瑠璃子は君島さんの強い問いに答えた。
「それは・・器よ」
 うつわ?
「レミ姉さんを入れる美しい体が、欲しかったの」
「あれ」が大きくなるだけではダメなのか。姉のレミを完全体にするためには、その肉体を覆うものが必要になるのか。
 伊澄瑠璃子は話を続けた。
「最初は、さきほどのサヤカさんでもいいかと思っていたのよ。けれど、あの女の体は美しくなかったわねえ」
 僕はサヤカさんの元の体を見ていないから想像もできない。
 だったら、誰の体ならいいと言うのだ?
 その疑問に答えるように伊澄瑠璃子はこう言った。
「でも私は、ついにレミ姉さんの体に相応しい美しい人間を見つけたのよ」
 そう大きく言って意味ありげに微笑んだ。その対象の人間を見つけたことで満足気な表情だった。
 伊澄レミを入れるのに相応しい美しい体・・

 その言葉が最後だった。
 話の続きを聞く間もなく、僕は神城に「行くぞ!」と再度号令をかけ、ドアに突進した。
 ドアの外には、老人たちはいなかったが、窓の外にいた老婆たちがこちら側に回ってきた。老人達は動きが速いが、僕と君島さんも負けずと速い。
 だが、問題は神城だ。神城は普通の人間だ。僕たちについていけない。
 僕が神城の手を引くと、その分、遅くなる。
「世話が焼けるわね」
 そう言ったのは君島さんだ。
 君島さんは、神城の手をグイと引き「しっかり私に掴まってなさいよ!」と発破をかけた。
 吸血人化している君島さんの俊足とパワーには目を見張るものがある。「きゃっ」と叫んだ神城の声を無視し、その手を引いたまま飛ぶように駆け出した。
 向こうも負けてはいない。それまでたむろしていた老人たちが立ち上がり、向かってきた。今までは、伊澄瑠璃子が抑え込んでいたのだろう。
 老人たちの中には、口から「あれ」がはみ出ている者が何人かいる。「おごっ」「あがっ」と意味不明の言葉を発しながら、追いかけてくる。
 神城が「この人達、最初から、こうだったの?」と訊いた。
「きっと伊澄さんが抑え込んでいたんだよ」その力には限界があるのかもしれない。要するに時間切れだ。
 外は車の往来があるし、更にその先は通学路で、人通りも多い。助けを呼ぶことも可能だ。
 いくら足の速い吸血人でも所詮は老人だ。こっちの方に分があった。

 走りながら、改めて周囲の様子に目をやると、この集落はまるで世間から見捨てられたような場所に思えた。いや・・見捨てられた、というより隔離なのかもしれない。
 神城が老人たちを見ながら、「みんな、ここの住人なのよね」とポツリと言うと、
「そんな感傷に浸るのはあとよ!」君島さんが戒める、
その時、
「いやああっ」
 地面を這っている老婆が神城の足を掴んでいた。老婆の口から涎が溢れ出している。血を吸うことの興奮が全身に溢れんばかりだ。
 だが、神城の血は吸わせはしない。
「神城っ、そのままじっとしてろっ」
 僕は駆けより、神城から老婆の腕を引き離そうとするよりも先に、
「本当に世話が焼けるんだからっ」
 と、君島さんが老婆の腕を蹴散らすように、強い蹴りを入れた。
 老婆の腕が離れる瞬間、「ごきっ」と鈍い音がした。多分、どこかの骨が折れたのだろう。簡単に折れるみたいだ。
 老婆が腕を抱えながら、うずくまった。君島さん、すごい。
 その様子を見た神城が、「あのお婆さん、大丈夫なの?」と訊いた。
「そんなことを気にするより、自分のことを気にしなさいよ!」君島律子がそう律した。
「ええっ、君島さん、でもあの人達、まだ人間よ。さっきの渡辺さんの妹のような状態じゃないわ」
 神城の言いたいことは十分わかる。
 けれど、神城があの老婆に血を吸われていたりしたら、そんな気持ちはどこかに吹っ飛ぶだろう。
 そんな神城に「現実を直視しろ」と言わんばかりに、前方を吸血鬼化した老人たちが立ち塞がる。
 二人の老婆が、集落の入り口付近で待ち伏せている。まるで死霊のような動きで向かってくる。その口から「あれ」がはみ出ているのが見える。
「神城、あんな婆さんたちに、人間としての意志があるように見えるか?」
 神城はその言葉には応えず、「でも、奈々があんな風になったら、私、どうしたらいいの?」と戸惑いの顔を見せた。
 そんな神城に君島さんはこう言った。
「神城さん、あの老婆の目を見なさいよ」
 見ると、向かってくる老婆の眼球が、その顔から零れ落ちようとしていた。正確には垂れ下がったまま、まだ落ちていない。
 よく見ると、あのサヤカのように体のあちこちから液体が溢れ出ている。

 老婆たちは、かつて人間であった。
 しかし、この状態は、そこに意思があるのか、もはや理性が失われているのか、僕たちには判断のしようがない。
 だが、今の僕たちは、自分の命、そして、仲間の命を守る行動をしなければならない。
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