憎き世界のイデアゼム

志賀野 崇

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7話『迷いの森』

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 その少女は、森を彷徨っていた。
 全身から血を流し、素足にボロボロの布を纏っている。
 そして、その片腕は無残に引きちぎられており激しい流血と時折血しぶきを上げている。
 朦朧とする意識の中で何とか生き延びようと森を進む彼女。
 と、不意に視線の先に戦闘着に黒いコートを着た男性がうつる。
 髪は白。年齢は自分よりもいくつか上に見えるが、大人には見えない。
「た……す、……け……て」
 かすれる声でそう言った彼女は、必死に少年に向かって手を伸ばす。
 その次の瞬間、彼女は肉塊となってその場に押しつぶされる。
 雨に濡れたサビのような匂いと木々に飛び散る鮮血と臓器の破片。
 押しつぶした少女を無感情に眺める俺は、小さく呟いた。
「腕だけ削がれた少女か…………近くにいるな」
 ふと顔を上げると、森の奥に一人の巨漢が仁王立ちしている。
「……お前か」
 俺はニヤリと笑い一歩前に出る。
 すると、男もゆっくりとこちらに進み出て、その巨大な口をニンマリと広げて笑う。
「お前は、壊れにくそうに見える」
 そう呟いた男を俺は鼻で笑う。
「生憎よ。既に壊れた身なんだがね…………まぁ、それはお前もだろうがなっ!」
 言うなり俺は、激しい重力を男に叩きつける。
 しかし、
「バカなっ!?」
 驚愕した俺の腹部に男のパンチが入る。
 吹き飛ぶ俺と追撃を狙う男。
 奴は重力圏を一瞬で離脱し俺の間合いに入り込んでいた。
 俺はすぐさまブラックホールを作り出し、追撃を牽制する。
 反射的に防御魔法を展開しようとするが、俺はとある異変に気がつく。

 魔力が溜まらない。

 俺は舌打ちし、自身の周囲に重力圏を作り出し防護壁の代わりにする。
 考えてみれば当たり前な話である。魔力とは、物質に集積するものであり、質量の曖昧なファントムには溜まらないのである。
 現在扱っているイデアゼムだが、これは魔力には直結しないシステムで発動されるため何の問題も無く使用できているわけだ。
 イデアゼム。かつて魔皇族が使用した強大な力を、人間が魔皇族を殺すために身につけた能力。その源は怒りや憎しみ、渇望の感情。
「ダメージは、薄いように見える……」
 そう言った男は、再び拳を握りしめる。
 そんな男に俺は苦い表情になる。
「普通にいてぇよ……」
 刹那。
 男が再び拳を振り抜いた。俺は手のひらをかざしその拳に重力波をぶつける。
 激しい火花が散り、夜の闇を照らす。
「ぐぅっ!」
 男は、呻くと重力波を弾き飛び退いた。
 俺はブラックホールを圧縮した球を投げつける。
 地に着弾したブラックホールが空間をねじ込み削り取る。
 男は、すれすれで回避したようでブラックホールの影から姿をあらわす。
 地を蹴った男に俺は、重力を上方から叩きつける。今度は捕らえた。
 地にひれ伏した男。そのままいつものように捻り潰そうとした時、不意に男の姿がその場から消える。
「なっ!?」
 視線を上げると、重力圏から外れた少し先に男がいる。
 男は言った。
「俺のイデアゼムを怪力か何かと勘違いしてないか?」
「あ?」
「俺のイデアゼムはなぁ。こういうのなんだ」
 言うなり男は、背を向けてその場を去っていく。それと同時に俺の視界が歪み周囲の木々が動き大地がうねる。

 空間侵食型……いや、固有空間生成型のイデアゼムだと!?

 目を見開く俺に男の声が聞こえてくる。
「この世界から抜けられたら、今度こそちぎってあげるよ」
 俺はすぐさま言い返す。

「さっさと抜けて、押しつぶす」

 その一言も虚しく俺は、奴の作り出した空間に呑まれた。
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