欠落のドッペル

湊 飯給

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ドッペル

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 月崎舞保|《つきざきまほ》は死んだ。
 一応自殺ということになっているらしい。
 もちろん店には警察が来て、色々と訊かれた。
 何か変わった様子はなかったか、変わった出来事はなかったか、など。
 俺も事情聴取を受けたが、俺は彼らが求めるような情報を持ち合わせていない。
 夢遊病に関しても、父親が事前に説明をしていたようだし、改めて言うまでもなかった。
 この店に来た人みんなを笑顔にしたい――
 彼女はこの店で働き始めた時からずっとそう口にしていたそうだ。
 タカコさんもやはり相当なショックを受けたようで、しばらく店は休業となった。



「なんだ、あの女に情でも移ったか」
 河原にいた俺に一匹のカラスが低い声で話しかける。
「カカか」
 俺は話しかけてきたカラスがであるかを知っている。
「1ヶ月も前から里見滝|《さとみたき》をジャックして準備してたってのにあっさりだったな、笑えるぜ」
 カカは鳥類特有の動きで羽を繕いながら言った。
「ヤツがまだ月崎舞保|《つきざきまほ》を上手くジャックできていなかったのは確かだし、前日までそういう情報だっただろう。あのタイミングでのはイレギュラーだった」
「どちらにしろドッペルを野放しには出来ないからな、ボル」
「わかっている」
 カカは慣れたように両翼を広げると空へと飛んでいった。
 俺はポケットから赤い包み紙を取り出し、それを解いて中身を口へ放り込んだ。
 形を確認するように舌で転がすと、コーヒーの苦味と砂糖の甘味が同時に押し寄せる。
 「大丈夫だ、俺はまだ生きている」
 
 さて、仕事の時間だ。



 大久保敬也|《おおくぼけいや》は凡人である。
 文句も垂れず、理不尽な社会で必死に生きていた。
 陳腐|《ちんぷ》と呼ぶに相応しい彼の人生に華を添えたのは、月崎舞保|《つきざきまほ》その人であった。
 何気なく立ち寄ったエスニック料理店で、彼は恋をしたのである。
 彼女の笑顔や気配り、綺麗な髪、大きい瞳、何より側を通ると良い匂いがして胸が締め付けられるのだ。
 嗚呼、これが恋なのか。
 彼は店に足繁|《あししげ》く通い、思いを伝えようと決心した。
 彼女の帰り道、人通りの少ない場所で待った。大丈夫、何度も後をつけて確認したのだから。
 そしてついに求縁の言葉を彼女にぶつける事が出来た。
 しかし彼の求めた言葉を発する事はなかった。
「あの、えっと……ごめんなさい」
 彼はその後に続いた言葉を覚えていない。

 何故だ。何が足りなかったのだ。
 彼女を愛する気持ちは誰にも負けないのに。
 知りたい、もっと彼女のことを知りたい。
 彼はめげずに彼女の帰路を毎日見守っていた。
 後ろからゆっくりと彼女の歩幅に合わせて歩く。
 少し離れてはいたが、彼は彼女と一緒に帰れる時間が幸せだった。
 ある日、いつもどおり彼女を見ていると、ふと意識が飛んだ。
 目を開けると、細い腕に、色白の肌、いつも舞保|《まほ》が身につけている腕時計。
 それに舞保|《まほ》の匂いだ……
 後ろを見ると、電柱の影で自分の体が横たわっている。
 どうやら、舞保|《まほ》の身体に乗り移ったようである。
 突飛な状況下である事は間違いない。しかし不思議さよりも嬉しさが勝った。
 思わず笑みがこぼれ、腕や顔を触って確かめる。
 胸を揉み、髪を撫で、確信する。
「これは舞保|《まほ》の身体だ!」
 彼は涙を流し、歓喜した。
 そんな喜びもつかの間、いきなり地面が眼の前に飛び込んできた。
「元に戻ったのか?」
 とても気分が悪い。吐きそうだ。
 青ざめた顔で咄嗟に彼女の方を見る。
 彼女は怪訝そうに周りを見回したあと、小走りで去っていった。
「チクショウ。最高の気分だったってのによ」 
 彼はそれから何度も彼女に憑依を試みた。
 すると日に日に憑依できる時間は長くなってゆくではないか。
 そのまま彼女の自宅に帰ったこともあるし、父親の顔も知っている。
 幸せだった。彼女の身体と人生を掌握できている事に興奮を禁じ得ない。
 しかしある日、彼女に後をつけていたことがバレてしまう。
「君の身体は僕を求めているんだよ」
「嫌っ……!」
 あまりにも抵抗するものだから思わず憑依して殺してしまった。
 橋の上に立ち、落ちる瞬間に憑依を解除し自分の体へ戻る、簡単だった。
 あっけない。僕の幸せは、あっけなく終わってしまった。
 それから数日後、別の人間にも憑依できることがわかったが、あまり興味はなかった。
 僕が知りたいのは、彼女の事だけだ。だがもうそれは叶わない。
 今日も1人で帰路につく。俺は舞保|《まほ》が身に着けていた腕時計に頬ずりをし、涙を飲んだ。
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