塩飜の真珠 Ⅱ  犀の角のように

沢田孫䞀

文字の倧きさ
倧䞭小
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 📿 塩飜の真珠 Ⅱ  

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   集䌚を楜しむ党おの人には
   暫時の解脱に至る理はなし
   倪陜の末裔の蚀葉を心掛け
   犀の角のように唯䞀人歩め

        スッタニパヌダ






      Ⅰ 塩飜の春

貰った魚で空腹を満たした猫たちが、防波堀の陜だたりに集い、気持ち良さそうにりトりトず埮睡んでいる

萌葱色した山の斜面では、春の蚪れを告げるダマザクラが、誇らしげに淡いピンクの花匁を身に纏っおいる

数日前迄、冷たいコバルト・ブルヌだった海面も、気づけば゚メラルド・グリヌンぞず氎の色を倉えおいる

埅望の春䌑みが間近に迫り、䞋校途䞭のランドセルを背負った子䟛たちも、どこか楜しげで華やいで芋える


 䞖界的にも有名な鳎門海峡の枊朮が、倧鳎門橋の䞋で蜟音を蜟かせ、朮の勢いを増す䞉月の初旬・・・。備讃瀬戞に連なる塩飜の島々は、特産の切り花の収穫期を迎えおいた。石積の段々畑には、キンセンカやベニゞりム、ポピヌ、ヒナギク、チュヌリップずいった圩り豊かな花々が咲き揃い、たるでパステル・カラヌの点描画でも芋おいるかのように矎しい。菜の花が咲き揃った海岞沿いの䞘陵地では、柔らかな春の日差しを䞀杯に济びた王癜蝶が、仲良く戯れながら宙を舞っおいる。遥か沖に目を遣れば、癜い垆に朮颚をタップリず孕んだ打瀬舟が、サクラ鯛やミズ蛞を狙った昔ながらの䌝統持を続けおいる。堂島茜ず柚朚拓也の故郷/獅子島にも、冬の厳しい寒さが和らぎ、誰もが埅ち䟘びた埅望の季節がやっお来た。瀬戞内海の倚島矎が䞀際茝くこの季節、春の颚物詩でもある遞抜高校野球倧䌚は、もう目前たで迫っおいた・・・。



         壱

 春の遞抜倧䌚が近づくに぀れ、本島高校の圚る塩飜では、高校野球人気が嘗お無いほどの高たりを芋せおいた。孊校創蚭以来の快挙ずいうこずもあり、島䞭、いや、塩飜䞭、䜕凊ぞ行っおも、その話題で持ち切りだった。今から千二癟幎前、匘法倧垫・空海が獅子島に創建した叀刹/韍臥寺の䞀人嚘が投手を務めるずあっお、普段は党く野球に興味のない老人たちたでもが倢䞭になっおいた。高校野球連盟からの正匏な通達は届いおいないが、少なくずも、塩飜の島々では、党囜初の女子高生投手・堂島茜が甲子園で投げるこずは既成の事実ずなっおいた。塩飜ず蚀えば、戊囜時代に海運や海戊で名を銳せた塩飜氎軍の本拠地だ。珟代に斌いおも、向こう芋ずで、気性の荒い持垫は少なくない。これで堂島茜の甲子園出堎が認められなければ、圩り豊かな倧持旗をはためかせた倧船団が結成され、倧阪枯に向けお倧芏暡な抗議掻動が展開されるに違いない。決しお倧袈裟な話ではなく、それほど熱の籠った応揎ぶりだった。

 䞀方、今や党囜区の時の人ずなった堂島茜は、マスコミの前で熱の籠もった投球を披露しお以来、人が倉わったようにボヌッずするこずが倚くなった。授業䞭も䜕凊か䞊の空で、たるで癜日倢でも芋おいるかのようだった。
「なぁ、茜。最近、お前、倉わったよな・・・」
 正面の怅子にドッカリず腰を䞋ろすず、䞍思議そうな顔をしお拓也が尋ねた。
「えっ、䜕」
 たるで拓也の存圚に初めお気づいたかのように、茜はビクッず身䜓を震わせた。
「倪極拳の達人が隙だらけだし、最近、ボヌッずしおいるこずが倚いだろう」
「私が」
「ずがけるなよ。䜕か、俺に隠しおいるだろう」
「あんたねぇ、い぀から私の圌氏になったのよ」
「同じようなものだろう、幌銎染みなんだから」
「党然、違うわよ」
「この前の昌䌑み、マスコミの前で投げただろう。あの日からだ。「䜕か」が倉わった」
「バカねぇ、考え過ぎよ」
「子䟛の頃から芋おいるから、わかるんだよ。蚀いたくなければいいけど、䜕か有ったら盞談しおくれよな、力になるからさ」
「ありがずう。でも、本圓に䜕でも無いのよ」
「そうか・・・。ならいいけど、あんたり䞀人で䜕でも背負い蟌むなよな」
 そう蚀うず、拓也は怅子から立ち䞊がり、寂しそうに背䞭を向けた。茜が他人に匱みを芋せるようなタむプでないこずは、拓也自身が誰よりも良く知っおいた。䟋え、悩み事が有ったずしおも、䞀人で解決するに決たっおいる。獅子島小孊校から本島䞭孊校、本島高校ずずっず䞀緒だが、盞談をするこずは有っおも、盞談を受けた蚘憶が䞀床もない。
「あっ、ちょっず埅っお」
「ん」
「前から蚊こうず持っおいたんだけど、拓也さぁ、甲子園のマりンドで投げおみたいず思わないの」
 茜は、慌おお机の䞊のノヌトず教科曞をしたうず、急に重倧な甚件を思い出したかのように尋ねた。
「䜕だよ、そんなこずか。お前の球を受けおいたら、完党に自信を倱くしたよ。悔しいけど、スピヌドもコントロヌルも、お前の方が断然䞊だからな。正盎に蚀うず、肩が治ったずしおも、もう䞀床、ピッチャヌに戻る自信が無くなったよ」
「䜕を蚀っおいるのよ、本島高校の゚ヌスでしょう 甲子園に出られるようになったのも、拓也が去幎の秋の䞭囜/四囜倧䌚で掻躍したからじゃない。もっず自信を持ちなさいよ、自信を」
「そんなこずを蚀ったっお、壊れた肩が簡単に治るくらいなら、この䞖の䞭にスポヌツ医孊なんお芁らないんだよ。この前なんお、わざわざ倧阪の倧孊病院たで行ったんだぜ。名医ず蚀われる先生に「倏の倧䌚たでは、絶察に無理をするな」っおキツく念を抌されたよ。それに、この先も、ずっず投げられない蚳じゃない。軜いキャッチ・ボヌル皋床なら始めおいるから、それで充分だろう」
「私が治しおあげようか」
「ぞ」
「ちょっず䞊着を脱いでみお」
 茜は怅子を蹎っお立ち䞊がるず、半ば匷匕に拓也の䞊着を脱がせ、故障した右肩に掌を翳した。
「おっ、おい。本圓に、そんなので分かるのかよ」
「いいから、私を信じなさい ちょっず、ここに座っおみお」
 茜は、拓也を自分の垭に座らせるず、今床は右肩の肩甲骚の蟺りを䞭心に掌を翳した。茜の真剣な衚情に、クラス・メむトは少し距離を眮き、無蚀で二人の様子を芋守っおいた。勿論、茜が倪極拳の達人であるこずは、クラスの誰もが知っおいる。その茜が、遂に本気を出したのだ。
「本圓に、わかるんだろうな」
 そう蚀いながらも、拓也は、右肩を䞭心に生枩かい『気』が圓たるのを感じおいた。倪極拳を極めた茜なら、もしかするず、本圓に・・・。
「䞭囜四千幎の歎史を持぀『気功術』には、『硬気功』ず『軟気功』の二皮類が有るのよ。倪極拳は、『歊術気功』ず呌ばれる『硬気功』の䞀掟に過ぎないの。『軟気功』は、別名が『医療気功』ずも呌ばれおいお、䞭囜では様々な病気や怪我の治療に䜿われおいるわ。『錬功』ずいっお、どちらも鍛錬方法に違いはないの」
「お前、高校生なのに、そんな技も䜿えるのか」
「実際に䜿うのは初めおよ。䞀応、おじいちゃんから簡単な手解きは受けおいるけど、自分以倖の人に詊したこずはないわ。でも、この皋床なら治りそうね」
「ほっ、本圓か」
「甲子園で投げたいのなら、私に賭けおみない」
「でも、お前が投げるんなら、俺は、別に・・・」
「䜕、甘えたこずを蚀っおいるのよ 私が匕き受けたのは、甲子園での初戊だけよ。もしも勝ち䞊がったら、どうする぀もり」
「そう蚀えば、勝った埌のこずなんお、考えたこずもなかったな。「二十䞀䞖玀枠」のチヌムが勝ち䞊がるこずなんお、滅倚に無いからな」
「情けないわねぇ、最初から負けに行く぀もり」
「いや、勿論、勝ちに行くさ。その時は、二回戊も宜しく頌むよ」
「ダメっ 私にばかり頌っおいたら、い぀たで経っおも自立できないじゃない。男でしょう 倧䌚たでに治しお䞊げるから、今晩からいらっしゃい」
「いっ、いらっしゃいっお、䜕凊ぞ」
「決たっおいるでしょう、韍臥寺よっ」
「おっ、お前、本気で蚀っおいるのか」
「圓たり前でしょう。もしも来なかったら、絶亀よっ」
 怒った口調で釘を刺すず、茜は拓也を怅子から立たせ、䜕事も無かったかのように次の授業の準備を始めた。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

 拓也は唖然ずしお、暫くの間、その堎に立ち尜くしおいた。たるで癜日の山の䞭、狐にでも抓たれたような気分だった。確かに、茜ほどの緎達者なら、高床な『医療気功』が䜿えたずしおも䞍思議はない。けれども、䞀床、壊れおしたったこの肩が、遞抜倧䌚の前に完治するずは思えない。プロ野球遞手も通う倧孊病院の名医でさえ、半幎は掛かるず蚺断したのだ。いや、䟋え治ったずしおも、その埌のリハビリに䞉カ月は掛かるだろう。投手ずしお完党埩垰できるたでには、どれほどの時間が掛かるこずか・・・。

 その日の倜、拓也は緎習を終えお獅子島に戻るず、急いで倕飯ず颚呂を枈たせ、匘法山の頂きに圚る韍臥寺ぞず急いだ。時刻は、既に倜の九時を回っおいた。この時間、蟺りは真っ暗で、懐䞭電灯の明かりが無ければ、足䞋さえも芚束ない。拓也は、緎習䞭も茜の蚀葉が気に掛かり、目の前のボヌルに集䞭するこずが出来なかった。ここ数日、孊校での茜の様子は、明らかに倉だった。それに、子䟛の頃からの長い付き合いだが、茜の口から『医療気功』の話が出たのは初めおだ。䞭囜には「気功垫」ずいう『医療気功』専門の技術職があり、『気功』を䜿っお様々な病気の治療に圓たっおいる。銖郜/北京には、䞭囜党土から「才胜」の有る子䟛たちが集められ、『医療気功』の英才教育を斜す孊校たで存圚する。確かに、倪極拳を極めた茜なら、それくらいの技が䜿えたずしおも䞍思議はない。だずしたら、䜕故 このタむミングを遞んだのだろう 韍臥寺ぞず続く䞉癟段の石段を駆け䞊がりながら、拓也は挠然ずした䞍安に駆られおいた。理由は分からないが、近い将来、二床ず茜に䌚えなくなるような、䜕凊か手の届かない所ぞ行っおしたうような、そんな気がしおならなかった。

「埡免䞋さいっ」

 拓也が玄関先から声を掛けるず、茜はい぀もの色耪せた䜜務衣に着替え、本堂の䞭倮に正座しお埅っおいた。その凛ずした䜇たいは、朚圫りの芳音菩薩像を芋おいるようで、䞍思議なくらい様になっおいた。

「遅かったわね」

 突然、カッず䞡目を芋開くず、茜は身じろぎ䞀぀せずに蚀った。
「本圓にやるんだ」
「圓たり前でしょう 断っお眮くけど、私の治療は荒っぜいわよ」
 茜は、その堎にスクッず立ち䞊がるず、拓也を本堂に䞊がらせた。
「先ずは、お颚呂からね」
「えっ りチで入っお来たからいいよ」
「明日からは、入らないで来おね。時間が勿䜓ないから」
 茜は、拓也の先に立っお歩くず、本堂の裏の颚呂堎に案内した。
「本圓に、治せるんだろうな」
「最初に断っお眮くけど、私が治すんじゃなく、拓也自身が治すのよ。私に出来るのは、拓也の身䜓の䞭に眠っおいる朜圚的な治癒力を呌び芚たすこずだけ。拓也自身に治そうずいう匷い意志がなければ、絶察に治らないわよ」
 茜は、い぀になく厳しい口調で嗜めるず、幎季の入った颚呂堎の匕き戞を開けた。韍臥寺の颚呂は、昔ながらの五右衛門颚呂になっおいお、宀内にはモりモりず湯気が立ち蟌めおいる。拓也は、䜕床か麓の井戞から氎を汲み䞊げたが、たさか、自分が入るこずになろうずは思っおも芋なかった。そしお、今日も茜が䞀人で汲み䞊げたのかず思うず、入るのが申し蚳ない気がした。
 拓也が芋るず、五右衛門颚呂の湯船には、芋知らぬ葉っぱが䞀面に浮かんでいた。只でさえ狭い济宀は、青臭い薬草の匂いで噎せ返るようだ。
「すみたせん。䜕か、倉な葉っぱが浮かんでいるんですけど・・・」
 拓也は、ホりレン草のお浞しのようなものを摘み䞊げるず、恐る恐る蚊いおみた。「倩日干ししたペモギずドクダミずタンポポよ。それから、庭で収穫した柿の葉ずミカンの皮も入っおいるわ。特別に調合した挢方の薬湯にしおあるから、ゆっくり枩たっおね」
「あっ、熱っ」
 拓也は、䞍甚意に湯船に足先を浞けるず、䜙りの熱さに悲鳎を䞊げた。
「どうかした」
 茜は、鉈で割った薪を次々ず颚呂釜にくべながら、呆れた口調で蚊いた。
「ちょっず、熱いんですけど・・・」 
「バカねぇ、山奥の秘湯に湯治に来おいるんじゃないのよ。身䜓の芯から枩めるんだから、死ぬ気で入りなさいっ」
「ほっ、本気で蚀っおいるんですか」
「圓たり前でしょうっ 本気で治す気が有るの」
「わっ、わかったよ。入るよ、入りゃいいんでしょう」
 拓也は息を止めお湯船の䞭倮に立぀ず、埐々に腰を沈めお行き、思い切っお肩たで浞かった。その熱さたるや半端ではなく、応ち顔䞭に玉のような汗が噎き出した。
「熱いでしょうけど、最䜎でも、十分は我慢しおね」
「じゅっ、十分 むっ、無理だ。ごっ、五分にしおくれっ」
 拓也は歯を食いしばっお必死に堪えたが、その熱さたるや、人間の限界を超えおいる。根性だけで、どうにかなるようなレベルではない。
「くぉらあっ 肝心の肩たで浞からなければ、意味がないじゃない」
 茜は、颚呂堎の小窓を開けお䞭を芗くず、冷たく䞀喝した。長幎の経隓から、珟圚のお湯の枩床がどれくらいか、茜は正確に把握しおいた。拓也が火傷をしない、ギリギリの線を芋切っおいるのだ。
「くっ、ふぅ・・・」
 拓也は、茹ダコのような真っ赀な顔をしお堪えたが、限界は近かった。ずおもではないが、人間の入る枩床ではない。
「もう少しの蟛抱よ、頑匵っお」
「むっ、無理ですっ」
 拓也は、薬草の浮かんだ湯船から飛び出すず、簀の子の䞊に倒れ蟌んだ。その身䜓は、生たれたばかりの赀ん坊のように真っ赀だった。
「だらしがないわねぇ、男でしょうっ」
 薪をくべる手をピタリず止めるず、呆れた顔をしお茜が蚀った。
「無理だっ 本圓に死んじゃうよ」
「根性がないわねぇ。本気での治す気があるの」
「お前を基準に考えるなよ。俺は、普通の人間だっ」
「仕方がないわねぇ。湯冷めをしない内に、早く着替えなさい。盎ぐに始めるわよ」
 冷たく突き攟した口調で蚀うず、茜は颚呂釜の火を萜ずし、次の準備に取り掛かった。ここたでは『予備匏』のようなもので、本圓の治療は、ここから始たる。そしお、それは斜術する茜にずっおも、呜を削る危険な賭けだった。

 午埌十時十䞉分、韍臥寺の本堂は、倩井から吊るされた裞電球䞀぀で薄暗く照らされ、音もなく静たり返っおいる。獅子島の島民が誇りにする叀刹だけあっお、山頂に建぀寺ずしおは、想像以䞊に広くお立掟な印象を受ける。本堂の正面には、密教匏の倧壇が蚭けられ、本尊ずしお匘法倧垫の䜜ず䌝えられる虚空蔵菩薩立像が祀られおいる。真莋の皋は定かではないが、空海の䜜であるこずが蚌明されれば、間違いなく囜宝玚の䟡倀が有る。歎代の䜏職では、これたでに誰䞀人ずしお鑑定を䟝頌した者はない。毎日、煀を払い、䟛物を捧げ、拝んでいれば、真莋は火を芋るよりも明らかだ。そもそも、匘法倧垫が信じられないのであれば、この寺の䜏職は務たらない。それほど、匘法倧垫・空海ずこの寺の関係は緊密だった。

 虚空蔵ずは、広倧無蟺の「智慧」ず「知識」を内包した菩薩であり、密教の教矩に則り、巊手に劂意宝珠を持ち、右手で䞎願印を結んでいる。台座も含めるず、高さが3m近くにもなり、空海䜜の仏像に特有の犏䞎かな埳盞を幟぀も備えおいる。門倖䞍出の秘仏ずされ、獅子島の島民以倖の目に觊れるこずは滅倚に無いが、京郜/神護寺の五倧虚空蔵菩薩像にも劣らない傑䜜だ。明治時代に斜行された倩䞋の悪法「廃仏毀釈」の際には、圓時の䜏職が山門の前で決死のハンガヌ・ストラむキを断行し、呜を賭しお守り抜いたずいう䌝説が残されおいる。これほど芋事な仏像が打ち壊され、颚呂の焚き付けに䜿われおいたかも知れないず思うず、心の底から怒りが蟌み䞊げる。情けない話だが、その暎挙に積極的に加担したのが、圓時の寺の僧䟶たちだったず蚀われおいる。その時、倱われた仏教矎術は数知れない。䞭には、囜宝玚の傑䜜も含たれおいた。ドむツの文豪・ゲヌテも嘆いおいるように、い぀の時代も「勀勉なバカほど傍迷惑なものはない」ずいうこずだ。
 韍臥寺の本堂は、島の檀家が䞀堂に䌚しお説法を聞くこずが出来るよう、倧壇を陀いた倖陣が最倧限に広く蚭蚈されおいる。獅子島が地震や接波、台颚などの倩灜に芋舞われた際には、避難所ずしおの圹割も兌ねおいる。実際、境内で、䜕床か倧芏暡な「炊き出し」が行われたずいう蚘録が残っおいる。この堎所で、茜は祖父の法悊により、二歳の頃から倪極拳の英才教育を受けお来た。実際に『医療気功』を䜿うのは初めおだが、解脱の法門を自らの手で抉じ開け、「気力」ず「䜓力」が充実しおいる今なら、決しお䞍可胜ではないはずだ。

 茜は、本堂の䞭倮に座垃団を敷くず、その䞊で拓也に胡座を掻かせた。この堎所なら、背埌に立぀本尊の虚空蔵菩薩像が、「人智」を超えた䞍可思議な力を䞎えおくれるはずだ。決しお自信がない蚳ではないが、神仏の力にでも瞋らなければ、この短期間での治療は難しい。いや、正盎に蚀っお、䞍可胜に近い。悔やたれるのは、もっず早くに、この方法に気づくべきだった。少なくずも、䞀カ月前に・・・。
「いい 身䜓の力を抜いお、䜕も考えずに座っおいるだけでいいわ」
 茜は党おの準備を敎え、拓也の背䞭から1mほど離れお立぀ず、錻腔から脳倩のツボ「癟䌚」に抜けるよう、スヌッず息を吞い蟌んだ。西掋医孊ずは異なり、東掋医孊の真髄『医療気功』を斜すためには、粟神を統䞀できる静かな環境が必芁ずなる。その点、倖界から完党に隔離された䞊、山の霊気が集たる韍臥寺の本堂なら申し分がない。空海がこの地を遞び、韍臥寺を創建したのには理由が有る。この堎所は、塩飜のみならず、瀬戞内海でもトップ・レベルのパワヌ・スポットなのだ。空海のような数癟幎に䞀人の倩才には、山党䜓から立ち䞊る霊気が、銀色に光茝く陜炎のように芋えおいたに違いない。質ずいい、量ずいい、匘法山の霊気は、高野山にも匹敵する「奇跡」のレベルだ。

 茜は䞡足を肩幅に開くず、ゆっくりず䞡手を䞊げ、肘、腰、膝を沈めお『倪極起勢』のポヌズを取った。『硬気功』にしろ、『軟気功』にしろ、党おの『気功術』は、ここから始たる。この短い動䜜の䞭に『倪極気功』の真髄が凝瞮されおいる。仏教の経兞に䟋えるなら「般若心経」のようなものだ。原皿甚玙䞀枚分の短い経兞ながら、そこには倧乗仏教の深遠なる教えが凝瞮されおいる。
 茜は普段、滅倚にやるこずのない叀匏倪極拳『意拳』の䞭から『意念逊生健身功』に入るず、音も無くゆっくりず動き出した。『提挿匏』→『䌑息匏』→『提抱匏』→『扶按匏』→『撑包匏』→『分氎匏』→『挙手匏』→『矛盟庄』・・・。茜は䞀぀䞀぀の手順を正確に消化し、自身の「臍䞋䞹田」に溢れんばかりの『気』を充溢させるず、予備匏の第䞀段階を完了した。この瞬間、茜の身䜓の䞭心に圚るツボ「臍䞋䞹田」では、地䞭のマグマが煮え滟るような熱い『気』が枊を巻いおいた。『医療気功』を斜すためには、匘法山の深い森で蒞留された玔粋な「霊気」を䜓内に倧量に取り蟌み、ストックする必芁がある。今から千二癟幎前、匘法倧垫・空海は、無䜜為にこの地を遞び、韍臥寺を創建した蚳ではない。空海は、この山の頂こそが塩飜で随䞀、いや、瀬戞内海で随䞀のパワヌ・スポットであるこずを知っおいた。それは、この山で生育した千幎杉の杜を芋れば䞀目瞭然だろう。今時、日本䞭を捜しおも、これほど立掟な杉の巚朚にはお目に掛かれない。しかも、倩を突くように真っ盎ぐ垂盎に䌞びおいる。茜が山の斜面を切り拓いお開墟した菜園でも、野菜の生育が驚くほど速かった。癜菜も、倧根も、ほうれん草も、党お甘みが匷くお味が濃い。茜は、匘法山の良質な「霊気」を身䜓の隅々にたで行き枡らせるず、心身の調和が完璧に取れた『入静』状態に入った。『歊術気功』で蚀うなら、䜕凊から攻撃されおも即座に察応できる無敵の構えだ。『医療気功』の堎合なら、患者の痛みが手に取るように分かる『感応』状態だ。茜は、深く息を吞い蟌むず、ピタリず動きを止めた。ここたでの手順に拠り、茜自身の準備は完璧に敎った。「顕教」ずは異なり、「密教」の極意は、神仏ずの融合にある。茜は、医療を叞る仏・薬垫劂来の印を結ぶず、静かに「真蚀」を唱えた。

「 オン コロコロ センダリ マトりギ ゜ワカ 」

「 オン コロコロ センダリ マトりギ ゜ワカ 」

「 オン コロコロ センダリ マトりギ ゜ワカ 」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 茜が、自らの身䜓に薬垫劂来を降臚させた、次の瞬間っ

「」
 
 カッず䞡目を芋開くず、茜は音も無くゆっくりず動き出した。誰でも『錬功』さえ積めば、ある皋床の『気』を操るこずは出来る。けれども、病気や怪我の治療が出来るほどの匷い『気』が操れるのは、䞀郚の特殊胜力の持ち䞻に限られる。宗教の䞖界では、釈迊やキリストに代衚される数倚の聖人たちが、掌を翳しただけで病気を治したずいう数々の「奇跡」が報告されおいる。手圓おずは、文字通り掌を翳しお病気を治す「治療法」のこずだ。
 茜は今、十本の指先ず掌の䞭心に圚る「劎宮」ずいうツボから、糞を匕くような粘り匷い『気』を発しおいた。この瞬間、䞭囜の熟緎した気功垫なら、銀色に光り茝く蜘蛛の糞のような『気』の流れがハッキリず芋えるはずだ。倩井から吊るされた裞電球に照らされた茜の姿は、正しく珟䞖に応珟した千手芳音のようだった。

「行くわよっ」

 茜は、ゆっくりず䞡掌を返し、拓也の背䞭の䞭心線に向けるず、MAXたで高めた『気』を䞀気に攟出した。その瞬間っ

「!?」
 
 拓也の党身が、たるで雷の盎撃でも喰らったかのようにビクッず反応した。そしお、次の瞬間、癲癇発䜜のように激しく痙攣した。
「倧䞈倫よっ 怖がらないで、そのたた党身の力を抜いお」
 茜が、ゆっくり掌を動かすず、その動きに呌応しお、拓也の䞊半身が円を描くように揺れ始めた。茜の『気』ず拓也の『気』が同調し、ピタリず合臎した蚌拠だ。茜の目には、拓也の身䜓の䞭を駆け巡る『気』の流れが完党に芋えおいた。氞幎『錬功』を積んだ気功垫の䞭には、患者の身䜓の䞭がレントゲン写真のように透けお芋える者がいるずいう。茜が芋たずころ、拓也の六臓六腑から発した正垞な『気』の流れが、䞁床、右肩のツボ「関穎」の蟺りで滞っおいる。肩の故障の原因が、この郚䜍に圚るこずは明癜だ。

 茜は、拓也の右肩に䞡掌を翳すず、集䞭的に匷い『気』を送った。理論的には、決しお難しいこずはない。寞断された『気脈』を修埩しおやれば、埌は朜圚的な治癒力が掻性化され、壊れた肩も元通りになるはずなのだ。勿論、蚀うのは簡単だが、実践するのは至難の業だ。この時、拓也は、党身の産毛が逆立ち、血液が逆流するような䞍可思議な感芚に襲われおいた。拓也には、背埌に立぀茜の動きが手に取るように分かった。茜の掌からは、それほどの匷い『気』が送られおいる。座垃団の䞊で胡座を搔いた拓也は、右肩に翳された茜の掌をハッキリず意識するこずが出来た。枩かいずいうよりは、燃えるように熱かった。我慢できない皋ではないが、ずおも人間技ずは思えない。敢えお蚀うなら、匷力な赀倖線ランプを圓おられ、盎接右肩を焌かれおいる感じだ。

 茜は、䞉十分ほど時間を掛け、拓也の右肩を䞭心に匷い『気』を送り続けた。実際に『医療気功』を䜿うのは初めおだが、初日ずしおは、確かな手応えが有った。そしお分かったこずは、受け手の拓也も、送り手の自分も、互いに䞉十分が限界ずいうこずだ。
「今日は、これくらいにしお眮きたしょう」
 茜は、本堂の高い倩井に向かっおフヌッず䞀぀息を吐くず、䜜務衣の袖で額に浮き出た汗を拭った。次の瞬間っ

「!?」
 
 突然、グラリずバランスを厩すず、急に目の前が真っ暗になり、完党に意識が飛びそうになった。明らかに、オヌバヌ・ワヌクに䟝る貧血の症状だ。それも、かなりの重症だ。物心぀いた頃から倪極拳をやっおいるが、ここたでの経隓は䞀床もない。
 䞀方、拓也は、巊手で右肩を揉み解すような仕草を芋せるず、肱を曲げた状態でグルグルず回しおみた。
「どお」
 倒れそうになるのを必死に堪えるず、酷く疲れた顔をしお茜が蚊いた。
「䜕だか、肩が軜いな、だいぶ効いたみたいだよ。さすがは茜だ。あんな倧阪の藪医者の所なんか行かずに、最初からここぞ来れば良かった」
「倧袈裟ねぇ、未だ始たったばかりじゃない。完治には皋遠いわよ。軜めのキャッチ・ボヌルくらいならいいけど、絶察に本気で投げたりしないでね。今床こそ、本圓に投げられなくなるわよ」
「䜕だか倢のようだな。早速、明日の緎習で詊しおみるよ」
「いい 遞抜倧䌚には絶察に間に合わせおあげるから、暫くの間は、私の蚀うこずを聞くのよ」
 茜は、拓也を本堂から送り出すず、石段の向こうに気配が消えるのを埅ち、その堎にヘナヘナずぞたり蟌んだ。かろうじお気力だけで立っおいたが、疲劎は限界を突き抜け、意識が飛ぶのを堪えるのが粟䞀杯だった。目の前は、血の涙を流したように真っ赀で、䜕も芋えない。『火者』ずいう『気功』を䜿い過ぎた時に起こる症状だ。初心者に倚い病気で、通垞、茜のように高床な『錬功』を積んだ者が眹るこずはない。拓也の肩を治すためずはいえ、無理を重ね過ぎたのだ。䞀刻も早く、頭に䞊った倧量の『気』を「䞹田」に䞋げおやらなければ、重床の埌遺症が残る恐れが有る。
 茜は、本堂の真ん䞭で倧の字に倒れるず、倧回転の呌吞法で「血脈」ず「気脈」の流れを同時に敎えた。身䜓には党く力が入らず、明らかに危機的な状況だ。いっそのこず、このたた気絶しようかず思ったが・・・。茜にずっおも、ここから先は未知なる領域なので、明日の朝、普段通りに起きられずいう保蚌は䜕凊にもない。茜は䞀人、焊点の合わない瞳で倩井を芋぀め、酞欠の金魚のようにハアハアず荒く息を匟たせおいた。匷制的に心拍数の正垞化を図ろうずしたが、心臓はバクバクず音を立お、今にも砎裂しそうなほど高鳎っおいる。二歳の頃から倪極拳をやっおいるが、ここたで重い症状が出たのは初めおだ。䞀般に䞭囜では、腕の良い気功垫ほど短呜だず蚀われおいる。茜にも、挞くその理由が飲み蟌めた。圌等は自らの呜を削りながら、他人の病気を治しおいる。誰にでも出来るずいう職業ではない。勿論、「䞍惜身呜」の志を立おた茜に、自らの呜を惜しむ気持ちなど毛頭ない。極端な話、今倜、この堎所で死ぬのなら、そこたでの「運呜」だったずいうだけだ。空海の成し遂げた「求聞持法」の成就など、絶察に叶うはずがない。努力は必芁䞍可欠だが、それだけでは、圧倒的に「䜕か」が足りない。茜の本願である「即身成仏」の成就には、神仏の加護こそが必須条件だ。この皋床の苊難で劥協する者に、神仏が手を貞すはずがない。

 茜は仰向けに倒れたたた、血流を叞る経絡「心経」ず「心包経」のツボを順番に抌しお行き、匷匕に心拍数を敎えた。埌は现く、深く息を吞い蟌みながら、頭に䞊った『気』を臍䞋のツボ「䞹田」に戻しおやる。茜ほどの緎達者なら、難しいこずは䞀぀もない。只、今回は、少しばかり症状が重く出ただけだ。茜は、決しお慌おるこずなく、冷静に『火者』を鎮める手順を消化した。時刻は、既に午前時を過ぎおいる。今倜は拓也の肩の治療に時間を割いたため、未だ読経ず座犅の勀行を残しおいる。神仏に察しお「䞍惜身呜」の志を誓った身ずしおは、劥協しお簡単に枈たせるずいう蚳には行かない。幞い、芖界は少しず぀だが回埩の兆しを芋せおいる。倩井から吊るされた裞電球が、沖に浮かぶむカ釣り船の持火のように霞んで芋える。茜は、意を決するず、腹筋の力を䜿っお起き䞊がった。このたた眠りに就くのは簡単だが、ここで自分自身の匱さに甘え、「䞍退転」の決意を砎る蚳には行かない。䞀床でも自分自身に敗れれば、せっかく開いた「解脱」の法門も閉じおしたう。ここから先は、䞀分䞀秒が自分自身ずの戊いだ。死をも恐れぬ「䞍撓䞍屈」の粟神がなければ、「即身成仏」の本願は叶わない。仏教では、財物を求める者を「小欲」の人ず呌び、仏法を求める者を「倧欲」の人ず呌ぶ。さしずめ「即身成仏」を本願ずする茜などは、空海以来の「倧匷欲」の人ずいうこずになるだろう。

 翌朝、䜕事も無かったかのように四時十分前に目芚めた茜は、本堂で自らの皜叀ず読経の勀めを枈たせ、島の皆が埅぀小孊校のグラりンドぞず向かった。二時間ほどしか眠っおいないにも拘らず、頭の䞭はスッキリず冎えおいた。身䜓はクタクタに疲れおいるはずなのに、䜕故か䞍思議な力が湧いお出る。茜は今、その瞬間が蚪れたこずを確信した。この島を巣立぀日は、刻䞀刻ず近づいおいる。埌は只、タむミングの問題だけなのだ。出家しお「沙門」ずなるためには、孊校も、友人も、韍臥寺も、祖父の法悊さえも捚おお行かなくおはならない。文字通り「䞍退転」の決意が必芁だ。茜の䞭で、遂に、その決意が固たった。䜆し、䞖俗ず完党に別れを告げる前に、茜には、どうしおも片付けお眮かなくおはならない幟぀かの宿題が残されおいた。獅子島の地に䞀切の未緎を残さない為にも、避けおは通るこずの出来ない関門だ。



         匐

 塩飜の島々が空前の甲子園フィヌバヌに沞き立぀䞭、野球郚の顧問ず監督を兌任する長島雄䞀は、キャプテンの八谷順平を連れ、抜遞䌚の開かれる倧阪垂内の䌚堎ぞず向かっお船出した。この朝、連絡船の発着する本島の泊枯には、地元の小、䞭、高校生を始め、倚くの島民が芋送りに駆け぀けた。人口が八癟人ほどの小さな島なのに、なぜか千人以䞊が詰め掛けるずいう盛況ぶりだった。マスコミ関係者も数倚く集たり、その日の倕方の報道番組では、冒頭からトップ・ニュヌスずしお倧きく取り䞊げられた。勿論、翌日の地元の朝刊では、写真付きの蚘事が䞀面に倧きく掲茉された。「二十䞀䞖玀枠」ずは蚀え、初の女子高生投手・堂島茜を擁する本島高校は、塩飜のみならず、今や党囜の野球ファンの泚目の的だった。

「茜、そろそろだな」
 翌日、䞉時限目の授業が終るず、拓也が゜ワ゜ワず萜ち着かない様子で声を掛けた。
「えっ・・・。䜕」
「遞抜倧䌚の抜遞だよ。昚日、監督ずキャプテンが出掛けお行っただろう。壮行䌚の埌、皆で枯の桟橋たで芋送りに行ったじゃないか」
「あぁ、そうだったわね。ゎメンなさい」
「お前、やっぱりおかしいよ。䜕凊か、具合でも悪いんじゃないのか」
「えっ。そんなこず無いわよ。䜕凊ず圓たるか、楜しみね」
「䜕凊ず圓たるかは分からないけど、りチず圓たるずころは倧倉だな」
「他人の心配より、肩の調子はどうなのよ。そろそろ効果が珟れるはずよ」
「少しず぀投げ蟌みを始めおいるよ。でも、これだけ党囜の野球ファンが泚目しおいるのに、俺がマりンドに䞊がったら、倧ブヌむングだな」
「そこを実力で捻じ䌏せるのが、男じゃない。もう䞀頑匵りだから、絶察にサボっちゃダメよ」
「それにしおも、お前の『医療気功』は凄いよ。たさか、遞抜倧䌚の前に投球緎習が出来るなんお、倢にも思わなかったからな」
「私が芋おいないからっお、調子に乗っお、党力投球なんおしおいないでしょうね」
「倧䞈倫だよ。コントロヌル重芖で、球数も四十球くらいに抑えおいるから。それよりも、お前なら、癌ずかも治せるんじゃないのか」
「あのねぇっ 今回は特別だっお蚀ったでしょう。たさか、誰かに喋ったりしおいないでしょうね こんなこずがマスコミにでも知られたら、䜕を曞かれるか分かったものじゃない」
「心配は芁らないっお。お前に蚀われた通り、野球郚の連䞭には、獅子島に圚る腕のいい接骚院に通っおいるっお蚀っおいるよ」
「私は気功垫じゃないんだから、『医療気功』を䜿うのは、今回が最初で最埌よ 倉な噂が広たったら、本圓に恚むからね」
「わかっおいるっお。これ以䞊、迷惑は掛けないよ。それよりも、そろそろ察戊盞手が決たる頃だな」
 
 本島高校/野球郚監督の長嶋雄䞀は、キャプテンの八谷順平を連れ、抜遞䌚の前日に倧阪垂内のホテルに乗り蟌んだ。勿論、史䞊初の女子高生投手を擁する高校ずしお、泚目を济びるのは芚悟の䞊だ。長嶋は、抜遞䌚の盎前に高野連の幹郚たちに呌び出され、タップリず油を搟られた。どうやら、地元のマスコミの前で投球を披露する前に、お䌺いを立おなかったこずが気に障っおいるらしい。長嶋は、゚ヌスの柚朚拓也が肩を壊したこずや、他に投げられる投手が芋぀からなかったこず、堂島茜は特別であるこずなどを順序立おお説明したが、幹郚たちの反応は䞀様に冷ややかだった。匁解の通じる盞手ではないず芋るや、長嶋は䜜戊を倉曎し、平身䜎頭、ひたすら謝眪するこずに培した。こんな堎合、䞋手に反論しおも、話が拗れるだけなのだ。それに、高野連ずしおも、この期に及んで、堂島茜の出堎を取り消すこずなど出来るはずがない。マスコミは勿論のこず、党囜の高校野球ファンが、堂島茜の登板する日を心埅ちにしおいる。その点に斌いおは、恩垫でもある䞭村監督に頭を䞋げ、壮行詊合を組んで貰ったこずは無駄では無かった。長嶋は、高野連の幹郚に気づかれないよう、テヌブルの䞋で小さくガッツ・ポヌズをした。ここたで来れば、どうやったっお自分の勝ちだ。もう盎ぐ抜遞䌚が始たるし、タむム・リミットは、刻䞀刻ず近づいおいる。幟ら傲岞䞍遜な高野連ず謂えども、䞀床、決たった察戊カヌドを芆すこずなど出来るはずがない。そんなこずをすれば、や䞻催する新聞瀟を始め、関係各所に倚倧な迷惑が掛かっおしたう。

 䞀時間埌、挞く頭の固い高野連の幹郚たちから解攟されるず、長嶋はキャプテンの八谷を連れ、「運呜」の抜遞䌚堎ぞず乗り蟌んだ。泚目の二人が登堎するず、䌚堎内からは倧きなどよめきが湧き起こり、最前列に陣取ったカメラマンたちから䞀斉にフラッシュが焚かれた。良くも、悪くも、堂島茜の投げる本島高校は、今倧䌚の泚目の的だった。䞻催する新聞瀟が行った事前のアンケヌト調査では、「是非やりたい」ず回答した高校は少数掟だった。戊力に自信のないチヌムほど、避けたがるずいう傟向がハッキリず出た。察戊盞手ずしおは栌䞋だが、母校ず地元の名誉が掛かっおいるだけに、迂闊には戊えないずいうのが本音のようだ。もし、䞇が䞀にも負けるようなこずがあれば、甲子園の歎史に拭い去るこずの出来ない䞍名誉な蚘録を残すこずになる。いや、実際に銙川県内の匷豪校が、䞍名誉な完封負けを喫しおいる。の映像を芋る限り、堂島茜は、疑いようのない本物だ。スピヌド、コントロヌル、制球力・・・。ピッチャヌに必芁な党おの胜力を備えおいる。迂闊に手を出せば、確実に痛い目に遭う。

 抜遞䌚が始たるたでの間、長嶋はコンビニで買った四玙のスポヌツ新聞を次々ず広げ、高校野球の特集蚘事に片っ端から目を通した。遞抜倧䌚の開催地/倧阪ずいうこずもあり、どの新聞も、䞀様に「春の遞抜甲子園倧䌚」の特集蚘事が芋開きで倧きく扱われおいる。因みに、本島高校の戊力評䟡は、攻撃力が「」に、守備力が「」。投手力には、なぜか「」が付いおいた。総合力は、勿論「」・・・。ダントツの最䜎評䟡ずいったずころだろう。䜆し、写真だけは、各玙ずもナニフォヌム姿の堂島茜のものが倧きく取り䞊げられおいた。その胞には、燊然ず茝く「」の䞃文字。孊校の宣䌝効果だけを考えたら、充分に元は取れおいる。きっず来幎床の高校受隓では、入孊垌望者が殺到するに違いない。

 長嶋は、ここ䞀カ月ほど、自分の孊校のこずだけで粟䞀杯で、他校の戊力分析たでしおいる䜙裕はなかった。もっずも、野球はズブの玠人なので、分析が出来る皋の胜力も持ち合わせおいない。䜕凊ず圓たっおも同じだろうくらいに考えおいたが、こうしお各校の戊力評䟡を芋比べるず、実力には雲泥の差があるようだ。
「八谷、わかっおいるだろうな」
 長嶋は、読んでいたスポヌツ新聞を手枡すず、厳しい口調で念を抌した。
「えっ なっ、䜕がですか」
 昚幎の倏、枩厚な人柄を買われ、野球郚のキャプテンに就任した八谷順平は、䌚堎内の匵り詰めた雰囲気に呑たれ、゜ワ゜ワず萜ち着かない様子を芋せおいた。塩飜諞島の䞭でも、特に牧歌的な環境の牛島で育ち、初めおの倧郜䌚/倧阪に出お来た八谷は、堎違いな居心地の悪さを感じおいた。
「いいか、八谷。少しでも茜の負担を枛らすために、絶察に、ここに出おいる攻撃力「」のチヌムを匕くんだぞ。癟歩譲っお「」たでは蚱すが、「」なんかは論倖だ。間違っおも、優勝候補筆頭の東北工科倧孊附属なんか匕くんじゃないぞ。わかったなっ」
 長嶋は、䌚堎内を埋め尜くした無数の坊䞻頭を芋枡すず、気匱な八谷に発砎を掛けた。その野球遞手らしからぬ小倪りの身䜓は、極床の䞍安ず緊匵から、仔犬のようにガタガタず震えおいた。
「無理ですよ。そんなにプレッシャヌを掛けられたら、匕いちゃうじゃないですか」
「お前、埌茩の茜が可愛くないのか それずも、キャッチャヌを降ろされたんで、䞍貞腐れおいるのか」
「止めお䞋さい。そんなこず、ある蚳ないじゃないですか。茜のパヌムなんお取れないし、ラむトで出しお貰えるんだから、充分ですよ」
「この期に及んで、気匱になっおどうする。いいか、ここにも曞いお有る通り、春の遞抜倧䌚は西高東䜎なんだ。東北から䞊の高校は、冬の間、グラりンドが雪に埋もれお䜿えないだろう。だから、充分なバッティング緎習が出来ないんだ。この衚を芋おみろよ。この仙台に圚る東北工科倧孊附属っおいうのは、屋内緎習堎たで完備しおいる金持ち校だから別栌ずしお、その他は倧したこずないだろう。投手力はただしも、守備力ず攻撃力は軒䞊み「」か「」だ。因みに、りチは「」だけどな。いいな、絶察に雪の倚い地域の高校を匕くんだぞ。出来れば、北陞か北海道にしおくれ。今幎は、総じお打線が非力なようだ。いいな、匷豪校が犇めく関東や東海なんか匕きやがったら、タダじゃ眮かないぞっ」
「埅っお䞋さい。俺、昔からクゞ運ずかメチャクチャ悪いんですよ」
「もう盎ぐ抜遞だっお蚀うのに、䜕をビビっおいるんだよ。気合で匕け、気合でっ」

 春の遞抜高校野球倧䌚は、近県同士の朰し合いを避けるため、䞀回戊は、意図的に東日本察西日本の察戊カヌドが組たれる。今幎は、始めに東日本のチヌムが抜遞を枈たせ、そこぞ西日本のチヌムが振り分けられる。珟圚、ステヌゞの埌方に蚭眮された巚倧なトヌナメント衚には、既に抜遞を終えた東日本の各校のプレヌトが䞀぀眮きに掛けられおいる。
 本島高校のキャプテン・八谷順平がステヌゞに䞊がるず、報道関係者の取材垭から䞀斉にフラッシュが焚かれ、各通路に配眮されたカメラが振り向けられた。実力はずもかく、党囜的な泚目床ずいう点では、間違いなく今倧䌚のNo.1だった。身長180㎝前埌の立掟な䜓栌をした各校のキャプテンが居䞊ぶ䞭、168㎝で小倪りの八谷は、明らかに芋劣りがした。ステヌゞ䞊でも、䞀人だけ萜ち着きがなく、䜕凊か堎違いな感じは吊めない。

「本島高校、八谷順平君」

 孊校名ず名前が呌ばれるず、八谷は列の䞭から䞭倮の壇䞊に進み出お、抜遞箱の䞭に右手を突っ蟌んだ。この瞬間、心臓はバクバクず、有り埗ないほど高鳎っおいた。䌚堎党䜓が息を詰めお芋守る䞭、八谷は長嶋から受けたアドバむスを信じ、最初に手に觊れたカヌドを匕き抜いた。このように「運呜」を巊右するような倧舞台では、迷った堎合、結果は必ず「凶」ず出る。勿論、迷わなかったからず蚀っお、必ずしも「吉」ず出るずは限らないが・・・。

「本島高校、八番」

 叞䌚者が番号を読み䞊げるず、「本島高校」ず曞かれた札が、トヌナメント衚の該圓箇所に掲げられた。その瞬間、䌚堎内に、この日䞀番の倧歓声が沞き䞊がった。八谷が匕き圓おたのは、秋の関東倧䌚を圧倒的な実力で制芇した埌玉県の匷豪/圩朋孊院だった。長嶋は、盎ぐさた膝の䞊に広げたスポヌツ新聞で察戊盞手の戊力を確認した。問題の攻撃力は、文句なしの「」評䟡。そればかりか、守備力ず投手力も「」のトリプル「」・・・。勿論、総合力もダントツの「」評䟡。文句なしの優勝候補の䞀角だ。日本䞭から有力遞手を掻き集めた東北工科倧孊付属ほどの掟手さはないが、「打線は䞀番から九番たで切れ目がなく、䜕凊からでも埗点できる胜力を持぀」ずスポヌツ新聞には曞いおある。よりによっお、䞀番悪いチヌムを匕いおしたった。実力的には、寧ろ東北工科倧孊よりも䞊かも知れない。長嶋が暪目で偵察するず、圩朋孊院の監督ずキャプテンは、互いの顔を芋合わせ、䜕ずも蚀えない困惑の衚情を浮かべおいた。党囜䞭継のカメラが向けられおいるので、露骚に嫌な顔も出来ないのだろう。ステヌゞ䞊では、八谷が慣れないカメラのフラッシュを济び、オロオロず捚おられた子犬のように怯えおいた。勿論、圩朋孊院がどのようなチヌムなのかは分かっおいる。昚幎の関東倧䌚の優勝校だ。チヌム・メむトからは、東北工科倧孊付属ず共に、絶察に避けるように蚀われお来た。たさか、数有る高校の䞭から、いきなり匕き圓おるずは・・・。奜カヌドず呌べるかどうかは別ずしお、䞀回戊で最も泚目を集める察戊ずなるのは確実だった。
 
 その頃、時を同じくしお、本島高校では、遞抜倧䌚の抜遞結果が授業䞭の生埒たちに校内攟送で䌝えられおいた。その瞬間、各教宀では、䞀斉にブヌむングの嵐が吹き荒れた。圩朋孊院が優勝候補の䞀角に挙げられおいるこずは、ほずんどの生埒がネットやその他の情報媒䜓を通じお知っおいた。
「よりによっお、圩朋孊院かよっ」
 拓也は、吐いお捚おるように蚀うず、暪目で茜の反応を窺った。クラス䞭がこの話題で盛り䞊がる䞭、䞀番の圓事者である茜だけは、たるで他人事のように聞いおいた。声を掛けようず思ったが、最近の茜には、呚囲の女友達さえ寄せ付けない、䜕凊か近寄り難い雰囲気が有った。遞抜倧䌚が間近に迫ったプレッシャヌかずも思ったが、堂島茜に限っおは、その皋床のこずで䞀々緊匵するような可愛げの有る女子ではない。五䞇人の倧芳衆を前にしおも、顔色䞀぀倉えないだけの図倪い神経を持っおいる。いや、それだけ高床な粟神修逊を積んでいる。

 その倜、拓也は野球郚の緎習を終えお獅子島に戻るず、䞡手に持った菓子パンを亀互に頬匵りながら、匘法山の山頂に圚る韍臥寺ぞず急いだ。茜の献身的な『医療気功』のお陰で、肩の状態は日増しに良くなっおいる。今日の緎習では、秋の䞭囜/四囜倧䌚以来、初めお癟球の投げ蟌みを行った。未だ八分皋床のスピヌドに抑えおいるが、感觊ずしおは悪くない。珟金なもので、埩調の兆しが実感できるず、毎日の治療が楜しみになる。拓也は、苊手な薬湯にも、十分間は浞かっおいられるようになった。党囜の泚目が集たる春の遞抜高校野球倧䌚は、もう目前たで迫っおいる。子䟛の頃から甲子園のグラりンドに立぀こずを倢芋お来た高校球児たちにずっお、こんなチャンスは滅倚に有るものではない。いや、恐らく二床ず巡っおは来ないだろう。拓也は、遞抜倧䌚を目前に控え、昂ぶる気持ちを抑えるこずが出来なかった。リリヌフでもいい、出来るこずなら投手ずしお、高校野球の聖地/甲子園球堎のマりンドに立っおみたかった。

「なぁ、茜。圩朋孊院戊、頑匵ろうな」

 50℃近い薬湯に肩たで浞かりながら、秋田のナマハゲのような真っ赀な顔をしお拓也が蚀った。噎せ返るような薬湯の匂いも、い぀しか苊にならなくなっおいた。いや、この期に及んで、苊にしおいられる䜙裕はなかった。拓也にずっおも、圧倒的に時間が足りなかった。遞抜高校野球倧䌚は、もう、盎ぐそこたで迫っおいる。甲子園のマりンドに立぀ためには、ギリギリの時間しかない。
「頑匵るのはいいけど、私が芋おいないずころで、本気で投げたりしおいないでしょうね」
 薪をくべる手をピタリず止めるず、念を抌すように茜が蚊いた。ここで無理をされたら、これたでの苊劎が氎の泡になる。自分が甲子園で投げる意味も、無くなっおしたうのだ。
「八割皋床の力に抑えおいるから、倧䞈倫だよ。痛みもないしね」
 拓也は、埗意げに胞を匵っお報告するず、右肩に手を圓おおグルグルず回しおみた。
「今、無理をするず、本圓に投げられなくなるわよ」
 茜は、右手で持った鉈で噚甚に薪を割るず、次々ず窯の䞭に投げ入れた。簡単そうに芋えるが、茜は瞬時に朚目の性質ず方向を芋極め、正確に鉈の刃を打ち蟌んでいた。どんなに小さな仕事でも、決しお手を抜いたり、惰性でやるこずはない。それが、茜の目指す「修行」だった。お陰で、手銖の匷さなら、同孊幎の男子にも匕けを取らない。茜の速球の秘密は、こんなずころにも理由が有った。毎日の努力の賜物だ。センスだけで投げおいる蚳ではない。絶察に

「茜、前から蚊こうず思っおいたんだけどさ。お前、本圓は、甲子園で投げたくないんじゃないのか」
 そろそろ我慢の限界に達した拓也が、熱さに声を震わせながら蚊いた。
「どうしお、そんなこずを蚊くの」
「だっお、急に肩を治しおくれたりしお、おかしいじゃん。それに、最近、孊校でもボヌッずしおいるこずが倚いだろう。どうしおも嫌なら、蚀っおくれよな」
「䜕を焊っおいるのよ。圩朋孊院っお匷いんでしょう 今の状態でマりンドに䞊がっお、八割の力で抑えられるの」
「圩朋孊院じゃ、十割の力でも打たれるな」
「やっず、ここたで治ったんじゃない。もう少しの蟛抱よ。最埌たでやり遂げなかったら、本気で怒るからね」
「茜、お前には感謝しおいるよ。たさか、遞抜前に、ここたで回埩するずは思っおいなかったからな。本圓はもう、ピッチャヌは諊めようかず思っおいたんだ。圩朋孊院戊、お前の力なら抑えられるよ。絶察にいい詊合にしような」
 拓也は、生たれたばかりの赀ん坊のような真っ赀な顔をしお蚀うず、堪らず湯船から飛び出した。決しお根性が足りない蚳ではない。幟ら慣れお来たずは蚀え、火傷をしないのが䞍思議なくらいに熱のだ。恐らくは、長幎の間に培った勘で、茜がギリギリの枩床を芋切っおくれおいるのだ。お陰で、この埌、家に垰れば、朝たでグッスリ熟睡できる。



         参

 郚員数が僅かに十二名の本島高校野球郚は、瀬戞内海東郚ずいう地理的優䜍を最倧限に掻甚し、開䌚匏の前々日に甲子園に乗り蟌んだ。トヌナメントの抜遞䌚でキャプテンの八谷順平が匕き圓おたのは、倧䌚二日目の第二詊合だった。監督の長嶋は、茜の家庭の事情を最倧限に考慮し、開䌚匏を欠垭するよう勧めた。詊合の前日に甲子園入りすれば、その分だけ寺を空ける日数が少なくお枈む。マスコミが泚目する遞手だけに、高野連の幹郚からはキツむお叱りを受けるだろうが、怒られるこずは子䟛の頃から慣れおいる。ずころが・・・。
 意倖にも、茜は長嶋の申し出を断り、他の郚員たちず行動を共にするず蚀い出した。そしお、そのこずは、韍臥寺の䜏職も同意しおいるずいう。本島高校の䜓育通で行われた壮行䌚でも、茜は「䜕か」吹っ切れたかのように、呚囲に明るい笑顔を振り撒いおいた。久しぶりに女友達ず談笑する姿も芋られ、長嶋は内心、ホッず胞を撫で䞋ろしおいた。ここ二週間ばかり元気が無かったので、陰ながら心配しおいたのだ。
 堂島茜が甲子園入りしたこずで、倧䌚の泚目は、俄然、銙川県代衚の本島高校に集䞭した。開䌚匏前日の予行挔習でも、マスコミは茜の呚りに殺到し、アむドル䞊みの扱いで熟烈な報道合戊を繰り広げおいた。幞い、悪意の有るバッシングは圱を朜め、その報道は奜意的なものがほずんどだった。

「䞀回戊の察戊盞手が優勝候補の圩朋孊院ずいうこずに決たりたしたが、䜕か勝算のようなものは有りたすか」

 グラりンドの隅に呌び出され、代衚しおの女子アナからむンタノュヌのマむクが向けられるず、集たったカメラマンたちから䞀斉にフラッシュが焚かれた。
「勝敗よりも、本島高校のチヌム党員にずっお、思い出に残るような詊合になればいいず思いたす」
 茜は、敢えお優等生的な答えを返すず、目の前に集たったカメラの倚さに目を芋匵った。普段、テレビを芋る習慣のない茜は、䞖の䞭に、これほど倚くの局が圚るこずを知らなかった。
「甲子園初の女子高生投手ずいこずで、党囜の泚目が集たっおいたす。そのこずに぀いおは、どのような感想をお持ちでしょうか」
「特に、気負いのようなものは有りたせん。女子であるこずは事実ですし、泚目されるのも仕方がないず思いたす。只、女子であるこずを負けた時の蚀い蚳にはしたくないです」
「長嶋監督のお話では、この倧䌚を最埌に野球郚を退郚されるそうですが、本圓でしょうか」
「はい。゚ヌスの柚朚拓也くんの肩がほが回埩しおいる状態なので、もしも䞀回戊を勝぀こずが出来たら、二回戊以降は、党お柚朚くんが投げおくれるず思いたす。勝っおも、負けおも、私は次の詊合が最埌です」
 茜は、サバサバした衚情で答えるず、暪目でチヌム・メむトの行方を远った。明日の開䌚匏の予行挔習を終え、各校の遞手たちは、続々ず宿舎ぞ匕き䞊げお行くずころだった。匷豪校の監督や有力遞手たちはマスコミに捕たり、取材を受けおいたが、その数は疎らだった。堂島茜の呚りだけ、目立っお倧きな人だかりが出来おいた。
「それでは、もしも勝ち䞊がった堎合、二回戊以降は、党お柚朚拓也君が投げるずいうこずですね」
「はい。本島高校の゚ヌスは、柚朚拓也君です。今回「二十䞀䞖玀枠」で遞んで頂いたのも、䞭囜/四囜倧䌚での柚朚君の掻躍が有ったからです。私は、あくたでも代圹なので、二回戊からは、たた圌が頑匵っおくれるず思いたす」
「し぀こいようですが、もう䞀床だけ確認させお䞋さい。二回戊以降は、ベンチにも入らないずいうこずですか」
「はい。絶察に入るこずは有りたせん」
「最埌に、堂島茜さんの掻躍を党囜の野球ファンが楜しみにしおいたす。䜕か䞀蚀、お願い出来たすか」
「皆さんの期埅に応えられるよう、䞀生懞呜に頑匵りたす」
 愛くるしい笑顔で答えるず、茜はマスコミに向かっお䞁寧にお蟞儀をし、小走りにチヌム・メむトの埌を远った。監督の長嶋を始め、遞手たちは嫌な顔䞀぀せず、党員がバック・ネットの前で埅っおいた。野球の実力はずもかく、チヌム・ワヌクなら、党囜の䜕凊にも負けない自信が有る。それが本島高校の「党員野球」だ。

 その倜、茜は皆の寝静たるのを埅っお、監督の、いやクラス担任の長島雄䞀の郚屋を尋ねた。ここ二週間ほど、䜕かず迷うこずが倚かったが、既に「䞍退転」の決意は固たっおいる。故郷の獅子島を出た瞬間、党おの退路は断っお来た。もはや䞉界に家無し。今の茜には、垰る堎所さえない。
「先生、ちょっずいいですか」
 郚屋のドアをノックするず、声を朜めお茜が蚊いた。時刻は、既に午前時を過ぎおいる。本島高校が宿泊しおいる旅通の通内は、昌間の混乱ず喧隒が嘘のように静たり返っおいた。遞抜倧䌚の開䌚匏本番を翌日に控え、拓也を含む郚員たちは、党員が高錟を掻いお眠っおいる。きっず今頃は、次の詊合でヒヌロヌになり、お立ち台に䞊がる倢でも芋おいるに違いない。
「茜か 䜕だ、こんな時間に・・・」
 長嶋は、シヌンず静たり返った廊䞋に顔だけ出すず、キョロキョロず呚囲の様子を窺った。倧䌚盎前の倧事な時期だけに、この手のスキャンダルには気を䜿う。深倜、女子高生を郚屋に入れたこずが発芚すれば、どんな悪意を持った報道をされるか分からない。
「倜分遅くに、すみたせん。倧事なお話が有るんですけど・・・」
 茜は、長嶋の狌狜ぶりを他所に、普段通りの冷静さで淡々ず切り出した。
「今倜でないず、拙いのか」
「はい。お願いしたす」
「わかった。ちょっず埅お」
 長嶋は、倧急ぎで郚屋の䞭を片付けるず、セヌラヌ服姿の茜を䞭に入れた。
「倱瀌したす」
「お前が自分から盞談に来るなんお、珍しいな」
 長嶋は、座卓の前にドッカリず胡座を掻くず、茜にも座垃団を勧めた。
「実は、お話ずいうのは、これなんです」
 茜は、いきなり本題を切り出すず、持参した䞀通の封筒を差し出した。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

 長嶋は、封筒の䞊に達筆で曞かれた文字を読むず、䞍思議そうな顔をしお銖を捻った。そこには「退孊届け」ず曞かれおあった。
「ハハハハ・・・。茜、字が間違っおいるぞ。匘法も筆の誀りず蚀うけど、「退郚届け」の間違いだろう」
 長嶋は、正面に座る茜の反応を窺いながら、冗談めかしお蚊いおみた。茜が、そんな単玔なミスを犯すはずがないこずくらい、癟も承知の䞊だった。第䞀、その筆䜿いの芋事さは、ずおも高校生が曞いたものずは思えない。恐らくは、これが堂島茜が芋せる最埌の本気なのだろう。曞道郚顧問の吉岡先生に芋せたら、恐らく、どんな手段を䜿っおでも勧誘に乗り出すに違いない。いや、曞道郚だけではない。堂島茜が入っおくれるなら、運動郚/文化郚を問わず、党おの郚掻が倧歓迎するはずだ。
「いいえ、「退孊届け」です。明日の詊合を最埌に、本島高校を退孊させお䞋さい」
 茜は、円な瞳で長嶋を芋぀め、キッパリず断蚀した。茜の性栌からしお、それが䞭途半端な決意でないこずは明癜だ。いや、䞀床、茜が決断した以䞊、撀回させるのは䞍可胜に近い。堂島茜ずは、そういう生埒だ。
「䜕か、耇雑な事情でも有るのか」
 倩井に向かっお也いた溜め息を吐くず、困惑の衚情を浮かべお長嶋が蚊いた。
「いいえ。自分䞀人で考えお、決断したした」
「䜏職には、盞談したんだろうな」
「はい。勿論、承知しおいたす」
「そうか・・・」
 長嶋は、ゞッず座卓の䞊の「退孊届け」を芋぀めたたた、䞡腕を組んで考え蟌んだ。ここ二週間ばかり、茜の様子がおかしかったのは、このこずで悩んでいたのだ。
「拓也は、知っおいるのか」
「いいえ、未だ誰にも話しおいたせん。動揺させるずいけないので、この倧䌚が党お終わったら、先生の方から䌝えお䞋さい」
「おっ、お前っ たさか、別れも告げずに行く぀もりか」
 長嶋は、急に血盞を倉えるず、思わず座卓の䞊に身を乗り出した。
「先生、拓也の肩は治っおいたす。明日、圩朋孊院に勝぀こずが出来たら、次の詊合からは投げられたす。もう、私の圹目は終わりたした」
 茜は背筋をピンず䌞ばし、正面に座る長嶋ず芖線を合わせるず、キッパリず断蚀した。血は争えないず蚀うが、厳しい修行に裏打ちされた毅然ずした態床は、韍臥寺の䜏職を圷圿ずさせる。そしお、拓也の肩を茜が『気功』を䜿っお治したずいう噂も、恐らくは本圓のこずに違いない。
「茜、この際、野球のこずはどうでもいい。そんなこずより、孊校を蟞めお、どうする぀もりだ」
「出家しお「沙門」の道に入ろうず思いたす。もう、高野山で手続きも取っお貰いたした。きっず、おじいちゃんには分かっおいたんだず思いたす。結局、私が、この道を遞ぶこずになるだろうっお・・・。だから、野球をやるこずも蚱しおくれたんです」
「だがなぁ、幟ら䜕でも、いきなりの退孊はないだろう。お前は、未だ十六歳だ。卒業しおからでも遅くはない。考え盎す䜙地はないのか」
「ありたせん 考え抜いた䞊で決めたこずですから」
「うぅぅん。そう蚀われおもなぁ・・・」
「我儘ばかり蚀っお、申し蚳ありたせん」
 茜は、畳の䞊に䞡手を突いお深々ず頭を䞋げるず、意志の匷さをマザマザず芋せ぀けた。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」
 
 長嶋は、思案顔で䞡腕を組むず、倩井の矜目板を芋぀めお考え蟌んだ。実際、䜙りにも唐突な申し出に、どう察凊しおいいのか分からなかった。恐らく、今埌の教垫生掻に斌いおも、これほど文歊䞡道に優れ、非の打ち所のない生埒ず出逢うこずはないだろう。塩飜の怪童・柚朚拓也にも驚かされたが、堂島茜ずの出逢いは、長嶋にずっお衝撃が倧き過ぎた。出来るこずなら、本島高校での䞉幎間、このたた芋守り続けおやりたかったのだが・・・。
「そう蚀えば、この前、拓也が蚀っおいたけど、韍臥寺には、匘法倧垫・空海が遺した「虚空蔵菩薩求聞持法」ずいうのが有るそうだな」
 長嶋は、取り敢えず、結論を先延ばしにしようず、別の話題を振っおみた。
「拓也が、そんなこずを・・・」
「䜏職は、お前に、その「求聞持法」を授けようずしおいるそうじゃないか。お前に厳しい修行を課しおいるのは、その為だっお蚀っおいたぞ」
「島の人たちからも誀解されお、おじいちゃんが䞀番蟛かったず思いたす。私、おじいちゃんに修行を匷制されたこずは䞀床もないんです。おじいちゃんも、本圓は、私を普通の女の子のように育おたかったんだず思いたす。おじいちゃんには、ここたで育おお貰っお、本圓に感謝の気持ちしか有りたせん。でも、挞く分かったんです。自分が䜕の為に生たれお来お、これから䜕を為すべきかが・・・」
「茜、出家をするにしおも、高校を卒業しおからでも遅くはないんじゃないのか 皆、お前ず別れるのは蟛いず思うぞ。俺だっお蟛い・・・」
「自分自身で考え、自分自身で決めたこずですから」
「ずにかく、この「退孊届け」は、俺に預からせおくれ。この件に関しおは、遞抜倧䌚が終わった埌で、䜏職を亀えお䞉人で話し合おう。もう盎ぐ春䌑みも始たるし、今からじゃ、退孊の手続きだっお取れないしな。茜、俺にも少しは時間をくれ、頌む」
 長嶋は、座卓の䞊に䞡手を突くず、目の前の教え子に向かっお深々ず頭を䞋げた。
「わかりたした。宜しくお願いしたす」
 最埌にもう䞀床、茜は畳の䞊に䞡手を突いお深々ず頭を䞋げるず、長嶋の郚屋を埌にした。長嶋には分かっおいた。真剣に悩んだ挙げ句に出した答えを、茜が簡単に曲げるはずがない。「䞍退転」の決意を固めたからこそ、「盞談」ではなく、「報告」に来たのだ。長嶋は、確信した。堂島茜は、遂に空海の歩んだ道を蟿る決意を固めたのだ。その道皋は、凡人には想像も぀かないほど苛酷なものになるだろう。䞀介の教垫に過ぎない自分が、ずやかく蚀えるレベルの問題ではない。䞉癟六十五日、寞暇を惜しんで厳しい修行に打ち蟌んで来た茜を、止める資栌なんお誰にもない。
 長嶋は、郚屋の隅に眮かれた備え付けの冷蔵庫を開けるず、䞭から猶ビヌルを取り出した。茜の前途を祝す぀もりだったが、䜕故か涙が溢れ出しお止たらなくなった。「䞍退転」の決意を胞に苛酷な「沙門」の䞖界に飛び蟌もうずしおいる教え子に、䜕もしおやるこずの出来ない、自分自身の䞍甲斐なさが悔しかった。

 翌日、雲䞀぀無い快晎の空の䞋、春の遞抜高校野球倧䌚が華々しく開幕した。スタヌ遞手䞍圚で泚目床の䜎い倧䌚ず蚀われおいたが、盎前の堂島茜の登堎により、近幎にない盛り䞊がりを芋せおいた。苊虫を噛み朰したような顔をした高校野球連盟の幹郚たちも、満員埡瀌の滑り出しに、ホッず胞を撫で䞋ろしおいた。これで順圓に䞀回戊で本島高校が姿を消しおくれれば、女子高生投手䞀人に振り回されるこずなく、党おが倧団円に収束しおくれる。いや、察戊盞手は優勝候補の䞀角/埌玉県代衚の圩朋孊院だ。間違っおも、本島高校が勝぀ようなこずはないだろう。寧ろ心配なのは、堂島茜が圩朋孊院の匷力打線に捕たり、滅倚打ちに遭うこずだ。そんなこずにでもなれば、「二十䞀䞖玀枠」の圚り方自䜓に倧きな批刀が集たり兌ねない。出来るこずなら穏䟿に、5点差以内で決着が぀いお欲しかった。

 監督の長嶋は、校長や教頭、同僚の教垫たちず共に、䞀塁偎のアルプス・スタンドに陣取り、耇雑な心境で入堎行進の行方を芋守っおいた。勿論、堂島茜の退孊の件は、未だ誰にも盞談しおいない。明日の詊合が終わっおからでも、決しお遅くはないはずだ。今、この堎で持ち出せば、遞手の間に同様が広がり、せっかくの晎れ舞台に氎を差すこずになる。特に、幌銎染みの柚朚拓也は、絶察に平垞心ではいられない。
 やがお、郚員数十二名の本島高校野球郚が登堎するず、超満員に膚れ䞊がったスタンドからは、䞀際倧きな拍手ず歓声が䞊がった。倧䌚唯䞀の女子遞手/背番号「」を付けた堂島茜は、キャプテン・八谷順平の埌ろを堂々ず、胞を匵っお行進した。その晎れ姿を芋぀めながら、長嶋は、あの日、茜が教宀で蚀った蚀葉を思い出しおいた。

「犀の角のように、唯䞀人歩め・・・」

 今の茜こそは、自らの遞んだ道を突き進む「犀の角」そのものに違いない。きっず、堂島茜が目指しおいるのは、匘法倧垫・空海ですらないのだろう。他の誰にも真䌌できない、自分だけの道を切り開こうずしおいるのだ。長嶋は、䞀塁偎スタンド前を行進する茜の姿を、その目にしっかりず焌き付けた。長嶋は、確信した。い぀の日にか、茜は垰っお来るに違いない。堂島茜は、退孊するのではなく、䞀足先に卒業しお行くだけなのだ。若き日の空海が奈良の倧孊を飛び出したように、高校ずいう「噚」は、茜にずっお䜙りにも存圚が窮屈過ぎる。

 その日の倜、颚呂ず食事を枈たせるず、珍しく茜が拓也を散歩に誘った。本島高校の宿泊する旅通は、甲子園球堎から2㎞ほど離れた閑静な䜏宅地の䞭に圚る。

「ねぇ、球堎たで行っおみない」

 倖出甚にセヌラヌ服に着替えた茜は、䞊目遣いに拓也の顔を芋぀め、からかうように埮笑んだ。
「垰りが遅くなるず、皆が心配するぜ」
「盞倉わらず真面目ねぇ。そんなんじゃ、女の子にモテないわよ」
「あのなぁ、野球郚の゚ヌスっおいうのは、黙っおいたっおモテるんだよ」
「倧した自信ねぇ。そう蚀えば、隣りのクラスの女子が、拓也のこずを奜きだっお蚀っおいたわよ。この前、盞談されちゃった。私のこずを圌女だず思っおいたみたい」
「お前なぁ、そんなこずを蚀うために、わざわざ俺を連れ出したのか」
「いいじゃない、幌銎染みなんだから。それずも、私ず歩くのは嫌なわけ」
「そんなこずは蚀っおいないだろう。お前から散歩に誘っお来るなんお、絶察に䜕か有るに決たっおいるんだよ。俺に䜕か隠しおいるだろう」
「あんたねぇ、もうちょっずオシャレな䌚話が出来ないの せっかくのデヌトが台無しじゃない」
「蚀いたくないなら、いいんだけどさ。あんたり無理をするなよな」
 拓也は、他にも蚊きたいこずが山ほど有ったが、そっず胞の奥に仕舞い蟌んだ。今は只、茜ず二人切りになれたこずが玠盎に嬉しかった。
「拓也、芚えおいる」
「䜕を・・・」
「小孊校の遠足の時、私だけおや぀を持っおいけなくお淋しそうにしおいたら、拓也が隣りに来お分けおくれたじゃない。あの時、本圓は凄く嬉しかったんだ」
 阪神電車の線路沿いに続く歩道を歩きながら、遠い目をしお茜が蚀った。
「䞀床だけだろう。次の幎からは、皆が先生に隠れお、お前の分たでコッ゜リ持っお来たじゃないか。お前は、皆から愛されおいたからな」
「うん。でも、嬉しかった・・・」
 この時、茜の脳裏には、獅子島で暮らした十五幎間の思い出が、セピア色した映画のように懐かしく蘇っおいた。茜には、わかっおいた。拓也が甲子園垞連校からの誘いを断り、地元の本島高校に進孊したのは、自分を気遣っおくれおのこずなのだ。振り返れば、蟛い時、寂しい時、悲しい時、嬉しい時・・・い぀も隣りには拓也がいおくれた。優しさに甘えおいたのは、寧ろ自分の方なのだ。茜には、出家をする前に、どうしおもやり遂げお眮かなくおはならない宿題が残されおいた。それは、拓也を䞇党の状態で甲子園のマりンドに立たせるこずだ。茜の芋た所、拓也の肩は90近くたで回埩しおいる。埌は、実践圢匏での投げ蟌みをしお、投手ずしおの地肩を䜜るだけだ。明日の䞀回戊に勝぀こずが出来れば、次の詊合たでには䞀週間近くく。拓也は、既に本栌的な投げ蟌みを始めおいた。あず、もう少しの蟛抱だ。ここで無理をさせなければ、二回戊のマりンドには、ベストの状態で立おるはずだ。明日の詊合、茜は腕が折れおも投げ抜く぀もりでいた。再びマりンドに立぀拓也の勇姿を目にした時、初めお珟䞖ぞの執着を断ち切り、「沙門」ずしおの新たな人生をスタヌトさせるこずが出来る。

「ねぇ、肩の調子はどう」
 梅田方面ぞず走り去る快速電車を芋送りながら、思い出したように茜が蚊いた。
「流石に䞀詊合を投げ切る自信はないけど、リリヌフくらいなら行けるぜ。明日、䞇が䞀、お前が打たれるようなこずが有れば、俺が投げおやるから心配するな」
「本島高校の゚ヌスが、埌ろに控えおいるなら安心ね」
 二人は、い぀の間にか甲子園球堎の前たで歩いお来るず、怍え蟌みからラむト・アップされた蔊の絡たる倖壁を芋䞊げた。この時間、人圱は疎らだが、蟺りには、未だ昌間の熱戊の䜙韻が感じられる。明日、この日本䞀の球堎で詊合が出来るのかず思うず、䜕ずなく䞍思議な気がした。
 拓也は、駅前の広堎でクレヌプを売るワゎン車を芋぀けるず、ツカツカず歩いお行った。テレビの情報番組で玹介されおいるのを芋お、前から䞀床、食べおみたいず思っおいたのだ。
「そう蚀えば、未だ肩を治しお貰ったお瀌をしおいなかったよな。䜕にする」
 無邪気な顔をしおサンプル・ケヌスの䞭を芗き蟌むず、拓也が蚊いた。
「それじゃあ、お蚀葉に甘えお・・・。䞞ごず生むチゎ」
「じゃあ、俺は生チョコ・バナナ」
 二人は、共に初䜓隓のクレヌプを霧りながら、歩いお来た道を匕き返した。特に、䜕かをしに来た蚳ではない。お互いが意識し合い、酷く無口になっおいた。茜にずっお、拓也に別れを告げずに行くこずだけが、唯䞀の気掛かりだった。もう、獅子島にさえ戻るこずはない。既に祖父の法悊ずは、真蚀密教の教矩に則り、「結瞁」ず「受明」、二皮類の「灌頂䌚」を枈たせおいた。出家埌の守護仏を決める「投華埗仏」では、目隠しをした茜が背䞭越しに投げた怿の小枝が、二床ずも曌荌矅の䞭倮に描かれた「倧日劂来」の䞊に萜ちた。それは、茜が背負った「宿呜」の重さを暗瀺するものだった。因みに、留孊生ずしお唐に枡った空海が、長安の西明寺で受けた「灌頂䌚」の際に投げた小枝も、二床ずも「倧日劂来」の䞊に萜ちたず䌝えられおいる。その際、空海は、垫の恵果より「遍照金剛」ずいう灌頂号を授かっおいる。明日ずいう日を最埌に、茜は䞖俗ずの瞁を完党に断ち切り、「沙門」の䞖界ぞず身を投じる芚悟を決めた。ここから先は、䞀床呜を捚おなければ、絶察に進めない道だった。

「拓也、今倜は付き合っおくれお有り難う。さっき食べたクレヌプの味、䞀生忘れないず思う」
 茜は、宿泊する旅通が近づくず、名残り惜しそうにポツリず呟いた。
「倧袈裟なこずを蚀うなよ、たかがクレヌプじゃないか。肩を治しお貰ったお瀌の癟分の䞀にもなっおねぇよ。お前、最近、少しおかしいぞ」
「明日の詊合、絶察に勝ずうね」
「結果は、どうでもいいよ。島の匱小野球郚ずバカにされお来た本島高校が、甲子園に出られたこずに意矩が有るんだ」
「ダメッ 玄束しお。明日の詊合、私が勝぀から、次の詊合は拓也が勝぀っお・・・」
「おっ、お前、もしかしお、本気で優勝候補の圩朋孊院に勝぀぀もりでいるのか」
「圓たり前でしょう 同じ高校生じゃない。明日、私が勝぀から、次の詊合は拓也が勝っお。玄束よ」
 茜は急に真剣な顔぀きになるず、䞡手で拓也の手を握り、その顔をゞッず芋぀めた。
「わかったよ。お前は、䞀床蚀い出したら最埌、䜕があっおも匕かないからな。でも、絶察に無理はするなよな。限界だず刀断したら、俺が代わる」
「拓也・・・」
「ん」
「有り難う」
「お前、やっぱり、おかしいわ」



         四

 倧䌚二日目の第二詊合、甲子園球堎のスタンドは、前日の開䌚匏に続いお超満員に膚れ䞊がった。䞀塁偎の応揎垭には、本島高校の圚校生を始め、卒業生や父兄の他、塩飜出身の倚くの島民が駆け぀けた。高校野球史䞊初ずなる女子高生投手がマりンドに䞊がるずあっお、党囜的にも、この詊合の泚目床は抜矀だった。新聞やなど、戊前の報道各瀟の予想では、優勝候補にも挙げられおいる圩朋孊院の圧倒的優䜍が䌝えられおいた。
 昚幎の秋、東京郜の神宮球堎で開催された関東倧䌚に斌いお、䞊み居る匷豪校を実力で捻じ䌏せた圩朋孊院は、新チヌム結成以来、緎習詊合も含めお䞀床も負けたこずがないずいう実力校だ。自慢の匷力打線は、䞀番から九番たで切れ目がなく、䞀詊合平均五点以䞊を叩き出す抜矀の砎壊力を誇っおいる。
「茜、残念ながら、このチヌムの打線は本物だ。前回の錊成孊園戊みたいに、力で抑えに行ったら打たれるぜ。初回からパヌム・ボヌルで亀わしお行こう」
 マりンド䞊で䞁寧に捏ねたボヌルを手枡しながら、䞊擊った声で拓也が蚀った。五䞇人の倧芳衆を前にした極床の緊匵から、生たれお初めお身䜓の芯がガクガクず震えた。噂には聞いおいたが、この球堎が持぀独特の雰囲気は、拓也の想像を遥かに超えおいた。「魔物」が棲んでいるずいう話も、あながち嘘ではないだろう。たるで雲の䞊にでも浮かんでいるかのように、身䜓がフワフワしお地に足が着かない。いや、正盎に蚀っお、緊匵の原因は、それだけではなかった。拓也の芖線の先には、スコア・ボヌド䞊にズラリず䞊ぶ圩朋孊院の打線があった。䞭でもクリヌン・アップは匷力で、少しくらい速い皋床の球では、簡単にスタンドたで運ばれそうだ。その䞊、本島高校の脆匱な守備力では、幟ら茜のコントロヌルが良くおも、打たせお取る䜜戊は採甚できない。スポヌツ新聞の守備力評䟡でも「」だったし、ハッキリ蚀っお、圩朋孊院の鍛え䞊げられた守備力ずでは雲泥の差だ。勝おないたでも、接戊に持ち蟌むためには、茜の快刀乱麻のピッチングに期埅するより他はない。
「拓也、これたで色々ず芪切にしおくれお有り難う」
「えっ、䜕だよ、急に・・・」
「孊校の皆も応揎に来おくれおいるし、このマりンドに立぀こずが出来お本圓に良かった」
 茜は、遠い目をしお䞀塁偎の応揎垭に芖線を送るず、感慚深げに呟いた。
「お前、皆が緊匵しおガタガタ震えおいるっお時に、良く、そんなに萜ち着いおいられるな。党囜ネットでTV䞭継されおいるんだぜ」
「倧䞈倫よ。気合は入っおいるから」
「たぁ、早めに䞀本打たれれば、シャキッず目も芚めるだろう。気楜に行こうぜ」
 拓也は、小走りにキャッチャヌのポゞションに戻るず、内倖野を守る野手に现かく指瀺を出した。拓也自身、経隓したこずのない極床のプレッシャヌから、心臓が口から飛び出しそうだった。この匷力打線が盞手では、䞀回から九回たで、䞀瞬たりずも気が抜けない。恐らく、自分がマりンドに立っおいたら、この堎から逃げ出したいずいう衝動に駆られおいただろう。これだけの倧舞台でも平然ずしおいられるなんお、人間ずしおだけではなく、投手ずしおも茜の方が数段䞊だ。

「したっお行こうぜっ」

 拓也は、腹の底から倧声を匵り䞊げるず、腰を萜ずしおマスクを被った。遂に、倢にたで芋た甲子園での詊合が始たる。䞀球目のサむンは、昚日の倜、寝ながら考えた盞手の意衚を突くパヌム・ボヌルだ。茜は、この詊合が最初で最埌だず蚀っおいる。恐らく、次の詊合が有ったずしおも、ベンチに入る気はないだろう。そこたで蚈算しお、自分の肩を治しおくれたのだ。だずしたら、ここで球皮を枩存する理由がない。この䞀球で萜ちる球が有るこずを印象付ければ、その埌の投球が栌段に組み立お易くなる。

「プレむ・ボヌルっ」

 泚目の初球、茜は詊合開始のサむレンずずもに倧きく振り被るず、流れるようにスムヌズな䜓重移動から、枟身の力を籠めおボヌルを投げた。それは、拓也のサむンを完党に無芖した、ド真ん䞭のストレヌトだった。

 ズドォォォンッ
 
 圩朋孊院の匷力打線を牜匕する䞀番バッタヌの青田和正は、䞀瞬、バントの構えを芋せたが、簡単に初球を芋送った。スコア・ボヌドに151㎞の球速が衚瀺されるず、球堎党䜓に地鳎りのような歓声が沞き䞊がった。

「ナむス・ボヌルっ」

 胞元目掛けお䞁寧にボヌルを返しながら、拓也は苊笑を浮かべおいた。茜の匷気な性栌は、自分が誰よりも良く知っおいる。盞手がどんなに匷敵だろうず、女だからずいう理由で手加枛されるのが嫌なのだ。盞手を本気にさせた䞊で、正面から正々堂々ず迎え撃ち、匷匕に力で捻じ䌏せる。それが茜のやり方だ。
 拓也は諊め顔で腰を䞋ろすず、今床は䞀転しお、ド真ん䞭にミットを構えた。

 ズドォォォンッ
 
 硬球がミットを叩く小気味いい音が、甲子園名物の銀傘にこだたした。倧しお緎習もしおいないのに、錊成孊園線よりも確実に球嚁が増しおいる。スピヌド・ガンの衚瀺を芋るたでもなく、その事実は、ボヌルを受ける拓也の巊手が敏感に感じ取っおいた。マりンド䞊での力感溢れる投球フォヌムは、『歊術気功』の挔歊を芋おいるように正確で、速くお、力匷かった。確かに、投手ずしおは玠人かも知れないが、倪極拳の䜿い手ずしおなら、文句無く日本䞀なのだ。
 茜は、身䜓の䞭に燻る䞉毒貪欲・瞋恚・愚痎の残滓を吐出そうずするかのように、枟身の力を籠めおボヌルを投げた。今日ずいう日を最埌に䞖俗を離れ、「沙門」の䞖界ぞず飛び蟌む茜に、執着するものは䜕もない。茜は、今日ずいう日を最埌に、倪極拳を含め、これたでに身に着けた党おの技芞を封印しようず決めおいた。出家ずは、過去に埗た䞀切の「経隓」、「知識」、「財物」を捚お去り、無䞀物で飛び蟌む䞖界なのだ。明日からは、䜏む家さえ無く、これたで以䞊に苛酷な修行生掻が埅ち受けおいる。䞍退転の決意を固めた以䞊、倱敗すれば、䜕凊かの山の䞭で野垂れ死ぬより他はない。怖くないず蚀えば嘘になる。茜は今、出家する者の恍惚ず䞍安、その二぀を同時に噛み締めおいた。

 この日、茜の鞭のように撓る右腕から繰り出されるストレヌトは、ホヌム・ベヌス䞊で芋た目以䞊に䌞びおいた。茜は䞀球䞀球に珟䞖ずの惜別の思いを蟌め、拓也のミットだけを目掛け、枟身の力で投げ蟌んだ。ボヌルに気持ちの乗り移ったストレヌトは、そう簡単には打たれない。いや、打たれるはずがない

 ズドォォォンッ

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 ズドォォォンッ

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 ズドォォォンッ

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 テレビ䞭継の画面を通じ、党囜の野球ファンの泚目が集たる䞭、茜は圩朋孊院の誇る䞊䜍打線を匷匕に力で捻じ䌏せた。呚囲の期埅を裏切らない、いや呚囲の䞍安を払拭するに充分な、䞉者連続䞉振の衝撃的な甲子園デビュヌだった。

「茜、幟ら䜕でも飛ばし過ぎだ。こんなピッチングで、最埌たで耐぀蚳がない」
 拓也は、䞀塁偎のベンチに戻るず、慌おお茜の傍に駆け寄った。
「昚日、私が朰れたら、投げおくれるっお蚀ったじゃない」
「あのなぁ、リリヌフっおいうのは、先発投手よりも速い球を投げるから抑えられるんだよ。初回からいきなり150㎞の速球を連発されたら、俺の球なんか通甚しねぇよ」
「蚀ったはずよ。今日の詊合は、絶察に勝぀っお・・・。私を楜にさせたいのなら、早めに䞀点取っおよね」
 茜は、涌しい顔をしお蚀うず、マりンド䞊で投球緎習を始めた盞手投手に芖線を送った。
「関東No.1投手らしいぜ。お前ず、どっちが速いかな」
「぀たらないこずを蚀っおいないで、私が打぀から、絶察に返しおよねっ」
 茜は、萜ち着く間もなくベンチから腰を䞊げるず、バット・ケヌスから䞀番軜そうな金属バットを匕き抜いた。この詊合、監督の長嶋は、䞀か八か、茜を拓也の前の䞉番に起甚するずいう「奇策」に出た。どうせ打おない打線なら、茜の意倖性に賭けお芋ようず思ったのだ。いや、茜なら、きっず自力で䜕ずかするに違いない。

 圩朋孊院の゚ヌス・藀田克兞は、簡単に本島高校の䞀、二番を切っお取るず、泚目の䞉番・堂島茜を打垭に迎えた。今倧䌚屈指の倧型右腕ず評刀の藀田克兞は、栌䞋の本島高校を盞手に、力を枩存しおいるのが芋え芋えだった。恐らくは、名将の誉れ高い新田監督から、詊合前に的確な指瀺が出されおいるのだろう。優勝たでの長い道皋を考えれば、䞀回戊から党力で投げ、肩に疲劎を蓄積させる蚳には行かない。その意味に斌いおは、初戊の盞手が「二十䞀䞖玀枠」の本島高校ずいうのは幞運だった。控えの投手を䜿うずいう遞択肢も有ったが、泚目床の高い察戊カヌドだけに、露骚に手を抜いおいるずは思われたくない。そこで新田監督は、序盀で䞀気に倧量埗点を奪い、藀田を早めに替えるずいう䜜戊に出た。理想ずしおは、甲子園特有の雰囲気に慣らせるためにも、䞭盀の五回くらいで亀代させるのがベストだろう。藀田ほどのレベルではないが、本気で優勝を狙う圩朋孊院では、控えの投手陣も充実しおる。他校なら間違いなく゚ヌス玚のピッチャヌが、あず二人ほど埌ろに控えおいる。圌等にも甲子園のマりンドを経隓させたいし、出来れば、控えの野手も守備固めで䜿いたい。本島高校の非力な打線なら、間違っおも打ち蟌たれるようなこずはないだろう。

 茜は萜ち着いおバッタヌ・ボックスに入るず、深く息を吞い蟌み、臍䞋のツボ「䞹田」に党身の『気』を沈めた。ピッチングも、バッティングも、茜にずっおは、達人の域たで極めた倪極拳の応甚に過ぎない。詊合になっお組み合えば、䞀切の劥協や蚀い蚳は蚱されない。そこに圚るのは、倒すか、倒されるかの真剣勝負・・・。普段、勝負事には無関心だが、やるず決めたからには党力を尜くす。それが茜の生き方だ。生埌九カ月で最愛の䞡芪を倱っお以来、ずっず、そうやっお生きお来た。

 泚目の初球、茜は䞍甚意にカりント取りに来る甘いストレヌトを埅っおいた。碌にバッティング緎習をしたこずのない茜にずっお、かろうじお打ち返すチャンスが有るずすれば、譊戒されおいないこの打垭だけだ。
 
 カキンッ

 茜は、䞀球のチャンスに党おを賭け、鋭くバットを振り抜いた。狙いは巊䞭間方向だったが、球嚁に抌された打球はセカンドの頭䞊を超え、右䞭間を転々ずした。茜には、わかっおいた。このチャンスを逃せば、この詊合、埗点が入る可胜性は激枛する。次の瞬間っ

「セヌフ」

 匷肩のラむト・倧沢からの返球は正確で、タむミングは際どかったが、塁審の刀定はセヌフだった。この時、走塁の途䞭で気づいたのだが、茜は足から滑り蟌む基本的なスラむディングの方法を知らなかった。錊成孊園戊ではピッチングに専念したため、実質的に、攻撃に参加するのは初めおなのだ。

 初回、いきなりのツヌ・ベヌス・ヒットに、䞀塁偎の本島高校の応揎垭が䞀気に沞き立った。次のバッタヌは、打線の䞭で最も打点の倚い四番の柚朚拓也だ。この詊合、数少ないであろう埗点のチャンスが、いきなり初回から巡っお来た。今倧䌚の出堎投手䞭で唯䞀防埡率1.0台を誇る藀田克兞は、初回から予定倖のギア・チェンゞを迫られた。ツヌ・アりトながらランナヌは二塁・・・。藀田はキャッチャヌのサむンに倧きく頷き、萜ち着いおセット・ポゞションに入るず、玠早いクむック・モヌションからの第䞀球を投じた。

 ズドォォォンッ

 本気モヌドに入った藀田は、マりンド䞊で倧きく䞀぀深呌吞をするず、自慢の豪速球をこれ芋よがしに投げ蟌んだ。それたでの投球ずは、明らかに球の勢いが違っおいた。拓也が簡単に芋送るず、スコア・ボヌドには148㎞の球速が衚瀺された。「歊蔵野怪物」ず異名を取るだけあっお、やはり、本気になるず速いのだ。四囜䞭を捜しおも、これだけ完成床の高い剛速球投手は芋圓たらない。自分も「塩飜の怪童」ず呌ばれお来たが、関東平野は想像以䞊に広いし、䞊には䞊がいる。
 拓也は次の䞀球も簡単に芋逃すず、極床の緊匵に負け、タむムを取っお打垭を倖した。その堎で䜕床か屈䌞運動をしたが、緊匵の䜙り、䞡膝がガクガクず震えおいた。初めお藀田の球筋を芋たが、正盎に蚀っお、打おる気が党くしなかった。カりントを取りに来る甘いカヌブを埅っおいたのだが、䞖の䞭、そんなに甘くは出来おいない。圓然、次の䞀球も、決め球のストレヌトで来るはずだ。悲しい哉、わかっおはいおも、野球には「打おる球」ず「打おない球」の二皮類がある。流石にプロ野球界が泚目する逞材だけあっお、これたでに出遭った投手たちずは桁が違う。今倧䌚での掻躍次第では、充分にドラフトの䞀䜍指名も有りそうだ。
 拓也は、改めお打垭に入り盎すず、昂る気持ちを鎮め、バットを構えた。昚幎秋の䞭囜/四囜倧䌚ですら比范にならない倧舞台で、緊匵するなずいう方が無理なのだ。未だ詊合は始たったばかりだずいうのに、身䜓の震えは止たらず、マりンドに立぀盞手投手ががやけお芋える。二塁ベヌス䞊に目を遣るず、ランナヌの茜が䞡腕を組み、呆れ顔で溜め息を吐いおいる。その衚情は、明らかに䜕かを䌁んでいる時の顔だった。拓也は、ゎクリず唟を飲み蟌むず、構えたバットを短く持ち替えた。次の瞬間っ

「!?」

 藀田がセット・ポゞションから巊脚を䞊げるず、いきなり二塁ランナヌの茜が走り出した。圩朋孊院のバッテリヌは萜ち着いお倖し、キャッチャヌが捕っお玠早く䞉塁に送球したが、茜は頭から滑り蟌み、間䞀髪の差でタッチを掻い朜った。完党に腰の匕けおいる拓也を芋お、茜は無謀ずも思える賭けに出た。䞉塁の塁審がセヌフの刀定を䞋すず、男子遞手顔負けのハッスル・プレヌに、䞀塁偎のアルプス・スタンドが倧いに沞いた。それは、党囜䞭継のテレビを通じ、新しいヒロむンが誕生した瞬間でもあった。瀬戞内海に浮かぶ小さな島からやっお来た女子高生が、優勝候補の圩朋孊院を盞手に、孀軍奮闘の倧掻躍を芋せおいる。刀官莔屓の日本人ずしおは、応揎したくなるのが人情だろう。
 拓也は、ナニフォヌムに付いた埃を払う茜を芋お、バッタヌ・ボックスの䞭で苊笑した。甲子園球堎の独特な雰囲気に呑たれ、完党に萎瞮しおいる自分が堪らなく小さな男に思えた。今の茜の走塁は、無様に腰の匕けた自分に察する無蚀の「檄」だった。拓也は倧きく䞀぀深呌吞をするず、昚日の倜、茜が蚀った蚀葉を思い出しおいた。
「明日の詊合、私が勝぀から、次の詊合は拓也が勝っお」
 あの時は、冗談だず思っお軜く聞き流しおいたが、茜は本気で優勝候補の圩朋孊院を倒そうずしおいる。せめお自分が助けおやらなければ、茜が巚倧な颚車に立ち向かうドン・キホヌテにされおしたう。
 拓也は打垭の埌方に立ち、バットを短く持っお構えるず、マりンド䞊の藀田を睚み぀けた。茜の無謀な走塁のお陰で、粟神的には楜になった。あの豪速球をヒットにするのは難しいが、バットに圓おさえすれば、「䜕か」が起こりそうな予感がする。ランナヌが䞉塁にいるこの堎面で、投げおくる球はストレヌト以倖には考えられない。ずころが・・・。
 セット・ポゞションに入った藀田が、䞉塁ランナヌの茜を牜制しながらゆっくりず巊脚を䞊げた、次の瞬間っ

「!?」

 ここで、たたしおも想定倖のハプニングが起こった。いや、茜が無理矢理にハプニングを起こしに行った。䞉塁ランナヌの茜は、藀田が油断した䞀瞬の隙を突き、猛烈な勢いでホヌムに向かっお突っ蟌んだ。それは、野球のセオリヌを完党に無芖した無謀な走塁だった。慌おた拓也は、咄嗟にバントに切り替えるず、䞉塁線にボヌルを転がし、䞀塁に向かっお党力でダッシュした。䞀回の裏、ツヌ・アりト、ツヌ・ストラむクからのスリヌ・バント・スクむズなんお、垞識では絶察に考えられない䜜戊だ。しかも、打垭に入っおいるのが四番バッタヌずなれば、圩朋孊院のバッテリヌにも予枬するこずは䞍可胜だった。
 拓也は、䞀塁ベヌスに向かっお党力疟走するず、祈るような気持ちで頭からダむブした。盞手は鉄壁の守備を誇る圩朋孊院の内野陣だ。名将・新田監督に鍛え䞊げられたレギュラヌ遞手が、慌おお゚ラヌをするずは考え難い。䞉塁手の倧迫亮倪は、玠手でボヌルを掎むず、そのたた䞀塁に向かっおノヌ・ステップで送球した。簡単に芋えるが、誰にでも出来るずいうプレヌではない。いや、本島高校の内野陣では、絶察に䞍可胜だ。間䞀髪の際どいタむミングに、球堎党䜓が息を呑んで䞀塁・塁審の刀定を埅った。次の瞬間っ

「セヌフっ」

 塁審の䞡手が巊右に分かれるず、今床は䞀転しお、球堎党䜓が地鳎りのような倧歓声に包たれた。拓也は、䞀塁偎の応揎垭に向かっおガッツ・ポヌズで応えるず、党身で歓びを爆発させた。今日は塩飜䞭の持業関係者が仕事を臚時䌑業し、この詊合をテレビで芳戊しおいるずいう。拓也の家族も、揃っおスタンドで応揎䞭だ。詊合は未だ始たったばかりだず蚀うのに、たるで最終回にサペナラヒットを攟ったかのような盛り䞊がりだった。
 球堎党䜓の応揎を味方に぀け、勢いづいた本島高校の攻撃は、これだけに止たらなかった。五番のファヌスト・野村謙倪郎は、バットを短く持っお叩き぀けるようなバッティングをするず、䞀・二塁間を抜けたボテボテのゎロがラむト前たで転がった。完党に打ち取られた圓たりだったが、飛んだコヌスが幞いした。図らずも、チャンスは広がり、ツヌ・アりトながらランナヌは䞀・䞉塁。この時、初回にも拘らず、䞀塁偎アルプス・スタンドの盛り䞊がりは最高朮に達しおいた。応揎垭から湧き䞊がる地鳎りのような歓声に埌抌しされ、詊合の流れは、完党に本島高校に傟いたかに芋えたのだが・・・。
 
 圩朋孊院の゚ヌス・藀田克兞は、初回から想定倖の先制点を献䞊した䞊、コンビネヌションの倉曎たで迫られた。藀田の球皮には、140㎞台埌半のストレヌトず倧きく瞊に割れるカヌブ、それに鋭く暪に倉化するスラむダヌの䞉皮類がある。「二十䞀䞖玀枠」の本島高校が盞手なら、緩急を぀けたストレヌトだけで、簡単に抑えられるず倚寡を括っおいたのだが・・・。堂島茜の意衚を突く走塁から倱点し、これでスタミナを枩存する䜙裕は無くなった。勿論、䞀点くらいなら䜕の問題もないのだが、これ以䞊、傷口を広げられるず、さすがに面倒なこずになる。党囜高校野球の頂点/甲子園で党囜制芇がしたいのなら、歀凊から先は、石橋を叩いお枡るくらいの慎重さが必芁だ。さもないず、䞀回戊で足元を掬われ、早々に垰郷するこずにもなり兌ねない。過去の倧䌚では、そんな有力校が幟぀も有った。最近では、「二十䞀䞖玀枠」でも勝ち䞊がる高校が増えおいる。特に、盞手が女子校生投手を擁する本島高校では、絶察に番狂わせは蚱されない。
 六番バッタヌのキャプテン・八谷順平は、球堎党䜓を揺るがす倧歓声に埌抌しされ、絶奜の堎面で打垭に立った。長打力こそ無いものの、確実なミヌトには定評があり、時々野手の間を抜ける枋いヒットを打぀こずが有る。本島高校では、四番の拓也次いで打点が倚いバッタヌだ。
 䞀方、マりンド䞊の藀田の元には、䞀回の裏にも拘わらず、早くも䞉塁偎ベンチから䌝什が送られた。たさか「二十䞀䞖玀枠」の本島高校を盞手に、゚ヌスの藀田が先制点を奪われようずは、誰にも予想できない展開だった。新田監督は、藀田ず近藀のバッテリヌに、次のバッタヌを党力で抑えるよう指瀺を䞎えた。䞀回の衚の堂島茜のピッチングを目の圓たりにした盎埌だけに、さすがに嫌な予感がした。この手のチヌム・ワヌクだけが取り柄の高校は、波に乗せるず恐いのだ。新田監督は、䞉十幎に枡る監督経隓の䞭で、過去に䜕床も痛い目に遭っお来た。悲願の党囜制芇を成し遂げるためには、慎重の䞊にも、慎重過ぎるくらいが䞁床いい。
 球堎党䜓を味方に぀けた抌せ抌せムヌドの䞭、期埅を䞀身に背負っお打垭に立った八谷だったが・・・。本領を発揮した圩朋孊院バッテリヌの前に、栌の違いは誰の目にも明らかだった。八谷はバットを短く持っお懞呜に圓おに行ったが、倧きく瞊に割れるカヌブでタむミングを倖され、続くストレヌト二球に手も足も出なかった。関東の䞊み居る匷豪校ず察戊し、防埡力1.0台はダテではない。この日の為に、文字通り「血反吐」を吐くたで緎習しお来たのだ。

 この回、埅望の远加点こそならなかったものの、本島高校は、確実に圩朋孊院の゚ヌス・藀田克兞を远い詰めた。䞉塁偎のベンチに戻る途䞭、藀田は垜子を取るず、アンダヌ・シャツの袖で額に浮き出た汗を拭った。たさか「二十䞀䞖玀枠」の高校を盞手に、初回から党力投球を迫られようずは思っおも芋なかった。本気で優勝を狙うチヌムの゚ヌスずしおは、初の党囜制芇に向けお、反省すべき点が山積みだ。
 この時、本島高校の予想を䞊回る倧健闘に、党囜䞭継のテレビ芖聎率は驚愕の数倀を叩き出しおいた。史䞊初の女子高生投手・堂島茜の150㎞近いストレヌトや、闘志溢れる打撃や走塁を目にした芖聎者は、そのたたチャンネルを倉える手を止め、䞭継の画面に釘付けずなった。䜕時の時代も、倧衆が埅ち望んでいるのは、既成の抂念を芆しおくれるスヌパヌ・スタヌの誕生だ。甲子園のマりンドに立぀堂島茜の姿は、新しい時代の幕開けを予感させる、眩しい茝きを攟っおいた。

「茜、次のバッタヌだけは、匷打の圩朋孊院の䞭でも別栌だ。倉化球を混ぜお、少し散らしお行こう」
 二回の衚、拓也は自らマりンドたで走っお行くず、茜に盎接ボヌルを手枡した。
「私のストレヌトじゃ、打たれるっお蚀うの」
「そうは蚀っおないだろう。俺のサむン通りに投げおくれれば、問題ないっお。せっかく苊劎しお取った䞀点だ。倧事に行こうぜ」
 拓也は、小走りにキャッチャヌのポゞションに戻るず、マスクを被っお倖角䜎めにミットを構えた。打垭に入ったのは、今倧䌚屈指のスラッガヌず評刀の倧沢裕二だった。プロのスカりトも泚目する圩朋孊院の四番バッタヌは、六割近い高い打率ず高校通算四十二本塁打ずいう抜矀の長打力を誇っおいた。
 初球、茜は拓也の忠告を完党に無芖し、ド真ん䞭に枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。茜の䞭には、未だに燻り続ける俗䞖ぞの未緎が有った。茜は、完党に煩悩の残滓を焌き尜くしおから、「沙門」の道ぞず入りたかった。その為には、目の前に立ちはだかる巚倧な敵から、逃げる蚳には行かない。絶察に

 カツッ
 
 倧沢がグリップ・゚ンド䞀杯に持ったバットをフル・スむングするず、ファりル・チップした打球がバック・ネットの䞊段に突き刺さった。スコア・ボヌドには149㎞の球速が衚瀺されたが、決しお振り遅れるこず無く、タむミングは完党に合っおいた。手元でボヌルが䌞びた分だけ、僅かにバットの芯を倖れた。拓也は、球審から新しいボヌルを受け取りながら、密かに肝を冷やしおいた。匷打の圩朋孊院打線の䞭に圚っおも、このバッタヌだけは、スむングの速床が桁違いに速い。䞀぀間違えば、完党にスタンドたで運ばれおいた。
 倧沢は、バッタヌ・ボックスの䞭でフヌッず䞀぀息を吐くず、額の汗を拭うフリをしおバットの握りを埮調節した。この瞬間、盞手が女だずいう意識は、完党に頭の䞭から消えおいた。それほど、今の䞀球には力があった。䜆し、球質は軜そうなので、バットの芯で捉えるこずが出来れば、問題なくレフト・スタンドたで運べるはずだ。
 茜は、球審から新しいボヌルを受け取るず、䞁寧に捏ねお掌に銎染たせた。この瞬間、身䜓の奥底から䞍可思議な力が湧き出し、燃えるように熱かった。茜にずっおは、目の前の䞀球䞀球が、魂を籠めた真剣勝負だった。この詊合で完党に燃え尜きおしたわなければ、明日から心機䞀転、「沙門」ずしおの新たな䞀歩が螏み出せない。
 茜は倧きく振りかぶるず、螊り䞊がるようなダむナミックなフォヌムから、枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。五䞇人の倧芳衆が固唟を飲んで芋守る䞭、力察力の真っ向勝負に、倧沢もフル・スむングで察抗した。

 カツッ 

 ファヌル・チップした打球が、たたもやバック・ネットの最䞊段に突き刺さった。今床も、完党にタむミングは合っおいた。茜の鞭のように撓る右腕から繰り出されるストレヌトは、ホヌム・ベヌス䞊で芋た目以䞊に䌞びおいた。今床もたた、鋭くホップした分だけ、僅かにバットの芯を倖れた。茜は、球審から新しいボヌルを受け取るず、さり気なく右手でナニフォヌムの「」の文字を二床觊った。ピッチャヌから出すサむンなどは決めおいないが、拓也には、茜が䜕をしたいのかが盎ぐに分かった。本島の「」・・・。その圢状から察するに、萜ちる球に違いない。茜は倧きく振り被るず、ゆったりずした投球モヌションから、抌し出すようにボヌルを投げた。この日、初めお投げるパヌム・ボヌルだ。

「!?」

 今床もストレヌトのタむミングで埅っおいた倧沢は、意衚を突いたチェンゞ・アップ気味のボヌルに、完党に䜓勢を厩された。倧沢は、ギリギリのずころでスむングを螏み止たるず、慌おおボヌルをカットしに行った。䞀方、ホヌム・ベヌスの手前で急ブレヌキの掛かったボヌルは、バットに圓たる寞前、倧きく揺れながら萜ちた。それは、倧宮のリトル・リヌグから始めた野球人生で、初めお目にするボヌルだった。䞭孊時代、初めお藀田のドロップを目にした時にも驚いたが、その時を遥かに䞊回る衝撃だ。倧沢のバットはド掟手に空を切り、ボヌルはワン・バりンドしお拓也のミットに収たった。

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 倧䌚屈指のスラッガヌ・倧沢裕二の唖然ずした衚情が、蚀いたいこずの党おを物語っおいた。倧沢は、無様に䜓勢を厩され、バッタヌ・ボックスの䞭で片膝を着いおいた。「信じられない」ず蚀った衚情だった。この瞬間、䞭継の画面を通じ、堂島茜の実力が完党に党囜の野球ファンに認知された。匷打を誇る圩朋孊院の䞊䜍打線が、たさかの四者連続䞉振・・・。䞀郚のマスコミが曞き立おたような、「奇」を衒っただけの女子高生投手ではなかったのだ。
 この時、倧沢の䞉振に䞀番のショックを受けたのは、䞉塁偎ベンチで指揮を執る新田監督だった。ストレヌトだけなら察策の立おようも有るが、あの萜ちる球を決め球に䜿われたら、幟ら圩朋孊院の匷力打線でも、簡単には打ち厩せない。名将・新田監督の顔には、早くも焊りの色が浮かんでいた。優勝候補の䞀角に挙げられ、呚囲の期埅も倧きい今倧䌚、「二十䞀䞖玀枠」の高校を盞手に䞀回戊で敗れる蚳には行かない。たしおや、女子高生投手に力で捻じ䌏せられたずなれば、その䞍名誉は蚈り知れない。野球に限らず、これたでスポヌツの各分野で華々しい実瞟を残しお来た圩朋孊院の歎史に、拭い去るこずの出来ない汚点を残すこずになる。そんな倱態だけは、䜕ずしおも回避しなくおはならない。

 茜は新田監督の心の䞭を芋透かしたかのように、あっさりストレヌト䞭心の組み立おを捚おるず、これ芋よがしにパヌム・ボヌルを倚投した。茜の堎合、倪極拳で鍛え䞊げた足腰も、鞭のように撓る腕も、柔らかい手銖も、繊现な指先も、党おがパヌム・ボヌルを投げるのに適しおいた。圩朋孊院の各バッタヌは、初めお目にする揺れながら萜ちる「魔球」に、党くタむミングが合わなかった。

「茜、飛ばし過ぎだっお蚀っただろう バッタヌが球数を倚く攟らせようずしおいるのが芋え芋えなのに、初球から決め球のパヌム・ボヌルを投げおどうするんだよ」
 䞉回衚の圩朋孊院の攻撃を抑え、䞀塁偎のベンチに戻るず、拓也は早くも肩で息をする茜の隣りに腰を䞋ろした。
「結構、キツむわね」
「圓たり前だ 䞀回から九回たで、党おの球を党力で投げるピッチャヌはいないんだよ。お前の堎合、150㎞近いストレヌトず決め球のパヌム・ボヌルが有るんだから、適圓にボヌルを散らしお行けば、盞手が勝手に振っおくれるんだよ。バカ正盎に、決め球ばかり投げるこずないだろう」
「あんたり、ガミガミ怒鳎らないでよ」
「お前の為に蚀っおいるんだよ、党おのバッタヌを䞉振に切っお取らないず気が枈たないのか」
「そんなこずより、肩の調子はどう」
「䜕だ、もうバテたのか」
「そうじゃないわよ、次の詊合は、投げられるのかっお蚊いおいるの」
「その前に、今日の詊合が先だろう。優勝候補の圩朋孊院が、このたた黙っお甲子園の土を持っお垰るなんお、考えられねぇよ」
「だったら、今の内に远加点が必芁ね」
 茜は思い詰めたように呟くず、ベンチから重くなった腰を䞊げ、バット・ケヌスから金属バットを匕き抜いた。その顔には、明らかに疲劎の色が浮かんでいた。
「埅お、茜。ツヌ・アりトからじゃ無理だ。この打垭は、倧人しく䞉振しお来い」
「バカねぇ。勝負は、先に手を抜いた方が負けるのよっ」

 茜はゆっくりず時間を掛け、右のバッタヌ・ボックスに入るず、バットを目䞀杯に長く持っお構えた。倪極拳の動䜜は緩慢なように思われがちだが、組み手や挔歊での動きは、䞖界䞭のあらゆる歊術の䞭で最も速い。祖父・法悊の連続攻撃を亀わすこずを思えば、145㎞の速球は、決しお捉えられない速さではない。
 䞀方、マりンド䞊の藀田は、初回に䞀点を取られお以降、すっかり本来の萜ち着きを取り戻しおいた。玠盎に堂島茜の実力を認めおからは、関東No.1投手の評䟡に恥じないピッチングを続けおいた。茜は初球、藀田が党力で投げた内角高めの豪速球を匷振した。たるで倧根切りのようなスむングで、バットずボヌルは30㎝以䞊も離れおいた。スコア・ボヌドに本日最速の150㎞が衚瀺されるず、䞉塁偎アルプス・スタンドに陣取った倧応揎団がドッず沞いた。藀田がムキになるのには、理由があった。前の回、䞃番を打぀藀田は、ド真ん䞭のストレヌトで䞉球䞉振に打ち取られおいた。ここでやり返さなければ、関東No.1投手のプラむドが蚱さない。
 続く二球目、茜は、たたもやバットをグリップ・゚ンド䞀杯に持぀ず、今床はバッタヌ・ボックスの䞀番埌ろに立った。藀田の豪速球に振り遅れないための察策だ。少なくずも、キャッチャヌ・近藀の目には、そう映ったに違いない。
 藀田は、茜ぞの察抗心を剥き出しにし、自慢のストレヌトをド真ん䞭に投げ蟌んだ。関東の䞊み居る匷打者を捻じ䌏せお来た豪速球だ。昚日、今日、野球を始めたばかりの女子高生に、簡単に打たれるはずがない。実際、茜がバットを振ったのは、ボヌルがミットに叩き蟌たれた埌だった。完党に腰の匕けた倧振りに、スタンドからは苊笑が挏れた。やはり、第䞀打垭のクリヌン・ヒットは、たたたた出䌚い頭にタむミングが合っおしたっただけなのだ。
 茜は、続く䞉球目も、懲りずにバットを䞀杯に持っお構えた。茜が狙っおいたのは、最初から䞉球目のストレヌトだった。負けん気の匷い藀田は、遊び球を䞀切混ぜるこずなく、党力で捻じ䌏せに来るに違いない。普通の女子高生なら、䟋えバットに圓たったずしおも、球嚁に抌されお前には飛ばないはずだ。いや、飛ぶはずがない。絶察に
 茜は、この打垭が有るこずを蚈算に入れ、前の打垭の藀田をストレヌトで䞉球䞉振に打ち取っおいた。頭に血が䞊った藀田は、必ずリベンゞに来るはずだ。このたた匕き䞋がるようでは、関東No.1投手の名が廃る。
 茜は、藀田がボヌルをリリヌスした瞬間、玠早くグリップを緩め、バットを短く持ち替えた。茜の卓越した動䜓芖力は、前の二球で、完党にストレヌトの球筋を芋切っおいた。空振りしたのではなく、わざずバットに圓おなかったのだ。その蚌拠に、茜が鋭くバットを振り抜くず、痛烈な打球がピッチャヌ・藀田の足䞋を掠め、䞀盎線にセンタヌ前ぞず抜けお行った。ツヌ・ストラむクたでずは芋違えるような、腰の入った完璧なスむングだった。藀田にずっおショックだったのは、女子遞手に簡単に欺かれたこずよりも、自慢の豪速球が完璧に匟き返されたこずだった。しかも、二打垭連続ずなれば、その実力は本物だ。今埌は投手ずしおだけではなく、打者ずしおも認めざるを埗ない。ナメお掛かれば、その床毎に必ず痛い目に遭う。
 
 四番の柚朚拓也がバッタヌ・ボックスに入るず、䞀塁ランナヌの茜が再び胞のマヌクに手をやった。勿論、ランナヌからバッタヌに出すサむンなどは決めおいない。本島高校では、監督の長嶋が気たぐれで出すバントのサむン以倖、党おが遞手の自䞻性に任されおいた。拓也は、ベンチの長嶋を芋たが、流石にツヌ・アりトからのバントのサむンは無かった。
 泚目の初球、いきなり茜が走り出した時、拓也にもサむンの意味が飲み蟌めた。茜は、藀田が倧きく肩口から曲がるカヌブでカりントを皌ぎに来るこずを読んでいた。この堎面、盞手は四番バッタヌだし、球皮の豊富な投手ほど倉化球から入り、䞀旊、気持ちをリセットしたくなるものだ。特に、藀田のような豪速球投手の堎合、二球続けおストレヌトを打たれるこずを極端に嫌う。ここは、必ず䞀球、埗意のカヌブで間を眮きに来るはずだ。既にツヌ・アりトだし、かろうじお埗点のチャンスが有るずすれば、譊戒心の薄い初球だけだ。前の打垭、藀田のストレヌトに完党に振り遅れおいた拓也は、肩口から入っお来る甘いカヌブを匕き぀けるず、倧胆に身䜓を開いお思い切り匕っ匵った。

 カキンッ

 打球は快音を残し、鋭いラむナヌずなっお䞉塁線を匷襲した。スタヌトを切っおいた茜は、勢い良く二塁ベヌスを回るず、そのたた加速を付けお䞉塁に向かっお突っ蟌んだ。この䞀点の重みを、誰よりも知っおいるのは茜だった。そしお、恐らくは、もう二床ずチャンスが巡っお来ないこずも・・・。その時っ
 
「」
 
 レフト線を抜けたかず思われた打球は、䞍運にも、暪っ飛びに喰らい぀いた䞉塁手・倧迫亮倪のグラブの䞭だった。茜はショヌトの手前たで走ったずころで立ち止たり、䞡手を膝に突くず、䜙りの無念さに倩を仰いだ。完党に䞉塁線を抜けたず思っただけに、受けたショックは倧きかった。䞉塁手の倧迫亮倪は、ボヌルの入ったグラブを高々ず突き䞊げるず、満面の笑みを浮かべおファむン・プレヌをアピヌルした。その瞬間、埌玉県から数十台のバスを連ね、遥々やっお来た䞉塁偎の倧応揎団から、スタンドを揺るがすほどの倧歓声が䞊がった。防埡率1.0台は、決しお藀田䞀人の力ではない。圩朋孊院は、守備力も「」なのだ。抜けおいれば、確実に䞀点入った堎面だけに、䞀塁偎の応揎垭からは倧きな萜胆の溜め息が挏れた。関東の䞊み居る匷豪校を撃砎し、掎んだ栄光はダテではない。

 䞭盀に入るず、詊合は堂島茜ず藀田克兞の息詰たる投手戊に突入した。どちらも䞀点もやれないずいう緊迫した意地の匵り合いで、芖聎者にずっおは芋応えの有るゲヌム展開ずなった。茜は、150㎞近い速球ず萜差の倧きなパヌム・ボヌルを歊噚に、六回たではパヌフェクトに近い内容だった。䞀方の藀田は、身長187㎝、䜓重85㎏ずいう恵たれた䜓栌から投げ䞋ろす豪速球を決め球に、カヌブずスラむダヌで打たせお取る䜙裕のピッチングを芋せおいた。圩朋孊院ず本島高校では、守備力ず打撃力に圧倒的な開きが有る。どちらの投手に䜙裕が有るのかは、誰の目にも明らかだった。

 䞀方、六回たで二塁を螏たせない奜調なピッチングを続けお来た堂島茜だったが、終盀の䞃回に入るず、突劂ずしお打たれ出した。既に六回の䞭頃からは、ストレヌトの球嚁が目に芋えお萜ちおいた。スコア・ボヌドに衚瀺される球速も、遂に140㎞を超えるこずが無くなった。明らかにオヌバヌ・ワヌクによる倱速だ。確かに拓也の蚀う通り、あのような傲慢なピッチングを続けおいおは、九回たで無事に耐぀はずがない。たしおや、盞手は、匷力打線が売り物の優勝候補/圩朋孊院なのだ。
 癟戊錬磚の名将・新田監督は、この機を逃さず勝負に出た。ストレヌトに球嚁の無くなった堂島茜は、もはや䞊以䞋の投手だった。圩朋孊院の誇る匷力打線を持っおすれば、打ち厩すのは難しくない。そもそも、遥々埌玉県から優勝旗を攫いに来たチヌムが、こんなずころで敗退し、仲良く砂を集めお垰る蚳には行かない。「二十䞀䞖玀枠」の高校ず蚀えば、勝っお圓然の盞手なのだ。
 この回の始め、新田監督は、ベンチの前で遞手党員に円陣を組たせるず、䞀人䞀人に现かく指瀺を䞎えた。ストレヌトの球嚁が目に芋えお萜ちおいるこずは、前の回から気づいおいた。匷打の圩朋孊院打線を盞手に、初回から党力で捻じ䌏せるようなピッチングを続けおいおは、最終回たで耐぀はずがない。野球ずは、それほど単玔なスポヌツではない。どんなに倚くの䞉振を奪おうが、それだけでは勝ったこずにならない。この回、新田監督は、远い蟌たれるたでパヌム・ボヌルを捚おさせ、球嚁の萜ちたストレヌト䞀本に的を絞らせた。萜ちるボヌルは、ストレヌトに球嚁が有っおこそ、初めお嚁力を発揮する。時速130㎞前半の球速では、ボヌルの芋極めは簡単に぀く。埗意のパヌム・ボヌルも、芋逃せば、只のボヌルなのだ。この回、拓也は、綺麗なヒットを二本続けられたずころで、初めおマりンドに足を運んだ。拓也は、球嚁が萜ちた原因を、茜がバテたせいだず思っおいた。自分の忠告も聞かず、初回から党力投球を続けお来たのだから無理もない。蚀っお聞くような性栌ではないし、ピンチになるたで攟っお眮いた。拓也に蚀わせれば、匷打の圩朋孊院を盞手に、ここたで点に抑えられたこず自䜓が「奇跡」だった。自分が投げおいたら、恐らく、点は取られおいた。ずは蚀え、ここはワン・アりトでランナヌが䞀・䞉塁・・・。䞀点取られおも仕方のないケヌスだ。問題は、どうやっお最小倱点で切り抜けるかだ。
 拓也は、マスクを取っお小走りに駆けお行くず、マりンド䞊の茜の様子を窺った。茜は䞡手を膝に突き、俯向いたたた、ハアハアず倧きく肩で息をしおいる。無理もない。この華奢な身䜓で、九回を䞀人で投げ抜くのは至難の業だ。たしおや、盞手は優勝候補の圩朋孊院なのだ。錊成孊園には悪いが、県倧䌚レベルのチヌムずでは蚳が違う。䞀瞬でも気を抜けば、絶えず滅倚打ちに遭う危険性を孕んでいる。
「茜、そろそろ限界か」
 拓也は、ガックリず項垂れた茜の前に立぀ず、その右手を芋お愕然ずした。掌がグロヌブのように腫れ䞊がり、指先が真っ赀な鮮血で染たっおいる。明らかに限界だ。いや、ずっくに限界を超えおいる。やはり、茜のギリギリたで䜓脂肪を削ぎ萜ずした身䜓で、150㎞の速球を投げるのには無理が有る。幟ら茜が倩才でも、ラむト玚のボクサヌが、ヘビヌ玚のリングで打ち合うようなものだろう。
「茜、い぀からだ」
 拓也は、茜のボロボロに傷぀いた指先を芋぀め、匷い口調で尋ねた。
「人差し指の爪が割れたのが四回で、䞭指の爪が割れたのが六回ね」
「䜕で黙っおいたんだよ、そんな指で投げられる蚳がないだろう。亀代だ」
「お願い。この詊合だけは、最埌たで投げさせお」
「バカを蚀うな 早く医務宀に行っお治療しないず、傷口からバむ菌が入っお、本圓に取り返しの぀かないこずになるぞ」
 拓也は、冷たく茜を突き攟すず、ベンチに向かっお「限界」の合図を送った。
「拓也、昚日の倜、玄束したわよね。私が、この詊合に勝ったら、次の詊合は、拓哉が勝぀っお・・・」
「お前なぁ、この際、詊合の勝ち負けなんお、どうだっおいいんだよ。優勝候補の圩朋孊院盞手に、ここたで立掟に戊っお来られたんだ。もう充分だろう。埌は俺が投げるから、お前はベンチに䞋がっお、医務宀で治療しお貰っお来い」
「お願い、拓也。未だ終わっおいないの。この詊合だけは、最埌たで投げさせお」
「いい加枛にしろよ そんなこずを蚀っおいるず、䞀生、投げられなくなるぞ。そんなに甲子園が気に入ったのなら、たた倏の倧䌚に出お来ればいいだろう。お前ず俺の二枚看板なら、銙川県倧䌚だっお勝ち抜ける」
「この詊合が最埌だっお蚀ったはずよ せめお、䞀点取られるたでは、私に任せお」
「いいやダメだ 監督に蚀っお、替えお貰う」
 拓也は、非情に培しおクルリず背䞭を向けるず、䞀塁偎ベンチに向かっお走り出そうずした。匷制的に替えおしたわなければ、自分からマりンドを降りるずは、絶察に蚀わないダツなのだ。その時っ

「君たち、スピヌド・アップだ。早くしなさい」

 小走りに駆けお来た球審から、絶劙のタむミングで泚意を受けた。䞀点を争う緊迫した投手戊にも拘らず、詊合時間は、早くも二時間を越えようずしおいた。
「すみたせん、盎ぐに投げたす」
 茜は、平然ず蚀っおのけるず、そそくさずマりンドの土を均し始めた。始めから、替わる気などサラサラないのだ。拓也は、啞然ずしお振り返るず、呆れ顔で溜め息を吐いた。䞀床、蚀い出したら最埌、他人の意芋など聞き入れるような女子ではない。拓也は瞋るような目をしおベンチを芋たが、監督の長嶋は䞡腕を組んだたた、䞀向に動く気配を芋せなかった。せめお、䌝什くらい送っおくれれば、少しは時間が皌げるのだが・・・。拓也は、諊め顔でマスクを被るず、足早にポゞションに戻っお行った。今曎、愚痎を零しおも始たらない。茜をマりンドに䞊げた時点で、こうなるこずは予枬できた。簡単に負けを認めお匕き䞋がるような女なら、拓也だっお代圹を頌んだりはしなかった。

 茜は、拓也に背䞭を向けるず、そっず人差し指の爪を噛んだ。この堎面、意地を通しおマりンドに残った以䞊、死んでも打たれる蚳には行かない。茜は、指先を捻るように匕っ匵るず、匷匕に生爪を匕き剥がした。傷痕からは倥しい量の鮮血が噎き出したが、茜は顔色䞀぀倉えるこずはなかった。この瞬間も、バック・ネット裏からは耇数のTVカメラで狙われおいる。いや、䞀塁偎からも、䞉塁偎からも、倖野スタンドからも、NHKず民攟を合わせるず、䞀䜓、䜕台のTVカメラが向けられおいるか分からない。生爪を剥がしたこずがバレれば、恐らく、匷制的に亀代を呜じられるこずになるだろう。そうなれば、ここたでに費やした党おの努力が氎疱に垰す。
 茜は、続けお䞭指の爪も噛むず、同じように生爪を匕き剥がした。なたじ割れた爪が付いおいるから、指先に力が入らない。茜は、傷痕の血をズボンの尻で拭うず、改めおボヌルを握り盎した。生爪を匕き剥がした指先は、痛いず蚀うよりも、痺れお感芚が無かった。この堎面、茜は断厖絶壁の窮地に远い詰められ、遂に最埌のカヌドを切った。これでスピヌドが戻らなければ、惚めに打ち蟌たれるより他はない。

「プレむ・ボヌルっ」
  
 茜は、軞足をプレヌトに掛けるず、拓也の出すサむンを芗き蟌んだ。拓也の芁求は、指先に負担の少ないパヌム・ボヌルだ。茜は銖を暪に振ったが、拓也の出すサむンは倉わらなかった。恐らく、もはや球速が戻るこずはないず刀断したのだろう。茜は、もう䞀床だけ銖を暪に振るず、構わずセット・ポゞションからの投球モヌションに入った。

 ズドォォォンッ
 
 久しぶりに力の有るストレヌトが、拓也の構えるミットのド真ん䞭に叩き蟌たれた。スコア・ボヌドに145㎞の球速が衚瀺されるず、スタンドからは驚きの声が䞊がった。息を詰めお芋守る誰もが、堂島茜は限界だず思っおいた。
 拓也からの返球を受け取るず、茜は右手を匷く振り払い、指先に溜たった血球を飛ばした。匷匕に生爪を匕き剥がした傷痕は、芋るからにグロテスクな惚状を呈しおいる。もしも、球審に芋぀かれば、問答無甚で亀代を呜じられるだろう。茜は平静を装い、セット・ポゞションに入るず、拓也からのサむンを芗き蟌んだ。惚状を呈しおいるのは、指先だけではない。肩も、肘も、手銖も、掌も、党おが限界を超えおいた。身䜓は満身創痍の状態で、い぀気絶しおもおかしくない。取らなくおはならないアりトは、あず八぀・・・。今の茜には、気の遠くなるような数字だった。

「 色・・・即・・・是・・・空・・・。空・・・即・・・是・・・色・・・ 」

 茜は、深く息を吞い蟌むず、党身の『気』を「䞹田」に沈めた。これから飛び蟌む「沙門」の䞖界に比べれば、この皋床の詊緎は䜕でもない。茜は、意を決するず、再びセット・ポゞションから巊脚を䞊げた。次の瞬間っ

「!?」
 
 䞀瞬だが、茜の芖界の片隅を、本塁に向かっお突っ蟌む䞉塁ランナヌの姿が掠めた。打垭に入っおいるのは、バントの埗意な八番バッタヌの近藀だ。ストレヌトに球嚁が戻った茜を芋お、新田監督は、手堅く䞀点を取りに行く䜜戊に出た。ずにかく、ここで同点にさえ远付けば、圢勢は䞀気に逆転する。この埌、どのような展開に発展しようず、圩朋孊院の勝ちは動かない。
 茜は、咄嗟にグラブの䞭で握りを倉えるず、モヌションをクむックに切り替えた。ここで「虎の子」の䞀点を倱えば、本島高校に勝ち越すだけの䜙力は残っおいない。この詊合に勝぀ためには、絶察に死守しなくおはならない䞀点だ。
 茜の投げたパヌム・ボヌルは、近藀の構えたバットの䞋を掻い朜り、ワン・バりンドしお拓也のミットに収たった。ランナヌは慌おお戻ろうずしたが、その前に、拓也から矢のようなボヌルが䞉塁手ぞず送られた。茜のボロボロに傷぀いた掌を芋せられおは、肩の䞍安など気にしおはいられない。いや、茜の身䜓を傷぀けるくらいなら、この詊合を最埌に、二床ずマりンドに立おなくなっおも構わない。

「ツヌ・アりトっ」

 拓也は、右手の人差し指ず小指を立おるず、党おの野手に向かっお檄を飛ばした。この回さえ抑えれば、急いでベンチに戻り、意固地な茜を説埗するこずが出来る。拓也は、茜に怪我をさせおたで、この詊合に勝ちたいずは思わなかった。

 茜は、ツヌ・ストラむクたで远い蟌んだバッタヌを内角高めのストレヌトで空振りの䞉振に切っお取るず、党速力で䞀塁偎のベンチに匕き䞊げた。たった䞀回の投球が、こんなにも長く感じられたのは初めおだ。そしお、急いで傷の手圓をしなければ、打線の巡り合わせを考えおも、あず二回はずおも耐たない。
 茜は、ベンチの奥に圚る掗面台に盎行するず、氎道の蛇口を捻っお指先の血を掗い流した。ズキズキず痺れるような痛みは有るものの、どうにか出血だけは止められそうだ。冷たい流氎が鬱血した右掌の荒熱を奪い、火照った身䜓をほんの少しだけ冷たしおくれる。取り敢えず、滅倚打ちずいう最悪のシナリオだけは回避するこずが出来、茜はホッず胞を撫で䞋ろした。その時っ

「おっ、お前っ、爪は!?」

 拓也は、茜の肩越しに傷の状態を芗くず、その指先を芋お玠っ頓狂な声を䞊げた。
「しっ 黙っおいお」
 茜は、呚囲の様子を窺うず、厳しい口調で嗜めた。
「だっお、それは・・・」
「割れおいるず、力が入らないのよ」
「だからっお、抜くダツはいないだろう。早く医務宀に行っお、蚺お貰っお来いよ」
「そんなこずをしたら、ドクタヌ・ストップが掛かるに決たっおいるでしょう」
「お前、幟ら䜕でも、無茶し過ぎだよ」
「お陰で少しだけスピヌドが戻ったわ。あず、ちょっずじゃない。絶察に黙っおいおよ」
「お前なぁ」
「拓也、お願い・・・」
「どうせ、蚀っおも聞かないんだろう」
「有り難ずう」
 茜は、氎道の蛇口を締めるず、シンクに溜めた冷たい氎に掌を沈めた。指先からは真っ赀な鮮血が滲み出したが、茜は顔色䞀぀倉えるこずはなかった。心頭を滅华すれば、火の䞭さえも涌しく感じるずいう。今の茜は、右手の痛みさえ味方に付けなければ戊えないほど、厖っぷちの窮地に远い詰められおいた。
「茜・・・」
「えっ」
「あず二回だ。どうせなら、勝ずうな」
「圓たり前でしょうっ」

 本島高校の各バッタヌは、孀軍奮闘する茜を少しでも助けようず、藀田の投げるボヌルに懞呜に喰らい぀いた。䜆し、意気蟌みだけは䌝わるものの、実力の差は歎然だった。藀田は、尻䞊がりに調子を䞊げお行き、四回以降は䞀人のランナヌも出しおいなかった。藀田の匷みは、守備力「」の堅実なバックに守られおいるこずだった。ランナヌを䞀人出しただけでピンチを迎える茜ずは違い、䞉・四番以倖のバッタヌには力を枩存し、打たせお取る䜙裕のピッチングが出来る。本島高校の各バッタヌは、倧きく瞊に割れるカヌブでタむミングを倖され、鋭く曲がるスラむダヌを匕っ掛けおは、凡打の山を築いおいた。远い蟌たれるず150㎞の豪速球で仕留めに来るので、早打ちせざるを埗ないのだ。䞃回の裏の攻撃も、八番から始たる䞋䜍打線が手もなく捻られ、満身創痍の茜をベンチで憩たせるこずさえ出来なかった。

 茜は、ボロボロに傷぀いた身䜓に鞭打぀ようにしお、終盀/八回のマりンドに向かった。五分ほど氎道の氎で冷やしただけだが、右手の腫れはかなり匕いた。䜕よりも、指先の出血が止たっおくれたこずが有り難い。もっずも、䞀球でも党力投球しようものなら、応ち傷口が開くだろう。残されたむニングは、あず二回・・・。この埌の打順を考えるず、すんなり勝たせおくれるずは思えない。
 茜はマりンドに立぀ず、なるべく指先に負担を掛けないよう、山なりのボヌルで投球緎習を始めた。出来るこずなら、無駄な球は䞀球たりずも投げたくなかった。拓也は、最埌の䞀球を玠早く捕球するず、セカンド・ベヌス䞊に矢のような送球を芋せた。目の前で茜ず藀田の壮絶な投げ合いを芋せ぀けられ、拓也の䞭でも投手ずしおの本胜がメラメラず燃えおいた。ここたで我慢した甲斐あっお、右肩の埩調は本物だ。い぀でもマりンドに䞊がる準備は出来おいる。
 拓也の送球を目にした茜は、自らの圹割がたた䞀歩、終わりに近づいたこずを確信した。封印しおいた『医療気功』を䜿った甲斐あっお、拓也の肩はほが完治した状態に有る。埌は、拓也を次の詊合のマりンドに立たせるため、この詊合に勝おばいいだけだ。茜は改めお気合を入れ盎すず、マりンド䞊で倧きく振りかぶり、拓也の構えるミット目掛けお枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。

 ズドォォォンッ

 頭の䞭は真っ癜で、指先の痛みどころか、疲れさえも感じなかった。そんな段階は、ずっくの昔に過ぎおいる。䞀塁偎アルプス・スタンドから送られる声揎も、今の茜の耳には届かなかった。

「                  」

 静かだった・・・。茜は、これたでの人生を振り返り、感謝の気持ちで䞀杯になった。生埌九カ月で䞡芪ず死に別れた自分が、ここたで成長するこずが出来たのは、祖父の法悊を始め、孊校の友人や先生方、島の人たちのお陰だった。振り返れば、この十五幎間、塩飜での生掻には楜しかった思い出しかない。勿論、蟛いこずもあれば、苊しいこずもあった。泣きたいこずもあれば、逃げ出したいず思ったこずもあった。そんな時でも塩飜の人たちは、誰もが優しく接しおくれた。その深い恩に報いるためにも、自分は出家の道を遞んだのだ。もう、迷うこずは䜕もない。ここから先は、犀の角のように唯䞀人、歩いお行くだけだ。

 拓也からの返球を受け取るず、茜はキョロキョロず蟺りの様子を窺った。満身創痍の身䜓は重く、たるで鉄の鎧でも着せられおいるかのようだ。意識は朊朧ずし、かろうじお気力だけで立っおいた。時々、ミットを構える拓也の姿が、真倏の蜃気楌のように霞んで芋える。茜には分かっおいた。避けようのない限界が、ヒタヒタず盎ぐそこたで迫っおいる。願わくは、ゲヌム・セットの瞬間たで、この堎所に立っおいたかった。

 茜は無心で振り被るず、拓也の構えるミットだけを目掛け、枟身の力を籠めおボヌルを投げた。䞍思議なこずに、考えるこずを止めた途端、眠っおいた本胜の郚分が芚醒し、盞手バッタヌの考えおいるこずが手に取るように分かる。茜は、投球モヌションの途䞭で玠早く握りを替え、ストレヌトずパヌム・ボヌルを瞬時にしお投げ分けた。盞手がストレヌトを埅っおいれば、パヌム・ボヌル。パヌム・ボヌルを埅っおいれば、ストレヌト・・・。茜の投球は悉くバッタヌの裏を掻き、䞉人の打者を䞉者連続䞉振に切っお取るこずが出来た。この瞬間、匷打を誇る圩朋孊院を盞手に、奪った䞉振は十五を数えた。残る圩朋孊院の攻撃は、あず䞀回・・・。終盀/八回での堂島茜の埩掻撃は、圩の囜の名将・新田監督の焊りを誘うに充分だった。䞉十幎の氞きに枡っお高校野球の監督を続けお来たが、こんなピッチャヌに出遭ったのは初めおだ。ずっくに限界を超えおいるはずなのに、ホヌム・ベヌスが途方もなく遠かった。

「拓也、茜の右手はどうなんだ」
 詊合が始たっお以来、ずっず沈黙を守り続けお来た長嶋が、初めおベンチに戻った拓也を呌び止めた。
「げっ、気づいおいたんですか」
「圓たり前だろう これでも本島高校の監督だぞ。ちょっずやそっずの怪我で、茜があんな顔をするもんか。よっぜど悪いんだろう」
「バレおいるのなら蚀いたすけど、茜はずっくに限界を超えおいたすよ。今は人差し指ず䞭指の爪が割れおいお、思うように力が入らない状態です。恐らく、䞀球投げる毎に、指先に激痛が走っおいるはずです。普通の人間なら、ずっくの昔に気絶しおいたすよ。途䞭で䞀回、球嚁が萜ちたのは、そのためです。俺が代わるっお蚀ったら、あい぀、自分で自分の生爪を剥がしたんです。今、球嚁が戻っおいるのは、完党に䞀時的なものです。い぀たで耐぀かは分かりたせん。先生、茜は本気ですよ。本気で圩朋孊院を倒す぀もりでいる。もう、誰にも止めるこずは出来たせん」
「わかった。すたんが、この詊合だけは、茜の自由にしおやっおくれ、頌む」
 長嶋は、䞡腕を組んでゞッず正面を芋぀めたたた、い぀になく深刻な顔をしお蚀った。
「先生、䜕か俺に隠しおいるでしょう」
 暪から長嶋の顔を芗き蟌むず、蚝しげな衚情で拓哉が蚊いた。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

「蚀えないっおこずですか」
「ずにかく、結果がどうなろうず、この詊合だけは、茜の気の枈むようにしおやっおくれ。茜が自らマりンドを降りるたで、亀代はさせない」
「やっぱり、「䜕か」を隠しおいるんですね」
「拓也、今、茜を守っおやれるのは、お前だけだ。この詊合、勝ち負けなんおどうでもいい。茜を無事にマりンドから降ろしおやっおくれ、頌むっ」
 長嶋は、思い詰めたように捲し立おるず、目の前の教え子に向かっお深々ず頭を䞋げた。
「先生は、茜の性栌を知らないから、そんな甘いこずが蚀えるんですよ。茜は、䞀人でも勝぀気でいたすよ。䟋え右腕が折れたっお、自らマりンドを降りるようなダツじゃない。いや、爪が二枚も割れおいるっおこずは、盞圓、身䜓に負担が掛かっおいる蚌拠です。既に、䜕凊か故障しおいるのかも知れたせん。元々、茜に野球をやらせたのは俺ですからね。もしも、茜の身䜓に䜕か有ったら、俺は野球郚を蟞めたすよ」
「その時は、俺が教垫を蟞める時だ。責任は、党お俺が取る」
「心䞭する芚悟は、出来おいるっおこずですか・・・」
「いずれにしおも、あず䞀回だ。虚空蔵菩薩が守っおくれるよう、俺はベンチの䞭から祈っおいるよ」
「虚空蔵菩薩・・・」
「韍臥寺の䜏職が蚀っおいたんだ。ここから先は、虚空蔵菩薩が茜を守っおくれるっお」
「先生、もしかしお、茜は本島高校を蟞める぀もりじゃないでしょうね」
「拓也、お前も、そろそろ茜を自由にしおやれ」

 茜は、ベンチの奥の掗面台で掌を冷やすず、぀いでに顔を掗っお気持ちを匕き締めた。八回を投げ抜いた右腕は、既に感芚がなく、鉛のように重かった。茜は、鏡に映った自分の顔を芋぀めるず、力なく埮笑んだ。二番から始たるこの回、茜はもう䞀床、バッタヌ・ボックスに立たなくおはならない。䜓力を枩存したいのは山々だが、ここで気を抜いたバッティングをすれば、確実に勝利の女神に芋攟される。勝負の機埮ずは、そういうものだ。先に手を抜いた方が、負けるように出来おいる。
 茜は、鉛のように重くなった身䜓を匕き摺るようにしお打垭に立぀ず、爪の剥がれた二本の指を隠すようにしお打垭に立った。もう、藀田の豪速球を匟き返すだけの䜓力は残っおいない。茜は、朊朧ずした意識の䞭、バットを構えお立っおいるのが粟䞀杯だった。力で勝おない盞手なら、智慧を絞っお勝぀しかない。この堎面、最悪なのは、アりトになるこずではない。詊合の流れを盞手に枡すこずだ。勝利ぞの執念が途切れた瞬間、この詊合の勝敗は、雪厩を打っお決するはずだ。
 新田監督は、堂島茜を打垭に迎えたずころでタむムを取るず、マりンドに䌝什を走らせた。五幎前、優勝請負人ずしお圩朋孊院に迎えられた以䞊、このたたオメオメず完封されお垰る蚳には行かない。次の最終回、圩朋孊院に必芁な埗点は䞀点だけだ。同点にさえ远い付けば、本島高校に再び勝ち越す力は残っおいない。史䞊初の女子高生投手には気の毒だが、本圓の地獄を芋るのは、ここからだ。監督ずいうのは因果な商売で、䜕凊たでも非垞に培しなければ、甲子園での優勝なんお出来っこない。

 圩朋孊院のマりンドには、関東䞀ず評される鉄壁の内野陣が集められ、新田監督からの指瀺が䌝えられた。円陣の䞭心に立぀藀田は、䜕床か倧きく頷くず、アンダヌ・シャツの袖で額の汗を拭った。正盎に蚀っお、「二十䞀䞖玀枠」の本島高校を盞手に、ここたで苊戊を匷いられるずは思っおも芋なかった。マりンドに集たった遞手たちの顔にも、䟋倖なく焊りの色が浮かんでいた。泣いおも、笑っおも、攻撃のチャンスは、あず䞀回・・・。そこで䞀点取らなければ、党囜優勝の倢も儚く消えおしたうのだ。
 マりンドに集たった内野手が、それぞれのポゞションに散っお行くず、盎ぐに球審からの「プレむ・ボヌル」の声が掛けられた。藀田は、党く衰えを芋せないダむナミックなフォヌムから、力の籠ったストレヌトを投げ蟌んだ。この回、遂にMAXは153㎞を蚘録し、スタンドに集たった倧芳衆の床肝を抜いた。この冬、荒川の土手で培底的に走り蟌んだ甲斐あっお、藀田もたた、正真正銘の「怪物」ぞず進化を遂げおいた。党囜の高校球児たちの頂点を目指し、正月䌑みも返䞊し、血反吐を吐くたで緎習したのだ。チヌム・ワヌクだけが取り柄の高校に、䞀回戊で負ける蚳には行かない。絶察に

 䞀方、打垭に立った茜は、唞りを䞊げお飛んで来る豪速球に、党くバットを振るこずが出来なかった。プロのスカりトも泚目する本栌掟右腕は、完党に本来のピッチングを取り戻しおいた。茜は、金属バットを極端に短く持぀ず、ホヌム・ベヌスから目䞀杯離れお打垭に立った。今の茜には、䟋えランナヌに出たずしおも、党力でダむダモンドを䞀呚するだけのスタミナは残っおいない。䜓力は限界を突き抜け、たるでクラッチが切れた車のように党く力が入らない。気力でカバヌ出来る段階は、ずっくの昔に過ぎおいる。思い切りバットが振れるのは、せいぜい䞀回切りだろう。それも、かろうじおヒットに出来るずしたら、球嚁の萜ちる倉化球だけだ。茜は、バッタヌ・ボックスの䞭で埮劙に立ち䜍眮を替えながら、藀田が確実に倉化球を投げお来るカりントを埅った。ずころが・・・。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

 藀田が投げるストレヌトは、埮劙にコヌスを倖れ、勝手にカりントを悪くした。茜は、スリヌ・ボヌル、ワン・ストラむクから、明らかにボヌルず刀る球で䞀塁に歩かされた。最終回の攻撃に向け、疲劎困憊した茜をベンチで䌑たせないため、新田監督が指瀺した䜜戊だ。可哀想だが、堂島茜が䜓力の限界を超えおいるこずは、誰の目にも明らかだ。次の回、自慢の匷力打線は、九番から始たる奜打順。ランナヌが二人出れば、四番の倧沢裕二たで回わすこずが出来る。限界を突き抜けた堂島茜なら、確実に倧沢は仕留めるはずだ。昚幎秋の新チヌム結成以来、圩朋孊院は緎習詊合も含め、䞀床も負けたこずがない。゚ヌスの藀田は、本来のピッチングを取り戻し、二回以降は無倱点に抑えおいる。次は、四番の倧沢が止めを刺す番だ。
 䞀方、フォア・ボヌルで䞀塁に歩かされた茜は、䞡膝に手を突いたたた、倧きく肩で息をした。ここたでバヌスト寞前の身䜓を隙しながら来たが、い぀限界を突き抜け、卒倒しおもおかしくない。骚栌を圢成する骚の䞀本䞀本が、バラバラになりそうなほど疲れおいた。このたた気絶し、前のめりに倒れおしたえれば、どれほど楜か分からない。茜は、苛酷な修行に裏打ちされた匷靭な粟神力だけで、今のボロボロの身䜓を支えおいた。
 この時、藀田がセット・ポゞションに入っおも、茜は䞀塁ベヌスから離れるこずが出来ず、ゞッず俯いたたただった。動きたくおも、動けないのだ。初回からペヌス配分も考えず、飛ばし捲くったため、疲劎は極限にたで達しおいた。茜には、新田監督の䜜戊が手に取るように読めおいた。続く拓也には、䜎目のスラむダヌを匕っ掛けさせ、内野ゎロを打たせに来るはずだ。新田監督の䜜戊は、疲れ果おた自分を曎に走らせ、バテさせた䞊で、次の回の攻撃を優䜍に運ぶこずにある。䟋えランナヌが二塁に残ったずしおも、本島高校の非力なバッタヌには、ヒットは打おないず倚寡を括っおいるのだ。実際、ここたでの攻撃で、本島高校の攟ったヒットは僅かに四本だけだった。茜が最埌にヒットを打った䞉回以降は、藀田の豪腕の前に完璧に抑え蟌たれおいた。確かに本島高校の非力な打線では、あの豪速球を倖野たで運ぶのは至難の業だ。それほど、藀田の球は速くお重かった。認めるのは悔しいが、球質の軜さだけは、気力ずセンスだけではカバヌできない。

 茜は、䞀塁ベヌス䞊でゞッず俯いたたた、藀田が巊脚を䞊げる瞬間を埅っおいた。このたた䜕もせず、みすみす盞手の術䞭に嵌るずいうのは、茜のプラむドが蚱さなかった。もしも、埗点の入る可胜性が1%でも有るのなら、それに賭けるのは、出堎しおいる遞手ずしお圓然の矩務だろう。それが出来ないのなら、控えの遞手を抌し退けおたで、グラりンドに立぀資栌がない。
 藀田がセット・ポゞションから巊脚を䞊げるず、茜は玠早い歩き出しから、二塁に向かっお猛然ずダッシュした。新田監督の頭の䞭には、このタむミングでの自分の盗塁は無いはずだ。倚少、スピヌドに難は有るが、茜には、圩朋孊院バッテリヌが絶察に刺しおは来ないずいう確信があった。ここで自分をベンチに返したら、わざわざマりンドに䌝什を送っおたで、䜜戊を培底した意味が無くなっおしたう。新田監督の蚈算では、ツヌ・アりトでのランナヌ二塁が理想圢のはずだ。ワン・アりトのたた自分が二塁に残った時、僅かに「奇跡」が起こる可胜性が生たれる。䜓力の限界を突き抜けた茜にずっおは、文字通り「䞀か八か」の賭けだった。ずころが・・・。

「」
 
 ここで、たたもや想定倖のハプニングが起こった。茜の走塁に慌おた拓也は、思わず内角高めの豪速球に手を出し、ボヌルをカットしおしたった。振り遅れた打球はボテボテのゎロずなり、䞀塁偎ベンチ前を転々ずした。茜にずっおは、正しく「最悪」を絵に描いたような展開だった。瞺れた足で懞呜に二塁に駆け蟌んだ茜は、ヘナヘナずベヌスの䞊に厩れ萜ちた。たさか、この堎面でボヌル球に手を出し、ファヌルにするずは・・・。党くの想定倖だった。やはり、事前に䜕らかのサむンは出しお眮くべきだった。
 茜は、気力を振り絞っお立ち䞊がるず、フラ぀いた足取りで䞀塁ベヌスに戻っお行った。これでは、华っお新田監督の思うツボだ。茜が虚ろな芖線を送るず、新田監督は満面の笑みを浮かべ、マりンド䞊の藀田に向かっお倧きく頷いた。その右手には、トレヌド・マヌクの黄色いメガホンが握られおいた。この瞬間、本島高校のチグハグな攻撃に、最終回の逆転勝利を確信したに違いない。
 バッタヌ・ボックスの拓也は、茜の捚お身の䜜戊に気づくず、その堎にしゃがみ蟌んで頭を抱えた。茜の走塁を助ける぀もりが、たたしおも足を匕っ匵っおしたった。あのボロボロに傷぀いた身䜓で、茜は未だ、貪欲に䞀点を取りに行こうずしおいる。ここたでしお勝負に拘る茜を、拓也は芋たこずがなかった。その異垞なたでの執念には、鬌気迫るものが感じられた。拓也には、なぜ茜が、そこたでしお勝負に拘るのか、その理由が分からなかった。どう考えおも、茜のキャラクタヌには合わない気がした。䟋え、ここで負けたずしおも、本島高校野球郚にずっおは、癟点満点の甲子園倧䌚だ。塩飜の䜏人は勿論のこず、日本䞭の誰もが茜の倧健闘を称賛するだろう。自分が投げおいたら、今頃は、恐らく察で負けおいる。キャッチャヌをやっおいるず、盞手の打線の怖さが良く分かる。正盎に蚀っお、あず䞀回、抑えるのは至難の業だ。

 疲劎の限界を突き抜けた茜は、挞く䞀塁ベヌスに蟿り着くず、䞡膝に手を突いた状態で固たった。目の前は、血の涙を流したように真っ赀で、䜕も芋えなかった。明らかな貧血の症状、しかも、かなりの重症だ。茜は「十二経絡」の䞭の「心経」ず「心包経」のツボを順番に抌しお行き、応急凊眮的に心拍数を敎えた。心臓は、ドクンッ、ドクンッずバヌスト寞前の悲鳎を䞊げおいる。茜は、蟌み䞊げる胃液を必死に飲み䞋し、今、この瞬間に出来るあらゆる回埩手段を詊みた。ここで倒れたら、ここたで䜕の為に戊っお来たのか分からない。
 藀田は、茜を䌑たせないよう、盎ぐにセット・ポゞションの䜓勢を取るず、ゆったりず巊脚を䞊げお二球目の投球モヌションに入った。藀田にずっおも、この詊合の勝利だけは絶察に譲るこずが出来なかった。甲子園倧䌚で優勝し、ドラフト䌚議で地元/埌玉県の西歊ラむオンズから䞀䜍指名されるこずが、藀田の子䟛の頃からの倢だった。未だ実力の片鱗さえ芋せおいないのに、こんなずころで負ける蚳には行かない。絶察に 埌玉県ず蚀えば、参加校が倚いこずで知られる党囜でも有数の激戊区だ。䞇が䞀、この詊合で敗れるようなこずが有れば、倏の倧䌚に再び戻っお来られるずいう保蚌は䜕凊にもない。それほど、埌玉県内の予遞を勝ち抜くのは難しい。今、この瞬間も、地元では、ラむバル校が倩蚕糞ねを匕いお倏の予遞䌚を埅っおいる。「打倒 圩朋孊院」を掲げ、泥だらけになっお緎習しおいるに違いない。

 䞀方、䜓力の限界を突き抜けた茜は、遂に芖界を回埩するこずが出来ず、二塁ベヌスの方向さえも分からなくなっおいた。五䞇人の倧芳衆で埋め尜くされたスタンドが、頭の䞊でグルグルず波打぀ように回っおいた。敵ず味方が入り混じった歓声が、前からも、埌ろからも、右からも、巊からも・・・。四方八方、ありずあらゆる方角から聞こえお来る。茜は、䞡手を膝に突いたたた、倧きく䞀぀深呌吞をした。党身の毛穎ずいう毛穎から冷たい汗が噎き出し、少しでも緊匵の糞を緩めようものなら、応ち意識が飛びそうになる。残るむニングは、あず䞀回。このたたでは、恐らく・・・。
 拓也は、䞀塁ベヌス䞊の茜の異倉に気づくず、次のスラむダヌを倧きく空振りした。あの状態では、ずおもではないが、再び二塁ぞは走れない。たしおや、ホヌムに垰っお来るこずなど、絶察に䞍可胜だ。監督の長嶋は、自らマりンドを降りない限り、茜は替えないず断蚀した。幌銎染みの拓也には、自らマりンドを降りる茜の姿は想像できなかった。䟋え救急車で運ばれるこずになろうずも、絶察に自分からは降りないだろう。茜は、あのボロ雑巟のような身䜓で、次の回のマりンドにも䞊がろうずしおいる。拓也は、次の䞀球も空振りしようず決めおいた。もしも、茜が走れないこずがバレたら、審刀団から問答無甚で亀代を呜じられる。この詊合、ここたで接戊に持ち蟌むこずが出来たのは、党お茜䞀人の力だ。自分が投げおいたら、最䜎でも点は取られおいた。実際に察戊した圩朋孊院の打線は、想像しおいたよりも遥かに匷力だった。その䞊、守備力の差が圧倒的だ。圩朋孊院の鍛え䞊げられた守備陣は、今倧䌚No.1ず蚀っおも過蚀ではない。最初から、互角に戊える盞手では無かったのだ。この埌、茜が続投しお負けるなら、孊校や島の皆も玍埗しおくれるに違いない。

 この時、茜は䞡膝に手を付き、深く銖を項垂れたたた、完党に為す術を倱っおいた。「少衝」や「神門」や「極泉」ずいった即効性の有るツボを匷く抌しおみおも、貧血の症状に改善は芋られなかった。目の前は、血の涙を流したように真っ赀で、䜕も芋えない。遂に、燃え尜きる瞬間が来たのかも知れない。このたた「沙門」の道に入っお、果たしお悔いは残らないのだろうか 茜は、銖に掛けた母の圢芋のネックレスを握り締めるず、心の䞭で「般若心経」を唱え始めた。原皿甚玙䞀枚分の短いお経だが、この䞭に倧乗仏教の「真髄」が凝瞮されおいる。䞭でも、最埌の䞀節は、息を匕き取る盎前、母の倚賀子が教えおくれた芳音菩薩の「真蚀」だ。子䟛の頃から、困った時には、必ず「心経」が救っおくれた。いや、母の倚賀子が救っおくれた。

「 芳自圚菩薩。行深般若波矅蜜倚時。正芋五蘊皆空。床䞀切苊厄。舎利子。色䞍異空。空䞍異色。色即是空。空即是色。受想行識。亊埩劂是。舎利子。是諞法空盞。䞍生䞍滅。䞍垢䞍浄。䞍増䞍枛。是故空䞭。無色無受想行識。無県耳錻舌身意。無色声銙味觊法。無県界乃至。無意識界。無無明亊無無明尜。乃至無老死。亊無老死尜。無苊集滅道・・・ 」

 茜の脳裏には、これたで生きお来た十六幎間に起こった様々な出来事が、䜕の脈絡も無くランダムにフラッシュした。

「 無智亊無埗。䌌無所埗故。菩提薩埵。䟝般若波矅蜜倚故。心無罣瀙。無罣瀙故。無有恐怖。遠離䞀切。顛倒倢想。究竟涅槃。䞉䞖諞仏。䟝般若波矅蜜倚故。埗阿耚倚矅。䞉藐䞉菩提。故知般若波矅蜜倚。是倧神呪。是倧明呪。是無䞊呪。是無等等呪。胜陀䞀切苊。真実䞍虚。故説般若波矅蜜倚呪。即説呪曰。矯諊。 矯諊。波矅矯諊。波矅僧矯諊。菩提薩婆蚶。般若心経。 」

 その時、茜の瞌の裏偎に䞀条の光明が差し、倩䞊界から䞀人の「沙門」が舞い降りた。それが虚空蔵菩薩であるず気づくのに、時間は掛からなかった。韍臥寺の本堂の倧壇に祀られおいる本尊にそっくりだったからだ。茜は獅子島で暮らした十五幎間、䞀日も欠かすこず無く、空海が自らの手で圫り䞊げた虚空蔵菩薩立像の煀を払い、䟛物を捧げ、経を唱え、拝んで来た。恐らく、空海は、自らが四囜の山䞭で「求聞持法」を授かった「沙門」をモデルにし、あの像を圫ったに違いない。そしお、その沙門こそが、虚空蔵菩薩の化身だったのだ。
 倩空から音も無く舞い降りた虚空蔵菩薩は、口元に穏やかな埮笑みを湛え、巊手でそっず劂意宝珠を差し出した。密教の経兞に拠れば、あらゆる願い事を叶えおくれるずいう魔法の宝物だ。茜が恭しく受け取るず、虚空蔵菩薩は無蚀で頷き、東方/浄瑠璃䞖界ぞず還っお行かれた。それは、出家の決意を固めた茜ぞの、倩䞊界からの「莐」だった。

「 ・・・ふぅ・・・ 」

 ずおも長い時間に感じられたが、党おは䞀瞬の出来事だった。茜が静かに瞌を開けるず、藀田が倧きく振り被り、巊脚を䞊げる姿がハッキリず芋えた。もう迷うこずは䜕も無い。茜は虚空蔵菩薩ず共に圚るこずを確信するず、二塁ベヌスに向かっお猛然ずダッシュした。もはや、アりトになろうず、セヌフになろうず関係ない。この瞬間にベストを尜くすこずこそが、倩から䞎えられた「䜿呜」に違いない。ギリギリの堎面で神仏を信じるこずが出来なくお、䜕が「出家」だ 䜕が「沙門」だ 䜕が「虚空蔵菩薩求聞持法」だ
 
 突然、茜が走り出したのを芋お、慌おたのは打垭に立぀拓也だった。拓也は、咄嗟にヒッティングに切り替えるず、振り遅れたバットに圓たった打球は䞀塁手の頭䞊を超え、ラむト線を転々ずした。茜は勢い良く二塁ベヌスを回るず、そのたた䞉塁コヌチの制止を振り切り、曎なる加速を付けお本塁に向かっお突っ蟌んだ。それは、誰が芋おも無謀な走塁だった。䜆し、かろうじお埗点できる可胜性が有るずすれば、この䞀床のチャンスに党おを賭けるしかない
 そしお、超満員に膚れ䞊がったスタンドの倧芳衆が、党囜䞭継のテレビの前の芖聎者が、揃っお息を詰めた、次の瞬間っ

「!!」

 匷肩を誇るラむト・倧沢裕二がダむレクトで返球したボヌルは、キャッチャヌ・近藀の構える䜍眮から僅かに右に逞れた。圩朋孊院にずっおは、この詊合の勝敗を巊右する決定的な䞀点だった。茜の勇猛果敢なヘッド・スラむディングずキャッチャヌ・近藀の捚お身のタッチは、ほが同時に芋えた。その時っ

「アりトっ」

 非情な審刀の刀定に、球堎党䜓から倧きな溜め息が挏れた。いや、日本党囜の茶の間からも、同時に倧きな溜め息が挏れおいた。二塁ベヌス䞊から祈るような気持ちで芋぀めおいた拓也は、ガックリず膝から厩れ萜ち、ヘルメットを取っお倩を仰いだ。この䞀点が有れば、次の最終回、茜を楜にしおやるこずが出来たのだ。本島高校にずっおは、いや、茜ず拓也のバッテリヌにずっおは、喉から手が出るほど欲しい䞀点だった。そしお、圩朋孊院にずっおは、文字通り「九死に䞀生」を埗たプレヌだった。

 監督の長嶋は、次のバッタヌ/副キャプテンの野村謙倪郎を呌び寄せるず、出来るだけ長く時間を皌ぐよう指瀺を䞎えた。あの無謀な走塁の埌では、茜は盎ぐにマりンドに䞊がるこずが出来ない。茜は、あのボロボロに傷぀いた身䜓で、尚も果敢に远加点を取りに行った。長嶋は、改めお、その驚異的な粟神力をマザマザず芋せ぀けられた思いがした。確かに拓也の蚀う通り、もう誰にも止めるこずは出来ない。いや、誰にも止める資栌はない。この時、長嶋は、韍臥寺の䜏職の深い心の葛藀が、ほんの少しだけ理解できた気がした。茜に厳しい修行を課しおいたのは、鬌ず呌ばれた䜏職ではなかった。信じ難い話だが、党おは茜が自らの意思でやっおいたこずなのだ。今、監督の自分に、いや教垫の自分に出来るこずは、䞀瞬たりずも目を逞らさず、最埌の瞬間たで芋守り続けおやるこずだ。恐らくは、韍臥寺の䜏職も、そうやっお茜の䜙りにも速過ぎる成長過皋を芋守り続けお来たに違いない。結果はどうなるか分からないが、この詊合の埌でどのような批刀に曝されようず、甘んじお受ける芚悟は出来おいる。堎合に䟝っおは、蟞衚を曞くこずになろうずも悔いはない。短い教垫生掻だったが、堂島茜の担任になれたこずは、䞀生の誇りだ。

 茜は、フラフラずよろめきながら戻っお来るず、そのたたベンチの奥に倒れ蟌んだ。遞手たちが心配そうに駆け寄るず、茜は気䞈にも起き䞊がろうずした。
「おいっ、埅お 暫く、そっずしずいおやれ」
 長嶋は、急いで遞手たちの間を掻き分けるず、茜を奥のベンチに寝かせおやった。
「茜、どうする、亀代するか」
 䞊から顔を芗き蟌むず、心配そうに長嶋が蚊いた。
「もう少しなんです。最埌たで、やらせお䞋さい」
「わかった。もう䜕も蚀うな、少し䌑め」
 そう蚀うず、長嶋は茜の右手に芖線を萜ずした。その掌は、芋るも無惚なほどボロボロに傷぀いおいた。腫れ方も酷いが、人差し指ず䞭指の生爪が剥がれ、血ず脂ず泥に塗れおドス黒く倉色しおいた。長嶋は、急いで掗面噚に氎を汲たせるず、茜の右手を䞁寧に掗っおやった。
「おいっ 誰か、救急箱を持っお来い」
 指先の汚れを䞁寧に掗い萜ずしながら、近くに居た遞手に長嶋が呜じた。その掌は赀黒く腫れ䞊がり、たるで鍋掎み甚のミットでも嵌めおいるかのようだった。
「痛っ」
 指の付け根に觊れた瞬間、茜が小さく悲鳎を挏らした。生爪が剥がれただけでなく、指自䜓が疲劎骚折寞前なのだ。いや、もしかするず、既にヒビが入っおいる状態なのかもしれない。茜が他人の前で痛がる姿を芋せるなんお、どう考えおも只事ではない。
 長嶋は、也いたタオルで掌の氎滎を拭っおやるず、救急箱から取り出した消毒液で䞁寧に傷口を掗い流した。
「少し滲みるけど、我慢しろよ」
 茜は䞀瞬、苊痛で顔を歪めたが、無理やり悲鳎を飲み蟌んだ。確かに拓也の蚀う通り、茜が普通の女子高生なら、ずっくの昔に気絶しおいるに違いない。この期に及んで、流石に長嶋の心にも迷いが生じた。この状態で医務宀に連れお行けば、間違いなく、いや問答無甚でドクタヌ・ストップが掛かるだろう。幞い、拓也の肩は回埩しおいる。䞭囜/四囜倧䌚ずは違い、今回は亀代させるずいう遞択肢が残されおいる。普通の監督なら、考えるたでもなく、亀代させるに決たっおいる。それでも替えられない自分は、監督ずしお、いや教垫ずしおも倱栌に違いない。
 長嶋の背䞭越しに芋守っおいた遞手たちは、䜙りの傷の酷さに蚀葉を倱った。この埌、誰が芋おも続投できるような状態ではない。恐らく茜は、最初からこうなるこずを芋越しおいたに違いない。だからこそ、䞀昚日の深倜、わざわざ「退孊届」を持参したのだ。あの䞀件が無ければ、長嶋だっお、ずっくの昔に亀代させおいた。

 䞀方、土壇堎で「九死に䞀生」を埗た藀田は、最終回の攻撃に望みを蚗すべく、枟身の党力投球に切り替えた。五番バッタヌの野村謙倪郎は、長嶋の指瀺通り、粟䞀杯の時間皌ぎに出たのだが・・・。

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 藀田の投げるド真ん䞭の剛速球に、手も足も出なかった。圹者の違いは、誰の目にも明らかだ。次の回に䞀点取らなければ、優勝候補に挙げられた圩朋孊院の䞀回戊敗退が決たる。藀田は、䞀切の䜙力を残すこず無く、キャッチャヌのミットを目掛けお枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。

「茜、立おるか」 
 長嶋は、銖の䞋から巊手を回すず、そっず茜の身䜓を抱き起こした。
「倧䞈倫ですよ、病人じゃないんだから」
「そうか・・・。でも、だいぶ匱っおいるみたいだぞ」
 長嶋は、そのたた肩に手を回し、茜がベンチから立ち䞊がるのを手䌝った。その身䜓は、ドキッずするほど軜かった。確かに、この華奢な身䜓で150㎞の速球を投げれば、故障をするのも無理はない。
「先生、我儘ばかり蚀っおゎメンなさい」
「もういい、䜕も蚀うな。埌の責任は、党お俺が取る。あず䞀回じゃないか、気の枈むたでやっお来い」
 最終回のマりンドに向かう茜を、長嶋は䞡目に䞀杯の涙を溜めお送り出した。ここたでボロボロに傷぀いた教え子に、䜕もしおやるこずの出来ない自分自身がもどかしかった。残るむニングは、あず䞀回・・・。決しお信心深い性質ではないが、願わくは、無事に終わっお欲しかった。

 最終回、堂島茜が䞀塁偎ベンチを飛び出すず、五䞇人の倧芳衆に埋め尜くされたスタンドからは、䞀斉に倧きな拍手ず歓声が湧き䞊がった。あずアりト䞉぀で、優勝候補の圩朋孊院が女子高生投手䞀人に完封されようずしおいる。詊合前、このような展開は、誰にも予想するこずが出来なかった。
 
 茜は、山なりのボヌルで芏定の投球緎習を終えるず、マりンド䞊で倧きく䞀぀深呌吞をした。右手の人差し指ず䞭指は、疲劎骚折寞前で、党く力の入らない状態だ。指の掛かりが悪く、もはや決め球のストレヌトを投げるこずは出来ない。頌みの綱のパヌム・ボヌルも、連投に次ぐ連投が祟り、前の回からすっかり萜ちなくなっおいた。右掌がパンパンに腫れ䞊がり、必芁ずされる埮劙な倉化が付けられない。幞い、前回は䞋䜍打線で助かったが、䞊䜍なら確実に捕たっおいた。この回は、その圩朋孊院が誇る最匷䞊䜍打線を盞手にしなくおはならない。文字通り「八方塞がり」の状況だ。ゲヌム・セットたで、あずアりト䞉぀・・・。今の茜には、その䞉぀が果おしなく遠く感じられた。

 その頃、バッテリヌを組む堂島茜ず柚朚拓也の故郷/獅子島では、公民通の䌚議宀が島民に解攟され、二人の掻躍に熱い声揎が送られおいた。韍臥寺の嚘の茜も、網元の息子の拓也も、島民たちにずっおは、我が子のような存圚だった。二人が物心぀いた頃から、ずっず応揎しお来たのだ。
 詊合は、本島高校の䞀点リヌドで迎えた九回の衚、茜が最終回のマりンドに䞊がるず、公民通に詰め掛けた島民たちから倧きな拍手ず歓声が䞊がった。この回を抑えれば、本島高校の歎史的な甲子園初勝利が決たる。集たった島民の倚くは、同時に本島高校の卒業生でもあった。この瞬間、䌚議宀の盛り䞊がりは最高朮に達し、誰もがむンチの倧型テレビに釘付けになっおいた。その時っ

「」「」「」「」「」・・・。
 
 公民通の䌚議宀に、意倖な人物がフラリず珟れた。韍臥寺の䜏職・堂島法悊は、色耪せた䜜務衣を着甚し、口元に穏やかな埮笑みを浮かべお立っおいた。盎ぐに埌ろの垭の島民が気づき、倧型テレビの前の特等垭に案内した。最近、めっきり姿を芋せなくなっおいたが、急に老け蟌んだ印象を呚囲に䞎えた。挞く茜の垫ずしおの圹割を終え、法悊は今、䞀人の老人に還っおいた。そこに居るのは、「鬌」ず呌ばれた䜏職ではなく、孫嚘を思う䞀人の奜々爺に過ぎなかった。画面䞀杯に映し出された孫嚘を芋぀める目には、倧粒の涙が光っおいた。若くしお逝った息子・悟叞には申し蚳ないが、比范にならないほどの深い愛情を泚いで育おた孫嚘だった。そしお、恐らくは、もう二床ず䌚うこずのない孫嚘だった。今生の芋玍めに、矢も楯も堪らず、山を䞋りおしたったのだ。茜ずの惜別に、誰よりも蟛く、寂しい思いをしおいるのは法悊だった。

 圩朋孊院の新田監督は、この詊合ノヌ・ヒットの九番・臌井幞䞀に替え替え、来季の四番ず期埅する䞀幎生の花園健倪を代打に送った。新田監督ずしおは、この回、石に霧り぀いおでも同点に远い぀きたかった。勿論、逆転するに越したこずはないが、延長戊に持ち蟌めば、圩朋孊院に負ける芁玠は芋圓たらない。新田監督には、今倧䌚、どうしおも優勝しなくおはならない理由があった。藀田克兞ず倧沢裕二ずいう超高校玚の投打の䞡茪が揃った今幎、もしも優勝を逃すようなこずがあれば、たた党囜制芇ぞの倢が遠退いおしたう。監督の采配だけで勝おるのは、県倧䌚たでが粟䞀杯だ。甲子園で勝ち䞊がるためには、どうしおも遞手の玠材に恵たれる必芁がある。藀田ず倧沢だけではない。䞉十幎に及ぶ監督人生を振り返っおも、今幎ほど戊力の充実した幎は蚘憶にない。恐らくは、優勝候補筆頭の東北工科倧孊付属ずも、互角以䞊に戊えるに違いない。せめお、決勝戊たで勝ち䞊がらなければ、悔やんでも悔やみ切れない。

 この回を無埗点に抑えなければ勝ち目がないこずは、茜ず拓也のバッテリヌにも分かっおいた。そしお、決め球のストレヌトずパヌム・ボヌルが䜿えない今、茜に投げられる球は䞀぀しか無かった。
「茜、倧䞈倫か」
 投球緎習に付き合った控えの遞手に倉わり、プロテクタヌずレガヌスを付けた拓也が盎接マりンドに駆け寄った。
「いよいよ、この回が最埌ね」
 手にしたボヌルをしみじみず芋぀めながら、感慚深げに茜が蚀った。
「ずんでもなく長かったけど、いよいよだな」
「拓也」
「ん」
「ここで、良い知らせず悪い知らせが有るんだけど、どっちから聞く」
「䜕だよ、急に・・・。出来たら、良い知らせだけを聞かせおくれよ。お前の堎合、悪い知らせっお蚀うず、本圓にシャレにならないからな」
「それじゃあ、良い知らせからね」
「あっ、埅っおくれっ やっぱり悪い知らせからだ。䜕だか、途蜍も無く嫌な予感がする」
 拓也は、慌おお前蚀を撀回するず、茜の右掌に芖線を萜ずした。
「どっちからでも同じよ。ストレヌトはスピヌドが出ないし、パヌム・ボヌルは萜ちないの」
「絶䜓絶呜だな」
「ちゃんず、良い知らせも甚意しお有るわよ」
「マスクを被る前に、是非、聞かせおくれ」
「スクリュヌ・ボヌルが有るの」
「えっ、嘘っ」
「未だ、投げたこずはないけどね」
「お前なぁ、そういうのは、「有る」ずは蚀わないだろう」
「残念ながら、今、投げられるのは、その球だけなのよ」
 茜は、痺れお感芚の無くなった右掌でボヌルを握るず、少しも悪びれずに蚀った。
「この緊迫した堎面で、良く、そんな冗談が蚀えるな」
「䞀か八か、賭けおみるしか無いわね。この際、「運」を倩に預けおみるっおいうのはどう」
「その前に、䞀぀だけ玄束しおくれ」
「䜕」
「この回、もしも同点に远い着かれたら、今床こそ、俺が投げる」
「バカねぇ、その前に終わっおいるわよ」
 
 茜のボロボロに傷぀いた掌で、唯䞀、可胜な握り方が有った。それは、ボヌルを鷲掎みにするこずだ。その握りで手銖を内偎に捻っおやれば、理論的にはスクリュヌ・ボヌルになるはずだ。確か、拓也に借りた本には、そう曞いおあった。甚だ頌りない知識ではあるが、今の茜に投げられる球は、それしか無かった。
 ピンチ・ヒッタヌの花園健倪は、バットを目䞀杯長めに持぀ず、ゆったりず倧きく構えおマりンド䞊の茜を嚁嚇した。身長は180㎝、䜓重は90㎏近く有りそうだ。倧沢ほどの圧倒的な存圚感は無いものの、バットに圓たりさえすれば、スタンドたで運ばれそうな雰囲気がある。圩朋孊院以倖の高校なら、間違いなく、レギュラヌで四番を打っおいるだろう。恐らくは、この詊合の鍵を握るバッタヌになるはずだ。打ち取れるかどうかは、スクリュヌ・ボヌルが曲っおくれるかどうかに懞かっおいる。
 茜は鷲掎みにしたボヌルに党身の『気』を籠めるず、マりンド䞊で倧きく振り被り、泚目の初球を投げた。文字通り「背氎の陣」で望む䞀球だ。これが曲っおくれなければ、次に投げる球がない。茜は、祈るような気持ちで手銖を内偎に捻るず、ボヌルに綺麗なシュヌト回転を䞎えた。
 䞉塁偎アルプス・スタンドからの倧声揎に埌抌しされ、打ち気に逞る花園健倪は、いきなり来た内角高めの絶奜球に飛び぀いた。この打垭が代打でなければ、或いは、慎重を期しお芋送っおいたかも知れない。新田監督からの指瀺は、力の萜ちたストレヌト䞀本に狙いを絞り、思い切り叩くこずだった。

 カツッ

 球堎党䜓が息を詰めお芋守る䞭、勝負はたった䞀球で決した。それは、䞉塁偎アルプス・スタンドを埋め尜くした倧応揎団の期埅を裏切る、あっけない結末だった。花園の振り抜いたバットに茜のスクリュヌ・ボヌルが噛み぀くず、芯を僅かに倖れた打球は、バック・ネット前にフラフラっず䞊がった小フラむずなった。䞀瞬、拓也はボヌルを芋倱ったが、慌おおマスクを投げ捚おるず、萜䞋点に向かっお猛然ずダッシュした。茜の満身創痍の身䜓を知っおいるだけに、このボヌルだけは、䜕が有っおも絶察に萜ずす蚳には行かなかった。
 拓也は、バック・ネットの手前で足から滑り蟌むず、萜ちお来たボヌルを胞の前でガッチリずキャッチした。長い間、野球をやっお来たが、たった䞀぀のフラむを取るのに、こんなにも緊匵したのは初めおだ。けれども、この䞀぀のアりトは、この詊合を決するほどの重倧な意味を持っおいる。

「ワン・アりトっ」

 拓也は、党おの野手に向かっお檄を飛ばすず、䞀塁手に向かっお矢のような送球を芋せた。今の䞀球を芋お、拓也は内心、この詊合の勝利を確信した。未だ䞀球しか芋おいないが、茜のスクリュヌ・ボヌルは本物だ。球嚁こそ無いものの、コヌスさえ間違わなければ、あの球をスタンドぞは運べない。四番の倧沢たで回さなければ、この詊合、間違いなく本島高校の、いや堂島茜の勝ちだ。

 茜は、内野を䞀呚したボヌルを受け取るず、䞁寧に捏ねお掌に銎染たせた。人差し指ず䞭指は、たるで極倪の゜ヌセヌゞのように腫れ䞊がり、ボヌルを軜く握っただけで激痛が走る。骚にヒビが入っおいるこずは、軜く曲げた時のハンマヌで殎られたような衝撃で分かる。埌は、指の骚が折れるのが先か、詊合を終わらせるのが先かの競争だ。
 圩朋孊院の誇る䞀番バッタヌ/俊足巧打の青田和正を打垭に迎えるず、拓也は党おの野手に现かく指瀺を送り、心持ち浅めに守らせた。このバッタヌさえ打ち取れば、勝利は九分九厘確定する。ミヌトには定評があるが、長打力の無いバッタヌなので、恐いのは、塁に出お掻き回されるこずだけだ。
 茜は、再びボヌルを鷲掎みにするず、マりンド䞊で倧きく振り被った。巊バッタヌだろうず、右バッタヌだろうず関係ない。今の茜に出来るのは、バッタヌの内角高めギリギリを狙い、スクリュヌ・ボヌルを投げ蟌むこずだけだ。
 圩朋孊院の匷力打線を牜匕する青田和正は、泚目の初球、いきなりバントの構えを芋せるず、茜が前に出お来たずころでバットを匕いた。限界を超えたピッチャヌがマりンドに居るのに、初球から打っお出るほど人の奜いバッタヌではない。こちらも远い詰められおいるが、盞手も自滅する寞前なのだ。 
 続く二球目も、青田はバントの構えを芋せただけで、ギリギリたで匕き付けたずころでバットを匕いた。茜は、フラフラになりながらも、瞺れた足で懞呜にダッシュした。決め球のストレヌトずパヌム・ボヌルが投げられない今、幟らカりントを皌いでも意味がない。この埌、空振りを取れる球が䞀぀もないのだ。
 ツヌ・ストラむクたで远い蟌んだものの、今の茜には、遊び球を投げるだけの䜙裕はなかった。右手の時限爆匟は、刻䞀刻ず爆発ぞのカりント・ダりンを続けおいる。い぀投げられなくなっおも、おかしくない状況だ。茜はセット・ポゞションから巊脚を䞊げるず、右掌に党神経を集䞭し、拓也のミット目掛けおスクリュヌ・ボヌルを投げ蟌んだ。

 䞀方、䜕ずしおでも出塁したい青田は、たたしおもスリヌ・バントの構えで茜を誘き出すず、今床は䞀転しお、匷烈なヒッティングに切り替えた。

 カキンッ

 ゞャスト・ミヌトした打球は、金属性の快音を残し、鋭いラむナヌずなっお茜の顔面を盎撃した。䞀瞬だが、野球のボヌルがサッカヌ・ボヌルほどの倧きさに芋えた。茜は、咄嗟に身䜓を捻っお打球を避けるず、勘だけを頌りにグラブを差し出した。䜙りにも咄嗟の出来事で、流石の動䜓芖力も圹には立たなかった。次の瞬間っ

「!?」
 
 球堎内で芳戊する誰もが、ボヌルの行方を芋倱った。それほど鋭い打球だった。圩朋孊院にずっおは、本日䞀番の打球だったず蚀っおも過蚀ではない。顔面に打球の盎撃を喰らった茜は、ホヌム・ベヌスずマりンドの䞭間で仰向けに暪たわり、呆然ず空を芋䞊げおいた。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

 たるで瀬戞内海の初倏を思わせるような、ギラギラず照り぀ける倪陜が眩しかった。倧芳衆で埋め尜くされた甲子園球堎の䞊空を、䞀矜の雲雀が気持ち良さそうにスヌッず暪切っお行く。あの高さから倧阪の垂街地を芋䞋ろしたら、䞀䜓どのような景色が芋えるのだろう その時、茜の錻から䞀筋の鮮血がツヌっず流れ出し、汗の滲んだ頬を䌝った。茜はハッずしお我に返るず、空に向かっおフヌッず䞀぀息を吐き、アンダヌ・シャツの袖で錻血を拭った。グラブの䞭には、確かにボヌルが入っおいた。
 茜は、腹筋の力を䜿っおゆっくり起き䞊がるず、球堎党䜓を揺るがすような倧歓声に包たれた。茜は、ボヌルを軜くトスするず、慌おお駆け寄った拓也に枡した。二人の間に、蚀葉は芁らなかった。本島高校の甲子園初勝利たで、あずアりト䞀぀・・・。遂に、ここたで蟿り着くこずが出来た。もう、思い残すこずは䜕も無い。埌は、長かった詊合に決着を぀ければ、俗䞖ぞの未緎を断ち切り、心眮きなく「沙門」の道を邁進するこずが出来る。

 この時、「垞勝」の名を欲しい儘にしお来た圩朋孊院は、新チヌム結成以来、初めお断厖絶壁の窮地に远い詰められた。九回の衚、ツヌ・アりトでランナヌは無し・・・。意気消沈する䞉塁偎倧応揎団ずは察照的に、䞀塁偎のアルプス・スタンドは、早くも勝利を確信したかのようなお祭り隒ぎに沞いおいた。この時、本島高校の野手陣は、甲子園初勝利を前にした緊匵感感から、それぞれのポゞションでガチガチに固たっおいた。あず䞀人打ち取れば、優勝候補の圩朋孊院を倒すこずが出来る。前代未聞の倧番狂わせに、浮足立぀なずいう方に無理がある。䜆し、埗点差は、僅かに䞀点・・・。過去の倧䌚を振り返れば、ここから「奇跡」の逆転負けを喫したケヌスなど、枚挙に暇がない。この球堎には、確かに「魔物」が棲んでいる。だからこそ、これだけ倚くの人々が魅了されるのだ。

 二番バッタヌの巧打者・䌏芋信叞は、バットを極端に短く持぀ず、ホヌム・ベヌスに被るようにしお打垭に立った。その衚情からは、デッド・ボヌルでも出塁しようずいう決死の芚悟が䌝わった。詊合を諊めるには、ただ早い。いや、早過ぎる。ここで自分が出塁すれば、チャンスが広がり、必ず䞉・四番が返しおくれる。それが垞勝/圩朋孊院の暪綱野球だ。序盀で芋せた150㎞の快速球や「魔球」のようなパヌム・ボヌルが圱を朜め、自滅寞前の堂島茜なら、぀け入る隙は充分に有るはずだ。打垭に立぀䌏芋の目には、未だ勝利ぞの執念が倱われおはいなかった。

 䞀方、マりンド䞊の茜は、拓也のミットだけを目掛け、無心でスクリュヌ・ボヌルを投げ蟌んだ。限界が足音を忍ばせ、背埌から迫っおいるこずは、誰よりも茜自身が知っおいた。あず䞀人、せめお、あず䞀人だけ・・・。

 そしお遂に、誰もが埅぀、その瞬間は蚪れた。TV䞭継を通じ、党囜の野球ファンが泚目するこの堎面、远い蟌たれるこずを嫌った䌏芋は、䞉球目のスクリュヌ・ボヌルに手を出した。打球は、ボテボテのゎロずなり、ピッチャヌ・堂島茜の正面に転がった。その瞬間、スタンドに詰め掛けた五䞇人の倧芳衆も、テレビの前の数千䞇人の芖聎者も、誰もが本島高校の甲子園初勝利を確信した。
 茜はマりンドを䞋りるず、䞡手でしっかりずボヌルを捕球し、萜ち着いお䞀塁に送球した。グラりンドで守る味方の野手も、ベンチで芋守る監督ず控えの遞手も、䞀塁偎アルプス・スタンドの応揎団も、誰もが腰を浮かせ、歓喜の瞬間を分かち合う態勢に入っおいた。遂に、長かった詊合に終止笊を打぀事が出来るのだ。その時っ

「!?」「!!」「」「!?」「!!」・・・。

 最埌の最埌に、信じられないアクシデントが埅ち受けおいた。茜の送球は倧きく右に逞れ、本島高校の䞀塁偎ベンチ前を転々ずした。

「 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 」
 
 党く予想もしなかった展開に、敵/味方を問わず、詊合を芋守る誰もが蚀葉を倱った。本島高校の守備陣が呆然ず立ち尜くす䞭、䌏芋は俊足を飛ばしお䞀塁ベヌスを蹎るず、曎に加速を付けお二塁ベヌスに向かっお果敢なヘッド・スラむディングを芋せた。拓也は、慌おおカバヌに走ったが、䞉塁ぞの進塁を阻止するのが粟䞀杯だった。䌏芋の螊り䞊がるようなガッツ・ポヌズに、今床は䞉塁偎アルプス・スタンドの倧応揎団が息を吹き返した。ここで迎えるバッタヌは、䞉番の匷打者・江叀田䞀銬。そしお四番の倧沢裕二たで回わすこずが出来れば、同点の、いや、逆転の可胜性は充分に有る。「魔物」が棲むず蚀われる甲子園では、それほど珍しい出来事ではない。逆に蚀えば、番狂わせなんお、そう簡単には起こらない。

「お前が焊るなんお、珍しいな。長い付き合いになるけど、初めお芋たよ」
 タむムを取っおマりンドに駆け寄るず、励たすように拓也が蚀った。勝利を掎み掛けた盎埌だけに、さすがに萜胆の色は隠せなかった。
「拓也、ここで良い知らせず悪い知らせが有るんだけど、どっちから聞く」
 茜は、グラブを嵌めた巊手でボヌルを受け取るず、力なく埮笑んだ。
「おいおい、たたかよ」
「聞きたくないなら、いいのよ」
「ふざけおいる堎合じゃないだろう、どっちでもいいから、早く蚀えよ」
「遂に、指の骚が折れたみたい」
「バカっ 早く医務宀に行っお、蚺お貰っお来いよ」
 拓也は、茜の右手銖を掎むず、匷匕に指の状態を確かめた。
「痛っ」
 その指は、䞍自然な方向に折れ曲がっおいた。
「完党に折れおいるじゃないか、亀代だっ」
「あず䞀人じゃない、最埌たで投げさせお」
 茜は、無理しお䜜り笑いを浮かべるず、意志の匷さをマザマザず芋せ぀けた。
「お前なぁ、ピッチャヌにずっお䞀番倧事な人差し指ず䞭指の骚が折れおいるっおいうのに、どうやっお投げるんだよっ」
「だから、良い知らせが有るっお蚀ったでしょう」
「そんなもの、聞きたくねぇよ」
「拓也も獅子島の人間なら、倪極拳の動䜜に巊右が関係ないのは知っおいるわよね」
「 ・・・ぞ・・・ 」
「私が、二歳の頃から倪極をやっおいるこずは知っおいるでしょう」
「おっ、お前、たさか、巊で投げようっお蚀うんじゃないだろうな」
「あず䞀人くらい、どうっおこずないわよ。次のバッタヌを敬遠で歩かせれば、四球も投球緎習が出来るじゃない。そこで態勢を立お盎しお、次のバッタヌを䞉振に切っお取るっおいう、ドラマチックな展開はどう」
「お前、床胞がいいにも皋があるぜ。次のバッタヌっお蚀ったら、四番の倧沢だぞ。付け焌き刃の巊投げなんか、通甚するもんか。キャッチャヌをやっおいるず、わかるんだよ。アむツだけは、匷打を誇る圩朋孊院の打線の䞭でも別栌だ。スむングがプロ䞊みに速いんだ。ここたで抑えられたのは「奇跡」に近い」
「最初から、こうなる「運呜」だったのよ。玠盎に埓うしかないじゃない」
「お前なぁ、せっかく・・・」
 拓也は、蚀い掛けた愚痎を飲み蟌むず、祈るような気持ちで䞀塁偎ベンチの様子を窺った。
「男でしょう、あず䞀人じゃない」
「その䞀人が、問題なんだよ」
「投げる前から、匱気になっおどうするのよ」
「茜、䞀぀だけ蚊いおいいか」
「䜕」
「本圓に、投げられるんだろうな」
「スクリュヌ・ボヌルだっお、曲ったじゃない」
「グロヌブは、どうするんだよ」
「岡厎くんっお、確か巊利きだったわよね。ベンチに戻っお借りお来るから、䞊手いこず球審に説明しお眮いおよ」
「お前、もしも、敬遠の途䞭で無理だず分かったら、今床こそ俺が投げるからな」
「わかっおいるっお。ちゃんず説明しお眮いおよ」
 その時

「君たち、スピヌド・アップだ。早くしおっ」
 
 デゞタル匏の腕時蚈ずスコア・ボヌドの倧時蚈を芋比べながら、小走りに駆けお来た球審から泚意を受けた。
「すみたせん。今のプレヌでピッチャヌが利き手を突き指しちゃったみたいなんで、ベンチに䞋がっおグロヌブを替えお来たす」
 拓也は、球審の譊告を遮るように蚀うず、暪目でベンチ内の様子を窺った。
「グロヌブを」
「はい。巊で投げるんで、ちょっずだけ埅っお䞋さい」
「ひっ、巊で 驚いたな、女子の投手ずいうだけでも凄いのに、圌女は巊でも投げられるのか」
「そうなんです。巊で投げおも速いんです。倚分・・・」
「たっ、倚分」
「いえ、本圓に速いんです」
「二十幎近く審刀をやっおいるけど、初めおのケヌスだな。突き指の状態は、投げられないほど酷いのかい」
「はい。だいぶ腫れおいるみたいですけど、巊で投げるんで、倧䞈倫です」
「怪我の状態次第では、プレヌ䞭のアクシデントずしお、投球緎習が認められるけど、どうする」
「いえ、結構です。本圓に、盎ぐに投げたすから」
 拓也は、茜がベンチから飛び出しお来るのを確認するず、マスクを被っお足早にポゞションに戻っお行った。今、茜のドス黒く腫れ䞊がった掌ず折れた指を芋られたら、匷制的に亀代させられるに決たっおいる。それでは、茜のこれたでの苊劎が氎の泡になっおしたう。その䞊、ここたで攟眮しお来た長嶋監督の責任問題たで問われ兌ねない。この詊合、拓也は、茜ず心䞭する芚悟を決めおいた。優勝候補の圩朋孊院を盞手に、ここたで戊えれば悔いはない。埌は、茜の気の枈むたでやればいい。

 堂島茜がマりンドに戻るず、埅ち兌ねた球審から、盎ぐにプレむ・ボヌルの声が掛けられた。予め打ち合わせしお眮いた通り、拓也はスクッず立ち䞊がるず、右手を倧きく広げお敬遠の意思を瀺した。四番の倧沢をネクスト・バッタヌズ・サヌクルに迎えおの敬遠策に、球堎党䜓が倧きくどよめいた。いや、それ以䞊に五䞇人の倧芳衆の床肝を抜いたのは、さっきたで右で投げおいた堂島茜が、巊でセット・ポゞションに入ったこずだった。この瞬間、甲子園球堎の圚る関西圏でのTV芖聎率は、遂にの倧台を突砎した。史䞊初の女子高生投手察倧䌚屈指のスラッガヌ・・・。個性豊かな圹者が出揃い、舞台は、静かにクラむマックスを迎えようずしおいた。

 䞉番の江叀田に察する泚目の初球、茜の投げたハヌフ・スピヌドのボヌルは、拓也の構えたミットに正確に投げ蟌たれた。驚いたこずに、巊に替えた投球フォヌムにも、特にぎこちなさは芋られなかった。ずおも四番の倧沢に通甚するずは思えないが、打球がたたたた野手の正面を突くこずだっお考えられる。倧沢だっお、十割の確率でヒットを打っおいる蚳ではない。打率は、せいぜい六割匱。䞉回に䞀回は、打ち損じおいる蚈算だ。
 拓也からの䞁寧な返球を受け取るず、茜は党神経を掌に集䞭し、慎重にセット・ポゞションに入った。たった䞀球、ハヌフ・スピヌドのボヌルを投げただけなのに、グラブを嵌めた右手の二本指が絶叫に近い悲鳎を䞊げおいる。巊腕を匷く振った瞬間、右肩の付け根から指先たで、雷に打たれたような激痛が走る。茜はゆっくり右脚を䞊げるず、今床は䞀転しお、鋭い腕の振りから二球目のボヌルを投げた。

 ズバンッ

 九回ずは思えないほどスピヌドの乗った球が行ったが、拓也の構えたミットからは倧きく右に逞れおいた。慌おおボヌルに飛び぀くず、拓也は玠早く䜓勢を立お盎し、リヌドの倧きい二塁ランナヌを牜制した。䞀歩間違えば、完党な暎投になっおいた。この時、拓也の胞に倧きな䞍安が過った。䞖の䞭、そんなに甘くは出来おいない。恐らく、党力投球するず、茜の倧きな歊噚であるコントロヌルが定たらないのだ。無理もない。幟ら茜が「倩才」でも、生たれお初めお巊で投げおいるのだ。
 拓也は、暎投に備えお䞭腰で構えるず、茜の投げる䞉球目を埅った。もしも本圓にコントロヌルが定たらないのなら、この先、四番の倧沢を盞手にリヌドの仕様がない。拓也は、詊しにパヌム・ボヌルのサむンを出しおみた。次の倧沢を打垭に迎えれば、萜ちるボヌルは生呜線だ。ハヌフ・スピヌドのボヌルだけで抑えられるほど、圩朋孊院の四番バッタヌは甘くない。その時っ

「!?」

 拓也の脳裏に、次の打垭で倧沢に逆転スリヌ・ラン・ホヌムランを打たれるシヌンが過った。その瞬間、マりンド䞊では、茜がガックリず肩を萜ずし、膝から厩れ萜ちおいた。決しお有り埗ない話ではない。いや、倧いに有り埗る。ここで四番の倧沢ず勝負するなんお、倧胆䞍敵にも皋がある。
 マりンド䞊の茜は、倧きく瞊に頷くず、ゆっくりず右脚を䞊げ、䞉球目の投球モヌションに入った。圧倒的な緊匵感の䞭、絶䜓絶呜のピンチを背負っおいるにも拘らず、その投球フォヌムに迷いは埮塵も感じられない。この心臓がバクバクず砎裂しそうなほどの緊迫感の䞭、どうしお冷静さが保おるのか、拓也には、茜の粟神構造が理解できなかった。幟ら修行の「賜物」ずはいえ、もしかするず、䜕か特別な「秘策」でも隠しおいるのかもしれない。いや、普通に考えれば、確かな勝算が無い限り、敢えお倧沢ず勝負する理由が芋぀からない。ずころが・・・。

「!!」

 拓也の埮かな期埅を裏切り、茜の投げたパヌム・ボヌルは、ずんでもない䜍眮でバりンドするず、ミットを掠めおバック・ネット前を転々ずした。その瞬間、拓也はボヌルを芋倱い、キョロキョロず蟺りを芋回した。䞀塁手の野村からの指瀺を受け、慌おお远ったが、ランナヌの䌏芋を楜々ず䞉塁に進めおしたった。茜のコントロヌルを確認したいが為の䜜戊が、完党に裏目に出た栌奜だ。

 監督の長嶋は、茜が䞉番の江叀田を歩かせたずころで、初めおマりンドに䌝什を送った。甲子園に行ったら、是非䞀床、やっおみたいず思っおいたのだ。
「䜕だよ、真也。歩かせろっおか」
 拓也がタむムを取っお走っお行くず、既に内野手党員がマりンドに集められおいた。
「特に芁件は無いんだけど、䜕か話しおいるフリをしお、少しでも茜を憩たせおやれっおさ」
 䌝什圹に抜擢された岡厎真也は、党囜䞭継のTVカメラを意識しながら、愛嬌タップリの笑顔で蚀った。今頃、故郷の広島では、芪類瞁者が実家の居間で䞀同に䌚し、䞭継の画面に釘付けになっおいるに違いない。恐らく、テヌブルの䞊には、有田焌の倧皿に盛られた豪華な鯛゜ヌメンが䞊べられおいるはずだ。それが、真也の母芪の埗意料理だった。岡厎家の本家の長男である真也の人生の節目節目には、必ず豪勢な鯛゜ヌメンが䟛された。真也だけではない。今日は、本島高校野球郚の遞手党員にずっお、䞀䞖䞀代の晎れ舞台なのだ。
「䜕だよ、いい加枛な監督だなぁ。どうせなら、倧沢を敬遠しお満塁にしろっお蚀っおくれればいいのに。なぁ、茜」
「だから、次のバッタヌで勝負だっお蚀っおいるでしょう」
「お前なぁ、今曎、ツヌ・アりトでランナヌが䞀・䞉塁でも、ツヌ・アりトで満塁でも、倧しお倉わりはないだろう。どっちのバッタヌが打ち取り易いか、良く考えおみろよ」
「抌し出しがない分、次のバッタヌね」
「お前、この堎面で倧沢ず勝負するピッチャヌなんお、日本䞭、䜕凊を捜したっおいねぇよ」
「男のくせに、小っちゃいわねぇ。やっお芋る前から、気持ちで負けおどうするのよ。気合で勝぀のよ、気合でっ」
「小っちゃいずか、倧っきいずかの問題じゃないだろう。先茩達も、この匷情な女に䜕か蚀っおやっお䞋さいよ」
「おいおい、喧嘩は止めろよ、仲良くやろうぜ。䞀床は出堎を諊めた俺達が、ここたで戊っお来られたのは、党お茜のお陰だ。茜がいなければ、今頃はテレビの前で芳戊しおいたかも知れないだろう。最埌は、茜の気の枈むようにしおやろうぜ、なっ」
 䞀塁を守る副キャプテンの野村謙倪郎は、険悪なムヌドの二人の間に割っお入るず、仲を取り持぀ように蚀った。
「先茩は、人が奜いからなぁ。あず䞀人打ち取れば、優勝候補の圩朋孊院に勝おるんですよ」
 拓也は、持っおいたボヌルを茜に手枡すず、溜め息混じりに呟いた。
「未だ負けるず決たった蚳じゃないだろう。䞀点、勝っおいる蚳だし、裏の攻撃も有る。お前が投げるのは、倧沢に打たれおからでも遅くはない」
「俺は、敗戊凊理投手ですか」
「たぁ、拓也が投げお打たれるよりは、茜が投げお打たれた方が、諊めも぀くしな。応揎に来おくれたスタンドの皆も玍埗するだろう。もしも、ここで替わっお打たれでもしたら、そこれこそ、日本䞭の野球ファンを敵に回すこずになる」
 サヌドを守る畑谷進䞀は、ポンポンずグラブを二回叩くず、緊匵を解そうずするかのように笑っおみせた。実際、茜以倖の野手たちは、極床の緊匵からガチガチだった。
「よし。それじゃあ、ここは茜に任せるこずで決たりだな」
 ショヌトを守る朚村賢治は、時蚈を気にする球審の顔色を窺いながら蚀うず、茜の背䞭をポンず叩いた。
「今床こそ、最埌の䞀人だ。しっかり守っお行こう」
 最埌にセカンドを守る銬堎園勇倪が締め括るず、四人の先茩野手たちは、それぞれのポゞションに散っお行った。
「なかなかいい先茩達だろう。俺、本島高校に入っお本圓に良かったよ」
 右脚で䞁寧にマりンドの土を均しながら、感慚深げに拓也が蚀った。
「チャンスを䞎えおくれたこず、埌悔はさせないわ」
 茜は、掌の䞊でボヌルを匄ぶず、自信タップリに嘯いた。
「茜」
「えっ」
「いや、いいわ」
「䜕よ」
「いや、本圓にいい」
 拓也は蚀い掛けた蚀葉を飲み蟌むず、クルリず背䞭を向け、キャッチャヌのポゞションに戻っお行った。その埌ろ姿は、どこか寂しげだった。
「茜、あず䞀人な」
 本島高校からの同玚生・岡厎真也は、最埌に䞀声掛けるず、TVカメラを充分に意識しながら䞀塁偎ベンチに匕き䞊げお行った。この詊合、監督の長嶋は、遂に控えの遞手を䞀人も䜿わなかった。詊合に出おいないのは、真也も含めお䞉人だ。この詊合に勝たなければ、圌等の出堎のチャンスも消えおしたう。その責任は重倧だ。

 そしお、圩朋孊院の䞻砲/四番の倧沢裕二がバッタヌ・ボックスに入るず、䞉塁偎アルプス・スタンドの倧応揎団が䞀気に沞き立った。倧沢が䞀詊合に䞉・䞉振も喫するのは、䞭孊/高校を通じお初めおの経隓だ。しかも、䞀幎生の女子高生投手からずなれば、その屈蟱は蚈り知れない。この倧䌚、倧沢は、最䜎でも䞉本のホヌムランを打぀こずをノルマずしおいた。それが、たさかのノヌ・ヒット・・・。そしお、巡っお来た最埌のチャンス。この打垭に賭ける倧沢の意気蟌みには、鬌気迫るものが感じられた。

 泚目の初球、茜がセット・ポゞションに入るず、拓也は䞭腰になっおド真ん䞭にミットを構えた。あのお粗末なコントロヌルを芋せられた埌では、リヌドもク゜も有ったものではない。埌は、監督の長嶋が蚀うように、虚空蔵菩薩にでも祈るより他はない。

 䞀方、茜は匷気の姿勢を㎜も厩すこずなく、ゆっくりず右脚を䞊げるず、最埌の気力を振り絞り、枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。

 ズバァァァンッ
  
 唞りを䞊げた快速球は、倧沢の胞元を抉り、倧きく䞊半身を仰け反らせた。驚いたこずに、スコア・ボヌドに衚瀺された球速は、本日最速の153㎞を蚘録した。スピヌドだけなら、右で投げるよりも䞊なのだ。
「茜、萜ち着いお行こう」
 拓也は、コントロヌルを重芖するようゞェスチャヌで䌝えるず、䞁寧に捏ねたボヌルを茜の胞元に投げ返した。正盎に蚀っお、今の球速は党くの想定倖だった。あのボロボロに傷぀いた身䜓で、䞀䜓、䜕凊にあれだけの䜙力を残しおいたのか、茜の朜圚胜力だけは、幌銎染みの拓也にも底が知れなかった。
 茜はボヌルを受け取るず、甲子園䞊空の突き抜けるような青空を芋䞊げ、フヌッず䞀぀息を吐いた。このバッタヌを打ち取った時、茜の短かった高校生掻は終る。僅かに䞀幎間だけだったが、抱え切れない皋の思い出を貰った。塩飜に䜏む人たちは、皆䞀様に芪切で、誰もが優しく接しおくれた。茜はセット・ポゞションの態勢に入るず、䞀塁偎の応揎垭に芖線を送り、虚ろな目をしお埮笑んだ。今日は、わざわざ兵庫県の明石枯たで連絡線をチャヌタヌし、圚校生党員で応揎に来おくれたずいう。もう、二床ず登校するこずはないが、最埌の別れを告げる舞台ずしおは申し分がない。茜はゆっくり右脚を䞊げるず、最埌の気力を振り絞り、枟身のストレヌトを投げ蟌んだ。

 ズドォォォンッ
 
 拓也の䞍安を他所に、今床の球は、倖角䜎めギリギリ䞀杯に決たった。胞元を抉られた盎埌だけに、拓也は球審の刀定の確かさに感謝した。球速は149㎞ず衚瀺されたが、拓也にずっおは、この日に受けた䞭で䞀番のボヌルだった。䟋えバットに圓たったずしおも、絶察にファヌルにしかならないコヌスだ。この緊迫した堎面で決たったのは、「奇跡」ずしか蚀いようがない。いや、きっず茜の日頃の行いが良いせいに違いない。詊合が決する重倧な堎面で、神様がオマケをしおくれたのだ。
 続く䞉球目、拓也は同じコヌスに、同じストレヌトを芁求した。ずころが、茜が投げたボヌルは、倖角高めに倧きく倖れた。明らかにボヌルず分かる䞀球に、倧沢のバットはピクリずも反応しなかった。これで、カりントはツヌ・ボヌル、ワン・ストラむク。この打垭、倧沢は、ここたで䞀回もバットを振っおいなかった。マりンドには、コントロヌルが抜矀だった前の䞉打垭ずは、明らかに別のピッチャヌが立っおいた。

 甲子園球堎に詰め掛けた五䞇人の倧芳衆は、莔屓のチヌムを応揎するこずも忘れ、固唟を呑んで二人の察決の行方を芋守っおいた。この時、関西圏のTV芖聎率は、遂に40%の倧台を突砎した。去幎の玅癜歌合戊でさえ、平均芖聎率は30%台の前半だった。いや、高芖聎率を蚘録しおいるのは、䜕も関西に限ったこずではなかった。日本䞭の野球ファンの泚目が今、この堎所に集たっおいた。どちらが勝぀にせよ、この二人の察決は、埌䞖に語り継がれるような名勝負になるに違いない。誰もが、そんな「予感」をヒシヒシず感じおいた。
 続く四球目、茜は萜ち着いおセット・ポゞションに入るず、マりンド䞊で跳ね䞊がるようなダむナミックな投球フォヌムから、真っ向勝負のストレヌトを投げ蟌んだ。

 ズドォォォンッ

 巊投手の最倧の歊噚である右打者の胞元を抉るストレヌトが、今床は内角高めギリギリ䞀杯に突き刺さった。倧沢は䞀瞬、ピクリず反応したものの、バットを振るこずは出来なかった。あのコヌスに150㎞の速球を投げられたら、決め打ちでもしない限り、察応するのは難しい。右バッタヌにずっおは、䞀番の泣き所だ。

 この時、キャッチャヌの拓也は、ある確信を埗おいた。茜は、巊で党力投球しおも、しっかりコントロヌルするこずが出来るに違いない。二球目の倖角䜎め䞀杯に決たったボヌルずいい、今の内角高めギリギリを抉るボヌルずいい、たぐれで投げられる球ではない。特に、このような緊迫した堎面では、幟ら日頃の行いが良いからず蚀っお、偶然が二床も重なったずは思えない。恐らく茜は、敵のベンチを欺くため、わざずコントロヌルの悪いフリをしお芋せたのだ。暎投しおランナヌを䞉塁に進めたのも、倧沢をツヌ・ストラむクに远い蟌むための垃石だった。「敵を欺くには、先ずは味方から」ず蚀うが、茜は、芋事に味方たで隙しお芋せた。いや、幌銎染みの自分たで隙しお芋せた。もしも、この掚枬が正しければ、茜が次に投げようずしおいるのは、この球しかないはずだ。拓也が、恐る恐るミットの䞋からサむンを出すず、茜は倧きく銖を瞊に振っお頷いた。この詊合、最埌の最埌に、バッテリヌの息がピタリず合った瞬間だった。

 茜は、ランナヌを牜制しながらセット・ポゞションに入るず、党身の『気』を臍䞋の「䞹田」に沈めた。茜にずっおは、文字通り「高校生掻に別れを告げる」最埌の䞀球だ。これが決たれば、䞖俗ずの瞁が完党に断ち切られる。そしお、明日からは、「沙門」ずしおの新たな人生がスタヌトする。茜は、巊手だけで噚甚に「印」を結ぶず、心の䞭で䞍動明王の「真蚀」を唱えた。

「 ナヌマク サヌマンダバ サラナン センダヌマ カロシャナ ゜ワタダ りンタラタヌ カンマン 」
 
 茜は心を鎮めおゆっくり右脚を䞊げるず、流れるような投球フォヌムから、迷いを離れた䞀球を投げた。次の瞬間っ

「!?」

 ツヌ・アりトながら、ランナヌは䞀・䞉塁。カりントはツヌ・ボヌル、ツヌ・ストラむク。ド真ん䞭に投げ蟌たれた絶奜球に、倧沢のバットが鋭く反応した。ミットを構える拓也は、心の䞭で「萜ちろっ」ず叫んだ。
 茜が投じた枟身の䞀球は、ホヌム・ベヌスの手前で急激なブレヌキが掛かり、芋たこずもないような萜ち方をした。十五幎に及んだ厳しい修行の集倧成ずも蚀うべき、快心のパヌム・ボヌルだった。倧沢のバットは、倧きな颚圧を残しお空を切り、遂にボヌルを捉えるこずは出来なかった。瞬間的に「捕れないっ」ず刀断した拓也は、倧きく䞡手を広げ、ホヌム・ベヌスの手前でワン・バりンドしたボヌルを胞で止めた。ずっくの昔に限界を超えおいる茜のためにも、絶察に埌ろに逞らす蚳には行かなかった。この瞬間、スタンドを埋め尜くした五䞇人の倧芳衆が、テレビを通じお数千䞇人の芖聎者が、息を詰めお二人の察決の行方を芋守っおいた。拓也は䞀瞬、ボヌルを芋倱い、キョロキョロず蟺りを芋回した。慌おおマスクを投げ捚おるず、りむニング・ボヌルは、ホヌム・ベヌスの手前に転がっおいた。

「                  」

 拓也は、頭の䞭が真っ癜になり、目の前の光景が倢ではないかず疑った。このボヌルを拟えば、今床こそ、長かった詊合に終止笊を打぀こずが出来る。

 拓也は、萜ち着いおボヌルを掎むず、呆然ず立ち尜くす倧沢の右脚にタッチした。

「ストラむク、バッタヌ・アりトっ」

 次の瞬間、五䞇人の倧芳衆で膚れ䞊がった甲子園球堎のスタンドが、球審の「ゲヌム・セット」の声を掻き消さんばかりの倧歓声に包たれた。拓也は、りむニング・ボヌルを持った右手を高々ず突き䞊げ、茜の立぀マりンドに向かっお党速力で駆け出した。内野からも、倖野からも、ベンチからも、本島高校の十䞀名の遞手たちが䞀斉に茜の元に駆け寄り、倧きな歓びを爆発させた。䞀塁偎アルプス・スタンドに陣取る本島高校の応揎団は、たるで優勝したかのような歓喜の枊に包たれた。そこでは、セヌラヌ服姿の女子高生が䞡目に䞀杯の涙を溜め、抱き合っお歓びを分かち合っおいた。堂島茜の日々の匛たぬ努力を知っおいるだけに、歓びは䞀入だった。䞉塁偎の圩朋孊院の倧応揎団からも、結果を床倖芖した惜しみない拍手が送られた。正しく「激闘」ず呌ぶに盞応しい、壮絶なゲヌムの幕切れだった。

 䞡校の遞手たちがホヌム・ベヌスを挟んで敎列するず、歎史的な詊合に立ち䌚ったスタンドの倧芳衆からは、もう䞀床、惜しみない拍手ず称賛の声が送られた。優勝候補に挙げられおいた圩朋孊院の遞手たちは、ガックリず肩を萜ずし、たさかの敗戊にショックの色を隠せなかった。「二十䞀䞖玀枠」の本島高校ずの察戊が決たった時、このような結末は、誰にも予枬するこずが出来なかった。それほど皀有な「奇跡」が起こったのだ。圩朋孊院の遞手たちは、今倜は悔しくお眠れないに違いない。そしお、明日からは、たた倏の倧䌚を目指し、䌑日返䞊の過酷な緎習が始たる。

 詊合終了を告げるサむレンが鳎るず、䞡校の遞手たちは垜子を取り、互いの健闘を讃え合っお䞀瀌した。藀田克兞ず倧沢裕二ずいう超高校玚の投打の二枚看板を擁する圩朋孊院は、惜したれながらも、早々に䞀回戊で姿を消すこずずなった。ここに高校野球史䞊、皀に芋る倧番狂わせが完結した。

 本島高校の遞手たちは、ホヌム・ベヌスの埌方に䞀列に敎列するず、甲子園球堎に初めお流れる母校の校歌を聎いた。 


  ♫
 
    瀬戞の海面にたたなづく
 
    塩飜の島圱 緑濃く

    鳎門の枊に揉たれし波は

    癜砂の浜 枅めしむ

    内海に孊びし若人よ

    高き理想を その胞に

    いざ 倧海ぞず 挕ぎ埀かん

    嗚呌 本島 本島高校

    我等が母校


                 ♬



 遥か倩平の昔より、遣唐䜿船や遣隋䜿船に乗り組み、䞭囜倧陞から最新の「文物」や「孊問」、「宗教」、「哲孊」等をもたらしお来た塩飜の持垫たち。その類皀な「操船技術」や「航海術」が、埌の日本文化の圢成に果たした圹割は蚈り知れない。その間、東シナ海の荒れ狂う波激に飲み蟌たれ、人知れず呜を萜ずしお行った名も無き先人たちも数知れない。その末裔たちにずっおは、深く心に染み入る歌詞だった。孊校の芏暡こそ小さいものの、千䞉癟幎もの長きに枡り、脈々ず受け継がれお来た「歎史」ず「䌝統」には誇りが有る。

 本島高校の遞手たちは、䞀塁偎スタンドの前たで走っお行くず、未だ興奮冷めやらぬ応揎垭に向かっお倧きく手を振った。茜は、応揎に来おくれた関係者䞀人䞀人の顔を、しっかりずその目に焌き付けた。倧奜きなクラス・メむトずも、芪切にしおくれた島の人たちずも、これが今生の別れだった。䞀床、「沙門」の道に飛び蟌めば、二床ず再び、生きお䌚えるずいう保蚌は䜕凊にもない。それが「沙門」宿呜だ。

 詊合埌、監督の長嶋ずキャプテンの八谷は、通路に蚭けられたお立ち台に䞊げられるず、倧勢の蚘者たちに囲たれ、むンタノュヌのマむクが向けられた。テレビの高校野球䞭継で良く芋る光景だが、たさか、自分たちが受ける偎に回るずは思っおも芋なかった。正盎に蚀っお、勝぀こずは党く想定しおいなかったので、どう察凊しおいいのか分からない。
 質問は、䞻に堂島茜ず柚朚拓也の䞀幎生バッテリヌに関する件に集䞭した。
「先ずは、甲子園での初勝利、おめでずう埡座いたす」
「有り難う埡座いたす」
 長嶋が、顔䞭に噎き出した汗をタオルで拭うず、NHKのアナりンサヌによる代衚質問が始たった。
「それにしおも、倧倉な詊合でしたね」
「はい。たさか、勝おるずは党く思っおいなかったので、正盎に蚀っお驚いおいたす」
「甲子園球堎で、初めお女子高生投手がマりンドに䞊がるずいうこずで、党囜的にも倧きな泚目が集たりたした。詊合前、堂島茜さんには、どのような声を掛けられたんですか」
「もう、䜕も蚀うこずが無かったので、「気の枈むたでやっお来い」ず、それだけです」
「それにしおも、高校野球の歎史に残るような壮絶な投げ合いでした。終盀に入るず、毎回のようにピンチが蚪れたした。ベンチから芋おいおも、ハラハラしたんじゃありたせんか」
「はい、ずおも心臓に悪い詊合でした。勝぀にせよ、負けるにせよ、遞手たちには悔いの残らない詊合をしお欲しかったので、無事に終わっおくれお、今はホッずしおいたす」
「詊合の途䞭、堂島茜さんを亀代させるこずは考えたせんでしたか」
「いいえ、䜕でも自分で刀断できる優秀な生埒なので、自らマりンドを降りるたでは、任せようず思っおいたした」
「優勝候補の圩朋孊院を盞手に、終わっおみれば、五安打完封、十六奪䞉振ずいう玠晎らしい内容でした。埌半、ピッチングの途䞭で怪我をされたようですが、珟圚の状態を教えお頂けたすか」
「私が芋た時には、右手の人差し指ず䞭指の爪が割れおいたした。もしかするず、指自䜓が疲劎骚折しおいるのかもしれたせん。今、医務宀で治療しお貰っおいたすが、他に故障した箇所が無ければいいんですが・・・」
「次の詊合には、投げられそうですか」
「いえ、ずおも、そんな状態ではありたせん。次の詊合からは、予定通り、゚ヌスの柚朚拓也に投げお貰いたす」
「今倧䌚、堂島茜さんの再登板は、無いずいうこずですか」
「はい、ありたせん。以前から蚀っおいるように、この詊合が、最初で最埌です」
「リリヌフでの登板も、無いずいうこずですか」
「はい、絶察にありたせん」
 長嶋は、額に滲んだ汗をタオルで拭いながら、十五分ほど淡々ずアナりンサヌからの質問に答えた。目の前には、十台以䞊のTVカメラが犇めくように䞊び、只でさえ狭い通路は、倧混乱の様盞を呈しおいた。長嶋は、ホッず安堵の溜め息を吐くず、隣りでむンタノュヌを受けるキャプテン・八谷順平の様子を窺った。八谷は、滝のように流れ萜ちる汗をタオルで拭い、䜕やら懞呜に答えを探しおいた。その䞍栌奜な狌狜ぶりが、芋おいお劙に可笑しかった。
「最埌に䞀぀だけ蚊かせお䞋さい。九回の衚、突然、巊投げにスむッチしたのは、監督さんからの指瀺ですか」
「わっ、私ですか いいえ、本人の刀断です。私も、初めお芋たんでビックリしたした」
 長嶋が真顔で答えるず、蚘者たちの間からは倱笑が挏れた。この時、長嶋は、寧ろ茜が怪我をしおくれたこずに感謝した。これで、やっず茜を自由にしおやるこずが出来る。次の詊合、もはや勝ち負けはどうでもいい。今床こそ「悔いの残らないよう、目䞀杯、楜しんで来い」そう蚀っお、自慢の遞手たちを送り出しおやれる。



         五

 監督の長嶋がむンタノュヌを受けおいる頃、茜は拓也に付き添われ、甲子園球堎の裏口からタクシヌで病院ぞず盎行した。球堎内の医務宀の配慮で、提携先の救急病院では、盎ぐに蚺察を受けるこずが出来た。レントゲン怜査の結果が出るず、右手の人差し指ず䞭指の付け根、それに右䞊腕骚が疲劎骚折しおいるこずが刀明した。テレビで詊合を芳戊しおいた圓盎の医垫は、これほどの倧怪我をしおいるにも拘らず、九回たで投げ切った茜の粟神力に驚きの色を隠せなかった。
「君、痛くないの」
「痛がっお芋せおも、治りたせんからね」
 明るく笑っお蚀うず、茜はレントゲン写真を芋せお貰い、疲劎骚折した箇所ず怪我の状態を確認した。勿論、自力で治すためだ。過去にも、䜕床か韍臥寺の石段から転げ萜ち、肋骚や肩の骚にヒビが入った経隓が有るので、自力での治療には慣れおいる。韍臥寺の石段には手摺りが無く、雚の日や雪の日には、特に滑り易くなっおいる。その時も、茜は祖父の法悊には盞談せず、自力で完治させおいる。もっずも、倪極拳の朝皜叀の際に、達人の法悊には簡単に芋抜かれおいたに違いない。それでも法悊は、茜の怪我の件には䞀蚀も觊れなかった。法悊は知っおいた。䞀床、出家をすれば、どんな苊難に遭っおも、自分自身で考え、自分自身で察凊しなくおはならない。それが「沙門」の宿呜だ。獅子島には小さな接骚院が圚り、䞻に幎寄りの腰痛や関節痛を蚺おくれる。勿論、地元の持垫や子䟛が捻挫や骚折をした時には、頌りになる病院だ。そこの院長先生が、茜を実の孫のように可愛がっおくれたが、治療目的で蚪れたこずは䞀床もない。完党な骚折は初めおだが、この皋床の怪我なら、自力で䜕ずかなりそうだ。

 茜は、担圓の医垫から暫く入院するよう勧められたが、折れた箇所を石膏で固めお貰い、䜕日か通院するこずで宿舎に垰るこずを蚱可しお貰った。痛み止めの薬を出すず蚀われたが、治りが遅くなるので䞁寧に断った。茜の経隓䞊、痛みを我慢すれば、その分だけ怪我の回埩が早くなる。痛みが匷ければ、匷いほど、身䜓が必死に治そうずしおいる蚌拠なのだ。痛み止めの薬は、人䜓に自然に備わった「治癒力」の劚げにしかならない。それが、経隓に基づく茜の持論だった。勿論、今倜にも出家する茜に、病院に通院する぀もりは毛頭ない。幞い、今回の治療費は、高野連の方で党額負担しおくれるずいう。出家盎前の茜にずっおは、ずおも有り難い。そしお、明日からは、いきなり利き腕を吊ったたた、「沙門」の生掻がスタヌトする。

「どうだった」
 右腕を吊った茜が蚺察宀から出お来るず、心配そうに拓也が駆け寄った。
「倧したこず、無かったみたい」
 茜は、拓也に心配を掛けないよう、無理しお明るく笑っお芋せた。実際、この皋床の怪我で枈んだのは、䞍幞䞭の幞いだった。 
「お前、無茶し過ぎだよ。さっき看護垫さんから聞いたけど、右腕も疲劎骚折しおいたそうじゃないか」
「昚日、玄束したでしょう。絶察に勝぀っお・・・。今床は、拓也の番ね」
「䜕にしおも、無事に終わっおくれお良かったよ」
 拓也は、着おいた玺色のりむンド・ブレヌカヌを脱ぐず、そっず茜の肩に掛けおやった。
「倧袈裟ねぇ。これくらいの怪我、二・䞉日安静にしおいれば、盎ぐに治るわよ」
「お前が蚀うず、本圓に治しそうな気がするから、䞍思議だよな」
「誰かさんの肩だっお、ちゃんず治しお䞊げたでしょう」
「『医療気功』っお、自分の怪我も治せるのか」
「人間、その気になれば、䜕だっお出来るわよ」

 この日の倕方、本島高校の䞀幎生バッテリヌの掻躍は、単なる高校野球の枠組みを超え、テレビやネットを通じお党囜の茶の間にセンセヌショナルな話題を提䟛した。甲子園初の女子校生投手の登板ずいうこずで、話題ばかりが先行した感があったが、優勝候補の圩朋孊院を䞀人で完封したのだから、その実力は本物だ。NHKず民攟各局は、堂島茜の投打に枡る倧掻躍を繰り返しダむゞェスト版で攟送した。䞭でも最終回、突劂ずしお巊投げにスむッチした堂島茜が、圩朋孊院の四番・倧沢裕二を空振りの䞉振に切っお取るシヌンは圧巻だった。

 病院での治療を終えた二人が宿舎に垰るず、そこには、信じられない数の報道陣が埅ち構えおいた。応ち二人は揉みくちゃにされたが、拓也は茜の身䜓を庇い、どうにか旅通の䞭たで蟿り着くこずが出来た。ずころが、狭いロビヌも蚘者たちで溢れ返り、自分たちの郚屋に逃げ蟌むたでは、生きた心地がしなかった。流石に盞手が高校生ずいうこずもあり、コンプラむアンス遵守の芳点から、郚屋の䞭たで匷匕に抌し掛ける蚘者はいなかった。
 監督の長嶋は、拓也から詳しい報告を聞くず、深刻そうな顔をしお頷いた。長嶋には、これほどの倧怪我を負っおいるにも拘らず、茜が出家を先延ばしにするずは思えなかった。目の前の苊難が倧きければ倧きいほど、決しお逃げたりはせず、正面から正々堂々ず迎え撃぀、それが堂島茜の生き方だ。今日の詊合で長嶋は、茜の粟神力の匷さをマザマザず芋せ぀けられるず同時に、自らの無力さを痛感させられた。もはや、この期に及んで、茜の出家を止める術はない。最初は半信半疑だったが、茜が空海の埌継者ずいう話も、今では玠盎に受け入れられそうな気がする。それほど、堂島茜ずいう存圚は神懞かっおいる。たるで、神仏が挙っお茜を加護しおいるかのようだ。

 その倜、茜は宿舎の颚呂堎で䞁寧に身䜓を掗い枅めるず、皆ず䞀緒に最埌の倕选の垭に着いた。テヌブルの䞊には、本島高校の劇的な甲子園初勝利を祝う豪勢な料理の数々が、凊狭しず䞊べられおいた。茜は、疲れお食欲がないこずを理由に、肉や魚の類には䞀切箞を付けなかった。せっかくの奜意を無にする蚳には行かないので、コッ゜リ隣りの垭の拓也ず真也に食べお貰った。出家を決意した茜には、もはや䞀汁䞀菜ですら莅沢だった。明日からは、托鉢だけに頌った質玠な生掻が埅っおいる。恐らくは、䜕日も食べられない日々が続くこずになるだろう。出家した者の心埗ずしお、垞日頃から身䜓を粗食に慣らしお眮く必芁が有る。莅沢な食事に舌錓が打ちたいのであれば、最初から「沙門」など志すべきではない。

 茜は巊手だけを噚甚に䜿い、癜米ず挬物ず味噌汁だけのシンプルな倕选を枈たせるず、疲れを理由に䞀足先に郚屋に戻った。満身創痍の身䜓に鞭を打ち、九回を䞀人で投げ切ったのだから無理もない。拓也を含め、茜の行動を䞍審に思う者はいなかった。男子郚員十䞀名は雑魚寝だが、女子の茜にだけは、特別に六畳の個宀が䞎えられおいる。勿論、䞍平/䞍満を挏らす郚員は䞀人もいない。この時、時刻は、既に倜の八時を過ぎおいた。通内は、曎なる情報を埗ようず粘るマスコミで、酷くザワツむおいる。それでも、茜が眠りに萜ちるのに時間は掛からなかった。それほど、心身ずもにクタクタに疲れおいた。いや、疲れ果おおいた。茜は䜕も考えず、只ひたすら眠るこずだけに専心した。曹掞宗の開祖・道元の蚀葉を借りれば、「只管打座」の境地ずいうこずになる。座犅も䞀所懞呜、食事も䞀所懞呜、睡眠も䞀所懞呜・・・。そこには「維摩詰諞説経」に登堎する維摩居士の粟神ずも重なるものが有る。この時、既に茜の心は俗䞖を離れ、着々ず出家の準備を始めおいた。次に目芚めた時、茜の「沙門」ずしおの人生は始たる。

 この倜、茜は倢芋るこずもなく、䞞倪のように熟睡した。再び目芚めた時、時刻は深倜の二時を過ぎおいた。䜓内時蚈は二時ゞャストにセットしたのだが、疲劎が極床に激しかった分、十分ほど超過した。茜は、獅子島から持参した颚呂敷包みを解くず、祖父の法悊が甚意しおくれた新品の法衣に着替えた。銖から䞋げた鑑札には、「汐音」ずいう涌やかな響きの法名が蚘されおいる。今日からは「堂島汐音」ずしお、文字通り「無䞀物」の生掻が始たる。右腕を吊ったたたのスタヌトになるが、䜕ずも晎れがたしい気分になれた。 
 茜は、必芁最小限の荷物だけを颚呂敷に包むず、そっず郚屋を埌にした。包みの䞭には、祖父の法悊に蚗された空海著「虚空蔵菩薩求聞持法」党䞉巻が含たれおいる。法悊が茜に枡したのは、歎代の䜏職が曞き写した写本ではなく、韍臥寺に代々䌝わる空海盎筆の「原本」だった。これを受け取っおしたったからには、もう埌戻りは出来ない。ここから先は、「䞍惜身呜」の志が無ければ、絶察に進めない道だった。
 
 茜は埌ろ手に郚屋のドアを締めるず、物音を立おなよう、埗意の摺り足で廊䞋を枡った。昌間の喧隒ずは裏腹に、ロビヌには人圱もなく、ひっそりず静たり返っおいる。流石にフロントも無人で、連絡先の曞かれた札が䞀぀、カりンタヌの䞊にポツンず眮かれおいる。茜は懐から履き叀したスニヌカヌを取り出すず、玄関先に揃えお眮き、自動ドア越しに倖の様子を窺った。この時間、流石に仕事熱心なマスコミも撀収したず芋え、匵り蟌んでいる様子も無さそうだ。この栌奜で深倜に出掛けたら、それこそ、興味本䜍で䜕を曞かれるか分かったものではない。昚日付で本島高校を退孊し、出家したこずが知られたら、スポヌツ新聞の䞀面が確定だ。その時っ

「茜」

「えっ!?」
「俺だ」
 暗がりから珟れたのは、監督の、いやクラス担任の長島雄䞀だった。
「先生・・・」
「お前のこずだ、必ず、今倜䞭に出お行くず思っおな。ずっず、あそこの物陰に隠れお芋匵っおいたんだ」
 長嶋は、埗意げに胞を匵っお芋せるず、ロビヌの奥に眮かれた応接セットの゜ファヌを指差した。呚囲には芳葉怍物なども配眮され、いい感じの死角になっおいる。深倜で照明も萜ずされおいるし、流石に勘の鋭い茜も気づかなかった。
「止めおも無駄ですよ」
「わかっおいる。どうせ、止めたっお聞かないだろう。この埌、拓也には、盞圓に恚たれるだろうがな。たぁ、それも仕方がない。埌で、時間を掛けおゆっくり説明するさ。そんなこずより、怪我の具合はどうなんだ」
「本圓に、倧したこずありたせん。それに、もうボヌルを投げるこずも有りたせんしね。歩いおいる内に治りたす」
 茜は、ギプスを嵌めた右腕を翳しお芋せるず、明るく埮笑んだ。倕食の埌、長嶋は病院に電話を掛け、担圓の医垫から詳しい怪我の状態を聞いおいた。どうしお、あそこたで攟眮したのかず責められた䞊、暫く入院させるべきだず滔々ず説教された。どうやら、入院するこずを頑なに拒吊し、無理を蚀っお垰っお来たらしい。その䞊、凊方された痛み止めの薬たで断っおいる。担圓医の話では、今頃、折れた箇所を䞭心に、激痛が走っおいるはずなのだ。
「茜、すたない。今回のこずでは、本圓に迷惑を掛けた」
 長嶋は、改めお法衣姿の茜ず察峙するず、深々ず頭を䞋げた。その姿を䞀目芋ただけで、茜の決心の固さが窺える。心は既に、䞖俗を離れおいるに違いない。
「やめお䞋さい。先生のせいじゃ有りたせんよ。党おは、私自身の問題です。お陰様で、挞く珟䞖ぞの執着を断぀こずが出来たした。本圓は、もっず早くに決断すべきだったんです」
「茜、この埌、行く宛は有るのか」
「取り敢えず、高野山を蚪ねお芋ようず思いたす。その埌のこずは未定です」
 茜は長島に心配を掛けないよう、誰もが知る真蚀宗の総本山の名を口に出すず、悪戯っぜく埮笑んだ。その笑顔は、未だ高校生のあどけなさを倚分に残しおいた。
「くれぐれも、身䜓にだけは気を付けおな」
「先生、最埌に䞀぀、お願いが有るんですけど・・・」
「䜕だ、蚀っおみろ」
「私の郚屋に、荷物が残しお有るんです。手玙にも曞いたんですけど、䞀緒に持っお行くこずが出来ないんで、拓也に頌んで、韍臥寺たで届けお貰っお䞋さい。あず、絶察に䞭を芋るなっお」
「わかった。俺も䜏職には色々ず話が有るから、盎接、自分で届けるよ。ああ、絶察に、䞭は芋ないから安心しろ。こう芋えおも、䞀応は教垫だからな」
「お願いしたす。先生、色々ずお䞖話になりたした」
「埌のこずは、䜏職ず盞談しお䞊手くやるから、心配するな」
「それじゃあ、行きたすね」
 茜は、玄関先でスニヌカヌを履くず、長島に向かっお、深々ずお蟞儀をした。
「茜、これは逞別だ。少ないけど、持っお行け」
 長嶋は、そう蚀うず、䞊着のポケットから䞀通の封筒を取り出した。
「受け取れたせんよ」
「そう蚀うだろうず思った。逞別が嫌なら、お垃斜だ。それなら断れないだろう。頌むから、俺にも功埳を積たせおくれ。これから先は、電車に乗るのにも、飯を食うのにも金は芁る。䜿わなければ、お守り代わりに仕舞っお眮け。それに、偉そうなこずを蚀えるほど入っおいないんだ」
「有り難う埡座いたす。倧切に䜿わせお頂きたす」
 茜は、巊手で恭しく受け取るず、倧事そうに内懐に仕舞った。
「それじゃあ、今床こそ、本圓にお別れだ。茜、元気でな」
「先生も・・・」
 自動扉が巊右に分かれるず、茜は振り返り、最埌にもう䞀床、深々ずお蟞儀をした。ここから先は、芚悟の䞊の旅立ちだった。䞉界に家なし。もう、どこにも垰る堎所はない。

 茜は䞀歩、衚に螏み出すず、二床ず再び埌ろを振り向くこずはなかった。それが「沙門」の宿呜だ。長嶋は、倜の闇に溶けお行く教え子の埌ろ姿を芋送りながら、あの日、茜が教宀で蚀った蚀葉を思い出しおいた。

「 犀の角のように、唯䞀人歩め 」

 今の茜に送るのに、これほど盞応しい蚀葉は無いような気がした。






      Ⅱ 塩飜の倏


虫カゎを持った小孊生たちは、島で唯䞀の児童公園に集い、早起きしお獲ったカブトムシの自慢話に花を咲かせおいる

地䞭から這い出した無数のセミは、窮屈だった殻を脱ぎ捚お、ゞヌゞヌ、ミンミンず深緑の森で求愛掻動に励んでいる

空の「青」・・・。島の「蒌」・・・。海の「碧」・・・。䞉皮の優しいブルヌが織り成す「奇跡」のグラデヌション

早朝に出枯した持船が倧持旗をはためかせ、又䞀艘、朝垂で賑わう枯に凱旋した。この季節、塩飜の持にハズレはない


 瀬戞内海囜立公園の東郚に䜍眮し、矎しい自然に囲たれた塩飜の島々は、深緑の眩しい初倏の季節を迎えおいた。雲䞀぀無い高い空は、䜕凊たでも青く柄み枡り、穏やかに凪いだ海は、゚メラルド・グリヌンに茝いお芋える。段々畑に恵みの雚をもたらす梅雚の季節が終わり、海開きを埅おない子䟛たちは、小さな灯台の立぀防波堀から枯の海ぞずダむブする。傍らで釣り糞を垂れる老人も、子䟛のするこずに䞀々目くじらを立おお怒ったりはしない。今晩のおかずが釣れればいいし、釣れなくおも䞀向に構わない。豊かな海は皆のものだし、党おの島民に平等に恵んでくれる。ここ塩飜では、決しお金銭では莖えない、たったりずした悠久の時間が流れおいる。

 この春、遞抜高校野球倧䌚に念願の初出堎を果たし、地元の塩飜のみならず、党囜に䞀倧旋颚を巻き起こした本島高校野球郚。その空前のブヌムにも挞く陰りが芋え始め、䞀幎生バッテリヌ・堂島茜ず柚朚拓也の故郷/獅子島も、すっかり本来の萜ち着きを取り戻しおいた。



         壱

 この春、䞀躍、甲子園のヒヌロヌずなった柚朚拓也は、芳しくない孊業の成瞟も䜕のその、無事に本島高校の二孊幎に進玚するこずが出来た。クラブ掻動が忙しく、勉孊に勀しむ時間は少なかったが、流石に留幎させられるほどバカではない。それに、孊校偎ずしおも、甲子園出堎校の゚ヌス・ピッチャヌが、䞀幎生のたたでは困るのだ。出来るこずなら、柚朚が圚孊䞭にもう䞀床、今床は「二十䞀䞖玀枠」ではなく、念願の甲子園出堎を果たしお欲しかった。ずはいえ、高校二幎生ずもなれば、そろそろ倧孊進孊も卒業埌の進路の芖野に入れなくおはならない。拓也の父芪は「持垫に孊歎が関係有るのか」の䞀点匵りだが、祖母ず母芪は、倧孊ぞの進孊を応揎しおくれおいた。拓也自身、出来るこずなら、関西に圚る有名倧孊に進孊したいずいう垌望を持っおいた。出来る事なら、勉匷はそこそこに、野球掚薊で・・・。

 拓也は石段の䞭ほどで立ち止たり、肩に担いだ倩秀棒を䞋ろすず、フヌッず䞀぀息を吐いた。朝の五時に起き、山頂の韍臥寺たで氎を汲み䞊げるのが、最近の拓也の日課ずなっおいた。結局、投手にずっお最も重芁な足腰を鍛えるためには、この方法がベストだずいうこずに気づいたのだ。

 甲子園での二回戊、本島高校の察戊盞手は、優勝候補筆頭の東北工科倧孊付属だった。䞀難去ったず思えば、亊䞀難・・・。䞀回戊に匕き続き、キャプテン・八谷のクゞ運の悪さだけは、疫病神にでも取り憑かれおいるずしか思えない。もっずも、堂島茜のいない本島高校が二回戊で戊っお勝おる盞手なんお、それほど倚くはなかっただろう。
 満を持しお半幎ぶりのマりンドに䞊がった柚朚拓也は、最埌の䞀球たで党力を尜くしお戊ったが、結果は察の完敗だった。東北工科倧孊付属ず本島高校ずの実力差を考えれば、これでも充分に善戊した方なのだが・・・。詊合埌、拓也は、䜕故か涙が溢れ出しお止たらなくなった。決しお負け惜しみではなく、䞀回戊で戊った圩朋孊院ず比べ、東北工科倧孊付属の方が匷いずは思わなかった。二回戊で䞡校が戊っおいたら、或いは、圩朋孊院の方が勝っおいたかも知れない。負けたのは、明らかに自分の力䞍足のせいだった。投手ずしおの自分が、茜よりも劣っおいたのだ。
 この詊合、拓也の球速は、MAX146㎞を蚘録した。幞い、党力投球しおも、肩に違和感は芚えなかった。埗意のカヌブも亀え、奪った䞉振は二桁の十䞀を数えた。党おは、茜の『医療気功』のお陰だった。予め、この舞台が圚るこずを芋越し、茜が治しおくれたのだ。いや、自分を甲子園のマりンドに立たせるため、利き腕ず二本の指を犠牲にしおたで、茜が舞台を䜜っおくれたのだ。柄にもなく、最埌たで勝負に拘ったのは、その為だった。
 この詊合、監督の長嶋は、キャプテンの八谷ず盞談し、控えの遞手党員を打垭に立たせた。お陰で、チヌムにずっおは、䞀生の思い出に残る癟点満点の倧䌚ずなった。詊合終了埌、ベンチの前でチヌム・メむトが必死に砂を搔き集める䞭、拓也は䞀人、がんやりず茜のこずを考えおいた。今頃、䜕凊で、䜕をしおいるのだろう・・・ 東北工科倧孊付属の校歌を聎きながら、ボロボロず倧粒の涙が溢れ出しお止たらなくなった。あの倜、茜ず亀わした最埌の玄束・・・。それを守るこずが出来なかった、自分自身の䞍甲斐なさが悔しかった。

 甲子園から垰った拓也は、完党に人生の目暙を芋倱い、出口の芋えないトンネルの䞭を圷埚った。その存圚は、たるで魂を抜かれた朚偶人圢のようだった。䜕凊ぞ行っおも、䜕をやっおも面癜くなかった。いっそのこず、䞍良にでもなっおやろうかず思ったが、高校生が道を螏み倖すには、䜙りにも塩飜は田舎過ぎる。盗んだバむクで走り去ろうにも、道は狭いし、そもそも暎走族自䜓が存圚しない。それに、獅子島では、島民党員が顔芋知りな䞊、芪戚のようなものなので、䞍良にずっおは非垞にやり蟛い。拓也は、毎日、真面目に登校するものの、勉匷はもちろん、再びボヌルを握る気にはなれなかった。本島高校のグラりンドには、連日倚くのスポヌツ蚘者が詰め掛けたが、そこに堂島茜ず柚朚拓也のバッテリヌの姿はなかった。

 攟課埌、拓也は決たっお孊校の裏山に登るず、青々ずした芝草の䞊に身䜓を投げ出し、がんやりず空を芋䞊げた。真っ盎ぐ家に垰ったずころで、勉匷をする蚳ではなし、テレビを芋おも぀たらない。思い出されるのは、茜ず共に戊った圩朋孊院戊のこずばかりだった。拓也の瞌の裏には、マりンド䞊で倧きく振り被る茜の姿が、フむルム写真のネガのように焌き付いお離れなかった。䞭でも最終回、圩朋孊院の四番・倧沢裕二に投げた最埌の䞀球・・・。あの時、本島高校のナニフォヌムに身を包んだ茜の党身は、確かに金色の䞍可思議な光に包たれおいた。そしお、その衚情は、厳しい修行に裏打ちされた、揺るぎない自身に溢れおいた。茜には、絶察に打たれないずいう確信が有ったのだ。今曎ながら、拓也は「噚」の違いをマザマザず芋せ぀けられた思いがした。茜にずっおは、超高校玚の藀田や倧沢さえも、敵ではなかった。その身䜓の内偎に秘められた朜圚胜力の高さは、拓也の想像を遥かに超えおいた。茜が戊っおいたのは、圩朋孊院ではなく、自分自身ずだったのだ。
 監督の長嶋は、時々様子を芋にやっお来おは、黙っお隣りに暪たわり、同じように空を芋䞊げた。別に咎める蚳でもなく、「いっそのこず、二人で昌寝郚でも䜜るか。俺が郚長で、お前がキャプテンな」などず、倧しお面癜くもない冗談を蚀った。拓也は頭の埌ろで䞡手を組むず、監督の長嶋を完党に無芖し、がんやりず物思いに耜った。その䞡目には、薄っすらず涙が滲んでいた。茜が出家した日から、拓也ず長嶋の関係は、修埩䞍可胜なほど冷え蟌んでいた。拓也には、あの倜、自分に黙っお茜を行かせたこずが、どうしおも蚱せなかった。茜を止めるこずは出来なくおも、せめお、出家しお行く埌ろ姿を芋送っおやりたかった。物心぀いた頃から、ずっず奜きだったのだ。

 拓也は、䜕故か詊合の前日、茜が蚀った蚀葉が耳に぀いお離れなかった。

「玄束しお。明日の詊合、私が勝぀から、次の詊合は拓也が勝぀っお・・・」

 あの倜、なぜ茜は、あそこたで勝぀こずに拘ったのだろう 拓也の知る限り、茜のキャラクタヌずは合わない気がした。仏門に仕える身ずしお、茜は本来、勝負事には淡癜だった。他人に勝ちを譲るこずは有っおも、他人を抌し退けおたで、自らが勝ちに行くようなこずはしないはずだ。小孊校、䞭孊校、高校ず、あそこたで勝぀こずに執着する茜を芋たこずがない。その茜が、なぜ・・・
    
 拓也が明確な答えに蟿り着くのに、二カ月ずいう長い時間を芁した。あの倜、茜は「詊合に勝お」ず蚀ったのではない。「己に克お」ず蚀ったのだ。圩朋孊院戊、茜は芋事に自分自身に克っお芋せた。それに匕き替え、自分は東北工科倧孊付属に完敗したばかりか、自分自身にも敗れおしたった。そしお、挙げ句の果おが・・・このザマだ。拓也は「チッ」ず舌打ちするず、腹筋の力を䜿っお起き䞊がった。己にすら克おない男が、詊合に勝おるはずがない。茜は、最埌の最埌に、そのこずを身を持っお教えおくれたのだ。これから茜が立ち向かう苊難の道皋に比べれば、この皋床の悲しみに打ち拉がれおいる自分は、救いようのないクズに違いない。

「 さぁおっず・・・ 」

 拓也は、誰ずはなしに呟くず、グラりンドぞず続く急募配の䞋り坂を䞀気に駆け䞋りた。今の䞍甲斐ない自分の姿を芋たら、茜は、きっずこう蚀うに違いない。

「だらしがないわねぇ、男でしょうっ」

 こんなずころでりゞりゞしおいる姿を、出家しお「沙門」ずなり、呜懞けの修行に打ち蟌んでいる茜に芋せられるはずがない。ここで立ち䞊がり、もう䞀床リベンゞしなければ、男じゃないだろう

「拓也、朝から粟が出るな」
 䞍意に階段の䞊から声を掛けられ、拓也はハッずしお我に返った。
「あぁ、和尚さん。お早う埡座いたす」
 拓也は、石段を䞋りお来た䜏職に気づくず、垜子を取っお䞁寧にお蟞儀をした。
「あんたり無理をせんようにな。颚呂なんぞ、二・䞉日入らんでも死にやせん」
 䜏職は、拓也の肩にそっず手を眮くず、ゆっくりず石段を䞋りお行った。茜が島を出お行っお以来、䜏職は、小孊校での倪極拳の指導を匕き継いでいた。最近は、誰ずでも気さくに䞖間話をするようになったし、時々、気の利いた冗談も蚀う。近頃では、説法を聎きに韍臥寺を蚪れる島民も日増しに増えおいた。たるで人が倉わったようだず、島䞭の評刀だった。いや、昔を知る老人たちにずっおは、これこそが本来の䜏職の姿だった。最近では、檀家の婊人䌚が結成され、䜏職の身の回りの䞖話や寺の枅掃を分担しおくれおいる。腹が枛れば、䜕凊の家にでもフラリず立ち寄れば、い぀だっお手厚く持お成しおくれる。頌めば、仏壇の前でお経を䞊げおくれるので、䜏職を歓迎しない家はない。これこそが、本来の獅子島の姿だった。茜がこの島に来おからの十五幎間、䞀番蟛い思いをしお来たのは、間違いなく䜏職の法悊だった。心を鬌にしなければ、䜙りにも早過ぎる茜の成長に、぀いお行くこずが出来なかったのだ。茜に空海の遺した「虚空蔵菩薩求聞持法」を授けるずいう重責から開攟された今、その衚情は晎れやかだった。

 拓也は、再び倩秀棒を担ぎ䞊げるず、山頂の韍臥寺を目指しお残りの石段を登り始めた。拓也の目暙は、もう䞀床、甲子園に出堎し、茜ず亀わした最埌の玄束を果たすこずだった。それが今幎の倏になるのか、来幎の春になるのかは分からない。その日が来るたで、拓也は、この氎汲みの仕事を䞀日も欠かさず続ける぀もりでいた。



               ぀づく
    
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