2 / 5
序章
皇帝陛下の遺書
しおりを挟む
徐にゲナイオスが著した遺書の封を開けるコンスタンティノス。
遺書の封にはしっかりと『自裁を遂げることへの弁明状』と題が書かれ、ゲナイオスの自筆のサインも記されていた。これを見て「これは遺書でない!」と曰う者がいるとするならば、その者はとてつもない大莫迦者であろう。
遺書の封はいつもゲナイオスが皇后アレクシアに贈っていた手紙を収めていたものと同じものだ。アレクシアが生前いつもコンスタンティノスに言っていたのは「ナオから贈られる手紙の封はとってもいい香りがするの。ナオの匂いがするの。だから、子どもの頃からナオから贈られる手紙をとってもとっても楽しみにしていたのよ」。アレクシアはゲナイオスのことをいつも『ナオ』と呼んでいた。
確かに遺書の封からはどことなく香りが漂う。ゲナイオスがいつも着ていた服から漂う香木を焚いたような香り。
その香りに在りし日の父との思い出に浸り、コンスタンティノスの目にはみるみる内に涙が溜まっていく。
遺書を読む前から感傷に浸ってどうするのだ。私は。まずは無心に徹しろ。頑張るのだ、私。
新しい皇帝としてコンスタンティノスは自身に叱咤激励する。このまま行けば涙声になって遺書をまともに読めなくなるであろうから。
開けられた封から何枚にも重なり3つ折りに畳まれた紙を取り出すコンスタンティノス。畳まれた紙を左手に持ち、封は右手で丁寧に元あった場所に置き直す。
畳まれた紙を開くと、コンスタンティノスの目にはびっしりとゲナイオスの字が書かれているのが映る。
ああ。父上はやはり父上だ。とても線が細い字で一見繊細そうに見えるけど、止め跳ねは大胆で豪快な筆致。私には出せない字だよ。ああ、これは防護魔術が必要だ。掛けておこう。それがなければ、その父上の字すら失うことになる。
コンスタンティノスはゲナイオスの字を涙で濡らして崩してなるものかと遺書全体に防護魔術を掛ける。これで涙で文字が滲むことなんてあり得なくなるのだから。
「では、読ませていただきます」
コンスタンティノスが遺書を読み始めるという宣言をし、噛みしめるような声で頭語から読み始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
冠省
これを読んでいる諸君。諸君らに後事を一切託し、朕の最愛であるアレクシアの元、シアの元に赴くことを許していただきたい。
朕、皇后無くして、朕なし。ゲナイオス、アレクシア無くしてゲナイオスなし。ナオ、シア無くして、ナオなし。
この事を痛感したのはシアの葬儀を挙行してから直ぐのことであった。婚約を結んでよりこの方、密に交流を重ね、婚姻を結んでよりこの方、いつもいつも隣りにいたシア。そんな彼女がこの世にいない。それを実感した時、朕は公私共に支えてくれた存在が如何に大きいものであったか。それを思い知らされられることになろうとは露ほど思わなかった。
時を経れば辛い思いも淡雪のように消え失せていくものかと思った。しかし時を重ねれば重ねるほどにシアへの思慕はますます深まるより他なかった。その苦しみを如何にして乗り越えるべきなのか? いくら思考の大海を、思考の深海を潜ろうとも答えを見出すことは出来なかった。
故にそれを思い知った時から徐々に執務の実権をコンスタンティノスに引き継ぎ始めた。そして、シアが愛したこの国の一切合切を託したのが半年前。それからの半年、常にシアの幻影を見たような気もした。シアの事を忘れようともしたさ? でも忘れることなど朕には到底できることではなかった。
幼き日のシアとの思い出。少年期、少女期のシアとの思い出。婚礼の日のシアとの思い出。珠玉のような我が子たちと出会えた日の思い出。先帝崩御により皇位を継いだ日の思い出。皇帝としての毎日の思い出。シアが病に倒れ、日を追うごとにやせ細っていくシアを甲斐々々しく世話をした日々の思い出。シアを看取った夜の思い出。どれも朕の中ではこの帝国の財宝すら塵芥にすら思えるくらい、神聖なるものなのだ。
自死を考えついたのは1月ほど前である。シアにどうしても会いたい。であるならば、この現し世に己が身を置く必要がどうしてあるというのであろうか? そう考えた時に朕は自死を選ぶことに躊躇いというものはなかった。
そうと決まれば、何時この世からの旅立ちを遂げるか。それはシアの亡くなった日から1年の晩にする。ああ、思い出せばシアが亡くなったのは夜の帳が降りて幾時も過ぎた頃のことであったな。であるならば、朕も同じ様に夜の帳が降りて幾時も過ぎた時に逝くのが望ましかろう。
朕はそう決めた時に如何にして、安らかなる自死を遂げるか。その事を考えた時にふと思い至ったのはシアが生前、部屋の温度をシア自身の風魔法と氷魔法を駆使して下げていたこと。ああ、それならば同じ様、より強い魔法を行使すればよいのだろうということ。後は周りの者に気付かれないように実行すること。ただ、それだけだ。朕はその晩、2瓶の酒を飲むことであろう。1瓶目はシアが生前こよなく愛したぶどう酒のロゼだ。2瓶目は朕がこよなく愛しているぶどう酒を蒸留した酒だ。
朕はこの机に魔法を掛けた。朕がこの手紙を書き終え、この部屋を出た瞬間にこの机の施錠が成され、朕の葬儀が終わった頃にこの机の施錠が解除される魔法を。それまでは誰人なりとも解錠し得ぬ魔法を。
コンスタンティノスよ。その英明さでどうか、どうかカロリナと仲良くこの国を治めてほしい。
カロリナよ。その婉美さでどうか、どうかコンスタンティノスを末永く支えてやってほしい。
マウルスよ。その武勇でどうか、どうかコンスタンティノスの敵を排してやってほしい。
シンシアよ。その知性でどうか、どうか、このグリアーチュア帝国とテュルーキア帝国の友好の道を切り拓いてやってほしい。
デリアよ。その探究心でどうか、どうか君の未知を既知にし、このグリアーチュア帝国の最先端の研究者を導いてやってほしい。
イウフェニアよ。その貞淑さでどうか、どうか新たな皇帝となるコンスタンティノスを夫婦共々で支えてやってほしい。
シア? 済まない。やっぱりシアがいない日々は朕には到底耐えることなんて出来やしなかった。ああ、シアが逝く前の日に笑って言ってたな。あの日は奇跡的にシアの体調が良かった日だ。
「うふふ。ナオ? やっぱり貴方のことだから私がいないとダメなのかしら?」
「そんなことは無い。ちゃんと皇帝としてやることはやる!」と豪語した朕をシアは笑い飛ばしていたな。
「でも、それはそれだけ私を愛してくれたということでしょう? 辛くなったら、私のところに来てもいいわ。でも、余りにも早すぎたらナオのことを『メッ』としてあげるわね」
シア。どうやら朕はシアのお叱りを受けなければならないようだぞ? だから、シア。どうか、いつもの笑顔で朕を叱ってくれ。そして、朕を抱きしめてくれ。お願いだ。
ああ、そろそろ朕もシアの墓前に向かう時間が近づいたようだ。この遺書に付属した紙に朕の葬儀日程を記しておいた。どうか活用してくれれば幸いだ。
不一
グリアーチュア帝国皇帝 ゲナイオス・グリアーチュア
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やはり最後はコンスタンティノスはまともな声すら出せなかった。ゲナイオスからアレクシアに贈られる最後の恋文と言わんばかりの文面であった。
ゲナイオスの私室にいる面々。いい歳した大人の面々は皆、目から大量の涙を溢した。中には鼻からも汁を垂らした。
ゲナイオスがアレクシアを如何に深く深く愛していたのか。それを知っていた面々は涙を抑えることなんて到底できやしない。そんなこと、できる理由がなかった。
ああ。この遺書を読む前に防護魔術を掛けて良かった。
コンスタンティノスは遺書を読む前の自身の判断を褒め称えるより他なかった……。
遺書の封にはしっかりと『自裁を遂げることへの弁明状』と題が書かれ、ゲナイオスの自筆のサインも記されていた。これを見て「これは遺書でない!」と曰う者がいるとするならば、その者はとてつもない大莫迦者であろう。
遺書の封はいつもゲナイオスが皇后アレクシアに贈っていた手紙を収めていたものと同じものだ。アレクシアが生前いつもコンスタンティノスに言っていたのは「ナオから贈られる手紙の封はとってもいい香りがするの。ナオの匂いがするの。だから、子どもの頃からナオから贈られる手紙をとってもとっても楽しみにしていたのよ」。アレクシアはゲナイオスのことをいつも『ナオ』と呼んでいた。
確かに遺書の封からはどことなく香りが漂う。ゲナイオスがいつも着ていた服から漂う香木を焚いたような香り。
その香りに在りし日の父との思い出に浸り、コンスタンティノスの目にはみるみる内に涙が溜まっていく。
遺書を読む前から感傷に浸ってどうするのだ。私は。まずは無心に徹しろ。頑張るのだ、私。
新しい皇帝としてコンスタンティノスは自身に叱咤激励する。このまま行けば涙声になって遺書をまともに読めなくなるであろうから。
開けられた封から何枚にも重なり3つ折りに畳まれた紙を取り出すコンスタンティノス。畳まれた紙を左手に持ち、封は右手で丁寧に元あった場所に置き直す。
畳まれた紙を開くと、コンスタンティノスの目にはびっしりとゲナイオスの字が書かれているのが映る。
ああ。父上はやはり父上だ。とても線が細い字で一見繊細そうに見えるけど、止め跳ねは大胆で豪快な筆致。私には出せない字だよ。ああ、これは防護魔術が必要だ。掛けておこう。それがなければ、その父上の字すら失うことになる。
コンスタンティノスはゲナイオスの字を涙で濡らして崩してなるものかと遺書全体に防護魔術を掛ける。これで涙で文字が滲むことなんてあり得なくなるのだから。
「では、読ませていただきます」
コンスタンティノスが遺書を読み始めるという宣言をし、噛みしめるような声で頭語から読み始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
冠省
これを読んでいる諸君。諸君らに後事を一切託し、朕の最愛であるアレクシアの元、シアの元に赴くことを許していただきたい。
朕、皇后無くして、朕なし。ゲナイオス、アレクシア無くしてゲナイオスなし。ナオ、シア無くして、ナオなし。
この事を痛感したのはシアの葬儀を挙行してから直ぐのことであった。婚約を結んでよりこの方、密に交流を重ね、婚姻を結んでよりこの方、いつもいつも隣りにいたシア。そんな彼女がこの世にいない。それを実感した時、朕は公私共に支えてくれた存在が如何に大きいものであったか。それを思い知らされられることになろうとは露ほど思わなかった。
時を経れば辛い思いも淡雪のように消え失せていくものかと思った。しかし時を重ねれば重ねるほどにシアへの思慕はますます深まるより他なかった。その苦しみを如何にして乗り越えるべきなのか? いくら思考の大海を、思考の深海を潜ろうとも答えを見出すことは出来なかった。
故にそれを思い知った時から徐々に執務の実権をコンスタンティノスに引き継ぎ始めた。そして、シアが愛したこの国の一切合切を託したのが半年前。それからの半年、常にシアの幻影を見たような気もした。シアの事を忘れようともしたさ? でも忘れることなど朕には到底できることではなかった。
幼き日のシアとの思い出。少年期、少女期のシアとの思い出。婚礼の日のシアとの思い出。珠玉のような我が子たちと出会えた日の思い出。先帝崩御により皇位を継いだ日の思い出。皇帝としての毎日の思い出。シアが病に倒れ、日を追うごとにやせ細っていくシアを甲斐々々しく世話をした日々の思い出。シアを看取った夜の思い出。どれも朕の中ではこの帝国の財宝すら塵芥にすら思えるくらい、神聖なるものなのだ。
自死を考えついたのは1月ほど前である。シアにどうしても会いたい。であるならば、この現し世に己が身を置く必要がどうしてあるというのであろうか? そう考えた時に朕は自死を選ぶことに躊躇いというものはなかった。
そうと決まれば、何時この世からの旅立ちを遂げるか。それはシアの亡くなった日から1年の晩にする。ああ、思い出せばシアが亡くなったのは夜の帳が降りて幾時も過ぎた頃のことであったな。であるならば、朕も同じ様に夜の帳が降りて幾時も過ぎた時に逝くのが望ましかろう。
朕はそう決めた時に如何にして、安らかなる自死を遂げるか。その事を考えた時にふと思い至ったのはシアが生前、部屋の温度をシア自身の風魔法と氷魔法を駆使して下げていたこと。ああ、それならば同じ様、より強い魔法を行使すればよいのだろうということ。後は周りの者に気付かれないように実行すること。ただ、それだけだ。朕はその晩、2瓶の酒を飲むことであろう。1瓶目はシアが生前こよなく愛したぶどう酒のロゼだ。2瓶目は朕がこよなく愛しているぶどう酒を蒸留した酒だ。
朕はこの机に魔法を掛けた。朕がこの手紙を書き終え、この部屋を出た瞬間にこの机の施錠が成され、朕の葬儀が終わった頃にこの机の施錠が解除される魔法を。それまでは誰人なりとも解錠し得ぬ魔法を。
コンスタンティノスよ。その英明さでどうか、どうかカロリナと仲良くこの国を治めてほしい。
カロリナよ。その婉美さでどうか、どうかコンスタンティノスを末永く支えてやってほしい。
マウルスよ。その武勇でどうか、どうかコンスタンティノスの敵を排してやってほしい。
シンシアよ。その知性でどうか、どうか、このグリアーチュア帝国とテュルーキア帝国の友好の道を切り拓いてやってほしい。
デリアよ。その探究心でどうか、どうか君の未知を既知にし、このグリアーチュア帝国の最先端の研究者を導いてやってほしい。
イウフェニアよ。その貞淑さでどうか、どうか新たな皇帝となるコンスタンティノスを夫婦共々で支えてやってほしい。
シア? 済まない。やっぱりシアがいない日々は朕には到底耐えることなんて出来やしなかった。ああ、シアが逝く前の日に笑って言ってたな。あの日は奇跡的にシアの体調が良かった日だ。
「うふふ。ナオ? やっぱり貴方のことだから私がいないとダメなのかしら?」
「そんなことは無い。ちゃんと皇帝としてやることはやる!」と豪語した朕をシアは笑い飛ばしていたな。
「でも、それはそれだけ私を愛してくれたということでしょう? 辛くなったら、私のところに来てもいいわ。でも、余りにも早すぎたらナオのことを『メッ』としてあげるわね」
シア。どうやら朕はシアのお叱りを受けなければならないようだぞ? だから、シア。どうか、いつもの笑顔で朕を叱ってくれ。そして、朕を抱きしめてくれ。お願いだ。
ああ、そろそろ朕もシアの墓前に向かう時間が近づいたようだ。この遺書に付属した紙に朕の葬儀日程を記しておいた。どうか活用してくれれば幸いだ。
不一
グリアーチュア帝国皇帝 ゲナイオス・グリアーチュア
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やはり最後はコンスタンティノスはまともな声すら出せなかった。ゲナイオスからアレクシアに贈られる最後の恋文と言わんばかりの文面であった。
ゲナイオスの私室にいる面々。いい歳した大人の面々は皆、目から大量の涙を溢した。中には鼻からも汁を垂らした。
ゲナイオスがアレクシアを如何に深く深く愛していたのか。それを知っていた面々は涙を抑えることなんて到底できやしない。そんなこと、できる理由がなかった。
ああ。この遺書を読む前に防護魔術を掛けて良かった。
コンスタンティノスは遺書を読む前の自身の判断を褒め称えるより他なかった……。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
17
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる