名前が呼べない君

紫苑

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名前が呼べない君

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 俺は知ってる。
 同じクラスの同級生、高遠夕ちゃん。高校一年の頃から今現在、高校二年まで同じクラスの女の子。何度か喋った事はある……いや結構喋っているけれど、彼女は一度たりとも俺の名前を呼んだ事はなかった。——そう、俺は知っているのだ。
 彼女は俺に好意があるゆえに俺の名前を呼ぶ事が出来ない、と。
 俺と彼女が知り合ったのは高校一年の時の委員会。夕ちゃんは環境委員会に立候補。俺は環境委員会の、もう一つの空いていた枠へのあみだくじによる決定。最悪だ。ついてない。
 友達に「遼~頑張れよ~」なんて嫌味ったらしく笑われながら言われては腹がたつし、余計にやる気がなくなる。仕方なしなし今日の環境委員の仕事である、中庭の花壇への水やりをしに行った。
 ガラリとドアを開けて、外履きを地面に軽く投げる。ため息をつきながら靴を履いて、水くみ場へ向かう。ジョウロにじゃぼじゃぼと水を入れながら欠伸を一つ。やる気のなさが全面に出ている事であろう。水がそれなりに入ったところで蛇口を閉め、ジョウロを持って花壇に向かう。
 向かった先には女生徒の後ろ姿があって。もう一人の子がもう来ているんだ、早いな。とぼんやり思った。
 隣に立ってジョウロの水を撒き始める。それまで俺に気づかなかったのだろう、その女生徒は俺の存在に気づいた瞬間体を揺らした。きっと驚いたのだ。委員会の仕事は面倒だったが、人と話したりするのが嫌ではない俺はその女生徒に話しかけた。
「俺、相楽遼。君は?」
 女生徒はちょっとびくびくしながら俺を見てきた。自分で言うのもなんだが俺は見た目が若干チャラい。と言うか軽薄そうに見えるそうだ。友人曰く、だが。そんな俺が怖かったのか、目をあちこちにやりながらしどろもどろに答える彼女。
「あっ、えっと……高遠夕、です」
 一瞬だけ目があった。それだけなのに俺の心臓は強く主張をした。
「高遠さんかあ。俺、同じ委員会なんだよね。よろしくね」
 なんだこの子、すごい可愛い。
 それが俺の感想だった。何が、とか、どこが、とか聞かれると困るが、可愛い。とにかく可愛い。
 俺は話題を広げるべく、ジョウロの水を適当に撒きながら口を開いた。
「この委員会の仕事、疲れるよね。めんどくさいって言うか……」
「私、自分でこの委員会選んだんで……それにお花、好きだから」
「そうなんだ?」
 会話を続けているが気が気じゃない。動悸がする。これが一目惚れってやつなのか。
 それからは他愛のない話をして委員会の仕事を終えてそれぞれ帰路についた。俺の心臓は家についてもバクバクしていて、想いをぶちまけるように大声を出したら親に怒られた。
 それから俺は積極的に声をかけ続けた。ギリギリだった登校はやめて、夕ちゃんが来る頃には学校に着いていた。そして毎朝必ず挨拶をする。友人たちからは「遼が真面目になった……」なんて言われたが夕ちゃんと仲良くなるためだ。ところで夕ちゃん、とは俺が心の中で勝手に呼んでいるだけだ。いろんな面で夕ちゃんと接触を図った。それを半年続けた。——そして俺は気づいてしまった。
 俺、夕ちゃんに名前すら呼んでもらえてなくない?
 気づいた時はめっちゃショックだった。もしかして嫌われてる? チャラい男はダメだって? そう思って本物の真面目な生徒になってやろうか、とも考えた。何もまだ夕ちゃんがチャラい男がダメだなんて言ったわけでもないのに。
 しかし、こちらにも気づいてしまった。
 俺は夕ちゃんにそれでもめげずにアピールしまくった。ダメかなあ、なんて悲しさを抱きつつ。ある日、夕ちゃんが落し物をした。それを俺がたまたま拾って夕ちゃんに手渡した。その時、俺の手と夕ちゃんの手が少し、触れた。夕ちゃんがびくっとしたのがわかって、また怖がらせてしまったのかと思い、顔を覗き込んだ。——そこには顔を真っ赤にした夕ちゃんがいた。
「あ、えっと、あ、ありがとう……! じゃ、じゃあ!」
 そのまま夕ちゃんは早歩きで去って行った。俺はそこまで鈍感じゃない。あれ、もしかして。
「俺、意識されてる……?」
 それからは有頂天だった。思えば今までの行動は全て俺を意識してるからじゃないのか? そう思えば思うほど可愛い。その感情ばかりが募る。そういえば彼女は頑なに俺の名を呼ばない。呼ばないと気づかないような時でも「あの!」と言ってくる。……そうか、彼女は俺の名前を呼ぶのが恥ずかしいのか。
 夕ちゃんと同じ中学だった同級生にたまたま聞いた話だが、夕ちゃんはどうやら恥ずかしがり屋のようだ。その情報も相まって、俺のテンションは上がるばかりだ。
「よし、夕ちゃんに名前を呼んでもらおう……!」
 俺の奮闘は始まった。今まで以上に積極的に声をかけて、名前を呼ばなきゃいけないような状況にさせたりした。それでも名前は呼ばれない。なかなかに強敵だ。
 そんな時だった。放課後たまたま中庭に面する廊下を歩いていたら、中庭で夕ちゃんが草をかき分けていた。制服が所々汚れていて俺はびっくりして中庭におりた。……そんな俺も外履きなんて履いていなかったが。
「ちょ、高遠さん何してんの!?」
「あ……」
 地面に手をついていた夕ちゃんの腕を引っ張って立ち上がらせる。夕ちゃんの表情は暗く、泣き出してしまいそうだった。
「どうしたの?」
俺がなるべく声を優しく出して伺えば、夕ちゃんはもっと泣き出しそうになって。俺はあたふたしながら、もし泣き出したら、とハンカチを探そうとしたが持っていなかった。ちくしょう、こんな時ばっかり自分のズボラさが嫌になる。
「……お母さんの」
「ん?」
「……お母さんの、形見のお守りを、なくしてしまって……」
 形見。それは夕ちゃんのお母さんが亡くなっていると言う事。それだけでとても大事なものだとわかった。
「いつまであったの?」
「お昼休み前には……お昼休みに、中庭の花壇のお花を見にきたからここで間違いないと思うんだけど……」
「そっか」
 俺は腕まくりをして男にしてはちょっと長い髪をヘアゴムで結う。そして地面に膝をついた。
「え、あの……!?」
「俺も手伝う」
 そう言えば夕ちゃんはぎょっとして「いいよ……!」と言ってきた。
「俺がやりたいだけだから。それに泣きそうな高遠さんそのままに出来ないし」
 夕ちゃんは目に涙を溜めながら「ありがとう……!」と言ってきた。夕ちゃんの為になんとしてでも見つけてやる。
 二人であちこち探しているうちに夕ちゃんは余裕が出来てきたのか、クラスメイトの話や先生の話なんかをし始めた。俺も夕ちゃんも笑って、それでも探す手は休めない。
 そんな時、ふと聞いてみたくなった。
「高遠さんさ」
「うん?」
「なんで、俺の名前呼んでくれないの?」
 ピシリ。まさにそんな音がしたような気がした。夕ちゃんはかたまってしまった。
「俺、高遠さんに嫌われてるのかなー……なんて」
 夕ちゃんが俺の名前を呼ばない理由は知ってる。ただ、夕ちゃんがなんて答えるかが知りたかった。意地が悪い男だと自分でも思う。それにあわよくば名前呼んでもらえないかなー、なんて。
「まあ、今はお守り探そうか!」
 夕ちゃんをこれ以上困らせても、と思いお守りを探す。水くみ場の横にあるジョウロ置き場の間に何かあるのが見えた。それは——
「あ! これじゃない!?」
 ピンク色の可愛いお守り。夕ちゃんに見せればまた泣きそうな顔をして首を縦に振った。
「あ~よかった! 俺もほっとしたよ~」
「あ、あの……ありがとう!えっと……その……」
「うん? どうしたの?」
 夕ちゃんは意を決した顔をして俺の目を真っ直ぐ見る。
「ありがとう!相楽くん!」
 俺は思わずポカンとした。夕ちゃんが俺の名前を呼んでくれた。
 夕ちゃんはそのまま言葉を続けた。
「べ、別に嫌いとかじゃなくて、そ、その……逆、と言うか……!えっと、その……相楽くんのことが好きすぎて……!」
 夕ちゃんはそこまで言ってハッとした表情を浮かべる。それからみるみるうちに赤くなっていく。そして俯いてしまう。
「やぁっと名前呼んでくれた」
 自分でも疑うくらい優しく甘い声が出た。それだけ嬉しかったのだ、しょうがない。夕ちゃんは顔が真っ赤なまま下に向けていた顔を上げた。俺はそれも嬉しくて顔が緩んでいくのがわかる。
「それに、知ってた」
「え?」
「高遠さん、俺のこと好きで名前呼べないんだなぁって、可愛いなーって」
「え!?」
 顔が真っ赤なまま口をパクパクさせて、金魚みたいだなあ、なんて。
「な、な、な……!だってさ、さ、相楽、くん、嫌われてるのかな、って……!」
「あは、名前呼んでくれるかな? って言ってみただけ」
「え、えー! 私、誤解を解かなきゃ、って必死に名前呼んだのに!」
 ああ、全くもう。可愛いなあ。
「うんうん。俺、嬉しかったよ」
「いやそうじゃなくて……!」
 顔を扇ぐ夕ちゃん。本当にすごく恥ずかしがり屋のようだ。……俺もちゃんと言わなきゃ。
「名前を呼んでもらえなくて、さみしかったのはあるよ? だって、俺も高遠さんのこと好きだし」
「はい?」
 よし、今日は俺も嬉しいことがあって胸がいっぱいだし、これ以上は夕ちゃんもキャパシティオーバーだろう。よっこらせ、と投げ出していたカバンを持って立ち上がる。
「じゃあね! 高遠さん! 今度から名前じゃないと反応しないから!」
「え、ちょっと待って、ねえ、待っ——相楽くん!」
 名前を呼ばれる。なんでこんなに嬉しいのか。俺は振り返って夕ちゃんを真っ直ぐ見る。
「えらいえらい。あ、それから! 名前、スムーズに呼べるようになったら一緒に手繋いで帰ろ?両思いだもん、いいよね?」
 高遠さん恥ずかしがり屋だからちょっとずつね! 俺はそう言ってニコニコ笑う。きっといい笑顔だったことだろう。
「え、え?」
「そう言うわけだから、高遠さん。……覚悟、してね?」
「ちょ、ちょっと待って、相楽くん!!」
 手を繋ぐ日が楽しみだなあ、なんて。俺の浮かれた気持ちはしばらく落ち着かなかった。
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