1 / 10
第一話 入学
しおりを挟む「行ってきまーす」
宮島誠は靴を履き、家のドアを開けた。着慣れないスーツに身を包み、歩き出す。気になって何度も、ネクタイを触る。何度も鏡の前で直したのに、やっぱり着こなしてる感がない。
「どうかしました?」
後ろの方から声をかけられ、振り向くとパンツスタイルのスーツを着た鈴風美絵が立っていた。引き締まった体、出るところは出てて体のラインがはっきり分かってしまう。薄く化粧もしてあり、美人が更に際立っていた。誠は顔を真っ赤にして、唾を飲み込む。
「みっ、美絵。おっお、おはよう」
「まっ誠か。ビックリした。髪の毛切ったんだな、雰囲気違ってて気付けなかった」
誠は肩まで長がった髪の毛を切り、ツーブロックにイメチェンしたのだ。美絵は胸に手を当て、ため息を吐いた。
「おはよう。どうせなら一緒に行くか?もうそろそろバス来るから」
誠は頷き歩き始めた。バス停のベンチに座る。
「やっぱ普段着無いものは、駄目だな。そわそわする」
誠はさっきから首元ばかり弄っていた。
「私もだ。やはり、制服があった方が落ち着くな」
「入学式は午前で終わるから、まぁすぐ脱げるけどね」
誠が苦笑いして、美絵も笑う。
2人の前に大学行きのバスが来て、乗り込んだ。
鈴風智瑛理は、図書室のドアの前で深呼吸をしていた。ポケットから手鏡を出して、顔と髪を入念にチェックする。
よしっと小さくガッツポーズを取ると、ゆっくりとドアを開けた。
朝早いため、数人の人しかいない静かな図書室。キョロキョロしながら、奥へと足を運んでいく。目当ての人を見つけた。暑い本を読んでいる。
心臓がバクバクと高鳴った。大空カナタ、目当ての彼は眼鏡を掛けて本を読んでる姿が、外の光に照らされてカッコいい。皆んなが、騒ぐのも無理のないくらいの美形。
何でこの人が私に告白してきたのだろう。
「あ、智瑛理ちゃん。どうかした?」
気配に気づき、笑顔で彼女をみた。智瑛理の鼓動が爆発するくらい高鳴った。
「あ…いやその、ほっほら返事っ。なんだかんだ言って、出来なかったから。えっとさ、あの…」
智瑛理はモゴモゴと口を動かし、指をぐるぐるする。カナタはニコニコして待っている。
智瑛理はまともに見れず、目を瞑った。
「あっあたし、おっお姉ちゃんみたく、綺麗でもないし勉強とか運動とかまるで駄目だし。そんなでも無いし…でっでもでも、こんなんでも良いなら…」
「大丈夫だよ。ちゃんと、智瑛理ちゃんも可愛いし。明るいし、料理上手だし、大好きだよ」
智瑛理は一気に力が抜け、座り込んだ。そんな彼女の頭を、カナタは撫でた。
「私も、カナタ君が好き…」
「じゃあ、改めてよろしくね。智瑛理ちゃん」
カナタの差し出された手を、智瑛理は照れ笑いをしながら握り返した。
入学式が終わり、美絵と誠はテラスを歩いていた。
「もしかして、鈴風美絵さんですか?」
目の前に女の子の3人組が、もじもじとしながら声を掛けてきた。
「そうだが…。どうかしましたか?」
女子が黄色い声を小さく出し、騒いだ。
「あの、私達あのポスター見てここに頑張って来たんです。もし宜しかったら、剣道部に入るのでご指導よろしくお願いします」
3人が同時に頭を下げた。美絵は、おどおどしてしまった。こういう光景に出くわしたことがない。どうすればいいのやら…。
そうすると隣に居た誠が、一歩前に出た。
「君達も同じ一年生?俺も剣道部員になるんだ。一緒に頑張ろっか」
女の子達が見上げた瞬間、また叫び声が響いた。
「もっもしかして、彼氏さんですか?」
「やっぱり。美絵さんの彼氏さんですから、強いでしょうし、かっこいいですよね」
キラキラした目で誠を見て、誠はにっこりと笑った。
「まーそれなりに」
美絵はその言葉に、肩がガクッとなった。
剣道なんて素人な癖によく言う。
「すご~い!まさに美男美女で羨ましいです。ではまた、よろしくお願いします」
色めいた声を上げながら、少女たちは横を通り抜けた。
美絵はため息をついた。
「また嘘を…」
「いーじゃん。いずれそうなるんだし。頑張って、嘘じゃない様にすればいいだけ」
美絵は歩き出した。
「そこはお前次第だ」
見学がてら、剣道部の部室に行った。
入ると1人の男が掃除をしていた。その後ろ姿に、見覚えがあった。
「麻木先輩」
美絵は声を上げ、部室に足を踏み入れた。麻木律斗、美絵とは高校時代の先輩で同じ剣道部の主将だった。
「美絵ちゃん。そか、今日入学式だったもんね。久し振り」
振り向いて笑みを浮かべる。優しい眼差し、美絵の横にいた誠は少し胸が痛んだ。自分以外に親しげに話す人が、他にも居たなんて。
「今から部活ですか?」
「いや、今日は休み。多分今頃外で部活勧誘やってるよ。他の奴らも」
美絵に近づこうとした律斗を、誠は割り込んで止めた。律斗を睨み付ける。
「こっこら!誠っ、何やって」
美絵が焦って誠の肩を持ち、止めたがびくともしない。
「今、俺の女に触ろうとしませんでしたか?先輩さん?」
その言葉に、1分くらいか間が空き律斗は下を向き苦笑した。美絵は赤くなり、誠を離した。
「馬鹿か、お前は。先輩に変な事を言うな!すみません、あのっ…」
美絵が急いで謝ると、律斗は片目でチラリと2人を見た。
「こっちこそごめん、笑っちゃって。でも、元気そうで良かったよ。色々あったから、特に美絵ちゃんはさ」
美絵は、照れた様に笑った。
「行くんだろ?あっちに、挨拶」
美絵は律斗の言葉に、弾かれた様に遠くを見つめ頷いた。
「はい…」
美絵と誠は暫く歩き、駅にたどり着いた。美絵が振り向く。
「誠は家に帰っていいぞ。私は行ってくるから」
誠は美絵の腕を掴んだ。
「俺も行く。京都行くんだろ?」
2人は電車に乗り、京都に着くとお寺に向かう。
1つのお墓に辿り着く。近くのお店で、買って置いた花の新聞紙を取った。
「あら、美絵ちゃんと確か宮島君かしら?」
横から声が聞こえ、振り向くと真中里志の母、木葉が立っていた。
「来てくれたのね、ありがとう」
「いえ、中々行けなくてすみませんでした」
近づいてくる木葉に、美絵は慌てて頭を下げた。
「いいのよ。忙しかったでしょう、大学生なんだから。勉学に励んでくれて、構わないのよ」
そう言って美絵の横にしゃがむと、美絵から花を受け取り花瓶に生けてくれた。
お線香を人数分火をつけ、手を合わせる。
木葉が立ち上がると、手提げバッグを漁った。
「そうそう、貴方に会えたらこれ渡そうと思って毎日持ち歩いてて良かったわ」
そう良い、風呂敷をゆっくりと解く。中からいくつかの物が出てきた。
「里志の遺品よ。整理してたら出てきたの。全て貴方宛だと思う。受け取って、下さるかしら?」
美絵の鼓動が高鳴る。怖いのか、ドキドキして唾を飲み込んだ。震える手を押さえて、受け取った。箱が幾つかあり、ノートもある。
箱を開けると、スマホとまた小さい箱が入ってた。
「里志さんのスマホ…でも私…」
「暗証番号は、貴方の誕生日よ。私に前ぽそりと教えてくれたの。秘密だって、照れてたわ」
美絵は頬を染めながら、小さい箱に手を付ける。中身は、指輪だった。
「これって…」
「貴方宛で合ってると思うわ。名前の頭文字が、彫ってあるから」
覗くと小さく『M.S』と彫ってあった。美絵の胸がざわつき、熱くなった。泣きそうになってしまう。
「ここまでしたのは、貴方が初めてよ。本当ありがとう、美絵ちゃん」
優しい微笑みと声。美絵は指輪の入った箱を胸に抱き、泣きじゃくった。そんな美絵を、誠は抱き締めた。
帰り道の電車の中。美絵はゆっくりと、里志のスマホの暗証番号を押した。震える指を押さえながら、写真のアプリを開いた。
指でスライドして行くと、沢山の写真。美絵の写真が沢山出てきた。中には隠し撮りされてたのもある。
「私、言えなかったんだ。里志さんに、本当の気持ち。里志さんの前だと、思う通りに自分が出せなかった」
指を止め、淡々と語り出す。そんな美絵を誠は見つめた。
「里志さんはずっと、涼しい顔をしてて。私ばかり、胸が痛くてでもその頃はそれが好きとか、そうだとか分からなくて」
また美絵の瞳に、涙が溢れた。ぽたりと、スマホの上に涙が落ちた。
「でも、珈琲屋で里志さんが告白して来て。あー同じ気持ちなんだって、言っていいんだって分かって。でも言えるタイミングがないまま、連れて行かれて……私なんかの為にっ、しっ死んで…」
美絵は肩を揺らしながら、声を押さえ涙を流した。言葉がつっかえる。
「私は裏切って、誠と付き合って…なのに、里志さんはっ…。最後まで、優しくて…本当、私は……」
誠は天を仰いだ。美絵は里志の死によって、後悔で心を暗くしている。表面上は明るく振る舞っているが、整理が付いていないのが本音。いつだって、美絵が里志に対する気持ちは、誠に対する気持ちに勝てる事はない。こればかりは、誠だって分かっている。それでも構わないと言ったのは、誠の方だ。だから、文句は言わない。里志の事で美絵が泣く行動には。
「俺と付き合った事、後悔してるの?」
誠の言葉に美絵は答えられなかった。ただ美絵は、誠のスーツの裾を掴んだ。
「1人が怖くなったんだ…。里志さんを選んで私は、家族に距離を置かれてっ…。友達だった麗奈にも、嫌われて…。誠も失ったら、私孤独で…」
誠の方をゆっくりと美絵は見た。
「里志さんと会う前は、1人でも大丈夫だったのに…。どこでっ弱くなったんだろうな、自分は。不安定だったのに、それを安定させてくれたのは…誠だった」
美絵の涙は止まっていた。言われて誠は少し、頬を赤く染めた。
「1人が怖かったんじゃないな。誠を失うのが、只怖かったんだ。だから、後悔はしてない…と思う」
美絵は誠の肩にもたれ掛かった。誠の心臓が、一気に高鳴った。息が苦しくなる。
駅に着き、2人は降りてホームに出た。帰宅ラッシュでは無いので、人は疎ら。誠は周りを見て、美絵の腕を引っ張った。グイッと美絵は誠の方に寄せられ、唇が重なった。
熱い誠の唇。焦っているような吐息。誠は興奮を抑えられないでいた。
「なっ何をする。ここは外だぞ」
美絵は顔を赤くし、誠を離した。誠の顔は耳まで赤く、興奮で息が荒い。妙に色っぽかった。
「美絵が、あんなこと言ったから…悪いんだ」
聞き取れない程の、小さな呟きに美絵は問いかけようとしたが、また腕が引っ張られた。誠の足が早く動く。ピタリと、動きが止まった。誠が美絵の方に振り向く。
「今から、俺の家行こう」
誠が近づき、美絵の頬を空いている手で触れる。
「美絵が悪いんだ、責任取ってくれ」
唇も熱かったが、手まで熱を持っている。
「はぁっ!私は何もしていないだろう!そんな、言い掛かりっ!」
思い当たらない、美絵は声を上げた。が誠は無視をし、美絵を家まで引っ張った。
2人の家の前に着くと、隣の誠の玄関にグイグイと連れて行く彼の手を、美絵は一生懸命取ろうとする。何て力だ、強情な手は中々取れやしない。
そうこうしているうちに、誠は美絵を引き入れ鍵を閉めると、美絵の口を貪る。
息つく暇もない位、何度も何度も唇をまじ合わせてくる誠。美絵の心臓も高鳴って来た。胸の奥から、いやらしい感情が引き摺り出されそうになる。誠は興奮した息を吐きながら、美絵の頬を両手で包み込んだ。
美絵の紅潮した顔、甘ったるい吐息、潤んだ瞳。全てが男を掻き立たせる。
「綺麗で、いやらしい女」
「なっ!」
言い返そうとしたが、次の瞬間誠は美絵をお姫様抱っこした。無言で二階に上がっていく。ベッドに美絵を下ろすと、上に覆い被さり誠はネクタイを緩めた。美絵は焦った。
「きょっ、今日は止めよう。な、ほっほら、私達…スーツだし…。シワになったら、大変だろ?」
「無理だし。それに、そんなの関係無いじゃん」
誠にさらりと言い、美絵の胸を掴んだ。美絵は体を捩る。
「美絵ってさ、胸…デカくなったよな」
しみじみと揉みならが、もう片方の手で美絵のブラウスのボタンを外していく。美絵は急いで胸元を押さえ、寝返りを打った。
「何言ってるんだ!しかも何でその様な事が、分かる!」
「何でって、毎日美絵の事見てるし」
誠の手が今度は、美絵のお尻を撫でた。ゾクゾクして、美絵は身を縮める。
誠が美絵の耳に口を近づけた。
「ねぇ、こっち向いてよ。もう、我慢限界。美絵の中で感じてみたいんだ」
誠は美絵以外と関係を持つのが嫌で、この時までずっとした事がないのだ。
美絵は恐る恐る顔を向けると、誠は物欲しそうに美絵を見つめていた。
誠がキスをする。離れるとおでこを合わせて来た。
「いいよね?」
美絵の返事をよそに、誠は彼女の体を弄った。
「るんるんる~ん♪」
美絵は少々疲れた顔と足取りで家に入ると、物凄く上機嫌なオーラを身にまとい鼻歌を歌う妹がいた。
「あっ~♪お姉ちゃん、お帰り。晩ご飯丁度出来たよ」
姉の存在に気づき、智瑛理は振り向いた。美絵はギョッとする。智瑛理の手には白いお皿に乗ったハンバーグ、しかも全てハートの形をしている。机の上を見ると、サラダとカレーライス。ロースカツとご飯もハートの形をしていた。
何気に物凄く食べ辛い…。
「なっ…何があった、智瑛理…」
「え~やっだ~、分かっちゃう?さすがお姉ちゃん、勘が鋭いんだから~」
智瑛理がハンバーグを机に置くと、美絵の肩を笑顔で叩いた。こんなの見せられて、何もないと言う方がおかしいと言いたいくらいだ。
「私ね、彼氏出来たの。もぅ明日からどうしよ~」
頬に手を当て、恥ずかしがりながら言う智瑛理を見て美絵は小さくため息を付いた。
「別に、普通にしてればいいだろう」
「えー!お姉ちゃんは誠くんと居て、普通で居られるの?」
美絵は少し考え込んだ。
「居られるな、何も気を元々使ってない相手だ。むしろ変に気にしたら疲れるだろう」
「確かにね、誠くんは幼馴染みだもんね。でも私は違うもん、カナタ君と普通になんて無理無理」
カレーの入った鍋を真ん中に置くと、智瑛理はみんなの皿に配った。
「あらあら、今日は随分可愛らしいご飯ね~。智瑛理ちゃん良いことでもあったの?」
母の言葉に智瑛理は「まーね」と呟いた。
お風呂上がり、智瑛理は美絵の部屋に来ていた。
「遠距離って、どうしたら良いんだろうね」
智瑛理は膝にクッションを乗せ、体育座りして美絵に尋ねる。
美絵は丁度、ドライヤーが終わり髪の毛を解かす。
「遠距離って言っても、大学が違うだけで住むところは変わらないだろう」
「そうなんだけどさー、不安で。そりゃまだ1年間は一緒の高校だし、気にしなくて良いんだけど」
智瑛理は思い付いたかの様に、美絵に近づいた。
「それより、あれって初めてはやっぱ痛いの?好き同士でも、気持ちいとかそういうのないの?」
美絵はいきなり何のことだか分からず、後ずさる。
「なっ、何だいきなり!」
「何って、エッチ。営みの事」
美絵は顔を真っ赤にし、目を大きくする。
「へっ変な事聞くな!知らない、そんな事!」
「えー、ケチ。経験者なくせに。姉妹なんだから、教えてくれたって良いじゃん。こんな事友達に聞けないし」
智瑛理は美絵の服を引っ張った。美絵は答えたくなかった。
「智瑛理だって、そのうち経験するだろう!そこで知れば良い!」
「準備とか、心構えとかあるじゃん。色々不安なのー、どうするのいきなり襲われたら」
「大空はそういう事しないだろう。少なくとも、誠より常識はあると思うが」
美絵は言ってて、嫌な思い出が過ったが急いで消した。
「まぁそうだと思うけどー。ってそれって、
誠くんに失礼だよ」
智瑛理は拗ねた。美絵は苦笑いをする。
「でもさ、何でカナタ君って人が何か言いにくい言葉でもすらすら言えるんだろう。今日も、大好きとか可愛いとか普通に照れずに言えるってなんか凄いなーって。嬉しかったけど、もやもやするんだよね…」
智瑛理は喋りながら、クッションに顔を埋めた。
「誠くんも褒める時って、すらすら普通に言ってくる?」
「それは…まず無いな…。あいつ口下手だから。思ってる事は直ぐ口にする時は、たまにあるが…」
「まぁ、色んな人が居るって事だよね。カナタ君だけが特別って訳じゃないし。でも言い慣れてる様な雰囲気で言われると、なーんか嫌なんだなーって」
智瑛理は顔を少しあげ、窓の外を見た。真っ暗で、星が綺麗に見えている。
「でもそんな事、贅沢だよね。人気者のカナタ君と恋人になったのに。やだとか、もやもやとかしちゃ可笑しいね…」
「あれ?先輩、休みですか?」
次の日、美絵は商店街の本屋にいた。そこに智瑛理の彼氏、カナタが居た。
「久しぶりだな。高校はどうしたんだ?平日なのに」
カナタはにっこり笑う。
「あー、ちょっと用事があって休みました。終わったんで、参考書買いに寄り道です」
カナタが近づいて来る。美絵は少し警戒して、軽く距離を置いた。カナタが後ろを覗く。
「あれ?1人なんですか?誠先輩と一緒かと思いました」
「あぁ、あいつは授業でな。私は違うから、夕方から部活だ」
カナタは興味なさげに「ふーん」と呟き、ニヤリと口元を歪ませた。
「だったら少し喫茶店行きません?丁度お昼ですし、何か食べながら話しませんか?」
「まぁ、構わんが…」
カナタは、嬉しそうに笑い美絵の腕を引っ張った。
「ありがとうございます。実は行きたかったカフェがあるんですが、男じゃ入り辛くって」
美絵は慌てて持っていた本をその場に置き、2人は慌ただしく店を出た。
走って、10分くらいの「fairy 」と言うお店に入っていく。妖精という意味が似合う、何もかもファンシーなお店。美絵は変な気分になった。こういう雰囲気のお店は苦手だ。
席に座り、カナタはメニューを開く。
「1人って、智瑛理とくれば良いだろう」
美絵がボソリと呟いた。
「行きますよ、そのうち。まぁ予行練習という感じで、付き合ってください。先輩は何頼みます?」
カナタはメニュー表を広げた。美絵も覗き込む。そんな彼女を、カナタは見つめた。その目線に気づき、美絵は上目遣いで睨む。
「…何見てるんだ?」
「別に、ただ先輩は変わらず美人だなーって。悩んでる顔も、可愛いですし」
美絵はとっさにメニューから目を離し、カナタから離れた。
「ばっ、馬鹿なこと言ってないでお前も決めろ!」
「本当の事なのに。男なら誰でも、惚れるの理解できます」
「そう言う褒め言葉は、智瑛理に言え!それも練習か?」
「先輩のケチ、本当なのに」
美絵はコーヒーとオムライス。カナタはオレンジジュースとたらこクリームパスタを注文した。
先に飲み物が届く。
「そう言えば、智瑛理喜んでたぞ。初めて出来た彼氏だって、浮かれてた」
美絵はコーヒーにミルクとガムシロを入れ、スプーンで掻き回す。
「そんな浮かれられると、プレッシャー凄いですよ。まぁそこが可愛いんですけど。でも不安がってましたよね、大学では離れますし」
「確かにな、それは言ってた。もっと自信持てば良いのだが…」
美絵は少しコーヒーを口にする。カナタは何故か、1つ1つの行動に目が離せないでいた。またあの気持ちが湧き上がって来る。
やっぱり綺麗だ、欲しいと…。鼓動が大きく、ドックンと高鳴る。喉が渇き、ジュースを少し多めに口に含んだ。
しばらくして、2人の食事が届いた。美絵はオムライスを見て苦い顔をした。ケチャップがハート形にかけられている。昨日の事を思い出してしまい、小さくため息をついた。
「何か、嫌いな物でもありました?」
その様子を見て、カナタはフォークの動きを止めた。
美絵は首を振った。
「いや、そうではない。悪い、気にするな」
美絵は躊躇いながら、スプーンを卵に入れた。
ご飯を食べ終わると、お金を払い2人は店を出た。
「美絵先輩」
カナタの低い声。美絵は振り向くと、カナタは美絵の右手を掴み手の甲に唇を軽く当てた。美絵は驚き、後退りしたが後ろが壁で下がれない。カナタは空いてる手を壁につる。美絵は固まって動けなくなった。カナタは美絵の右手の甲を、自分の頬に当てた。美絵はゾッとする。
「僕、変なんですよ。好きなのに全然、智瑛理ちゃんには欲情しなくて。久しぶりに会って、やっぱり美絵先輩は無性にめちゃくちゃにしたくなるんです」
「なっ!何言ってっ…」
真っ赤になって、美絵は声を出す。カナタはうっとりとした表情で、美絵の顔を見つめる。
「綺麗で、妙に色っぽくって。ちょっと触れるだけで、震えるし息も熱っぽい」
カナタが、壁から手を離し美絵の前髪に触れる。美絵はビクリとし、目を瞑る。
「その一つ一つが知らない間に、男を誘って虜にしてるの気づいてますか?」
「しっ、知らない…。と言うか、やめろ」
美絵はカナタの手を払い除けた。外なので、あまり大袈裟には出来ない。カナタから解放され、その場を離れようとした時美絵の耳に何か冷たい物が当たった。カナタのスマホだ。耳に当たった瞬間、聞き覚えがある声が流れ出した。
美絵の顔が赤くなる。
「覚えてますか?高校の文化祭、僕が貴方を襲った動画です」
美絵の中でドクリと蘇る。汚点でしかない出来事。
「とても綺麗で、興奮しましたよ。また乱れて来れませんか?」
「する訳ないだろう!直ぐ消去しろ!」
美絵は耳を塞ぎ、カナタを睨み付けた。
「しても良いですけど、コピーした物なので現物は消えませんよ」
「脅しか?」
その言葉に、カナタはニッコリと微笑み頷いた。
「そうです。この動画が智瑛理ちゃんにバレたくなかったら、僕のセフレになりませんか?」
美絵はカナタの頬を叩く。
「何を言い出すかと思えば、下品な!智瑛理が好きで、付き合ったんじゃないのか?」
「その通りです。でも2人とも欲しいんです。ひどい姉妹ですよ、本当貴方たちは…」
うっすらと赤くなった頬を気にもせず、カナタは淡々と意味不明な言葉を並べた。
こんな彼だと知ったら、智瑛理は悲しむだろう…。
「酷いのは、お前のその汚れた気持ちだ」
美絵はそれだけ吐き捨てると、小走りでその場を離れた。
カナタは動きもせず、下をチラリと出し赤くなった頬を手のひらで拭った。
大学の剣道部、部室。美絵は袴に着替えると、更衣室を出た。道場に入ると、同じタイミングで誠が運動着で居た。
「誠、袴は?」
「あー、まだ届いてなくて。俺だけだったら、恥ずかしいなー」
「まぁほとんど経験者しか、ここの剣道部は加入しないからな」
2人して苦笑いした。少し沈黙し、美絵はそわそわした。昼間の事が妙にこびれついて、やな感じ。
「なぁ、誠」
「ん?」
誠が美絵の方に顔を向けた。美絵は下を向き、小さい声で喋り出した。
「誠は…私の事、ちゃんとすっ好きで…付き合ってるんだよな?」
その言葉に誠は、真っ赤になり驚いた。
美絵は少し顔を上げ、物欲しそうな表情。可愛くて仕方なかった。誠は唾を飲み込む。
ダメだここは部室なんだから!と何度も頭に言い聞かせる。
「あっ当たり前だろ!第一、俺は美絵以外と付き合うのは嫌なんだから」
「そか、お前はそう言うやつだもんな。悪い、おかしな事聞いて」
美絵は笑いっていたが、どこか無理してる様にも見えた。誠の胸が少しチクリとする。確かに美絵らしからぬ、変な事だ。何で確かめる、分かりきっている事なのに。何かあったとしか考えられない。でも、誠には聞く勇気が無かった。
襖が開き、次々と人が入ってくる。美絵は軽く咳払いをすると、律斗の横に立った。
「初めまして。今日は別件で主将が居ないので、代わりに男子の指導を受け持ちます。麻木律斗です。そして女子の指導を、隣に居る鈴風美絵が担当します」
美絵は軽く頭を下げて、上げると数人の女子が憧れの目線を向け騒めく。そして一斉に声を上げた。
「よろしくお願いします」
部活が終わり、誠はその場にへばり込んだ。慣れない運動に体が疲れてしまった。
美絵が近づき、腰を下ろす。
「お前、里志さんに教えて貰ったのか?」
「へ?何で」
美絵の問いに、誠は顔を上げ首を傾けた。
「あっいや…形がそっくりだったから、なんとなくな」
「まぁね、少しだけだけど。無人島の時教えてもらったんだ」
誠はジャージのチャックを下ろしながら、空いてる腕で汗を拭う。
美絵はそっぽを向き、ため息を吐く。
「しかし……、あちっー!」
後ろの方で、女子が悲鳴を上げていた。美絵が何事かと振り向くと、誠がシャツも脱ごうと裾をめくっていた。鍛え上げられた、腹筋が露わになる。
美絵は急いで、誠の頭を叩いた。
「馬鹿か!着替えは更衣室でやれ!」
「いってーな!」
誠は叩かれた頭を両手で抑える。
「あーもうダメ。刺激強すぎる~」
1人の女子が呟き、ふらふらと倒れ込んだ。
「やだー!大丈夫?コナミー」
2人の女子が叫び、コナミと呼ばれた少女を揺さぶる。
「あれはどう責任取る気だ!」
誠の胸ぐらを、美絵は掴んだ。
「責任って、倒れて歩けないなら抱っこして救護室に連れてけばいいの?」
「抱っこー!宮島くんにされたら、死んじゃう!」
誠の何気ない言葉が、また女子を刺激した。美絵がまた怒って、今度は頬を叩く。
「何だよー!そんなに悪い事やってねーだろ!」
「大ありだ!とにかく謝って、さっさと着替えろ!馬鹿が」
誠は拗ねて、歩き出すと女子に軽く頭下げた。
「ごめんねー」
そそくさと男子更衣室に入る。女子が美絵を囲む。
「やっぱり、宮島くんって鈴風さんの彼氏だったんですねー」
「まぁ…あのっ、えっと」
突然囲まれ、美絵は焦った。
「いいなー、美男美女。絵になるわー」
美絵は只々、苦笑いするしか無かった。
「恥ずかしかった」
帰り道、美絵は暗い顔をして呟く。
「美絵、悪かったって」
誠がオロオロと周りをうろうろしながら、手を合わせる。
「まぁ、いいが…。しかし、お前そんなに目立つのか?」
「みたい…分かんないけど」
美絵が足を早め、誠の前を歩く。誠は美絵の背中を見つめながら、頭を描いた。
「なー、なんかまだ痛むんだけど。頭とほっぺた」
嘘だ、誠は拗ねた口調で言う。誠が美絵に珍しく甘える。
「お詫びにキスしてっ!」
誠が続きを言おうとすると、遮る様に美絵はまた誠の頭を叩いた。
「あー、また叩いた!」
美絵はムスッとした顔で、誠を追い越した。誠は慌てて追いかける。
「えー、これから仕事ですか?もう、夜ですよー。学生をもっと労わってよね」
後ろの方で甘えた声が響いた。スマホ越しに拗ねた声を上げていた。
ため息を吐き、スマホの通話ボタンを切る。
「それより…」
少女は少し遠くを歩いている誠に目をやる。物欲しそうな顔をした。
「いいなぁ~。宮島誠君…」
次の日、誠が慌てて大学の門を潜る。寝坊をして、美絵に置いてかれたのだ。息を切らして走っていると、後ろから誰かがぶつかってきた。
「いったーっ!おい、前見てちゃんと歩けよ!」
体が当たった衝撃で、つい強い声で誠は叫んでしまった。ふわっと甘ったるい匂いが、鼻に付く。
肩をさすりながら後ろを振り向くと、顔を顰めた女の子が地面に座り込み、お尻をさすっていた。片目を開け、潤んだ瞳で誠を見た。
「ごっごめんなさい。私急いでて…。怪我はありませんか」
女の子は慌てて、身体を起こすと四つん這いで誠に近づく。誠はその姿にギョッとした。服の胸元が見え、谷間がチラリと見えていたのだ。急いで目を逸らす。
「べっ別に無いけど、ごめん。こっちこそ怒鳴って…。大丈夫?」
誠が差し出した手を、女の子は両手で包み込んだ。
「良かったです。あっあの私、姉崎メグって言います。良かったらお詫びに、食事でもっ」
メグが立ち上がると、誠は手を離した。メグは驚いた。
「お詫びとか要らないよ。俺も急いでるから、じゃあね」
誠はまた走り出し、大学の中に入って行った。
「つれないのー、何よあれ」
「姉崎さん!」
むくれていると、女のマネージャー呼ばれて振り向く。
「あまりイチャつかないで下さい。もし、週刊誌にでも載ったらっ…」
「そんな訳ないでしょ。私そこまで有名じゃないし、下っ端のモデル程度なんだから」
更にムカついて、歩き出す。
「私だって、もっと有名になりたいわよ。スタイルと美貌求めても、取れないものがあるなんて許せないんだから」
ため息を吐き、指を鳴らした。後ろで足音がする。
「誠君の事について調べて欲しいの」
後ろにいた男が呆れた顔で言った。
「彼の事なら知ってますよ。前、少し違う件で会っていたので」
メグは驚き振り向く。
「なっ、何それ。違う件って…。あんた本当食えない男よね。私の好意も無視して」
メグが言う通り、彼もまた男前だ。しかし、彼は恋に全く興味を示さない。
「彼は単純ですよ。でも彼女一筋で、頑固です。相当難しいかと」
「そんなの、ちょっと私が割って入れば崩れるわよ。私だってモテない事なんて、一度もなかったんだから」
「遅刻だな。完璧に」
誠は息切れしながら、席につき隣に居た美絵に冷たい目線を浴びせられた。
「宮島、遅刻だぞ。後で先生のところに来い。授業再開するぞ」
歴史の授業が終わり、誠は先生の所へ浮かない顔でいくと両手いっぱいの資料を乗せられた。
誠は動けなくなり、泣きたくなった。何だこの大量の資料は…。
「遅刻した罰か?」
美絵が後ろから声を掛ける。誠は振り向かず、嘆いた。
「これを元に、レポート書けって…。地獄かよ…」
「お前が悪いから仕方ないだろう。頑張れ」
「だってまだ入学して、そこそこだよ。なのにいきなりハードル高くない?たかが遅刻だよ」
美絵はため息を吐いた。
「ここは、只資格が欲しいからって言う軽い気持ちで入れる大学ではないんだぞ。IQも高いからな、たかが遅刻、されど遅刻だ。舐めるな」
「美絵冷たい。こう言う時はさ…『しょうが無いなー、手伝ってあげるよ』とか優しく言ってよ」
「馬鹿か、自分の事だろう。自分の失敗を他人が手助けしてどうする」
「はいはい。放課後、図書室籠りますよ。部活出れないから、言っといて」
誠は拗ねて、席につきプリントを読み上げた。
「鈴風さん、次の授業は移動ですから急ぎましょ」
何故か話しかけてくる女子に戸惑いながら、相槌を打った。どうも入学前に勝手に付けられた、ミス林礼の所為だと思わずにはいられない。美絵はその事と誠の事を思い、ふと小さなため息が口から漏れた。
放課後、智瑛理は友達と別れいつもの人集りに目をやる。見慣れたテニスコート。智瑛理も毎日目を輝かせて、見ていた1人だ。でも今は違う、皆の憧れの的カナタの彼女なのだ。何気にそう思うと、見に行くのが怖かった。バレれば何かされそうで…。でも見たくて、かっこいいし日課でもあるし。奥の方でもじもじしてると、声が聞こえた。
「智瑛理ちゃん!まってて、一緒に帰ろ。後少しで終わらせるから」
カナタが隅で、ウロウロして居る智瑛理に笑顔で手を振った。声をかけられ、真っ赤になったが次の瞬間真っ青になる。
ばっバレた…、応援に来ていた女子全てが振り向き驚きと怒りのオーラが入り混じって居る。怖かった、智瑛理は唾を飲み後ろに下がる。本当は笑顔で返事がしたいのに、無理だ。
「おい、馬鹿だろ。最近出来た彼女さん?って言うか、鈴風美絵先輩の妹さんじゃん。あんな事すると、敵があの子に何かするぞ」
相方に突っ込まれ、カナタは軽く頭を掻いた。
「だって、彼女だもん。帰りたいじゃん、一緒に」
「だからって、それを叫ぶな。そう言うのは、クラスで2人になったら約束すればいいだろう。お前自分の立場、分かってんだろ」
涙目になってる智瑛理に、ざわつきと目線がジリジリと迫る。
「あれが噂の彼女さん?随分格下ね。とびっきりのいい女かと思えば、なーんだ鈴風美絵先輩の妹さん、と言うか失敗した方ね」
智瑛理はそれを聞いて、辛くなった。自分でも十分分かってるつもりだった、姉には劣って居ると。でも実際言われると辛い。
「どうせ無理矢理言い寄って、彼女さんにして貰った程度かしら?カナタくん優しいから、気の毒だわ」
皆同意する様に、クスクス笑い声が聞こえる。胸がザワつき、吐き気がする。
「お姉さんの方だったら、まぁ仕方ないってなるけど。これじゃ、納得出来ないわ。ねぇ、みんな」
「何言ってんの。その子に手出したら、許さないよ」
後ろからトーンが低い声が聞こえ、皆振り向く。カナタがムスッとした顔で、言い放った。女子達が騒つく。
「智瑛理ちゃんの事、貶したでしょ。出てきなよ、言った奴」
取り巻きがおずおずと動き、道が出来てショートカットの女の子が躊躇いながら出てきた。
「べっ別に、貶したわけじゃっ…。でも本当の事言っただけです。カナタ君の優しさでしょ?でしたら早く目覚めて下さい。こんなちんちくりん寄り、もっと…」
「もっと、何?自分とか言いたいわけ?生憎、顔が綺麗でも心が汚染されてる人は嫌いだよ。大体、告白したのは僕だし。悪口言う奴は目が汚れるから、消えてくれる?」
ショートカットの子が青ざめて、震える。見せた事ない、カナタが怒った姿。目が鋭く、声も低い。
耐えきれず走って逃げた、その子を追い掛けるように何人もが「遠子!」と叫んでいた。
「何よ、あの女。許せない。私を侮辱して」
遠子と言われた子は親指の爪を噛みながら、走り呟いた。
カナタはそれを見ると、相方の方を見て手でバッテンを作った。相方の方は肩を落とし、ため息を吐くと荷物をまとめた。
カナタも簡単に荷物を詰めると、走って智瑛理に近づいた。カナタが来ると、さっきのを見ていたせいかビクリと肩が動いた。
美絵より繊細で、カナタは表情を緩めた。
「ごめんね、僕もミスったよ。多分、智瑛理ちゃんと一緒で浮かれてたんだと思う」
優しい目と口調で言われ、智瑛理の肩の力が抜けたのを感じた。カナタはその姿を見て胸を撫で下ろし、手を伸ばすと彼女の頭を撫でた。
「怖い思いさせてごめん。後は全力で、智瑛理ちゃんを守るよ。約束する」
智瑛理は顔を熱らせ、涙を流すと何度も頷いた。
あーやっぱ何度見てもいい、智瑛理の泣いてる姿は誰よりも綺麗だ。白い肌が濃いピンクに染まって、揺らいだ目から透明な涙目が溢れて。ずっと見てられる。カナタは見つめながら、優越感に浸った。でも何か物足りない、美絵先輩の泣き顔は、体全身がゾクゾクして体全部が熱を持ち興奮する。なのにそんな感情が、智瑛理相手だと何も出てこない。ただ安らぐ感じがあるだけだ。性欲すら目覚めない、何でだろう。
「ごめんね、カナタ君。私弱いし、綺麗じゃなくて…。カナタ君?」
涙を拭きながら、言ったが反応が無いカナタを不思議に思った。斜め下を向いて、何かを考えて居るようだった。智瑛理も押し黙る。
それに気づき、カナタは慌てて苦笑いをした。
「ごめん。そんな事気にしないでよ、選んだのは僕なんだし。さっ帰ろ」
手を差し伸べてきたので、智瑛理はグッと握りしめていた手を緩め躊躇いながら手を伸ばそうとしたが、後少しでカナタの手に触れると言う瞬間カナタは差し伸べてた手をゆっくり引っ込めた。
智瑛理は目を見開き、それと同時に胸が大きくドックンと脈を打った。
なんで…、この手はなんで差し伸べたの?手を握ってくれる為に、出したではなかったの?避けられた?
智瑛理の喉が異常に乾く、頭が真っ白になり混乱する。冷や汗がおでこに出た。
そんな彼女の事を見なずに、背を向けて進んでいくカナタに恐怖心が湧いてくる。
ゆっくりと智瑛理は足を動かした。一緒に帰ろって言ったよね?これって、この光景って私達って恋人に見えるの?
智瑛理は必死に涙を堪えながら、距離を置き後を追った。
智瑛理の家の前に着いた。カナタの足が止まり、笑顔で振り向いた。智瑛理は苦しくて自分の胸を押さえた。
「着いたね、じゃあまた明日。智瑛理ちゃん」
カナタはそれだけ言うと、去っていった。智瑛理が動けないでいると、玄関の引き戸が開き美絵が姿を見せた。
「智瑛理?どうした」
美絵の姿を見た瞬間、智瑛理は弾かれたように美絵の胸の中に飛び込んだ。と同時に涙と喘ぎ声も溢れて、止まらなくなる。
美絵は呆然として焦ったが、ため息を一つ吐きゆっくりと智瑛理の背中に手を回した。
次の日、いつも早起きで朝ご飯を作っている智瑛理が起きてこない。あれから部屋に閉じこもってしまっていたのだ。7時半、そろそろ行かなければ高校に遅れてしまう。美絵は智瑛理の部屋のドアを、軽く2回ノックした。
「智瑛理、高校遅れるぞ。どうかしたのか?昨日帰ってきてから、ずっと部屋に閉じこもって…」
5分くらい間が空き、ドアが開いた。制服のままの智瑛が下を向き、出て来た。
「着替えたのか?」
美絵の問い掛けに、智瑛理は小さく首を振った。
「……学校、行きたくない」
小声で言う智瑛理を見て、美絵は驚いた。いつも明るく、周りを笑顔にしてくれる空気がない。
「どこか、具合悪いのか?」
智瑛理はまた首を振った。そして、美絵の袖を引っ張った。
「……お姉ちゃんも、一緒にいて。休んで…」
消え入りそうな声、覗き込むと目は腫れ顔も疲れ切っていた。昨日、あれからずっと泣いていたのだろう。声も微かだが、枯れていた。
「でも、それはっ……」
「お願い!きょっ、今日だけでも、良いから…」
姉の声を遮る様に、智瑛理は叫んだ。美絵の胸が、ドキリと高鳴った。美絵は一瞬考えたが、妹の初めてのヒステリックに心配で仕方なく家庭の事情で休みを入れた。同時に妹の高校にも、体調不良で連絡を入れた。それを聞き、智瑛理は部屋からやっと出てきた。お風呂に入ると良い、浴室の方へ行った。
美絵は外へ出た。手元に持っていた携帯が鳴った。電話に出ると、相手は誠だった。
『美絵、何があったの?休みって聞いてさ』
電話の近くが騒がしい、大学内で連絡しているのだろうか。美絵は言葉を濁した。
「あ…悪いな、心配させて。智瑛理がちょっと体調崩して、看病だ」
嘘をついてしまった。智瑛理は体調不良ではないだろう、只色々あって登校に困難になっただけだ。こうなったのは、昨日の夜からだ。
『そう…。早く治ると良いね。大学終わったら、そっち行って手伝おうか?』
「いっいや大丈夫だ。そんな事しなくて、真っ直ぐ家帰ってくれ。智瑛理はそんな小さい子供じゃ無いんだし」
家に来られては困る、美絵は慌てて対応した。
『でも、今日の授業のノート取りとか…』
「それも、明日お前か友達に聞くから。今日じゃなくても大丈夫だから、な」
少し間が空いた。流石に怪しまれたか?美絵は、ドキドキした。
「お前も、ほらレポート出されたりして大変だろ?自分の勉強の方を優先してくれ」
昨日、歴史の先生から出された事を話す。
『あーそれ、もう提出した。いやー助かったよ正直。姉崎さんには』
嬉しそうな声と、初めて聞く名前に美絵はドキリとした。
姉崎さん?誰だその女の人は…胸がザワザワする。
『図書室で悩んでたら、助けてくれて。その子歴史詳しくて、スラスラと。後でお礼言わなきゃと、思ってたとこ』
嫌だった。なんだか分からない、このざわつき。初めてだ。
「だっ誰、それ…」
苦し紛れに美絵はやっと出た言葉に、誠は気づかなかった。
『あぁ、姉崎メグって子。昨日俺も初めて会ってさ。何かモデルやってる子みたい、確かにスタイルいいし可愛いからだろうなって思ったけど』
誠が自分以外の女の子を、こんなにも嬉しそうにしかも褒めたりするのは今まで一度も無かった。
苦しい、なんだこの感情は…。美絵の脳内はふつふつと熱くなっていくのも感じた。
「そうか…良かったな。そんな、可愛い子に良くしてもらって…」
何故だか分からない感情に、美絵は体が震えた。可愛いを変に強調して言った言葉に、誠は慌てた。
『みっ美絵違うって、みんな言ってたから。俺がまさか、俺は美絵だけだってっ』
「お姉ちゃん?どうしたの、電話?」
美絵が振り向くと、髪の毛を拭いていた智瑛理が不思議そうな顔で美絵を見ていた。美絵の顔を見て、智瑛理は驚いたと同時に同情したような顔で近づいてきた。
美絵は無言で、電話を切った。話していたくなかったのだ、誠と。
「お姉ちゃん、顔色悪いよ。まるで、今の私みたい」
美絵は言われて、唾を飲み込んだ。これが今の智瑛理と似た感情なのか?
「誰からの電話?友達…」
「いや…。誠から、何か嫌な電話だった。女の話で…」
智瑛理は縁側に体育座りする。
「やきもちか…。いいな、なんかそれ。何だろう、今の私よりずっと何か羨ましいや」
やきもち、これが…。美絵は理解ができて、少し安堵した。これより苦しいとは智瑛理は何をされたのだろう。
「私ね、昨日さ彼氏だって思った人を少し怖く感じたの。助けてくれて、あー嬉しいって思った。なのに差し出された手は、私を掴んではくれなかった」
智瑛理は最初の言葉は少しトーンが高かったが、最後の方は声が低くなった。
「怒っているのか、避けているのか分からなくて。心臓が強く鳴って、息出来なくて。それからずっと無言で、カナタ君一度も振り向いてくれなくて。振り向いてくれた時には、もう家の前だった」
智瑛理は両手を頭に持っていき、髪の毛を掴んだ。
「振り向いてくれた時カナタ君は、笑顔だったんだっ!何でっ、分かんないよぅ…」
小さく縮こまる智瑛理を見て、美絵は動けなかった。何をしてあげればいい、どう声をかけたらいいか分からなかったのだ。
「宮島君、レポート大丈夫だった?」
誠がスマホを見つめながら、焦ってると横から声をかけてきた。振り返ると、笑みを浮かべたメグが立っていた。
「あっああ、ありがとう。助かったよ…、そっそうだお礼。何がいいかな?」
慌てて言うと、メグは少し考える仕草をして誠の方に身を乗り出してきた。
「お礼なら…、じゃあ今度休みの日にデートして?それでどお?」
それには流石に、誠はギョッとした。無理だ、彼女がいるのだから。
「なっ何言って…姉崎さん、俺に彼女居るの知ってるでしょ?」
メグは背中に壁をつけ、誠の隣に並んだ。
「知ってるよ、有名だもん。ミス林礼の彼氏さん、凄いよね。入学する前から選ばれてたんでしょ?彼女さん」
「だからさ、そう言う項目で会うのはちょっと…」
苦笑いして、話を変えようとするとメグは誠の腕に引っ付いた。誠の腕に体をくっ付けて、上目遣いで見る。
「お礼、だもん。いやらしい意味ないじゃん。どっかで食事とか、買い物とか友達となら普通でしょ?それと一緒のことするだけでしょ?」
腕に胸を押し付けてきたので、慌てて誠はその腕を抜いた。いやらしい意味なしで、こんな事普通してこないと思った。
「照れちゃってるんだ、可愛いー」
「別に照れてない」
そっけなく答えると、メグは誠の前に立った。
「もー。これくらいのボディータッチも分からないと、女友達出来ないぞ」
誠は頭を描いた。正直女友達とか要らない。むしろ居たら、変な誤解されるかもしれないと考えてしまう。
もう、お礼とかそういうのは考えたくなくなってきた。
「ごめん、無理。とにかく、あの時はありがとうね。じゃあまた…」
立ち去ろうとすると、メグが誠の袖を引っ張る。
「ちっちょっと、お礼は?デートがダメなら何ならOKなのよ」
「じゃあ、今度分からない勉強とかあったら俺が教える。それでいい?」
メグの答えを待つ間もなく、誠は離れていった。メグは急いで手を伸ばしたが遅かった。軽く舌打ちをする。
何で、こんな美人が誘っているのに振り向きもしないのよ!許せない、絶対落としてやる。
メグはそう思い、誠の背中を睨みつけた。
放課後、メグは階段を登って屋上に向かった。ドアを開けると、夕陽が見え風が少し顔に当たった。ドアを閉めると、くるりと周り後ろ歩きで進む。何歩か歩き脚を止めた。
「麻木さん、いるんでしょう?」
上を向き、声を出した。ドアの上にあるコンクリートから、律斗が顔を出した。
「あれ?何で芸能人のメグさんが、オレを呼んでるの?」
「別に、読モってだけで芸能人では無いし。そんな事より、降りてきて下さい」
メグはため息を吐き、律斗を軽く睨んだ。律斗は立ち上がると梯子を伝って降りてくる。
「何で、オレがここいるって知ったの?」
律斗がメグの隣に立つ。
「部活ない時にいつもここで寝っ転がってるの、貴方だけだもの。そりゃ噂にもなるわよ、好青年が1人そんなところいれば」
律斗はこの言葉に苦笑する。
「好青年か、そんなでもないけど。で、どうしたの?宮島君追っかけしないの?」
「帰ったわ、彼女さんが休んだからって足早に。ご中心よね、本当。つまんないわ」
「それで飽きて、オレのところに?」
半笑いで言われ、馬鹿にされた気分で、メグは苛立った。
「違うわよ。確かにあなたの事、かっこいいとか言う女子いるけど私は違うわ。鈴風美絵の事よ」
「そっち、なんだ。イケメンハンターのご指名がオレだから、内心オーって思ったけど。美絵ちゃんの事か」
「高校の時から一緒なんでしょ?どんな子だったのよ」
律斗は2歩前に出る。その行動をメグはずっと見つめた。
「変わってないよ。凄い勉強家だし、努力も惜しまない気が強い。何があっても怯まないけど、恋愛とかエッチ系は弱いんじゃないかな」
「何それ、そう言う遊びはしてなかったの?」
「してないだろう、と言うか本人は全く興味ない、家があぁだからそんな暇もない。だから、婚約者ができるまでずーと無経験だ」
メグは少し驚いた。
「婚約者って…」
「物凄いかっこいい奴だったよ、大人でさ。美絵ちゃん自体モテてたけど、あの人見て諦めた人も何人かいた。知らない?真中里志って」
メグの胸がドキッと音がした。顔は知ってる。テレビで散々騒がれてたから。
「死んだ人…。それって私の今付き人してる、清高の前の人だ」
「清高?何それ、いわゆる執筆?」
メグは頷いた。
「1年前にね、私の家がその人を買ったの。で私がモデルやってるからって、ボディーガード的な事今やってる。清高、前その里志って言う人の執筆やってたって言ってた」
メグは妙に納得したような顔で、何度も頷いた。
「あーだから、あの時。清高は誠君の事知ってるって言ったんだわ」
そしてメグはニヤリとした。
「ねぇ、そういえばさ鈴風さんって疎いのよね?恋愛系は」
「まぁそうだと思うよ」
「実は言うと、麻木さん鈴風さんの事狙ってるでしょ?」
律斗は目を少し光らせた。
「へぇ、分かるんだ。誰にも言ってないのに。まだ美絵ちゃんに婚約者が出来る前、1回さ言われたんだよね」
間が開く。律斗は思い出すように言った。
「先輩は憧れだって、美絵ちゃんに。そっから心ずーと、奪われたまんま。それ言った時の顔が、もう可愛くってヤバかった」
少し頬を赤らめながら語る律斗を見て、メグはため息を吐き腰に手を当てた。
「みーんな、そう言う清純派が好きなのかな。私みたいなキャラってかげるのよね…」
「そりゃそうだろう。清純派って汚したくなるし、自分の手で…。まぁ、グイグイ行く系が好きな男もいるけどなー。ノリ良いし、清純派はにげるからね…」
「私がなんなら、それ叶えようか?鈴風さんの事めちゃくちゃにさせてあげようか?」
メグの何かいけない事を企んだ顔に、律斗はヒヤッとした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる