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11. 永遠を謳う吸血鬼にも弱点がある。

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 朝を一緒に過ごすのは初めてで、柚姫は素直に嬉しかった。

 自分の朝食を用意したあと、もらった菓子折をテーブルの上に置く。

「うーん、何だろう……」

 ふたを開けてみると、形の整った煎餅せんべいが姿を現す。

「あ、お煎餅せんべいね」

 柚姫は封を切る。

 二枚入りなので、一枚を自分に、もう一枚をトワに渡す。

「……」

 トワは受け取るなり、神妙な顔をした。

「……どうしたの?」
「この匂い……。味は何だ?」
「えっ?」

 柚姫はテーブルの上から包みを拾い上げる。

「ニンニク味」

 言葉にした瞬間、柚姫は慌ててトワに渡した一枚を奪い取る。

「おい……」

 面食らうトワに柚姫は叫んだ。

「食べちゃだめ! 毒よ、毒!」
「……越してきた者は、いきなり毒を盛るようなやからなのか?」
「え、だって、ニンニクよ? 吸血鬼には……」

 毒ではないのだろうか。

 吸血鬼の苦手なものと言えば、十字架を筆頭に、ニンニク。それはあまりにも有名な話だ。

 しかし、トワはさもおかしそうに笑った。

「それは迷信だ」
「へっ、迷信?」
「吸血鬼の弱点がニンニク。それは人間が勝手につくり上げた話だ」
「そうなの?」

 柚姫は意外そうに瞬く。

「人間にも好き嫌いがあるだろう?」
「うん」
「それと同じだ。吸血鬼は人間の何倍も嗅覚きゅうかくが鋭い故、強い匂いを持つニンニクを嫌う者が多いというだけの話だ。かくいう私も好きではない。むしろ嫌いだ」
「そうなんだ……。じゃあ、十字架は?」
愚問ぐもんだな。信仰心のともなわない十字架は効果がない、という説もあるようだが、信仰心の有無は関係ない。ただ、その形が嫌いか好きか。それだけのことだ。弱点になどなりはしない」

 柚姫は真剣にトワの話を聞いていた。

 吸血鬼のこと、トワのことをもっと知りたいと思った。

「でも、太陽はだめなのよね? あ――」

 柚姫は慌てて口をつぐんだ。

「ごめん、私……」

 一番触れられたくないであろう話題に触れてしまい、続く言葉を失う。

 今にも泣きそうな柚姫を見て、トワは優しい笑みを浮かべた。

「気にするな」

 しかし、何かに思い当たったのか、トワはふと黙り込む。
 
「トワ……?」

 柚姫の声が震える。

 やっぱり、深く傷つけてしまったのだ。

「トワ、ごめんなさい。私……」
「……永遠をうたう吸血鬼にも弱点がある」

 謝る柚姫をさえぎると、トワは唐突にそんなことを呟いた。

「えっ……?」
「先ほどの話の続きだ。吸血鬼の弱点の最たるものが、陽の光だ。少しの間なら死ぬことはないが、身体に相当な負担をかけるから、人間のように陽の光を愛でることはできない。長いこと陽の光に晒されれば灰になってしまう。それは伝承通りだ」
「うん……」

 柚姫は控えめにうなずいた。

 どうして急に、自分からそんな話……?

「他に訊きたいことはあるか?」
「えっ?」
「いや……」

 トワは不自然に言葉をにごした。

「今言ったことは忘れろ。ほんの少し、自分のことを語りたい気分だった。それだけだ」

 つと視線をらしてしまう。

 ほんとに、おかしなことだとトワは思った。

 吸血鬼の話をすれば、人間との距離……柚姫との距離が広がるだけなのに、それでも自分のことを知ってほしいと思うなど――

「私も知りたい」

 トワは弾かれたように視線を戻した。

 懇願こんがんするような柚姫の瞳が、トワを射抜く。

「教えて、トワのこと。私はトワのこと、もっと知りたい。だから……」

 トワはかたくなに首を振った。

「……私のことなど、知っても無意味だ」

 柚姫とは生きている時間が違うのだから――

「そう……違う。私とお前は、違う……」

 ふいに、金色の瞳が揺れる。

 心が何かにとらわれているかのような、恍惚こうこつとした表情が浮かんでいた。

「トワ……?」

 いつもと様子が違う。

 まるで見えない意志に操られているかのように、トワはしなやかな指をゆっくりと柚姫へ伸ばした。

 柚姫はすかさず身を引いたが、音もなく背後にまわられ、トワのたくましい腕に絡め取られてしまう。

 冷たい唇が首筋をい、鼓動こどう早鐘はやがねを打つ。

「ん……トワ……?」

 柚姫はぎゅっと目をつむり覚悟を決めた。しかし、予感した痛みは訪れなかった。

 次の瞬間、柚姫は思いっきり突き放されていたのだ。

 すんでのところで踏みとどまり、転倒をまぬがれた柚姫は、おそるおそるトワを見上げる。

「私は、今……何を……?」

 トワは思い詰めた表情で口元を抑えていた。

 背後の壁に身体からだを押しつけ、苦しそうに顔をゆがめている。

「トワ?」
「来るな!」

 心配して差し出した柚姫の手は、トワの鬼気迫った一喝いっかつによって目的を失う。

「私に近づくな!」

 トワの瞳が、いつにもまして金色に輝いているように見えた。

 近寄ってはいけない。人としての本能がそう告げ、柚姫は一歩後ろへと下がる。

「そう。それで……いい」

 必死に呼吸を整えながら、トワは安堵のため息を洩らす。

「私は寝る。部屋には来るな。今日は……血もいい」

 トワの姿はさーっと煙のように霧散むさんし、あとには柚姫だけが残された。
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