かつて見下した新人女子が、俺の部長になった結果

kazu106

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第十一章

背を向ける日

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乾栄一は、三ツ矢商事を退職する決意を固めていた。

まだ定年前の、五十六歳。
だが、もう限界だった。

周囲が変わっていくのを見届けることにも、
自分の存在価値がすり減っていくのを実感することにも、
心が耐えられなかった。

退職願を出すその手は震えていたが、誰にも悟られないよう、静かに処理を済ませた。
これといった送別会もなかった。希望もしなかった。
ほんの数人、かつての部下だった卓と数名の同僚が、最後の日にエントランスで彼を見送ってくれた。

その朝、社内では別の話題で盛り上がっていた。

新たな人事発令。

《取締役専務:中村静香(現:執行役員)》(52歳)
《執行役員:七瀬沙紀(現:営業部・部長)》(32歳)

――社内初、生え抜き女性取締役の誕生。
――そして、32歳の若さで執行役員に就任した七瀬沙紀。

経済誌やテレビでも報じられたそのニュースは、瞬く間に話題となり、社内の掲示板やSNSは歓喜と祝福の声であふれていた。

「これからうちの会社にも、新しい風が吹きそうだな」
「いやあ、うちも変わったよなあ……」
「女性がここまで出世する時代か……」

社員たちの声が、エントランスにも漏れ聞こえてくる。

さらには、

《営業部・課長:早崎みずき(現:営業部・チームリーダー)》(27歳)

とも。

その中を、栄一は一人、背を向けて歩いていた。

ふと、エントランスの脇に、ひとりの女性が立っているのが目に入った。
中村静香――今や専務取締役となった、かつての同期。
目が合うと、静香はごく自然に、微笑を浮かべて軽く会釈した。
そして、ごく静かに言った。

「乾くん、また会う気がするわ。今度は会社じゃなくて、もっと自由なところで」

栄一は、一瞬だけ戸惑いながらも、うなずいた。
それは、かつての自分に向けられた言葉ではなく、いまの“何者でもない自分”にかけられたものだと、感じたからだった。

振り返らない。
振り返ってしまえば、何かを期待してしまいそうだったからだ。

期待して、傷つき、また打ちのめされる――
そんな自分には、もう耐える力が残っていなかった。

ただ一歩ずつ、無言で歩く。

この会社に入社したあの日、胸に抱いていた希望。
上司に食らいつき、同期と競い合い、後輩には背中を見せようとした日々。

だが、最後に残ったのは、何ひとつ役職のつかない“元社員”という肩書だけだった。

けれど、それでも――。

「ありがとうございました」

心の中でだけ、会社に向かって深く礼を述べた。
それだけは、忘れてはならないと、どこかで思っていた。

彼の背中に、春の風が静かに吹いていた。
新しい季節が、誰かにとっての始まりを告げている。

そして、栄一にとっては、遅すぎた“終わり”が、ようやく形を持った瞬間だった。

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