48 / 64
一つの気持ちに気付く花嫁と、一つの気持ちを伝える花婿
14
しおりを挟む
「3年前のある日、私は仕事でとある町に視察に向かった。そこで、ちょっとした事件があった」
抑揚を押さえ、まるで報告書を読み上げているような口調で語りだしたギルフォードに、シャンティはこくりと唾を呑んだ。
彼が事件というからには、相当な出来事があったのだろう。これは気を引き締めて聞かなければならない。
シャンティはギルフォードの話の邪魔にならぬよう、こそっと居ずまいを正した。
「そこは国境に近い僻地であったが、活気のある町だった。視察を終えた私は、市場に足を向けた。他意は無い。少々くさくさしていたものだから、酒でも買って気持ちを散らそうと思っていた。そこで……」
「……そこで?」
「……そこで、だな……事件が起こった」
「……事件」
「そうだ」
苦悶の表情を浮かべたギルフォードは、ぐっと両手を握りしめた。眉間には深い皺が寄っている。語り続けることに相当苦痛を覚えているのだろう。
シャンティは『無理はなさらずに』と言おうと思った。きっと凄惨な殺人事件でもあったのだろうと予測して。
だがそれを口にする前に、ギルフォードは再び語り出した。
「一人の可憐な少女が市場の露店で菓子を買っていたんだ。商品名はわからない。ただ少女は代金を払い終えたそれをそっと抱えていたから、柔らかい何かだったのだろう。……私は、屈託なく笑うその少女の姿に見入ってしまった。そのせいで……」
「えっと……そのせいで?」
「不覚にも……その少女とぶつかってしまったのだ。少女は買いたての菓子の匂いを嗅ぐのに夢中になっていたようで、前を見ていなかった。あいにく私はこの体形だ。そして少女に見惚れていたせいで反応が遅れてしまった。可哀想なことに、少女は衝突した途端、尻もちをついてしまった。買いたての菓子は……彼女の下敷きになっていた」
「……はぁ」
え?これのどこが事件なんだ?
シャンティは首を傾げた。確かに少女にとったら不運な事故だっただろう。だが、この程度のことは良くあること。
それに話を聞く限り、前方不注意でぶつかってきたのは少女の方だ。ギルフォードは、何も悪くない。
なのに、なぜこんな苦悶の表情を浮かべているのだろうか。
シャンティはまったくもって意味がわからなかった。だが同じソファに座るギルフォードをちらりと見ると、まだ続きがありそうだった。
「私はすぐに少女に手を差し伸べた。だが、少女は自力で立ち上がると、いきなり私に向かって頭を下げた。”ごめんなさい。怪我はないですか?”と言って」
「……はぁ」
「私は軍人だ。守る側の人間だ。……なのに、守られる側の存在からそんな言葉を貰って、とても驚いた。そして少女に深い感謝の念を抱いた」
「え、ちょ、なんでですか?」
「恥ずかしい話だが、あの日私は些細なことが重なって、とても苛立っていた。いっそ軍人なんてやめてやろうかと自棄になっていた」
「……それは、それは」
「だが、今でもこうして軍人でいられている。あまりに想定外の対応をされたせいで、虚を突かれた。そのおかげで、ささくれ立った気持ちがどこかに吹き飛んでしまったからな。そして心根の優しい少女が、いつでも気の向くままに菓子を買うことができる環境を守ろうと強く思うことができたから。軍人として生きていく指針を見付けることができたんだ。……ま、実はこれが私の初恋で……一目惚れだった」
えー……。
という言葉をシャンティは気合で飲み込んだ。だが、落胆した気持ちまで隠すことはできなかった。
「……ギルさんは、その女の子のことが今でも好きなんですか?」
「ああ」
「……っ」
ついさっき自分の事を妻にしたいと言ったことなど、この人は忘れてしまったのだろうか。
シャンティは、ギルフォードから妻にしたいと言われて、気絶するほどびっくりした。そして、意識が遠のいてしまうほど嬉しかった。
なのにこの仕打ち。この人は酷い。
シャンティは傷付いた心を庇うように、ギルフォードを睨みつけた。だが、彼は愛おしそうに目を細めるだけ。一体この人は、何をしたいのだろうか。
そんな気持ちはしっかり顔に現れていたのだろう。ギルフォードは瞬きを3回繰り返した後、小さく笑った。
次いでシャンティをやや強引に抱きしめると、そっと囁いた。
「私が視察に向かった町の名はヨークランシャ。君が良く知っている町だ。そして、私にぶつかってきたのは君……シャンティだ」
「えー!?」
驚きの声が部屋中に響いた。
長々と聞いたギルフォードの昔話兼初恋話は、実は自分との馴れ初めだったなんて……。
シャンティは顔を赤くするどころか青ざめた。
……なぜなら、種明かしをされても全く覚えていなかったから。
抑揚を押さえ、まるで報告書を読み上げているような口調で語りだしたギルフォードに、シャンティはこくりと唾を呑んだ。
彼が事件というからには、相当な出来事があったのだろう。これは気を引き締めて聞かなければならない。
シャンティはギルフォードの話の邪魔にならぬよう、こそっと居ずまいを正した。
「そこは国境に近い僻地であったが、活気のある町だった。視察を終えた私は、市場に足を向けた。他意は無い。少々くさくさしていたものだから、酒でも買って気持ちを散らそうと思っていた。そこで……」
「……そこで?」
「……そこで、だな……事件が起こった」
「……事件」
「そうだ」
苦悶の表情を浮かべたギルフォードは、ぐっと両手を握りしめた。眉間には深い皺が寄っている。語り続けることに相当苦痛を覚えているのだろう。
シャンティは『無理はなさらずに』と言おうと思った。きっと凄惨な殺人事件でもあったのだろうと予測して。
だがそれを口にする前に、ギルフォードは再び語り出した。
「一人の可憐な少女が市場の露店で菓子を買っていたんだ。商品名はわからない。ただ少女は代金を払い終えたそれをそっと抱えていたから、柔らかい何かだったのだろう。……私は、屈託なく笑うその少女の姿に見入ってしまった。そのせいで……」
「えっと……そのせいで?」
「不覚にも……その少女とぶつかってしまったのだ。少女は買いたての菓子の匂いを嗅ぐのに夢中になっていたようで、前を見ていなかった。あいにく私はこの体形だ。そして少女に見惚れていたせいで反応が遅れてしまった。可哀想なことに、少女は衝突した途端、尻もちをついてしまった。買いたての菓子は……彼女の下敷きになっていた」
「……はぁ」
え?これのどこが事件なんだ?
シャンティは首を傾げた。確かに少女にとったら不運な事故だっただろう。だが、この程度のことは良くあること。
それに話を聞く限り、前方不注意でぶつかってきたのは少女の方だ。ギルフォードは、何も悪くない。
なのに、なぜこんな苦悶の表情を浮かべているのだろうか。
シャンティはまったくもって意味がわからなかった。だが同じソファに座るギルフォードをちらりと見ると、まだ続きがありそうだった。
「私はすぐに少女に手を差し伸べた。だが、少女は自力で立ち上がると、いきなり私に向かって頭を下げた。”ごめんなさい。怪我はないですか?”と言って」
「……はぁ」
「私は軍人だ。守る側の人間だ。……なのに、守られる側の存在からそんな言葉を貰って、とても驚いた。そして少女に深い感謝の念を抱いた」
「え、ちょ、なんでですか?」
「恥ずかしい話だが、あの日私は些細なことが重なって、とても苛立っていた。いっそ軍人なんてやめてやろうかと自棄になっていた」
「……それは、それは」
「だが、今でもこうして軍人でいられている。あまりに想定外の対応をされたせいで、虚を突かれた。そのおかげで、ささくれ立った気持ちがどこかに吹き飛んでしまったからな。そして心根の優しい少女が、いつでも気の向くままに菓子を買うことができる環境を守ろうと強く思うことができたから。軍人として生きていく指針を見付けることができたんだ。……ま、実はこれが私の初恋で……一目惚れだった」
えー……。
という言葉をシャンティは気合で飲み込んだ。だが、落胆した気持ちまで隠すことはできなかった。
「……ギルさんは、その女の子のことが今でも好きなんですか?」
「ああ」
「……っ」
ついさっき自分の事を妻にしたいと言ったことなど、この人は忘れてしまったのだろうか。
シャンティは、ギルフォードから妻にしたいと言われて、気絶するほどびっくりした。そして、意識が遠のいてしまうほど嬉しかった。
なのにこの仕打ち。この人は酷い。
シャンティは傷付いた心を庇うように、ギルフォードを睨みつけた。だが、彼は愛おしそうに目を細めるだけ。一体この人は、何をしたいのだろうか。
そんな気持ちはしっかり顔に現れていたのだろう。ギルフォードは瞬きを3回繰り返した後、小さく笑った。
次いでシャンティをやや強引に抱きしめると、そっと囁いた。
「私が視察に向かった町の名はヨークランシャ。君が良く知っている町だ。そして、私にぶつかってきたのは君……シャンティだ」
「えー!?」
驚きの声が部屋中に響いた。
長々と聞いたギルフォードの昔話兼初恋話は、実は自分との馴れ初めだったなんて……。
シャンティは顔を赤くするどころか青ざめた。
……なぜなら、種明かしをされても全く覚えていなかったから。
13
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない
金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ!
小説家になろうにも書いてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる