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第1章 開幕篇
第9話 木星、揺れる時
しおりを挟む「ダイチ? どこにいるの? いるなら返事しなさい!」
暗闇の中でエリスは呼び続けた。
「ダイチさん、パフェはどこですか?」
何かおかしな呼びかけをしているミリアは、これでも真面目に探しているつもりらしい。もっとも「ダイチを」というと少し怪しいが。
「駄目ね、このシェルターにはいないのかも……困ったわね」
「そうですわね、これではパフェが食べれませんわね」
エリスはミリアの発言に呆れて、額に手を当てて落ち着かせる。
「オーケー、とりあえず騒ぎがおさまるまでここでおとなしくしていましょうか。パフェはそれまで我慢する。いいわね?」
「仕方ありませんわね」
二人は落ち着いてその場に座る。
このシェルターというのは急ごしらえで造られているせいか、構造が粗雑であり、避難民が一箇所に集まるだけの施設になっている。そのため、シェルターにどれだけの避難民がいるか、すぐにわかるようになっていた。避難民の状態を一目で確認できるため、これはこれでいい設計だと思える。おかげでダイチがここに避難していない事もすぐにわかった。
「しっかし、初めての木星でテロにあうなんてついてないわね」
「ええ、ついていませんわね……ジュピターパフェ、食べたかったのに……」
「……ミリア」
エリスは妙に冷めた口調でミリアに呼びかける。
「なんですの?」
「パフェというのを頭の外に追いやれるかしら?」
「どうしてもですか?」
「どうしてもよ。それよりもダイチでしょ」
「ええ、そうですわね。ダイチさんにはパフェを奢ってもらわないといけませんから心配ですわ」
エリスは頭を抱えて考える。どうすればこの女の頭から「パフェ」という言葉を取り除けるかを。そして、得た結論を口に出す。
「ダイチにパフェを奢ってもらうために、ダイチの心配をしましょう」
結論『どうやっても無理だ』と行き着いたのだった。
「わかりましたわ」
ミリアは目を輝かせて答える。
「でも、ダイチもドジよね。どこで私達を見失ったのかしら? あれだけ逃げるぞ! っていってたのにさ」
エリスは笑顔で語るが、その額には汗が流れている。
それに不必要にそわそわしている。ミリアの経験上、こういった彼女の仕草はある心理状況の合図だった。
「心配で不安なのですね」
身体を一瞬ビクッと震わせる。他のヒトなら見逃してしまうほど僅かなものだが、ミリアは見逃さなかった。
「し、心配なんてしてるわけないでしょ。ダイチなんだから」
汗がこぼれ落ちる。本当はものすごく心配で仕方が無いのに、気づいてないふりをしているのだろうか。
「本当に、ですか?」
ミリアが揺さぶる。
「本当によ!」
エリスは意地になって返す。
睨み合いが続く。こんな時に不毛なことだと思いつつもやってしまう。
これは必要なことなのだ。エリスが自分の気持ちに気づくにはこうするしかミリアは方法を知らない。ダイチが行方不明になっていることよりも彼女が自分の気持ちを隠している方が不快だった。
(エリスには自分に正直、まっすぐであってほしい)
それは願望にも似ている思想だった。彼女はまっすぐでなければエリスではなくなるのだとミリアは本気で思っていた。だからミリアは揺さぶる。エリスを正直であらせるために。
そのとき、通信機からコール音が響く。
「ん、イクミかしら?」
エリスには他にかけてくる心当たりがなかった。こんなときになんだろうと取り出す。
『……やあ、お嬢ちゃん達。無事だったかい?』
通信に出たのは思いもよらない人物であった。
「どうして、あなたがこの通信回線を知っているのかしら?」
「マーズの情報網を甘く見ないでもらおうか、とだけ言っておくよ」
無性に不安にかられた。こんな人物が代表になるような自分の生まれた星の行く末が。
「それで、何の用かしら? 連合会議はどうなったの?」
「会議は中断になってね、今木星政府が対処にあたってる」
「それであなたは対処にあたらなくていいの?」
「一応、私も当事者なんでね。木星に協力するつもりだよ、ただ君達の安否が気になってね」
「ご心配どうも。私達は五体満足よ。ただ……」
「ただ……」のあとに、少しばかりの戸惑いの声色が混じる。
「ダイチと、はぐれたわ……」
「むう、それは心配だね。わかった、こちらからでも捜索しておく。すぐに見つかるはずだよ」
エリスはその言葉を繰り返す。
「では、私はこれで。テロの鎮圧に当たらなければならないんでね」
通信が切れる。
腑に落ちなかった。彼が捜索するのなら、さぞ高度な情報網を使ってダイチを見つけ出すことができるだろう。なのに、何故か安心できなかった。
「よかったんじゃありませんか。マーズが探してくれるのなら確実ですわね」
ミリアがそう言うと、胸につっかえができたように言葉が詰まる。
「え、ええ、そうね……」
「しかし、ダイチさんもはぐれてしまうなんてうっかりさんですわね」
「……そうね」
「……そうね」
確かにそうだった。もっとちゃんと自分達についてくればはぐれることなんてなかった。戦う力も無い、役に立つ能力を持っているわけでもない。できることといったら邪魔にならない程度にちゃんとついてくることだった。
それさえもできないのなら、はぐれてこのまま野垂れ死んでも仕方のないことだ。
出会って僅か一週間なのだ。彼とはその程度の時間を一緒に過ごしただけのことだ。それだけの間柄で、特別なヒトというわけでは断じてない。この星で別れることになっても、全く気にしない……はずだった。そんなことを意識しているのは今だけだった。
彼がいなくなってしまったから、いなくなった時のことを考えていた。つまり、彼がいなくなるなんてことを全く考えていなかったのだ。
「ダイチがはぐれるなんて思いもしなかったもの……」
「そうですわね」
ミリアはあっさりと答える。さっきまでの執拗さが嘘のように。
「ダイチがいなくなるなんて考えもしなかった……」
「私もです」
二つ返事で答える。ミリアはもう相槌を打つだけだ。それが木霊のように反響し、強く揺さぶられる。
「ずっとこのまま一緒だと思っていた……」
思い起こすと木星についてから、楽しかった。
バルハラの大通りを歩いて、無邪気に笑えたのも彼がいてこそのものだった。
いつの間にか拳を握り、震わせていた。それはこみ上げてくる不快感を拭うための動作。
「おかしいよね……? あいつと会ったのは……ほんの少し前だっていうのに……」
エリスが偶然見つけたポッドを、それを見つけたことで始まった関係。
行くところもやることもないからいつも家にいた彼。
――そう、六日や……初日はこの家に男がいるというだけで違和感があったが、次の日からはそれがなくなった……
イクミの言葉が脳裏をよぎった。
一日で彼はあの家の一員になった。言われるまで疑問に持つことも、抱くことも無かった。
それだけ彼がエリス達の日常の中に溶け込んでいたからだった。
どうしてそんなことになったのか、知ることができるかもしれないと手伝いをかってでた彼を同行させた。
思いもよらず火星を出ることになり、星の海を一緒に見たとき、地球に連れていってもらうと約束までした。
それほど、彼が信頼できた理由がなんだったのか、今になってもわからない。
ただ、たった一つだけ。言えることがあった。
それは極めて単純なことだった。この上なく子供らしいものだとも思う。
約束したから……ではない。
信頼しているから……でもない。
彼を知りたいから……そうじゃない。
「私、こういうの嫌いなのよね」
頭を掻いて、気持ちを切り替える。そして、今こみ上げてくる想いを口にする。
ミリアはため息一つつく。その言葉を待っていましたわ、という合図だった。
「……まったくもって同感です」
二人の心は重なる。悪口を言い合い、いがみ合いつつも、壊れることのない関係。『絆』ともいうべきモノ、それが心地よかった。
そして、エリスが今何を考えているのか、ミリアがわからないわけがない。故に、口にする必要すらない。
行動あるのみだった。
黒いグローブを外す。それが能力の発動を意味する。
「ヒートアップッ!」
いつもは自分のためだけに使っているこの能力。必要なときにしか外すことのないグローブ。何度も口ずさむ言葉。
そういえば、誰かのために能力を使うなんていつ以来だろう。
思い出せない。だけど今この瞬間、ダイチのためにこの能力を使ったことだけは忘れないだろう。
「ハァッ!」
シェルターの隔壁を一撃で打ち壊す。背後からザワメキが沸き起こるが、気にしていられない。
「行くわよ、ミリア!」
「はい!」
探すアテなんてない。じっとしていられない、ただそれだけだというのに、二人はその衝動を抑えきれずに、ただ突き動かされた。
暗い。星々が瞬かないと夜というのはこんなにも暗く冷たいものなのか。
いや、逆だ。星々が瞬くと夜というのはあんなにも眩しく暖かいものなのか。
知らなかった。彼女に出会ってからだった。星々の瞬きを知れたのは。
いや、それ以前に地球に出てからだった。夜に安らぎを覚えたのも。
何も不安になることのない、しがらみから解放された気持ちのいいこの空間。
できればずっと、このままでいたい。
帰りたくなどなかった。聖域になっていようと、生まれ故郷だろうと、関係なかった。
――あの言葉を聞くまでは。
『地球は宇宙に浮かぶたった一つの青い宝石のようだった』
それは彼女の言葉ではなかった。彼女が誰かからの言葉を借りて口にしたに過ぎないものだった。
でも、心に強く打ちつけられた。
その後、約束を交わしてしまうほどに。いくら断れない雰囲気だったからとはいえ、あの言葉が無かったらもっと不快なものになったはず。
あの星にまた思いを馳せるなんて到底ありえなかった。
「帰りたいの?」
どこかから声が響いた。それは他ならぬ自分の声。
「どこに?」
問いかけ返す。
「地球に」
自分は容赦なく返してくる。答えにくい問いかけを平気でしてくる。
「いや、帰りたくない」
だから、遠慮なく答える。問いかけてくるのが自分なら答えるのも自分なのだから。
「本当に帰りたくないの?」
それでも問いかけてくる。いくら自分とはいえ、これはしつこい。
「ああ、本当に帰りたくない!」
自分も意地になって返す。
「自分の生まれた星なのに?」
さらに問いかけてくる。自分にこんなしつこさがあったなんて意外だった。
「……青い宝石」
答える方の自分はそんなしつこさなんて持ち合わせていなかった。
「連れていくって約束した……」
折れた。だからこそ自分は正直になれた。
「うん……」
問いかけてくる方も頷く。
「いいや、俺も帰りたかったのかもしれない」
「だったら……」
ここで問いかけてきた自分は別人のような声を放った。
それは幼くも、神秘に満ちた少女の声だった。
「妾もつれてって……」
目を開けると木星の雲海とそれを突き抜ける高層ビル郡がそこに広がった。
ダイチは気がついた。自分が仰向けになっていることを。
「ようやくお目覚めか」
少女と呼ぶのにすら、まだ至っていない幼女がダイチを見下ろしていた。
その子は、闇に溶け込みそうな長い漆黒の髪を銀色の髪飾りでまとめて垂れることはなく、その瞳は黒真珠のような光沢を放っている。銀色のドレスを着こなしており、高貴な身分であると自然に連想させた。
「……君は?」
ダイチが訊くと、幼い少女は首をかしげる。
「そなた、妾の声を聞いてここにいるのではないのか?」
幼さに見合わない大人びた口調。目を閉じてそれを聞けばひれ伏していたかもしれない。
だが幼い少女にその声はあまりにも不釣り合いだった。故にダイチは対等の立場で話す。
彼女の声云々よりも彼女の言葉を理解できないでいるのだから。
「君の声ってどういうこと?」
ダイチは起き上がる。身体を打ちつけたような痛みはあるものの、立って歩くにはさほど問題はなかった。
「妾の声じゃ」
幼い少女は答える。それは子供らしい単純で理解しがたい答えだった。だが、ダイチにはその声が頭の中で引っかかった。
声をどこかで聞いた。ダイチは記憶を呼び起こす。
あのとき、ミリアの手を引いて、エリスと三人で避難するために走り抜けていたところだった。パニックの雑踏の中に入ってしまい、はぐれかけたとき、ダイチは足を止めたのだった。何故足を止めたのか、それが今もっともそれが重要なことなのだ。
あのとき、聞いた声だ。あの頭に直接響いた声は、それが彼女の声と重なる。
「妾の声が聞こえたのじゃろ?」
「確かに聞こえたけど……? あれは君の声なのか?」
「うむ、妾の能力じゃ。妾を助ける者だけにしか聞き取れないようになっておるのじゃ。そなた、名はなんと申す?」
「名前? ダイチだけど。君は?」
「妾はフルート。フルート・クリュメノスじゃ」
フルートは自分に胸を当てて、誇らしげにその名を告げる。
「フルートか、いい名前だな」
「そなたこそな……ダイチよ、そなたに頼みたいことがある」
「な、何かな?」
「妾を地球に連れて行くのじゃ!」
「ち、地球?」
「連れて行けぬと申すか?」
「い、いや、そうじゃなくて、いきなり突然だったから……」
「うぅむ、それもそうじゃな」
フルートは顎に手を当て考える姿勢をとる。
「とりあえず、今この場から逃げた方がよさそうじゃな」
「え、逃げる?」
その途端に、ダイチはおかれている状況を思い出し、ダイチは辺りを見回す。
テロから避難する最中に、何らかの攻撃を受けて気を失っていたのだろう。どうして自分がこんなところに横たわっているのか、それで説明がつく。とすると、ダイチは避難できていないということになる。
それってつまり……
ふと耳をすませると、道路や大通りが爆破されている爆音や高層ビルが崩れる轟音が流れてくる。それだけで今この場は危険だということがわかる。
フルートが「この場から逃げた方がよい」と言った理由がわかった。
「確かに避難した方がいいな!」
今頃二人が、自分がいないことに気づいているはずだ。心配はかけたくない。
早くこの子を連れて避難する。そう結論づけるまで一瞬の時間もかからなかった。
「とりあえず避難しよう!」
「うむ!」
フルートがそう答えると、爆音の中に何か別の音が混ざる。
それもこちらに近づいてくる音だ。
ドスンと豪快な足音。イクミから聞いた人型機動兵器ソルダの道路を踏み砕く剛脚。高層ビルの迫力負けしないその巨大なシルエットを見えるとダイチは汗がドッと流れる。
あれは明らかに自分達を目当てでこちらを向かっている。襲われる理由はわからない。思い当たるとしたらあのソルダはテロリストの所有物だということ。そしてそのテロが無差別テロだとするなら……。たったそれだけの憶測でもう身の危険が全身を駆け巡る。
「早く逃げるぞ!」
ダイチはフルートの手を引く。ミリアよりも小さくか弱いその手を握り、逃亡する。
途端にソルダは歩行から走行に切り替える。
追いつかれる! 15メートルを超える巨体だけあって、同じ一歩であってもその歩幅は比べるべくこともない。
「追いつかれるぞ」
「わかってる!」
「では、どうするのじゃ?」
フルートの問いかけが来る。
「どうするって……?」
エリスやミリアはいない。右も左も勝手のわからないこの星で頼れるものはない。
自分でなんとかするしかない、との考えに自然に行き着く。このままでは追いつかれる。速さで勝ち目なんてない。
なんとかできるはず、と自分に言い聞かせ、逃げ道を模索する。
「こうする!」
ふと崩れ去った地面が目に入る。その下には地下街が広がっていた。
そこに逃げ込めばなんとかなる、とダイチは判断し、フルートを抱きかかえる。
「ッ!?」
フルートは言葉にならない驚きの声を上げた。
だけど、説明している暇はない。すぐさまダイチは地下街へと飛び込んだ。
着地は完璧だ。衝撃はちゃんと足で吸収して、フルートに負担をかけていない。
もう乗りかかった船だ。フルートを抱きかかえたまま、地下街を走り抜ける。
「そなた、戦わんのか?」
「戦えない!」
ダイチは即答する。
「そなたが本気になればあのようなものの一体や二体、軽いものであろう?」
「そうだったらありがたいんだけど。現実、そうはいかないんだよ」
ソルダもこちらを追って地下街に降り立つも、大きすぎて天井をつっかえている。
思った通り、その大きさが災いして、狭い地下街では易々と歩けない。
「よし、こっちなら逃げられる!」
ソルダの目から逃れるように、角を曲がり続けた。
数分走ると、ソルダの足音が消える。それで上手くまけて逃げおおせたと一息つく。
「なんとか、まけたか……」
フルートをゆっくりとおろす。
「いきなりで悪かったな」
「いや、悪い気分ではなかったぞ」
フルートは上機嫌に答える。
「『お姫様だっこ』というやつじゃろ。話には聞いていたが、なかなかいいものであるな」
「ああ、そうか。それはよかった……」
「うむ、この調子で地球まで妾を連れて行ってほしいものじゃな」
それを聞いてさっきの会話から気になっていたモノを聞ける機会だとダイチは思った。
「なんで、そんなに地球に行きたがるんだ?」
「それは、じゃな……」
フルートの笑顔に陰りが差す。その雰囲気から何やら話しにくい事情でもあるのかとダイチは感じ取った。
変なことを訊いてしまったか、とダイチは頭をかく。
「とにかく今は、逃げよう」
「そ、そうじゃ! いつまでもこんな暗い場所にはいたくないぞ」
灯りの潰えた地下街は暗く、そこにいると途方もない閉鎖感に苛まれる。確かにいつまでもいていい場所ではないと、ダイチも思った。
ダイチはたまたまそばにあった地下街の液晶に焼きついたマップを見る。
「こっちだ」とダイチが指差した方向に地上への出口があった。
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