27 / 60
第2章 ガスとリチャード
第12話 月が満ちて沈むとき
しおりを挟む
やがて満月から三日分欠けた光の輪の中に、まるで吸い寄せられたように浮かび上がったかと思ったら、リチャードは急に我に返ったのか両腕を振り回して、近場のどっしりとした何かにしがみついた。
ガスだった。
「リチャード様! しっかり!」
酸素を求めて、胸が大きく上下する。
ガスがリチャードを立たせてやった。足のつく、浅瀬だった。
未だ混乱する頭で周りを見回せば、船頭も客も揃って腰まで水に浸かり、ぎょっとした目を並べている。
あたりの霧は晴れ、月の綺麗な宵の口だった。
「生きてた……」
と、旅人の一人がつぶやくと、途端にわあっと歓声が上がった。
たじろぐリチャードはガスを見上げて、
「何があったんだ?」
と、聞くが、彼は苦笑している。
「それは私が聞きたいことです」
平静を装った声色だったが、その実彼がひどく動揺していることは、しがみついている腕から伝わってきていた。
リチャードが目をぱちくりさせている間に、船頭たちは声をかけあって、底を上にしてひっくり返っていた舟を戻すと、互いに助け合いながらそれに乗り込んでいく。
さっきまでのギスギスした空気は、ひとつの危機を共に乗り越えたことで払拭されたのか、大蛇が出たときに俺はこうだった、俺はああしていたなどと、あることないことワイワイやっている。
そして意気揚々と竿を手にした船頭が、ガスに助けられながら舟に乗るリチャードを振り返って讃えるのだ。
「それにしても、さすがはエセルバート様のご子息様。わたくしは感服いたしました。もちろん、わたくしには最初から、あなた様がひとかどの方ではないことをわかっておりましたが」
「よく言うや!」
と、同乗の一人がちゃちゃを入れても、船頭はへらへら笑うだけだ。
「いや、本当のことです。ですが、なにぶん物騒な世の中ですから、つい用心に用心を重ねまして。しかし、あんな、計り知れないお力をお持ちとは」
するとまた、興奮して他も口々に武勇を語る。
騒然とする小舟の上で、リチャードは事情が見えずガスの顔をうかがうばかりだ。
彼は声を落とし、リチャードの耳元でささやいた。
「このままにしておきましょう。都合がいい。話を合わせておいてください」
「合わせるも何も、一体何があったんだ? お前たちには、何が見えていたんだ?」
「本当に何も覚えてらっしゃらないのですか?」
と言って、彼が語ったのは、こんな内容だった。
衝撃があって大河に叩き落とされたとき、ガスは抱きしめていたはずのリチャードを見失ってしまった。ついさっきまでしっかり掴んでいたはずなのに。
四方八方、慌てて手を伸ばしても当たらない。何度か水に潜っても、まったく姿が見えなかった。
他の三人は半狂乱だったが、水の暮らしに慣れた船頭が泳ぎはじめたので、そっちに岸があるのかと、あとの二人は続いていくようだった。
ガスはその背後で、懸命にリチャードを探していた。まさかあの瞬間、大蛇に食われたのか?
と、そのとき。
小さな渦巻きが水中に沸き起こったと思ったら、見る見るうちに大きくなっていき、抵抗虚しくあっという間に四人を飲み込んだ。
ものすごい勢いでぐるぐると回る渦に、四人は溺れ、もがく力も奪われていく。
もうだめだ……。そうガスも覚悟したときだった。
あれほど自分達を振り回していた渦の力が急速に弱まっていき、はたと気がつくと、三人ともさっきの浅瀬に打ち上げられていたのだ。
船頭の額にゴツンと舟先が当たる。
振り返った彼は、目を見張ってガスを呼んだ。
「おい! あんた! あれ! あれを!」
必死に指さすほうを向けば、川面の一部分が光り輝いている。
ガスは咄嗟にリチャードだと察し、他の者の制止も聞かず、水をかき分けて進んでいった。
徐々に明るさを増す光は、川底からこちらへ浮かび上がってきているようだった。
まるでその聖なる光に掃き清められるように、さっきまでの濃霧は立ち消え、あやしい、ぬめぬめした空気も澄んでいく。
ちょうど横になったリチャードと同じ大きさに思っていた光は、まさにそのものだった。仰向けに横たわったリチャードが、すやすやと眠っているように、胸のところで手を組んで、ふわりとそこに現れたのだ。
四人はそれを、ただただ神聖な気持ちで、ひとことも発することができずに見つめるばかりだった。
ガスが腕を伸ばして水の下から抱き支えると、パッと光は消え失せ、リチャードは重力を取り戻して、二人して一度川の中に沈み込んだ。
リチャードが両手でガスにしがみついたのは、そのときだった。
他の三人の話によると、波を立てて大河を去っていく大蛇の背が見えたのだとか。月明かりを受けて、一枚が大男の手のひらくらいありそうな鱗をぬるぬると輝かせていたそうだ。
「あなた様には不思議な力があって、それで大蛇を退けたのだと、彼らは騒いでいるのです」
三人のはしゃぎようを顎でしゃくるガスに、リチャードは動揺して掴みかかった。
「ガス、それどころではない。大変なことになった」
その腕を、彼は力強く握り込んで制した。
三人の瞳がこっちを向いている。
「どうされたんだろう。お加減が優れないのかな」
「きっと力をお使いになって、疲れてらっしゃるんだ」
「まるで女のような綺麗なお顔立ちなのに、大蛇退治の王子様だ」
リチャードはひとまず口を閉ざしたが、胸のうちでは不安が暴れ、生きた心地もしなかった。
あと三日。
夜空を見上げる。
あの月が、満ちて沈むとき……
ガスだった。
「リチャード様! しっかり!」
酸素を求めて、胸が大きく上下する。
ガスがリチャードを立たせてやった。足のつく、浅瀬だった。
未だ混乱する頭で周りを見回せば、船頭も客も揃って腰まで水に浸かり、ぎょっとした目を並べている。
あたりの霧は晴れ、月の綺麗な宵の口だった。
「生きてた……」
と、旅人の一人がつぶやくと、途端にわあっと歓声が上がった。
たじろぐリチャードはガスを見上げて、
「何があったんだ?」
と、聞くが、彼は苦笑している。
「それは私が聞きたいことです」
平静を装った声色だったが、その実彼がひどく動揺していることは、しがみついている腕から伝わってきていた。
リチャードが目をぱちくりさせている間に、船頭たちは声をかけあって、底を上にしてひっくり返っていた舟を戻すと、互いに助け合いながらそれに乗り込んでいく。
さっきまでのギスギスした空気は、ひとつの危機を共に乗り越えたことで払拭されたのか、大蛇が出たときに俺はこうだった、俺はああしていたなどと、あることないことワイワイやっている。
そして意気揚々と竿を手にした船頭が、ガスに助けられながら舟に乗るリチャードを振り返って讃えるのだ。
「それにしても、さすがはエセルバート様のご子息様。わたくしは感服いたしました。もちろん、わたくしには最初から、あなた様がひとかどの方ではないことをわかっておりましたが」
「よく言うや!」
と、同乗の一人がちゃちゃを入れても、船頭はへらへら笑うだけだ。
「いや、本当のことです。ですが、なにぶん物騒な世の中ですから、つい用心に用心を重ねまして。しかし、あんな、計り知れないお力をお持ちとは」
するとまた、興奮して他も口々に武勇を語る。
騒然とする小舟の上で、リチャードは事情が見えずガスの顔をうかがうばかりだ。
彼は声を落とし、リチャードの耳元でささやいた。
「このままにしておきましょう。都合がいい。話を合わせておいてください」
「合わせるも何も、一体何があったんだ? お前たちには、何が見えていたんだ?」
「本当に何も覚えてらっしゃらないのですか?」
と言って、彼が語ったのは、こんな内容だった。
衝撃があって大河に叩き落とされたとき、ガスは抱きしめていたはずのリチャードを見失ってしまった。ついさっきまでしっかり掴んでいたはずなのに。
四方八方、慌てて手を伸ばしても当たらない。何度か水に潜っても、まったく姿が見えなかった。
他の三人は半狂乱だったが、水の暮らしに慣れた船頭が泳ぎはじめたので、そっちに岸があるのかと、あとの二人は続いていくようだった。
ガスはその背後で、懸命にリチャードを探していた。まさかあの瞬間、大蛇に食われたのか?
と、そのとき。
小さな渦巻きが水中に沸き起こったと思ったら、見る見るうちに大きくなっていき、抵抗虚しくあっという間に四人を飲み込んだ。
ものすごい勢いでぐるぐると回る渦に、四人は溺れ、もがく力も奪われていく。
もうだめだ……。そうガスも覚悟したときだった。
あれほど自分達を振り回していた渦の力が急速に弱まっていき、はたと気がつくと、三人ともさっきの浅瀬に打ち上げられていたのだ。
船頭の額にゴツンと舟先が当たる。
振り返った彼は、目を見張ってガスを呼んだ。
「おい! あんた! あれ! あれを!」
必死に指さすほうを向けば、川面の一部分が光り輝いている。
ガスは咄嗟にリチャードだと察し、他の者の制止も聞かず、水をかき分けて進んでいった。
徐々に明るさを増す光は、川底からこちらへ浮かび上がってきているようだった。
まるでその聖なる光に掃き清められるように、さっきまでの濃霧は立ち消え、あやしい、ぬめぬめした空気も澄んでいく。
ちょうど横になったリチャードと同じ大きさに思っていた光は、まさにそのものだった。仰向けに横たわったリチャードが、すやすやと眠っているように、胸のところで手を組んで、ふわりとそこに現れたのだ。
四人はそれを、ただただ神聖な気持ちで、ひとことも発することができずに見つめるばかりだった。
ガスが腕を伸ばして水の下から抱き支えると、パッと光は消え失せ、リチャードは重力を取り戻して、二人して一度川の中に沈み込んだ。
リチャードが両手でガスにしがみついたのは、そのときだった。
他の三人の話によると、波を立てて大河を去っていく大蛇の背が見えたのだとか。月明かりを受けて、一枚が大男の手のひらくらいありそうな鱗をぬるぬると輝かせていたそうだ。
「あなた様には不思議な力があって、それで大蛇を退けたのだと、彼らは騒いでいるのです」
三人のはしゃぎようを顎でしゃくるガスに、リチャードは動揺して掴みかかった。
「ガス、それどころではない。大変なことになった」
その腕を、彼は力強く握り込んで制した。
三人の瞳がこっちを向いている。
「どうされたんだろう。お加減が優れないのかな」
「きっと力をお使いになって、疲れてらっしゃるんだ」
「まるで女のような綺麗なお顔立ちなのに、大蛇退治の王子様だ」
リチャードはひとまず口を閉ざしたが、胸のうちでは不安が暴れ、生きた心地もしなかった。
あと三日。
夜空を見上げる。
あの月が、満ちて沈むとき……
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。
たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。
しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。
そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。
ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。
というか、甘やかされてません?
これって、どういうことでしょう?
※後日談は激甘です。
激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。
※小説家になろう様にも公開させて頂いております。
ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。
タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~
私は私で幸せになりますので
あんど もあ
ファンタジー
子爵家令嬢オーレリーの両親は、六歳年下の可憐で病弱なクラリスにかかりっきりだった。
ある日、クラリスが「オーレリーが池に落ちる夢を見た」と予言をした。
それから三年。今日オーレリーは、クラリスの予言に従い、北の果ての領地に住む伯爵令息と結婚する。
最後にオーレリーが皆に告げた真実とは。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる