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5.会うは別れの始め、それでは騎士から始めよ

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「……ちょっとこっちに来て」

 そう言うが早いかティートはアネモネの腕を掴んで路地裏に引き込んだ。

「アニス様に会う時間はどれくらい欲しいの?」
「……伝えるだけだから数分で良い」
「夜中でも構わない?」
「もちろん、いつでも。アニス様が寝てたら叩き起こすから」
「伝えたいことって、本当に大事なことなんだよね?それってアニス様の出自に関わること?」
「言えない。でも、大事なこと。……その辺は察してくださいよ」
「……そうか。うん、そうだね。ありがとうアネモネ」

 何が”ありがとう”なのか。

 自分が失言したことに気付いていないティートに、アネモネは鼻で笑いたくなった。

 ティートは今とても動揺している。
 路地裏に引っ張り込まれ、壁に背を押し付けられているアネモネよりよっぽど激しく。

 アネモネは人を騙せるほど演技は上手い方ではない。
 ティートが冷静でいたら、間違いなく”コイツちょっと怪しい”と気付くだろう。

 でも、彼は気付かない。己の望んだ状況に進んでいくことに歓喜して、小さな綻びを見落としている。いや、見ないフリをしているのかもしれない。

「ねえアネモネ、単刀直入に聞くけどソレールと君はどんな関係?」
「はぁ!?」

 不意打ちの質問にアネモネは情けなくも動揺してしまった。

「どんな関係って……その……私とソレールは、居候と家主といいますか……その……」
「ああ、ごめん。今、一番ナイーブな状態なんだね。うん、ごめん。本当にごめん。えっとじゃあ、質問を変えよう。君はソレールを騙す勇気はあるかい?」
「……っ」

 即答しないといけなかったのに、アネモネは言葉に詰まってしまった。

 ティートは無言で探るような視線をアネモネに送る。

「できる。やれるよ。……でも、ソレールが痛い思いをするのは嫌」

 下の句は余計だったとアネモネは心の中で舌打ちした。

 でも、隠すことができない本音であり、ティートが是と頷いてくれなかったら、彼との取引はナシにしようとアネモネは本気で思っている。

「大丈夫、痛いことなんかしないよ。安心して」

 ぽんっとアネモネの頭にティートの手が乗った。すかさずアネモネはその手に触れる。

 ティートはまだ手袋を外したままだ。触れた指先からは、自分を騙す感情は伝わってこなかった。 

「こんなことを言っても信じてもらえないけれど、僕はソレールのこと嫌いじゃないんだよ」

 そう言ったティートからは、やっぱり嘘の感情は伝わってこなかった。



***



 ─── それから数分後。

「……じゃあ、一週間後。当日は手筈通りに、よろしく」
「うん。任せて」

 アネモネはティートから預かったものをしっかりと両手に握りしめながら頷いた。

 それから二人は並んで裏路地を出た。 

「じゃあ、気を付けて帰ってね」
「はい。ティートさんも」

 知人とちょっと立ち話をしたかのように、ティートは軽く手を挙げてアネモネから去って行った。

 人混みに紛れる彼の背中を見て、アネモネはため息をつく。
 
「ったく、掃除の一つもさせてくれなかったんだもん。これくらいはやらせてよね」
 
 アネモネは誰に向けてなのかわからない主張を口にしながら、てくてくとソレールの家に向う。 
 
 場合によったら大赤字になるかもしれない不安は胸にある。

 それに、紡織師になって始まって以来の大事になりそうだ。こんなことは想定外だし、慣れたくない。

 けれど今は亡き師匠なら、きっと同じような行動を取ったであろう。

 だからやれる。やらなくてはいけない、とアネモネは自分に言い聞かせた。

 例え─── 自分が恋した騎士に嫌われたとしても。
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