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第3章 イーディスとモーラ
第5章 情勢
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しかしそこまでは杞憂だった。
(あなたが……、私のことを……、とても心配してくれているのがわかる……。あなたは優しいひと……。いいひと……)
モーラには細かい言葉までは伝わっていないようだった。しかし彼女はイーディスの感情の、外郭をなぞることはできた。
慰めるようなモーラの声色が、イーディスの心の奥に染み込んでいった。
(モーラ、聞いてくれ。オルダニアは大変なことになろうとしている。私がここへ来たのは、それを止めるためだ。いや、止めるまでできなくても、少しでも被害を小さくするため。だが、ああ、もはや止められない。戦を避けることはできなくなったのだ)
モーラから、落ち着いてゆっくり喋るようにと気持ちが流れ込んでくる。
イーディスはモーラの労りの気持ちを受け取った。
そしてついに、彼女の中からすべてが溢れ出た。
(ハーラから父ラムゼへ……ひいてはマグナ会全体へ呼びかけられたのは、彼らが引き起こそうとする戦争への加担だ。ハーラが挙兵した際に、マグナ会は彼の側につく。そうすれば、勝った暁には永住権と、アルバ帝国の援助を得て立ち直ろうとする『知恵の里』を、叩き潰すのを手伝う、というのだ)
父の、生まれ故郷への憎しみは、それほどまでに深いものだった。
(彼は、自分の復讐のためならば、他国の戦争などなんとも思わない。他人がどれほど血を流しても、省みることもしない。母の死が、父をそれほどの冷血漢にしてしまった)
我が父ながら恐ろしさに、イーディスは震えた。イメージの中で、彼女は自分の体を両腕で抱きしめた。
モーラはじっと聞いてくれている。黙っているが、耳がこちらを向いて、真剣に次の言葉を待っているのがわかった。
イーディスは知っている内容を、包み隠さず語った。モーラの静かな佇まいが、イーディスの頭の中を整理するのにも役立ってくれた。
(エドワード六世は今、病床についておられる)
と、イーディスは打ち明けた。マグナ会が、独自に手に入れた確かな情報だった。
(王都はまだ隠しているが、ご病気なのだ。ひと月もつかどうかといわれている。あれほどまでの武勇の誉高かった王も、老いと病には勝てなかったかと、近習たちから惜しまれている。彼は偉大であった。平和を維持するという意味で。だが、私はそれこそが何よりも尊い治世だと思うのだ。戦を始めるのは簡単だ。終わらせるのは難しい。だが最も難しいのは、平時を保つことなのだ)
難解な言葉が並んでしまったが、モーラはそれでもそばにいてくれた。もしかしたら、理解できていないかもしれない。それでも聞いてくれていた。
(その意味で、現王は最も偉大であったと考える。彼なりの知力を尽くして、平和の礎をひとつずつ積み上げてくれた。エドワード大王はまさに戦の鬼神。槍でオルダニアを切り開いた人物として神の如く奉られているが、私にはわからない。この地に住まう他の者たちを押しやり、あるいは殺し、そうして奪った土の上に立つことが、本当に名誉なことなのだろうか)
完全に独り言になってしまったイーディスは、話を元に戻した。
(王が息を引き取ったとき、戦いの火蓋は切られるだろう。ハーラなどただの伝言役にすぎない。これから起こる戦は、もっと複雑で、入り組んでいるのだ)
王都に散らばるスパイと、ハーラからの打診を合わせて考えた結果だ。
(だが、望みはまだある!)
彼女は毅然と前を向いた。話しているうちに思い出したのだ。戦を思いとどまらせる、最後の希望の光を。
(七大騎士エセルバートの次女、リシェル!)
その美貌は『火噴き島』にまで届いていた。
(そうだ。彼女だ。リシェルがいた。無垢なる少女が戦を止めよう)
途端にイーディスは、全身に力がみなぎるのを感じた。リシェル。その名を口にするだけで、胸の奥が暖かくなる。会ったこともない、騎士の娘。だが、彼女の双肩に、オルダニアの運命がかかっていると言っても過言ではない。
(エドワードの三男とエセルバートの次女が結婚する。そうすれば、まだ希望はある。二人の結婚は、ああ、そうだ。まるで空と海がキスをして、緑の大地を産み落とすようなものだ!)
イーディスは、はやる気持ちを抑えるよう、自らに言い聞かせた。
(いや、もちろん、まだ正式に婚約もしていない。しかし双方ともに前向きであることは知られている。エセルバートも現当主になって平和路線に舵を切ったのだ。その前には長女をエドワード六世の腹心、エドマンドの息子に嫁がせている。彼女も美しい娘で、エドマンドは孫に鼻の下を伸ばしているらしい。これでギャランとリシェルの婚姻が決まれば、盤石)
(そうかしら)
と、そこでモーラが口を挟んだ。
イーディスの心臓が飛び跳ねる。
(なんだって?)
聞き返すが、モーラは別の質問をした。
(教えて、イーディス。何が起きようとしているの? 誰が恐ろしい戦を起こそうとしているの?)
イーディスは、なぜかそこで急に恐ろしくなった。まるで、聖母と思って話していた相手が魔物であったかのような畏怖だ。彼女は勢い鉄格子をおろすように、慌てて自らの扉を閉めた。
心の奥からモーラを締め出し、大きく息をつく。
額はじっとり汗で濡れ、真っ赤な髪がはりついていた。
(あなたが……、私のことを……、とても心配してくれているのがわかる……。あなたは優しいひと……。いいひと……)
モーラには細かい言葉までは伝わっていないようだった。しかし彼女はイーディスの感情の、外郭をなぞることはできた。
慰めるようなモーラの声色が、イーディスの心の奥に染み込んでいった。
(モーラ、聞いてくれ。オルダニアは大変なことになろうとしている。私がここへ来たのは、それを止めるためだ。いや、止めるまでできなくても、少しでも被害を小さくするため。だが、ああ、もはや止められない。戦を避けることはできなくなったのだ)
モーラから、落ち着いてゆっくり喋るようにと気持ちが流れ込んでくる。
イーディスはモーラの労りの気持ちを受け取った。
そしてついに、彼女の中からすべてが溢れ出た。
(ハーラから父ラムゼへ……ひいてはマグナ会全体へ呼びかけられたのは、彼らが引き起こそうとする戦争への加担だ。ハーラが挙兵した際に、マグナ会は彼の側につく。そうすれば、勝った暁には永住権と、アルバ帝国の援助を得て立ち直ろうとする『知恵の里』を、叩き潰すのを手伝う、というのだ)
父の、生まれ故郷への憎しみは、それほどまでに深いものだった。
(彼は、自分の復讐のためならば、他国の戦争などなんとも思わない。他人がどれほど血を流しても、省みることもしない。母の死が、父をそれほどの冷血漢にしてしまった)
我が父ながら恐ろしさに、イーディスは震えた。イメージの中で、彼女は自分の体を両腕で抱きしめた。
モーラはじっと聞いてくれている。黙っているが、耳がこちらを向いて、真剣に次の言葉を待っているのがわかった。
イーディスは知っている内容を、包み隠さず語った。モーラの静かな佇まいが、イーディスの頭の中を整理するのにも役立ってくれた。
(エドワード六世は今、病床についておられる)
と、イーディスは打ち明けた。マグナ会が、独自に手に入れた確かな情報だった。
(王都はまだ隠しているが、ご病気なのだ。ひと月もつかどうかといわれている。あれほどまでの武勇の誉高かった王も、老いと病には勝てなかったかと、近習たちから惜しまれている。彼は偉大であった。平和を維持するという意味で。だが、私はそれこそが何よりも尊い治世だと思うのだ。戦を始めるのは簡単だ。終わらせるのは難しい。だが最も難しいのは、平時を保つことなのだ)
難解な言葉が並んでしまったが、モーラはそれでもそばにいてくれた。もしかしたら、理解できていないかもしれない。それでも聞いてくれていた。
(その意味で、現王は最も偉大であったと考える。彼なりの知力を尽くして、平和の礎をひとつずつ積み上げてくれた。エドワード大王はまさに戦の鬼神。槍でオルダニアを切り開いた人物として神の如く奉られているが、私にはわからない。この地に住まう他の者たちを押しやり、あるいは殺し、そうして奪った土の上に立つことが、本当に名誉なことなのだろうか)
完全に独り言になってしまったイーディスは、話を元に戻した。
(王が息を引き取ったとき、戦いの火蓋は切られるだろう。ハーラなどただの伝言役にすぎない。これから起こる戦は、もっと複雑で、入り組んでいるのだ)
王都に散らばるスパイと、ハーラからの打診を合わせて考えた結果だ。
(だが、望みはまだある!)
彼女は毅然と前を向いた。話しているうちに思い出したのだ。戦を思いとどまらせる、最後の希望の光を。
(七大騎士エセルバートの次女、リシェル!)
その美貌は『火噴き島』にまで届いていた。
(そうだ。彼女だ。リシェルがいた。無垢なる少女が戦を止めよう)
途端にイーディスは、全身に力がみなぎるのを感じた。リシェル。その名を口にするだけで、胸の奥が暖かくなる。会ったこともない、騎士の娘。だが、彼女の双肩に、オルダニアの運命がかかっていると言っても過言ではない。
(エドワードの三男とエセルバートの次女が結婚する。そうすれば、まだ希望はある。二人の結婚は、ああ、そうだ。まるで空と海がキスをして、緑の大地を産み落とすようなものだ!)
イーディスは、はやる気持ちを抑えるよう、自らに言い聞かせた。
(いや、もちろん、まだ正式に婚約もしていない。しかし双方ともに前向きであることは知られている。エセルバートも現当主になって平和路線に舵を切ったのだ。その前には長女をエドワード六世の腹心、エドマンドの息子に嫁がせている。彼女も美しい娘で、エドマンドは孫に鼻の下を伸ばしているらしい。これでギャランとリシェルの婚姻が決まれば、盤石)
(そうかしら)
と、そこでモーラが口を挟んだ。
イーディスの心臓が飛び跳ねる。
(なんだって?)
聞き返すが、モーラは別の質問をした。
(教えて、イーディス。何が起きようとしているの? 誰が恐ろしい戦を起こそうとしているの?)
イーディスは、なぜかそこで急に恐ろしくなった。まるで、聖母と思って話していた相手が魔物であったかのような畏怖だ。彼女は勢い鉄格子をおろすように、慌てて自らの扉を閉めた。
心の奥からモーラを締め出し、大きく息をつく。
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