ミッドナイトアクター

jukaito

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Ⅹ―甦る記憶―(後編)

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 それからまもなくして空と将が帰ってきた。美守が起きている事に驚いてさっそく喜びの声を上げた。美守もそれを微笑んで返した。その後に、部屋が荒れていることにも驚いた。
「どうしたんだ、こりゃあ?」
 将はうんざり気味な口調で訊いてきた。
「ちょっと、あってな…」
 天児は将から目をそらしてごまかす。そのそらした先には美守がいたのだが、彼女はうつむいているだけだった。
「みかみおねえちゃんのねぞーがすごかったの…?」
 不意に空が美守に訊いた。
「そ、そういうわけじゃないけど…」
 美守は珍しく困った顔をして、空に受け答えた。
「なるほど、寝相か…」
 そういえばそういえなくもないなと天児はつい声に出して言ってしまった。その事で一瞬美守から寒気が走るような視線を向けられた。
「兄ちゃん、血が!」
 将が驚いて天児の出血する腕を指した。
「ああ、これはちょっとガラスをきっちまってな」
 天児はコップや皿を派手にぶちまけた場所を指す。
「ガラスでそんなに血が出るのか?」
「ああ、そうだ…」
 美守が包丁を突き刺そうとしてそれを防ぐために腕を出したら切れてしまったなんて言えない。事情を話すと美守が辛い想いをすると思ったからだ。
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
「ああ、大丈夫だ。だけどこのままじゃ危ないから掃除だ。大家さんから箒借りて来い!」
「ぞーきんもね」
 空は将と違ってかなり乗り気なのか、天児の声に素早く反応した。
「ちゃんと頼んできてくれよ」
「いこ、みかみおねえちゃん」
「え、ええ…」
 空に引っ張られて若干戸惑いながら美守は出て行った。
「しっかし、ひでえ散らかりようだな。お姉ちゃんが暴れたのか?」
「色々あるんだよ」
 実は当たっているので鋭いなと思いながら天児は答えた。
「私はどうすればいい?」
 ここで黙ったままだったソラがようやく口を開いた。
「いや何もしなくていいよ、そこに座っていていい」
「でも、なにかしないと気が紛れないから…」
「そうか…」
 ソラが落ち着いた口調で言うのだから、将は呆気にとられていた。何しろ、将や空はソラと同レベルの頭の中身をしている程度にしか思っていなかったのだ。
「じゃあ、箒と雑巾がきたら頼む」
「わかった」
 そう答えたソラは元気が無く、顔も沈み込んでいた。
――そう家族だよ、彼女は日下空なのだよ
 不意にエージュの声が聞こえたような気がしたが、これは時元牢の中で聞いたエージュの声だった。
 正直選択を迫られた時、動揺しこそすれど確かめる気はまるでなかった。あの時はソラの手をとり、光の珠を持って一緒にこの部屋に帰ることが一番優先すべきだと心に決めたから、事の真意はそれほど重要ではなかった。
 だが、今はそうでもなかった。優先すべき事が解決した今となっては、再びエージュの言葉が飛来するように頭にきたのだ。
(ソラが、空か…)
 そう言われてもさほど違和感を覚えなかった。むしろ、その方がソラが家族だと短期間に思い込む事ができたことに納得がいった。ソラが空ならば、それは紛れも無い家族なのだから。
 だけどそうすると何故空が二人もいることになるのだろう。それもソラは自分と同年代なのだ。SFで考えるのならば、ソラは未来からやってきたなんて考えてしまうのだが、天児は直ちに否定した。
(そんなはずは……そんなはずはないよな…)
 今ソラに確かめれば答えてくれるかもしれない。だけどできなかった。事の真相を知ってしまうと何か取り返しのつかない事になりそうな予感がしたからだ。
 何かを知る事にひどく臆病になっている自分がいる事に天児は気づいた。
 そうこうしているうちに、空と美守が箒と雑巾を持ってやってきた。

**********

 あの後、飛び散ったコップの破片やら割れた皿やらを掃除しているうちにいっそのこと部屋を全部綺麗にしてしまおうと天児は提案した。そうすればそうすれば気分も晴れるかと思った。美守も自分も。
 もちろん顰蹙をかった。だが長男の権限でそれをやらせた。とはいっても「やるんだよ」の一言ですんなり二人とも言う事を聞いてくれた。
 おかげで部屋は綺麗になった。もっともそのせいで買出しができずに、昨日の残り物が並んだのでまたもや顰蹙をかったのだが。
「いただきます。一掃除した後の晩御飯は最高だろ?」
「うん」
 天児は空元気だけ出して顰蹙を抑えようとして言ったわけだが、空だけが反応してくれた。
「おにいちゃん、みかみおねえちゃんだけすくない」
 そんな空は美守の茶碗だけしかなく、米があるだけでそんな様子を不憫に思ったんだろう
「いいの…」
「だめだよ、ちゃんとたべないと」
 話を聞く前だったらこのやり取りは微笑ましく見れたのだろうが、事情を知ってしまった今となってはどこか彼女の辛さを共有しているようだった。
「うん、がんばる……」
「たくさんたべてね」
「おいおい、そんなに食ったら食費がまずいだろ」
 思わず天児は口を挟んだ。
「というか、この料理もまずい」
 さらに将が口を挟む。
「なんだと!」
 天児はテーブルを叩いた。
「本当のこと、言っただけじゃねえか」
 将は負けじと言い返す。
「だったら、将は明日飯抜きだな」
「ええ! そいつはやめてくれ!」
 将は天児にすがりつく。飯抜きという言葉は将にはかなり効果的なのだ。
「……にぎやか」
 美守はそれだけ呟いて、米を小さく一口、口に入れる。
「……おいしい」

**********

 将と空を寝かせた後は、三人で十一時五十九分になるのを待った。
 その間に、天児は美守が寝たきりになっていた二週間の事を話した。
「時元牢に入った…?」
 美守は驚きの声を上げた。
「ああ、君の記憶を取り戻すためにね」
「私の記憶がその中に……」
 美守は深く考え込む。
「あの中にはたくさんのアクタがいた。京矢もそこにいたんだ」
「京矢……」
 美守は辛そうにその名を読みあげる。
「そこには君の記憶があって、俺はメモリオンを使って持ち出したんだ」
「それがあなたのチカラなのね」
「オーバーロウ……エージュはそう言っていた」
 天児はそう答えてソラの方へ顔を向ける。
「ソラ、お前は全部知っていたのか?」
「知らないことはある…」
 ソラは暗い顔をして答えた。天児はその様子を見て聞きづらいながらも踏ん切りをつけて訊いた。
「だったら、知ってる事全部教えてくれないか?」
「…………………」
 ソラは何も答えることなく、顔をそらした。
(そりゃ無理だろうな…)
 ソラにも複雑な事情があってそれは簡単に話せるものじゃないって事は天児にはわかっていた。
 無言になった部屋で時計の針が時を刻む音だけが響いた。それはミッドナイトスペースが開かれるまでのカウントダウン。自然と部屋には緊張感が漂う。
「私は……」
 その空気に耐え切れなくなったのか、ソラが声を発した。
「ここにいてはいけない…」
「何言ってるんだ、ソラ?」
 天児はソラに詰め寄った。
「お兄ちゃんも聞いたでしょ? 私害悪だって…」
「エージュの言う事なんか気にするな」
 天児は強く言った。
「でも、事実だから…」
「そんな事言うな、ソラらしくない」
「私、らしくか…」
 ソラはそう言って天児を見つめる。
「ねえ、お兄ちゃん? お兄ちゃんは私のことどれだけ知ってる?」
「どれだけって……」
 天児は返答に困った。すると、ソラは微笑んだ。
「確かに……記憶が戻らなかった方が私らしかった…」
「そういうことじゃない…」
 天児は否定するが、ソラは構わず続ける。
「今の私は本当の私じゃない、考えれば考えるほどそう思えるの」
「本当の、ってどういうことなんだ?」
「それは……」
 ソラが答えようとした。だけど言葉は途中で止まった。止められたという方が正しいかもしれない。
 天児の視界からソラが消え、部屋の光景が消えた。ミッドナイトスペースが開かれたのだ。

**********

 風の無い、音の無いミッドナイトスペースだが、ビルの屋上にいればどこかで風が吹いているそんな錯覚を感じた。
「ソラ……」
 天児はその風のようなものを感じながら、もはやいなくなってしまった者の名前を呟いた。
「あの子、一体何者なの?」
 背後にいた美守が訊いてきた。
「家族さ……それだけで、それだけで十分なんだよ…」
 天児は肩を震わせた。
「家族ね……」
 その言葉を美守は羨ましそうに口にした。
「だけど、それだけじゃ俺もソラも駄目なんだよ……」
 天児は歯がゆい想いで言った。
「……そうね」
 美守は同意の意思を示した。その上で言葉を継いだ。
「……でも天児君、憶えておいて。ソラの苦しみ、辛さをわかってあげられるのも家族のあなただけよ」
「……ありがとう、美守」
 天児が礼を言うと、美守は空の彼方へ目を向けた。
「……それで私はファクターを倒して、家族の『明日』を守るのが役目ってところかしら」
「それは駄目だ」
 天児は食って掛かった。
「君にはもう戦わないでほしい」
「だったら、私もあなたには戦ってほしくないわ」
「どうして?」
「あなたの記憶が残り少ないからよ」
「………………」
 そう言われると天児は言い返せなかった。美守の言葉は正しくて、天児が恐れている事だからだ。
「あなたの記憶が無くなる速度は他のアクタよりも遥かに速い。それに、私の記憶が無くなってからも戦い続けてきたんでしょ? メモリオンを使って無理をして、無茶をして…」
「ああ、そうだよ…」
 美守の言葉を否定する気にならなかった。
「それ以上、戦えばもう引き返せなくなる。私を見ていたからわかるでしょ?」
「ああ、よくわかってる…」
 頑なに『記憶を失くす』ために、どんな説得にも耳を傾けようとしなかったその時の美守の姿をイヤでも思い出された。
「だからこそ、君には同じことを繰り返しちゃいけないんだ」
「私は大丈夫……あなたからもらった記憶があるから…それに、あなたが記憶を失ってしまったらあの子達が辛い想いをするのよ」
「取り戻した記憶で、いつまでやれるかわからないんだぞ?」
「それでも、私は戦う!」
 美守は強い意志を持って言い切った。
(駄目だ…それじゃ駄目だ……)
 天児は弱りきった。そうやって美守がまた戦えば元の木阿弥になってしまう。それだけやってはいけない。そうならないためには、と天児は考えを張り巡らせた。
 そして、ある考えにたどり着く。
(ファクターさえいなくなれば……いや、エージュがファクターを生み出さなければ…)
 それこそが元凶だと天児は考えた。
 エージュがファクターを生み出している。それをアクタがメモリオンを使って戦う。それが延々と繰り返されていく。『明日』があり続ける限り、続いていくのだろう。そう考えると怖くなってきた。『明日』というものの途方も無さに気づいたからだ。
(だったら、いっそのこと…!)
 だが、それは『明日』と同じくらい途方も無いことだとすぐにわかった。
 そこに気づいた時、夜空が霞んでいく。
「誰かがファクターを倒したのね…」
 美守はそんな夜空を仰いだ。
「ああ、助けられたな…」
 だがそれは問題を先延ばしにしたようで素直に喜べなかった。

**********

 誰かに相談したい。
 そんな衝動に駆られた。
 記憶の無い状態での配達は配達表を見て、遅れながらも確実にこなした。
(もう残り少ないんだな……)
 『昨日』の美守の言葉を実感せざるおえなかった。
 配達が終わると、アパートの部屋に戻った。
「おはよう」
 起きていた美守と挨拶を交わす。
「帰ってこなかったわね、ソラ」
「ああ、前と同じだ…」
 天児は味噌汁の具であるねぎと豆腐を切りながら答えた。
「だから、帰ってくる」
「そう…」
 それだけの会話を交わした後、美守はやることがないか、辺りを見回す。
「私、起こすね」
「助かる」
 美守は布団の方へ向かう。
(苦労するだろうな)
 天児は密かに思った。いざとなれば自分が行けばいいだろうと天児は心の準備をしておいた。
 数秒後、そんな必要は無かった事を見せ付けられる。
「いつもこれぐらいだとどれほど楽か…」
 四人で食卓を囲む光景を見て天児はぼやいた。
 美守が何をして起こしたかというと簡単だ。ただ布団にくるまっている将と空をゆすって「起きて」と小さく呼びかけただけなのだ。
「ねえ、おにいちゃん、おねえちゃんは?」
 空はソラの事を訊いてきた。
「……ちょっと出かけてるんだ…」
 と天児はごまかしておいたが、これで本当にごまかせたかどうか自信は無い。
「最近、ごはんばっかだな」
 不意に将が文句を言い出した。
「米がたっぷりあるからな」
 天児は過去の自分は買い置きをしていたのかと思いながら、炊飯器を指した。
「別に手を抜いてるわけじゃないぞ」
「そりゃわかってるぜ。うちは貧乏だからな、おかず買えないけどさ……同じものが出ると、兄ちゃん昨日の献立て忘れてるんじゃねえのかって」
「あ……」
 天児は痛いところを突かれたとバツの悪い顔をする。おまけに美守が睨んでいるので余計に困惑した。
「お、おかずも買い置きしてあるんだよ……」
 とりあえず言い訳をしてその場を取り繕った。
「おにいちゃん、いそがなくていいの?」
 空が時計を指した。
「いや、まだ余裕があるな」
 起こす時簡に手間取らなかったため、わずかばかりだがいつもより時間に余裕があったのだ。
「いつもこうだといいな」
 将は愉快そうに言った。
「だったら、もっと早く起きろ」
「おねえちゃんにおこしてもらったらいいな」
 空が美守の顔を見上げて言った。
「私が、起こす…?」
「それがいいな」
 将が言うと、余計に美守は困惑した。
「俺じゃ駄目ってわけか」
 天児は呆れ気味に言った。
「そりゃ、兄ちゃんだからな」
「なんだとコラ!」
「……にぎやか」
 美守はその様子を見て密かに呟いた。
 朝食を食べ終えると、すぐさま学校へ行く準備をする。
時間割を見ながらカバンに教科書を入れて、制服に袖を通す。久しぶりのはずなのに初めてのような、入学式に行くような感覚だった。
「……行くの?」
 そんな様子を見て、美守が訊いてきた。
「いつまでも休んでるわけにはいかないからな」
「そう……」
 美守はそう言って歩み寄ってきた。
「だったら、私も行く」
 美守は洗濯してあったセーラー服に着替えた姿を天児に見せた。
「い、いや……君はいいよ」
 天児は断った。
「どうして?」
「いろいろあるんだよ、いろいろ……」
 視線をそらして天児は答えた。
 他校の生徒と一緒に登校するなんて、あらぬ誤解を招きかねないからだなんて言えない。そのあらぬ誤解が極めて説明しにくいものだからだ。
「それに学校にはたいした用事も無いから大丈夫だよ」
「……わかったわ、そこまで言うのなら」
 美守は納得してくれた。
「留守なら任せて」
「ありがとう」
「ソラの代わりができるかわからないけど……」
 美守は寂しげにそう一言付け加えた。
「美守、代わりなんていいんだ。誰もそんなの望んじゃいない……」
「でも、私は…」
 それでも踏ん切りのつかない美守に天児は肩をかけた。
「だったら、『おかえり』ってちゃんと言って欲しい。それで十分だ」
「……わかったわ」
「じゃあ、行くよ」
「いってらっしゃい」
 美守は笑顔でそう言ってくれた。

**********

 とりあえず、学校は地図を見ながらなんとかやってこれた。近くまで来ると同じく学校に通う学生がいたので、それについていけば苦労することは無かった。
 教室に入ると一時だけ視線が集まったが、それっきりで席に座ると昨日やってきた安藤と長尾が今日もやってきた。
「おはよう、久しぶりだな」
 長尾は早速挨拶してきた。
「おはよう…」
 天児は軽く答えた。
「今日は来てよかったのか?」
 安藤が心配ありげに訊いてきた。
「ああ、大丈夫だ」
 これも簡単に答えた。
「空ちゃん、元気にしてる?」
 これは昨日にも訊かれたことだ。どうしてこいつは空のことを何度も訊くほど気にするのかよくわからなかった。
「元気だよ」
 天児は一言で答えた。というよりもそれ以外に答えようが無かったのだ。
「そいつはよかった。俺が勉強見てやるから、ちゃんと会わせるんだぞ」
「二週間ぐらいなら自力で取り戻せるだろ」
 安藤は自信を持って天児に向かって言った。
「『お兄ちゃんに勉強を教える優しい人』って印象を与えたかったのにな」
 長尾が何を言ってるのか、天児には理解でできなかった。
(二週間どころじゃないんだけどな……)
 だけどそんなやり取りを聞いていて、天児はこう思った。記憶が無くなったのだから、当然学校で学習してきた事もほとんど消えているのだ。試しに教科書を開いてみたのだが、読むのだけで精一杯でとても勉強なんてできるものじゃなかったことが記憶に新しい。
 授業が始まると案の定、ついていけなかった。幸いにも問題をあてられることはなかったので教科書を読んで、ノートを写しているだけでやり過ごす事はできた。
 昼休みになると、天児はすぐに保健室に向かった。今日学校に来た目的はそれだったからだ。
 白川教子に昨日のミッドナイトスペースでワイルドクロウの足止めをかって出てくれた事への礼をしなければならなかった。そのおかげで美守の記憶を取り戻す事ができたのだから。
 あのワイルドクロウと一人で戦う。そう考えるだけで身震いしてしまうのだが、教子はやってくれた。どう感謝すればいいのか分からないのがとりあえず礼の一つぐらいならできるだろうと、保健室に入った。
「教子さん…?」
 保健室には誰もいなかった。そう呼びかけても誰も返事をしなかった。
「………………」
 一瞬天児はある予感がよぎり、絶句した。
 ワイルドクロウと戦って無事ですむと考える方がおかしかったのだ。二度も戦って、二度も命拾いした自分はそれがよくわかっていたはずなのに、どうしてそれを考えなかったのだろうか。いや、それよりも今は教子の無事を確認する方が先決であった。
「ここにいないとするなら家か? 知らないからどうすればいいんだ? 重症なら近くの病院にいるかも…」
 最悪の事態は考えないようにした。
「思ったより呑気だな」
 背後から声をした。
「誰だ?」
 天児は即座に振り向いた。その声の主は天夢だった。
「てん、む…?」
 驚き声を震わせながら、その名前を呼んだ。
「そうさ。ああ、そうかこうして顔を合わせるのは初めてか」
 天夢は落ち着いた顔つきで冷静に言ってきた。
「時元牢の中で会ったことがあるって言いたいのか?」
 天児の手に汗がにじんだ。会ってはならない人に今会ってしまったそんな気がするのだ。
「いや、違うな」
「どういう事だ?」
「それは後回しで今お前はもっと知りたいことがあるんじゃないか?」
 知りたいこと、天夢にそう言われて天児はここに来た目的を思い出す。
「教子さんの事か…!」
「知りたいだろ?」
「知りたい」
 天児は即答した。
 天夢は笑みを浮かべて、昨晩の事を話し始めた。

**********

「まったくもって厄介ね…」
 教子は大きなため息をつきながら、構えを直した。
「ここで逃がしてくれるほど甘い男じゃなかったからね、あなたは」
 『糸』が幾重にもワイルドクロウに絡みつかせる。
「いいわ、今夜はとことん付き合ってあげる」
 そして彼女は一言付け加える。
「夜は長いんだからね」
 教子とワイルドクロウの戦いは熾烈だった。教子のメモリオンで作り出す『糸』はワイルドクロウを包囲する。時には『糸』は鉄をも切り裂く刃となり、ワイルドクロウに襲いかかったがワイルドクロウは大抵かわした。それでも何十回と試みれば何度か当たりこともあり、すでにワイルドクロウの茶色だったコートはすっかり赤に染まっていた。かくいう教子の白衣ももう白い箇所を見つける方が困難なくらい赤くなっていた。ワイルドクロウの猛威は教子の『糸』を何度もかいくぐってきたのだ。下手をすれば……と思うような場面はもう何度もあった。
 その中で彼と過ごした記憶が何度もよぎった。『糸』を構成するメモリオンの光がそれを見せているかのようだった。
 誰も来ない保健室。生徒のほとんどが健康そのものだったために就任して以来、保健室へ訪れる生徒は数えるほどしかいなかったため、教子は暇を持て余していた。そのため、無断で学校の外に出て行っても問題なかった。外に出て、時間をつぶせる場所を探していたおりに、まったく流行っていない喫茶店に入った。そこで彼と彼の淹れるコーヒーに出会った。教子は彼にすっかり魅了され、その喫茶店の常連になった。やがて自分と彼がアクタであることを知るのにはほとんど時間は掛からなかった。ミッドナイトスペースで知り合いがいるということが、どれだけ心強いか二人はよく知っていた。二人は知り合いから戦友へ、やがては恋人同士になっていった。その頃から彼は自分の店をバイトに任せて留守にすることが多くなったが、それでも教子は毎日通い続けた。
 やがて二人は気づくことになった。メモリオンを使って戦うことの代償が何なのか。それと同時に彼は自分の記憶が尽きる日は近いと悟っていた。何故なら、彼は前衛で教子は後衛だったからだ。教子が後衛でサポートしてくれるからメモリオンを惜しむことなくファクターの目をその爪で切り裂くことができていた。しかし、それゆえに記憶が無くなる速度は教子よりも遥かに速かった。教子がその事に気づくまではもうしばらく時間がかかった。
「どうして、黙っていたの?」
 教子は彼に問い詰めた。
「さあ、わからない。理由すらもう忘れてしまったのかもな」
「ごまかさないで…!」
「別にごまかしているわけじゃない。ただ今はそんな気分なんだ。何を覚えていて、何を忘れたかなんてわけわからなくなっちまって…」
「私は? 私のことも忘れてしまったの?」
「さあ、わからないな……ただ、残念でならないのが…」
「何? 何なの?」
「もうお前にコーヒーを淹れられない……」
「そんな……」
 教子の目に涙が溢れて白衣を濡らした。
「憶えていないんだ……俺の取り柄だったのにな……だから、もうどうだっていいんだ…」
「そんなこと言わないで……あなたが忘れてしまっても私は憶えている……あなたの記憶も私にはある……」
「そうか、そうなんだな…」
 彼はそう言って笑うと、ファクターがやってきた。彼は残り少ない記憶をメモリオンに変えて、ファクターに立ち向かった。
「絶対に何が何でもファクターを倒す!」
 そんな気迫が彼から目を覆いたくなるほど伝わってきたが教子は最後まで見守った。やがて、彼の限界を迎えた。メモリオンの輝きが消えたのだ。教子がそんな彼に駆け寄ろうとした。その瞬間だった。彼は再びメモリオンの光を取り戻し、ファクターに立ち向かった。だが、その時の姿はもう人間のそれではなかった。おそらくファクターを倒すという一心が記憶に留まり、残った記憶の全てをメモリオンに注ぎ込んだため、人間らしいモノは全て失ってしまったのだろう。目に映り、耳に入り、鼻で嗅ぎ取り、身体で感じる一瞬のものさえ記憶としてとどめずにメモリオンに変えて立ち向かっている。それがわかった時、教子は彼の生存を諦めた。仮に勝ったとしても彼はもう既に人間ではないのだから、そう割り切ることしかできなかった。そして結果は彼の勝利に終わった。だが、彼はもう何も喋らない。言葉さえ失い、残った闘争本能だけで目に入った生物だけを攻撃するアフターアクタという獣と化した。
 ここでメモリオンが見せる記憶は途切れた。
「あの日から私は誓った……どんなことがあっても私はあなたとの記憶を持ち続けるとね」
 教子はワイルドクロウに語りかけるように言った。戦いのさなかにそんな余裕はないはず。彼にはもう伝わらないはず。それなのに、そうせずにはいられなかった。
 ワイルドクロウの爪が頬をかすめる。目の前に血が雪のように小さく多く舞う。しかし、直後に『糸』で動きを止めて距離をとった。もしも今の攻撃が数センチずれていたら、そう考えると身体の芯から震える。
「私は生きてきた……そして、見てきた……あなたがたくさんのアクタをその手にかけてきたのも……それを見るたびに思うのよ、あなたはもういないんだってね……」
 そう言うとワイルドクロウは『糸』を力づく、無理矢理解いて教子に突っ込んでくる。
 教子はその様子を見て、悲愴を帯びた表情から一転して笑みを浮かべる。
「ちゃんと終わらせないとね、私達……この記憶があるうちに!」
 教子はメモリオンを輝かしく放出し、無数の『糸』をワイルドクロウに向かわせた。それはまさに糸の嵐であった。糸は竜巻のようにワイルドクロウを中心に渦巻き、巻き上げる。
「スレッドストームッ!」
 蚕の繭のようになったワイルドクロウに待っていた結末はそのまま『糸』の圧力で押し潰されることだった。だが、そうはならなかった。繭から爪が突き出て彼は殻を破ったのだ。
 教子は片膝を付いた。今のでほとんどのチカラを注ぎ込んでしまったからだ。メモリオンはあっても気力がもたなかったのだ。
「ここまでね…」
 教子はワイルドクロウを見上げて言った。
「……もう、これは持っていくしかないわね……」
 教子はそう呟いたときには、ワイルドクロウの爪が喉元にまで届きかけた。
 だが、その爪を止めるために誰かが割って入った。
「天児君…?」
 その背中は紛れも無く天児そのものだった。だが、彼は教子に目もくれることなく、ワイルドクロウを見つめる。
「刻鋭ッ!」
 彼がそう叫ぶと、横たわっているシャッドから光が溢れ出し、彼の手元に集まった。
 彼の手に集まった光は、日本刀を形成した。彼は鞘から引き抜き、月光のように煌めく刃をワイルドクロウに向けた。
「白光ッ!」
 刻鋭と呼んだ日本刀でワイルドクロウを薙ぎ払った。その時、斬った腹が白い光を描き、その光は輝きを増していき、ワイルドクロウを光で包んだ。
 やがて光が消えると、ワイルドクロウもその姿を消した。
「あなたの記憶もこの刀に……」
 彼は黙祷のように目を閉じて、そう言った。
「フフ、これで終わったのねあっけない…」
 教子は顔をうつむかせ笑った。
「すみません、勝手に俺がやってしまって」
「いいのよ、誰がやっても結果は同じだしね……」
 教子は踏ん切りをつけたのか、顔を上げて彼の顔を見据える。
「久しぶりね、天児君…」
「その表現は正しくありません」
 彼は一瞬ためらったあと、こう告げた。
「今は天夢です」
「そうだったわね、天児君」
「相変わらず人が悪い」
 彼は苦笑した。そして教子は彼の手にもった日本刀を見た。
「その刀、見せてくれないかしら?」
「いいですよ」
 差し出された日本刀を教子は受け取った。
「なるほどね、彼女とあなたの二人分のメモリオンか……それに、彼の分もわずかにあるわね」
 教子はそれを見て満足そうに笑った。すると、日本刀が光に包まれた。
「あなたは…!」
 これには彼も驚いた。
「こうしておいたほうがいいわ……私の記憶も持っていって、そうすれば私と彼は消えることはない……もう疲れちゃったから、あなたが使って……そうすれば彼も喜ぶはずよ」
 教子は笑ってそういうと彼は神妙な面持ちで答える。
「わかりました…」
「ありがとう」
 教子はそう言って、張り詰めた糸が切れたかのように力なく倒れた。
(これでよかったのよ……あなたの記憶を持っていても辛いだけだから…)
 遠のく意識の中で教子は最後の記憶は、店で彼の淹れるコーヒーを飲む日々だった。
――私も上手くなったんだよ、今度淹れてあげるから……

**********

「これが彼女の記憶だ」
 天夢は話し終えると、大きく一息ついた。
「彼女、教子さんは満足していったよ」
 それを聞くと、天児は天夢の胸ぐらをつかんだ。
「なんで止めなかったんだ? 記憶を全部移し変えるなんて……そんなことすればどんなことになるか、わかってたはずだろ?」
「ああ、よくわかってるさ」
「だったらなんで」
「お前なら止めたけど、俺は止めなかった……ただそれだけのことだ」
「それだけって…!」
「よせ、お前と争うつもりはない」
 天夢は天児を突き放した。
「わざわざ俺にこのことを教えるために来たのか?」
「お前には知る権利があるからな」
 天夢はどこか余裕をもった口調だった。
「知る権利…? どういうことだ?」
「まだ気づいていなかったのか? 俺とお前がどうして同じ顔をしているか考えたことはあるだろ?」
「それは…?」
 天児は答えられなかった。確かに考えたことはあった。だけど、結局考えたところでわからないままで、他人の空似ということで自分の中でかたをつけていた。それを当の本人から突きつけられるとは思ってもみなかったのだ。
「わからない、わからないよな……俺はその記憶は与えなかったからな」
「与えなかった……どういうことだ?」
 その声は震えていた。なぜこの男と相対するだけでこれほど打ち震えるのか。何か自分の全てを根底から覆されるようなものを持っている気がしてならなかったからだ。
 天夢は不敵な笑みを浮かべて答える。
「お前の記憶は本当にお前なのか?」
「え…?」
 天児は愕然とした。
 そう言われると、あの夢の中の出来事は自分の記憶には無かったものだというのに、自分が体験したような感覚があった。
「あの夢…? 俺の記憶にはなかった…」
「やはりそうか、お前も見たのか」
「あ、あの夢がなんだって言うんだよ?」
「あれは俺の記憶だ」
「お前の…?」
 天児は驚きを隠せなかった。
「時元牢の中ではあらゆる記憶が混在しているからな。俺とお前の記憶が混ざり合っても不思議じゃない」
「そんなこと訊いてるんじゃない。あれは、あの夢は……どう考えても、」
「俺の記憶だったと、言いたいんだろ?」
 天夢は天児の声に被せるように言った。
「お前の言いたいことはよくわかる。俺だからな」
「俺だから…?」
 天夢ははっきりと確信をもった口調で言葉を継いだ。
「俺が本当の日下天児で、お前は偽物なんだよ」
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