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第3章 イーディスとモーラ
第6話 解放
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その日は突然訪れた。
「出ろ」と、イーディスは突如檻から出された。地下迷宮は松明の灯に照らされ、あの醜い小男の姿もなく、まるで狐に摘まれたような気持ちになった。
謁見の間に引きずり出されたイーディスは、相変わらず形ばかりの王冠と玉座にしがみつくハーラの前に、よく知った顔を発見した。
「イーディス」
と、名を呼ぶ青年。年はイーディスと変わらないようだが、使いとしてはどこか頼りない。恰幅はいいのだが佇まいに重みがなく、くるくるとカールした赤茶色い髪と合間って、浮ついた印象を与える。
「タイレル」
歩み寄ろうとした肩を番兵に掴まれた。
「感動の再会かな」と、ハーラが意地悪く口を挟んだ。「お父様に代わってあなたを迎えに来たそうですよ、イーディス殿」
「お礼を申し上げます」
と、タイレルは腹に力を込めて言葉を発した。精一杯の虚勢という様子だった。しかし、一人使者として現れただけのことはある。
「ハーラ様。ラムゼはあなたに、イーディスの処遇をくれぐれもお願いしたはずです。彼女が誤解から先走った行動に出たのはこちらの落ち度ですが、例の件はまだ正式に返事を申し上げておりません。彼女の安全が、同盟締結の条件です」
「もちろん存じている。が、我が城はご覧の通り。このような造りの城。我々も毎夜心地いいベッドに眠っておらん。ここは罪人をとどめおき、管理する場所だ。王都の賓客という扱いは、とても無理なこと。しかも、ラムゼ殿のご令嬢でありながら、お父上とは正反対の伝言を、誠のように申されて、私どももどちらが本当のことなのかと」
「もう結構」
と、タイレルは呆れて遮った。
ハーラは厄介ごとを押し付けられた顔つきで、イーディスを素早く振り返った。
「イーディス殿。いかがでしたかな。御身は無事で?」
「はい。ご歓待いたみいります」
そう返事をするしかない。
タイレルはハーラの前へ進み出た。
「それではこちらの書状を」と、懐から出す手紙を、控えていた近習が手にとって主人へ渡す。
イーディスはぶすっとしながら、今度こそタイレルの脇へ歩み寄った。並ぶと、同じくらいの身長だ。
ハーラはざっと目を通すと、含み笑いを漏らして「返事を作る」と次の間へ下がっていった。
どっと疲れが出た。
「無事か?」
と、タイレルが口元を隠して耳に囁く。
「ああ」と、短く返事をしてから、思い直して悪態をついた。「おべっか使い」
「感謝してくれよ。誰も役に応じなかったんだぞ」
「はいはい」
おざなりに返事をしながら、イーディスはモーラを思っていた。まさかこんなに急に、なんの前触れもなく解放されると思っていなかったのだ。彼女にお別れを言えなかった。
あの日、確かに恐ろしさを感じたイーディスだったが、この数日をまともな精神で乗り切ることができたのは、モーラのおかげとしか言いようがない。彼女は命の恩人だ。
イーディスは牢を出るときに、急拵えの魔法を残してきた。
「私はここを出るが、必ずきみを助けに戻る。また会う日まで」
今夜、それがうまく彼女に伝わるといい。モーラは夜にしか応答がないのだ。
ダメ元で、イーディスはお使いの青年に聞いてみた。
「もう一人連れて帰れないか?」
「はぁ?」
思わず大きな声を出してしまってから、タイレルは近習の聞き耳に気まずい目をした。
「何考えてるんだ? こんなところでお友達を作ったってのか?」
「牢屋仲間さ」
「なっ……」とタイレルは絶句した。「牢屋にいたのか? なぜ言わない」
「言ったところで結果は変わらん」
鼻を鳴らしながら、イーディスは目算を誤ったと反省した。てっきり自分が囚われの身だったことを、タイレルが知っていると思ったのだ。この様子なら、父も知らないかもしれない。娘に自分の行いを顧みるように、ハーラ宛にイーディスを牢屋へ入れるよう言ったのだと勘繰っていた。
言うことを聞けという脅しなら、完全に逆効果だ。何がなんでも抗ってやるとまで決心していたが、どうやらあの扱いはハーラ個人の趣味だったようだ。下劣な男だ。
「それよりも」
とモーラの件を言いかけて、イーディスは口を閉じた。思いの外ハーラの戻りが早かった。
従者に返事を渡されて、タイレルが一礼する。
よっぽどモーラについて尋ねようかと最後まで迷ったイーディスだったが、ついに口にすることはできなかった。
あっけなく解放されて、二人は『鴉城』から城下町の『大鴉の町』へ、森の中を歩くことになった。
「これでも急いで来たんだ」
と、門兵が見えなくなる頃、タイレルが出し抜けに言った。
「感謝してるよ」
「お前がいなくなって、ラムゼさんがどのくらい怒り狂ったか」
「親父の書状のほうが先に到着してたぜ」
「早馬を出したんだよ。その手紙がなければ、今頃お前の首は胴体から離れていたと思うぞ」
そしてそのあとは、頭を冷やせとばかりに彼をゆっくり向かわせた。父の考えそうなことだ。
聞きながら、イーディスは石を蹴った。
タイレルとは幼馴染みだった。彼といると、どうも子供っぽくなってしまう。気が抜けるのだ。
「だいたい、拷問王に一人で会いにいくだなんて、用事がなんであれ馬鹿げてる」
「お前はすっかりオルダニア人だな」
「なんだって?」
はぐらかすように言ってやると、タイレルは真っ赤になった。
「俺はこれでもマグナ会の一員だ。そりゃ魔法も使えない、使いっ走りの世話用人だけど、それも立派な会の仕事なんだって、ラムゼさんはそうおっしゃってる」
いつもの負け惜しみに、イーディスは耳を塞ぎたくなった。
まだ喚いているタイレルに、ふと思い出して全然違うことを聞いた。
「それで、ギャラン様はどうなった? 何か情報はないのか?」
ギャランとリシェルの婚約だ。戦争を止めるための切り札。本当は、リシェルはどうなったと聞きたかったが、一応メインの王子様の名前を出してやったのだ。
ところがその途端、タイレルは顔色を変えた。
「そうか。お前、捕まってたから知らないのか」
「何をだよ」
もったいぶった言い方に、イーディスは苛立つ。おかしい。さっきから別に、何も嫌な予感はしていなかったのに。
タイレルは唇を湿らせて、頑張って言葉を紡いだ。
「破談した。お姫さんが、消えたんだ」
「な! なんだって?」
「出ろ」と、イーディスは突如檻から出された。地下迷宮は松明の灯に照らされ、あの醜い小男の姿もなく、まるで狐に摘まれたような気持ちになった。
謁見の間に引きずり出されたイーディスは、相変わらず形ばかりの王冠と玉座にしがみつくハーラの前に、よく知った顔を発見した。
「イーディス」
と、名を呼ぶ青年。年はイーディスと変わらないようだが、使いとしてはどこか頼りない。恰幅はいいのだが佇まいに重みがなく、くるくるとカールした赤茶色い髪と合間って、浮ついた印象を与える。
「タイレル」
歩み寄ろうとした肩を番兵に掴まれた。
「感動の再会かな」と、ハーラが意地悪く口を挟んだ。「お父様に代わってあなたを迎えに来たそうですよ、イーディス殿」
「お礼を申し上げます」
と、タイレルは腹に力を込めて言葉を発した。精一杯の虚勢という様子だった。しかし、一人使者として現れただけのことはある。
「ハーラ様。ラムゼはあなたに、イーディスの処遇をくれぐれもお願いしたはずです。彼女が誤解から先走った行動に出たのはこちらの落ち度ですが、例の件はまだ正式に返事を申し上げておりません。彼女の安全が、同盟締結の条件です」
「もちろん存じている。が、我が城はご覧の通り。このような造りの城。我々も毎夜心地いいベッドに眠っておらん。ここは罪人をとどめおき、管理する場所だ。王都の賓客という扱いは、とても無理なこと。しかも、ラムゼ殿のご令嬢でありながら、お父上とは正反対の伝言を、誠のように申されて、私どももどちらが本当のことなのかと」
「もう結構」
と、タイレルは呆れて遮った。
ハーラは厄介ごとを押し付けられた顔つきで、イーディスを素早く振り返った。
「イーディス殿。いかがでしたかな。御身は無事で?」
「はい。ご歓待いたみいります」
そう返事をするしかない。
タイレルはハーラの前へ進み出た。
「それではこちらの書状を」と、懐から出す手紙を、控えていた近習が手にとって主人へ渡す。
イーディスはぶすっとしながら、今度こそタイレルの脇へ歩み寄った。並ぶと、同じくらいの身長だ。
ハーラはざっと目を通すと、含み笑いを漏らして「返事を作る」と次の間へ下がっていった。
どっと疲れが出た。
「無事か?」
と、タイレルが口元を隠して耳に囁く。
「ああ」と、短く返事をしてから、思い直して悪態をついた。「おべっか使い」
「感謝してくれよ。誰も役に応じなかったんだぞ」
「はいはい」
おざなりに返事をしながら、イーディスはモーラを思っていた。まさかこんなに急に、なんの前触れもなく解放されると思っていなかったのだ。彼女にお別れを言えなかった。
あの日、確かに恐ろしさを感じたイーディスだったが、この数日をまともな精神で乗り切ることができたのは、モーラのおかげとしか言いようがない。彼女は命の恩人だ。
イーディスは牢を出るときに、急拵えの魔法を残してきた。
「私はここを出るが、必ずきみを助けに戻る。また会う日まで」
今夜、それがうまく彼女に伝わるといい。モーラは夜にしか応答がないのだ。
ダメ元で、イーディスはお使いの青年に聞いてみた。
「もう一人連れて帰れないか?」
「はぁ?」
思わず大きな声を出してしまってから、タイレルは近習の聞き耳に気まずい目をした。
「何考えてるんだ? こんなところでお友達を作ったってのか?」
「牢屋仲間さ」
「なっ……」とタイレルは絶句した。「牢屋にいたのか? なぜ言わない」
「言ったところで結果は変わらん」
鼻を鳴らしながら、イーディスは目算を誤ったと反省した。てっきり自分が囚われの身だったことを、タイレルが知っていると思ったのだ。この様子なら、父も知らないかもしれない。娘に自分の行いを顧みるように、ハーラ宛にイーディスを牢屋へ入れるよう言ったのだと勘繰っていた。
言うことを聞けという脅しなら、完全に逆効果だ。何がなんでも抗ってやるとまで決心していたが、どうやらあの扱いはハーラ個人の趣味だったようだ。下劣な男だ。
「それよりも」
とモーラの件を言いかけて、イーディスは口を閉じた。思いの外ハーラの戻りが早かった。
従者に返事を渡されて、タイレルが一礼する。
よっぽどモーラについて尋ねようかと最後まで迷ったイーディスだったが、ついに口にすることはできなかった。
あっけなく解放されて、二人は『鴉城』から城下町の『大鴉の町』へ、森の中を歩くことになった。
「これでも急いで来たんだ」
と、門兵が見えなくなる頃、タイレルが出し抜けに言った。
「感謝してるよ」
「お前がいなくなって、ラムゼさんがどのくらい怒り狂ったか」
「親父の書状のほうが先に到着してたぜ」
「早馬を出したんだよ。その手紙がなければ、今頃お前の首は胴体から離れていたと思うぞ」
そしてそのあとは、頭を冷やせとばかりに彼をゆっくり向かわせた。父の考えそうなことだ。
聞きながら、イーディスは石を蹴った。
タイレルとは幼馴染みだった。彼といると、どうも子供っぽくなってしまう。気が抜けるのだ。
「だいたい、拷問王に一人で会いにいくだなんて、用事がなんであれ馬鹿げてる」
「お前はすっかりオルダニア人だな」
「なんだって?」
はぐらかすように言ってやると、タイレルは真っ赤になった。
「俺はこれでもマグナ会の一員だ。そりゃ魔法も使えない、使いっ走りの世話用人だけど、それも立派な会の仕事なんだって、ラムゼさんはそうおっしゃってる」
いつもの負け惜しみに、イーディスは耳を塞ぎたくなった。
まだ喚いているタイレルに、ふと思い出して全然違うことを聞いた。
「それで、ギャラン様はどうなった? 何か情報はないのか?」
ギャランとリシェルの婚約だ。戦争を止めるための切り札。本当は、リシェルはどうなったと聞きたかったが、一応メインの王子様の名前を出してやったのだ。
ところがその途端、タイレルは顔色を変えた。
「そうか。お前、捕まってたから知らないのか」
「何をだよ」
もったいぶった言い方に、イーディスは苛立つ。おかしい。さっきから別に、何も嫌な予感はしていなかったのに。
タイレルは唇を湿らせて、頑張って言葉を紡いだ。
「破談した。お姫さんが、消えたんだ」
「な! なんだって?」
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