僕を嫌いな婚約者のアルファの秘密

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僕を嫌いな婚約者のアルファの秘密

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「好きになるわけないだろ。あいつがあの家の嫡男じゃなきゃ婚約なんてするはずもない」


僕たちは、同じくらいの名家に産まれた嫡男同士だった。違ったのは僕がオメガで彼がアルファだった事。

一つ上の学年のあの人と帰るのは恒例になっていて、今日は珍しく来るのが遅かったから…三年生の教室に足を運んだ時に聞こえた、清蘭さんの声。

これは初めてではない。
公認のカップルと化した僕たちを囃し立てるクラスメイトに度々、政略的な婚約だと口にしているのは知っていた。

階段の影で足を竦ませる僕は、バレないように学校を後にした。

帰路でどうしても考えてしまう、恋人である星蘭さんの態度。

何度もポケットの中で鳴る携帯電話に無視をして、彼の事を思い起こす。
僕たちが婚姻を前提とした交流を始めたのは、かれこれ8年前くらい。

蝶よ花よと育てられた名家のオメガ。
オメガは生きづらさは否めないが稀有な存在。しかも名家の嫡男ともあれば、アルファに嫁ぐ事は決まったも同然だ。

アルファの子を産み、匿われ…囲われる。

女の幸せは結婚…というみたいに、オメガはアルファの執着を一身に受けて大事に飼い殺しになるのが幸せというのが通説らしい。

特に裕福なオメガの僕には早いうちから番候補が何人も宛てがわれ……その中でも、僕は星蘭さんに酷く焦がれた。

美しい黒髪、趣味で習っている殺陣の披露や少しクールな背中で語る彼の生き様。

だが高校に入った今はどうだ、彼は……僕の思い描いた王子様ではなくなっていた。


「っ、珊瑚」

額に汗を浮かばせて、僕を追いかける見目麗しい僕の恋人。

「どうして一人で帰る、っはぁ…何かあったらどうするんだ」

その言葉は…僕が名家のオメガだからでしょう。

「…星蘭さん」

「珊瑚、勝手な事をするな」

さらさらの黒髪、僕がずっと憧れた旦那様。
若き日の恋心。

「星蘭さん、もうやめませんか僕たち」

別に、僕は星蘭さんとの婚姻を強制されているわけではない。だが、時にオメガは悲しい事故が起こりやすい。暴行…失踪…監禁。

過度な束縛で僕を縛り付け危険から守るのではなく、相応しいアルファを近くに置き見守るという考え方から決まった婚姻だ。

星蘭さんだって…名家のオメガならば僕じゃなくてもいいはず。
アルファの子が欲しいのならアルファ同士でもいいし、選択肢は少なくはない。

「…珊瑚、やめるって何をだ」

「…剣道だって、あんなに真剣に取り組んでたのに」

「は?剣道……剣道なら高校に上がる時にやめただろう」

そうだ、中学生の時は剣道部の主将として活躍していた彼がその栄光を閉ざした。

「剣道やめたのはなぜですか?」

「…僕が剣道を続けていたら、誰がお前を送る?」

星蘭さんが、僕を嫌うのも当たり前かもしれない。剣道を止めなければいけない理由になった僕が。

僕を嫌いだという事実、そして嫌いにならざるを得ない理由。僕には彼と離縁してあげたいと思う事実が多すぎた。

名家のオメガを娶る為に部活もやめて、嫌いな僕といつか番うだなんて、星蘭さんの気持ちを思うといつも苦しかった。


「あなたにこんな関係は似合わない。僕の事なんて好きになるはずないって、今日話してたでしょう?もうやめましょう、婚姻も…お互いを縛るのも」

「……は?」

呆然とする星蘭さんの丸い目が、僕を見据えている間に走る。僕だって、こんな悲しみを浮かべた顔を見られたくなんてない。

「星蘭さん、さよなら」

好きでもないオメガの婚約者とやっとあなたは離れられる。






僕の生まれは、宮ノ守(みやのもり)。
こう言えば、どれだけ育ちがいいのか…この生まれにプライドを持ち努力してきたか手に取るように分かるだろう。

アルファ同士の両親、長女の姉はオメガだった。
年が離れており僕が物心着く頃には名家への嫁入りが決まっていて、彼女の白無垢を見届けた頃に僕にも番候補が宛てがわれた。

それが珊瑚。

家柄で言えばほんの少し上位に位置しており、オメガだからと早々と売り払われた姉と違い、彼は家族からその愛を一身に受けていた。

世間知らずな程に純粋で、汚い言葉も世の中も知らされずに崇められ愛されるオメガ。

僕にとって実感の湧かない未来の妻は、教室の隅で人だかりを作り優しく笑う。

ぼんやりと、僕の未来の奥さんは可愛い人だと思った。

こんな、穏やかな思考に陰を差したのは初等部六年の頃。

いつか僕と番い、毎日を共に暮らすオメガ。
その事で頭が犯されてばかりの第二次性徴が僕に訪れたのは恐ろしく早かった。

一つ下の五年生だった彼を見に行くのは恒例になっており、その会話に聞き耳を立てた。

『かっこいい人が好き』

どんな人が好きかと問われた彼が口に出した言葉。

その日から僕は、かっこいい人という言葉ばかりが脳内を巡る。

珊瑚が屋敷に遊びに来る時は、これ見よがしに飾り付けてみた。父様のアクセサリーを持ち出してみたり、流行りの服装に身を包んでみたりもした。

だが、珊瑚から…その僕が望んだかっこいいという言葉を与えられたのは…意外にも余興で舞う殺陣の練習中だった。

『わぁ、かっこいい』

『…珊瑚は、こういうのが好きなのか』

『へへ、お侍さんみたい。せいらんさまかっこいいです』

ふにゃりと笑う幼い珊瑚。
たった一つしか変わらないが、幼く小さい…。
これは僕が守るべきこの可愛いオメガを意識し始める一端である。

僕が中等部に上がり初等部で会う事がなくなって、その一年間で珊瑚に会ったのはたったの二回だ。

二回ともパーティで姿を見ただけに過ぎない。
軽く挨拶は交わすが、僕の婚約者にも関わらず、僕に媚びるでもなく周りの子供たちの人集りのヘソになっている。

彼は小学生、僕は中学生…しかも婚約者。
僕から声を掛けるだなんて事あってたまるかとモヤモヤを積もらせている間にパーティは終わっていた。

珊瑚にたった一度、かっこいいと言われた記憶だけを、脳みその引き出しから取り出しては悦に浸る僕は…何とも愚かだが、この愚かさは僕を剣道部の主将まで引き上げた。

どうにか、珊瑚が中等部に入るまでに…実力や功績を彼の目に入れたくて、死にものぐるいで練習し、僕は一年にも関わらず次鋒が任される程の担い手となった。

父さんは誇らしいと褒めてくれたが、その動悸は珊瑚からかっこいいと思われたいという醜い欲だ。

僕が二年、珊瑚が進級した頃から僕は……更に珊瑚を意識し、心臓を鳴らせた。

相も変わらず教室で笑う珊瑚を見る度に心臓が沸く感覚。凍えるように冷えるとも燃え上がるとも似たそれが常に襲う。

心を静ませる事が出来るのはただ剣を振るう瞬間だが、それを悔やみ始めたのもこの頃だ。

珊瑚の父の意向で迎えは寄越さずに、兄弟や友人と帰路を共にする。部活動に打ち込む僕に入り込む隙間はなく、苛立ちが募った。

珊瑚の為に始めた剣道だが、そのせいで珊瑚を送るという役目を違う者に任せなければいけないという苛立ち。

『珊瑚』

『星蘭さん』

『珊瑚』

僕だけがその名前を呼ぶ。
珊瑚……僕のオメガ。


いつか僕だけが抱くその美しい身体。
小学生の頃から大きく変わらない珊瑚の性格や態度に対して、僕はとんどんと大人になっていった。

身体も…そして心も。
珊瑚の細い身体に劣情を覚え、そして、嫌悪する。

そう、僕は順調に成長していた、毎日右手と愛し合う…普通の男子高校生に。

珊瑚の肩につきそうな細く柔らかい髪。
しなやかな肢体、愛嬌のある笑顔。

中性的な顔が酷く好ましいが、これは珊瑚がそうであるから好ましいだけで…もし珊瑚が切れ長の男性であってもそれを好んだだろう。

高校生になって待っていたかのように部活動をやめたので、僕は珊瑚に会えるようになった。

元々珊瑚にかっこいいと思われたいという欲だけで始めた部活動であり、中等部の頃は早くこうして珊瑚の横を歩く事を夢見ていたのだ。


隣に歩く珊瑚が、授業がどう…友がどうとニコニコと話す、その揺れるまつ毛ばかりを見てしまう。

だが、珊瑚の居ない時間の僕に押し寄せるのは常に混在する二つの感情。

情欲…肉欲と、その欲に対する嫌悪と不安、そして情けなさ。

一人になると、珊瑚というただ一人のオメガ中心に生きる自分が酷く哀れになる時がある。

珊瑚は僕にその劣情の欠片も見せないのに、僕ばかりが珊瑚を考え生きていた。

だが未来の番、僕だけに許されたオメガだと言い聞かせなんとか平常を装い、珊瑚の痴態を想像しては自分を慰めた。

珊瑚の言うかっこいい僕からは程遠い姿…上がった息と、手の中の白い種子たちに酷く嫌悪する。

これは政略結婚、もし珊瑚と番になってもその心までは手に入れられない。

『珊瑚の事なんて……好きなはずない』

僕ばかりが珊瑚に狂わされている事が悔しい。

『あんなオメガ、僕が好きになるはずない』

珊瑚、珊瑚。
この醜い僕を…見ないで。





「星蘭さんが学校に来てない?」

別れを告げて、走り去ったあと僕は星蘭さんに会っていなかった。

どうせ清々したと言わんばかりにまた風を切って歩いているのだろうと思うと見に行くのも嫌だった。

だが、共通の知り合いの先輩から告げられたその言葉は意外なもの。

「……風邪ですか?」

「いや、どうもそうじゃないらしい。よかったら珊瑚さん、星蘭を見に行ってやってくれないか?ほら、あいつ…使用人も付けないで一人で暮らしてるだろう?」

「…………僕、星蘭さんとお別れしたんです」

僕は、星蘭さんの親友のこの人への言葉を迷った。だが、意を決して言葉を紡ぐとその言葉の意味を咀嚼し…先輩は呆れたように笑う。

「……なるほど」

「だから、僕は一緒に行かない方がいいと思います」

「いや、別れたって言っても友人関係まで無くなるわけじゃないんだろ?一緒に来てくれよ、俺だけじゃきっとドアを開けてくれない」

先輩が言った言葉の真意は分からないが、あの星蘭さんが何日も休むだなんて心配にならないと言ったら嘘になる。

僕の足は先輩と並び、学生では持て余す程のマンション前へと赴いていた。

「珊瑚さんはカメラの前に立って。星蘭、絶対開けるから」

先輩は画角から少し避け、僕を真正面に立たせる。インターフォンを鳴らすと、聞いた事もない程の星蘭さんの低い声が響いた。

『はい』

だが、画面に写った僕に驚いたようで慌てるような音と星蘭さんの驚いた声がスピーカーから漏れ出る。

『っ、珊瑚?!…なんで、』

「星蘭さん、ずっとお休みされてるって聞いて…」

『……帰ってくれ』

星蘭さんのスピーカー越しの声は疲弊しきったような声色で、僕は何も返せなかった。

「星蘭~~?珊瑚さん、疲れてんだって。お前が部屋入れてくれないなら俺が俺の部屋に連れていくけどいいのか?」

ぐい、と先輩が割って入ると星蘭さんからの返事はなく、バタバタという足音が響きそのまま扉が開いた。

「っ、珊瑚……」

「星蘭、よかった元気そうだな」

星蘭さんはいつもしっかりと結ばれた長髪を振り乱しており、見た事のない部屋着姿に不覚にも不思議な動悸がする。

「……っ、珊瑚」

「…星蘭、俺は邪魔だろうから帰るよ。珊瑚さんとしっかり話をしろ。そして…その上で、もし絶望する結末でも、こんな事して珊瑚さんを苦しめるな」

先輩はそう呟くと踵を返し背を向ける。
ひらひらと手を振りながらエレベーターへと去っていく。

「珊瑚、すまない…あいつが君を巻き込んで、こんな所まで…来させたのか…。嫌だっただろ、僕の家に来るなんて。もちろん家にあげるつもりもない。ああ……こんな姿見られたくなかった。僕の事はもう気にしなくていい」

そう、絞り出す星蘭さんの下がった眉を僕は初めて見た。

いつも誰よりも強く努力家のアルファで…僕にも弱味を見せず、上に立つ者としての気品を欠かせる事はない。

「…星蘭さん、お部屋…入りたいです」

そして…この部屋に僕は入れてもらった事がなかった。
いつも理由を付けられては断られ、恋人らしい二人きりの逢瀬など夢のまた夢。

デートも形式的で格式高いもの。
嫌っている僕を自分のテリトリーに入れたくないのだと納得していたが、どうしても諦めに似た別れに答えを求めたかった。

こんな政略結婚、僕のようなオメガを勝手に宛てがわれ好きになるはずないと吹聴するのも仕方ない。

でも、目の前の初恋の人とちゃんと話をしたい。

「……ダメだ」

「星蘭さん、何でですか。最後に…あなたとちゃんと話をしたい」

僕の目からは、ぽたりと雫が落ちる。
それを驚いたように見ると、困ったように星蘭さんの胸元に僕の頭を押し付けた。

後頭部に回った手が熱い。

「……この部屋に入ってしまったら、君を守れなくなる」

「…何から、僕を守るの?」

「もちろん僕からだよ」

僕は、男性とは言ってもオメガ。
確かにいくら婚約者と言えど婚前に二人きりの部屋に入るなど…僕の心臓は酷くうるさく鳴るだろう。

でも…そんな僕を星蘭さんは嫌悪の対象だと思っていたが、その発言はまるで欲の対象に僕を意識しているように聞こえた。

僕は、いつも想像していた。
星蘭さんのゴツゴツとした指が僕の頬に這い、そのまま唇を奪われてしまったら…きっと後孔は濡れ……その先すら期待してしまう。

そんな…触れ合いなんて政略的に出会った僕たちに訪れるはずもないと。

「…星蘭さん」

今、胸元に押し付けられたまま…背中に腕を回してもいいのだろうか。

「星蘭さん」

僕が腕を回すと、星蘭さんはしばらく静止したが、恐る恐る両腕が僕の背中を覆う。
星蘭さんの心臓がうるさいくらいに鳴っている。

星蘭さん、僕の王子様。
好きになってくれなくても、彼がオメガとして意識してくれるだけで…僕は。





ダメだ、これ以上は。
珊瑚の腕が何故か僕を抱き締める。

今の僕はかっこよくもないし、部屋だって珊瑚を招く事が出来る程片付いてもいない。

完璧でかっこいい僕しか珊瑚には見せたくないのに…そして何故、別れを告げた僕を抱き締めるのだろう。

「星蘭さん、入りたい」

この部屋に入れてしまったら、僕は…自分を抑える保証がない。
可愛い珊瑚が手の届く距離で二人きり…それはこのおぞましい空腹を抱えたアルファには苦しすぎる。

だが、僕はそれ以上に…珊瑚を離したくなかった。

何故君は僕に別れを告げたのかと…あの日、そう問った僕にいきなり剣道の話をして走り去った珊瑚。

そして…僕が、つまらないプライドで言い続けた好きになるはずがないという言葉の真意だけ、どうしても…どうしても伝えたい。

それがどれだけかっこ悪い事でも、珊瑚にがっかりされても。

僕は少し珊瑚から離れると、何も言わずに中に入る事を促した。

「…悪い、片付いてないだろ。片付いてても、君を入れるつもりなんて無かったけど、まさかこんな時に君を部屋に招くなんて。申し訳ない、もう無駄だと分かっているんだが、身嗜みだけ整えさせてくれ」

部屋には先程まで観ていたドラマを映したホームシアターを切る。
テーブルには、宮ノ森のアルファが読むにはあまりに低俗そうな漫画本、ラフに着られる部屋着がダイニングテーブルに放置され、間食のゴミがゴミ箱に無造作に入っている。

宮ノ森星蘭のイメージからは程遠い。

僕は、珊瑚をソファに座らせてお茶だけ出すと、衣装部屋とトレーニングルームを兼ねた私室で髪を結び衣服を整えた。

「…珊瑚、待たせてすまない」

「…いつもの星蘭さんだ」

「実家では寝る時も和服を着ているのに、がっかりしただろ。こんな低俗な生活を送っている事を」

隣に座るのははばかられ、L字ソファの端に座る。

「星蘭さん、やっぱり…ちょっと勘違いしてますよね」

「…ん?」

「僕だって、寝る時は部屋着を着ますしお菓子も食べます。漫画本も、メロドラマも大好きだし、好きな俳優が出ていれば騒いだりします。確かに僕たちは名家の嫡男だけど、僕もお家に帰れば普通の珊瑚ですよ…?」

きょとんと、珊瑚が首を傾げた。


「あ、いや、珊瑚はいいだろう。可愛い部屋着も菓子も似合う。だけど僕は……」

「僕、嬉しかった。今日、星蘭さんのこんな姿が見られて」


嬉しい、という言葉を浴びせられ僕は言葉を止めた。

こんなにかっこ悪い僕の姿を嬉しいという言葉をうまく咀嚼出来ない。

黙ったままでいると、珊瑚は距離を詰めて僕の手を握り、その大きな瞳を潤ませて僕を見詰める。
その瞬間、ふわっと珊瑚のいい匂いが香った。

心臓が鳴るよりも…自分でも意識するよりも先に、僕の愚かな象徴が張り詰めた。

必死に鎮めようとすればする程、隣にいる珊瑚の存在を意識しまたしても硬さを増す。

少し力を入れればこのまま珊瑚を押し倒して、その首筋から直接僕の鼻腔に思い切り匂いを感じ取れる。

「……あ、」

ダメだと思えば思う程鮮明な想像が止まらなくなって、申し訳なさそうな珊瑚の声色は、この生理現象に気づいていると物語っていた。

「………珊瑚。僕は…本当にかっこ悪い男なんだ。君に嫌われるのも仕方ない。君にああ言われても、拒絶される事が心底怖くて連絡も出来ず学校にも行かなかった」

「…星蘭さん、」

「珊瑚、ちゃんと言わせて欲しい。僕は…クラスメイトに囃し立てられる度に君を好きにならないと言った。君は高嶺の花で、僕はそんな珊瑚を一方的に好きで…それが恥ずかしかったし、悟られたくなかった。この、醜い欲を珊瑚に持ち合わせる僕を知られたくなくて、君を貶める発言をした」

「…僕を、好き?」

なんて情けない、一世一代の懺悔をしながら僕はその股間を膨らせたまま。
珊瑚への劣情を常に抱え貶めるなど、宮ノ森の嫡男がなんと無様だろう。

「珊瑚、これが僕なんだ。剣道だって君にかっこいいと思われたくて始めただけ。宮ノ森の当主に相応しい厳格で出来のいい嫡男なんて…お笑い種なんだよ」

「……これは、僕にそういう欲を持ち合わせて…こうして膨張しているって事ですか?」

珊瑚の純粋すぎる言葉が苦しくて痛い。

「…ああ、そうだよ」


だが、珊瑚は軽蔑の目を向けるでもなく、恥ずかしそうにもそもそと何か言いたげにしている。

「あの……」

「?」

「こんな事、なんてはしたない子だと思ってくれていいのですが…ほんの少しだけ、触れても……?こんな、ズボン越しでも、僕のと全然違う…」

恥ずかしそうに顔を赤く染める珊瑚の清らかな口から飛び出る言葉に、僕は時を止める。

そして、急いで制止しようと慌てているうちに珊瑚は僕のソレに手を這わせた。

「わ、わぁ」

清らかで、性に頓着も…恐らく興味もない珊瑚の手がズボン越しとはいえ僕に触れている。

「っ、珊瑚!分かってるのか?!……生殖器、なんだぞ」

「…流石に分かってますよ、えっちな事…考えるとこうなってしまうのだって、はぁっ」

珊瑚の声色は明らかに普段と違う艶を含んでいく。

「……暑、はぁ、星蘭さ、ぼくだって…男の子です。僕もこうなる時だってあります……星蘭さんを思って、夜になると……この腕が、僕を撫でる未来を想像していました」

珊瑚がとろんとした目で僕を見ると、僕の手を取り頬に押し当てうっとりと見つめた。

おかしい、そう思った瞬間には珊瑚が甘えるように僕の膝に乗りかかって耳元に頬ずりをした。

「……珊瑚?!お前、ヒートじゃ、」

「………ヒート?」

なんとも言えない心地いい匂い。
いつもほんの少し香っているそれを、何倍にも濃くしたような香りと珊瑚の荒い息。

そして…僕の命令器官の全てがそう思うみたいに、絶望的な程の欲に襲われた。

「っ、珊瑚っ!」

珊瑚が肉にしか見えなくなっていく。
好きな人じゃなくて、目の前の僕の欲を満たす肉を蹂躙しないといけないという脳からの強い命令。

「……珊瑚」

「……っ、はぁ、せい、らんさ、」

珊瑚ももう理性は残っていないようで、婚前…しかも僕という愚かなアルファを前にして今にも犯されそうになっている事も受け入れてるらしい。

それは、あまりの誘惑。
ほんの少し残った理性は、事故ヒートで番うなんてよくある事だ、大丈夫犯してしまおうと囁いた。

そして脳のリソースの九割を占める暴力的なまでの性欲と支配欲は、合理性なんて無視して僕の身体を動かそうとする。

もう、自分を止める理由なんて……………。


『でも、この後の珊瑚の気持ちは?別れを告げた婚約者に無理やり番われて、珊瑚の気持ちはどうなる?どう生きる?それでいいのか?』


僕は、テーブルの上にあったコップをどうにか遠くへと投げた。その音に珊瑚が驚いて一瞬冷静になった瞬間に、どうにかゴロゴロと転がると珊瑚から距離を取る。

それでも、脳は目の前のオメガを犯せという司令を辞めないが、砕け散ったコップの破片を拾うと手の甲に突き刺した。

「っ、い!!!」

少しクリアになる思考。
鞄には抗ラットの緊急薬が入っている。

どうにか鞄を漁るとそれをスラックス越しに太ももに打ち込んだ。

五分程……恐ろしい程の衝動を耐えると、今までの苦しさが嘘みたいに引いていく。

「……はぁ、ラットってこんな……ヤバいのか。いつもみたいな、ムラムラするとかじゃなくて……強制力を持った苦しい欲求…危なかった。はぁ、って…いってえ……」

先程までは手の甲の傷を痛いと思う暇も無かったが、ラットの熱が引いた今は耐え難い激痛を産んでいる。

そして、しっかりとラットの苦しさが去っていくのを確認すると、目の前の苦しそうに呻く珊瑚に近寄った。

「……でも良かった。珊瑚、悪い。君の身体に触れる事を許してくれ。一応ヒートの対応は授業で習っているから……」

「っ、う…なに、これ……うう…せいらんさ、おねが、ちょうだい……星蘭さんの、楽にして、お願い……ぅう…噛んで、噛んで、お願い」

「……珊瑚、僕…諦めなくてもいいかな…。いつか、ちゃんと結ばれて、君の項…噛む事をまた、願っていいか」

僕は、珊瑚の鞄を漁ると第二性がアルファかオメガなら携帯している特効薬を見つけた。

「う、せいらんさ……あ、すき、すき…」

「ごめん、針が少し太いから……僕の身体に寄りかかって。そう…力を抜いて、」

僕は…可愛い珊瑚のヒート姿を目に焼き付けると、後ろから抱きすくめるようにして保定し、太ももに一気にその薬を打ち込んだ。

珊瑚の動きを必死に止めてはいたが、つい薬を打ち込んだ瞬間力が緩み、珊瑚は軽く振り向くとその唇が僕の唇に重なる。

「……っ」

そして…すぐにくったりと珊瑚は眠りに落ちていったようだ。

「……はぁ、こんな状況なのに僕は珊瑚と口付けを交わせて嬉しいと思ってしまうなんて」

僕の情けないため息を吐き出す。
珊瑚、君を守れて良かった。





「いや~天晴れだ、流石宮ノ森の次期当主。私なら目の前にこんな可愛いオメガのヒートを目の当たりにしたら一目散に番ってしまう」

「っ、あなた、下品な言い方はやめてください」

起きた時、僕は自室で寝ていて…すぐにリビングに向かうと土下座しようとする星蘭さんを母さまが必死に止めていた。


「…父さま」

僕が、声を掛けると六つの目玉が僕に注目する。母様が僕に駆け寄り、心配そうに抱き締めた。

「…星蘭さん、手…大丈夫ですか?!」

僕は、ヒートで霞む視界の端でちゃんと一連の事を記憶していた。

星蘭さんがどうにか、僕を噛まないように…犯さないようにしてくれた事。

そして……僕と星蘭さんのすれ違い。
僕を送る為に渋々辞めたと思っていた剣道は、僕の為に始めたという事実。

そして、僕を好きだと言った星蘭さんの言葉。

終始自分を、かっこ悪いと卑下していたが…僕はそんな人間らしい星蘭さんとの触れ合いを望んでいた。

遠回りにはなってしまったが、確かにあの日見たのは僕の王子様だった。


「……珊瑚、珊瑚、ごめん。怖かっただろう。僕が…君に懸想を抱いたのがいけなかった。それに誘発してヒートを起こして…太もも、痛くないか?ごめん、珊瑚」

「いやいや…ヒートのオメガを前して、怪我を負ってまで珊瑚を守ったのですから、星蘭くんは本当に出来た未の息子だ。婚約者なのだから、もし事故が起きていたって、私は怒る事もしなかったでしょう」

「あ、いや……その事なんですが……」

少しデリカシーに欠けた物言いで笑う父様に、星蘭さんが訂正しようと悲しげに遮るが、僕は間に入ると星蘭さんの横に座った。

「そうですよ、星蘭さん……あと二年も経てば星蘭さんさえ嫌じゃなければ番うんですから、別に……噛んでもよかったのに。こんな…傷まで作って……」

「……珊瑚っ」

星蘭さんは何か言いたげだったが、僕が誤魔化すように間に入ってきた事に気づいたようで…その言葉を押し殺した。

「……あんなにかっこいいアルファ、僕見た事ない……星蘭さん、ありがとう」

僕は星蘭さんの両腕を掴んでその目を見つめると、嬉しそうに星蘭さんの瞳が揺れる。

「……珊瑚、愛している」

「星蘭さん、僕も…あなたが大好きです」

母様は顔を赤らめ、目を逸らす。
父様は、少しからかうように笑うがその目には優しさが滲んだ。


僕たちの政略結婚は恋愛結婚に変わった。
宛てがわれたアルファじゃない、僕だけのアルファは誰よりもかっこいい…この人だ。





珊瑚はあの後大事をとって一日休んだが、僕は無事に復帰した。

珊瑚と詳しい話はしていないが、珊瑚の両親の前での好きという言葉は、きっと真に受けていいのだろう。

手の甲の傷を見る度にニヤニヤと笑う僕はさぞかし不気味だったようで、友人は僕の乱心を頻りに心配した。

打算ではないとはいえ、こんな傷一つで珊瑚の別れを撤回する要因になったのなら、これ程に誇らしい事はない。

そして、珊瑚が無事に登校したという知らせを聞き…授業が終わると一つ下の学年へと足を伸ばす。

いつもなら校門の外で待ち合わせていたが、今日はそれすらももどかしい。

「…珊瑚」

またしても人集りを作る可愛い僕のオメガを見つけ、その中へと割り込んだ。

珊瑚の足元に膝まづくとその手を取り、唇を押し当てた。

「…わ、星蘭さん?!」

「珊瑚、迎えに来た」

いつもなら、珊瑚の方が僕に懐いていて僕は軽くあしらうという図だったのに、媚びるような僕の態度に観衆がザワつく。

「星蘭さん、恥ずかしいです…」

そのまま、手を繋ぐと…すまないね、とクラスメイトたちに軽く挨拶して珊瑚を人集りから奪い去った。

「嫌だったか、もうかっこつけるのは止めた。僕の気持ちのままに行動する。嫌だったら言ってくれ、なるべく直すから」

珊瑚も、クラスメイトに別れの挨拶を送ると僕の顔を覗いた。

「……星蘭さん、恥ずかしいけど…僕、嬉しい。星蘭さん、僕に興味無いどころか、嫌悪の対象だと思ってたし…本当の星蘭さんってこんな甘いんですか」

二人で並ぶ廊下で、周りの生徒たちは好奇の目で見つめ嬉しそうに笑う。

「ああ、君への好意が漏れ出さないようにするのにいつも精一杯だった。珊瑚も見ただろ、いつもああなんだよ、僕だって高校生だし……かっこ悪いけど、いつも珊瑚と手を繋ぎたかった」

珊瑚が顔を染めた。
僕の…可愛いオメガ、これからはこうして君に好意を伝えていい僕は幸せなアルファ。

いつか、君の項を噛むアルファなのだと自慢して回りたくなる。

珊瑚、小さい頃からずっと可愛くて…好いていた、僕だけのオメガだ。


僕は、人気の少ない廊下に出ると、その愛おしいオメガの頬に優しく口付けをした。







『珊瑚、可愛い。婚前では絶対キスしかしないから…お願いだから僕の手の届く所にいつも居てくれ。お前は本当に可愛いんだ、分かってくれ……。特に外出先ではトイレに行く時も絶対個室を使って欲しい、僕は扉の前にいる。ああ、あまり無闇に笑わないで…特に可愛いから、すぐにアルファは好きになってしまう。束縛じゃない、君を守りたいだけだ』


『……うう、嬉しいけど……星蘭さんってこんな重めな過保護なアルファだったんだ…いや、嬉しいけど…やっぱりアルファなんですね…』
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