天狗の花嫁

明樹

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番外編 神使の愛し子

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◇倉橋神社の神使、白にとっての蒼◇


私がこの神社に来てから、もう幾年月過ぎたのだろう。
数えきれないほどの人々がここに参り、数えきれないほどの願いを呟いていく。
私は神様の代わりに、人々の願いを聞く。まあほとんどが、自力で何とかしろ、と念だけを送り込んでやるだけだが。


変わりばえのしない毎日を何年も繰り返していたある日、この神社に何十年か振りに赤子が生まれた。
様子を見に行くと、真っ赤な顔をして、ぎゃあぎゃあと泣いている。その何とも言えぬ可愛らしい姿に、ふと笑い声を上げた。すると、赤子がピタリと泣き止んで、私をじーっと見ている。たぶん、まだ生まれたばかりではっきりと見えてはいないだろうから、私の気配を感じているのだろうか。この神社で生まれてきた赤子の中で一番勘の良さそうなこの子を、私はとても気に入った。


赤子は蒼と名付けられて、すくすくと育っていった。
時々様子を見に行くと、すぐに私に気づいてじーっと見てくる。今までの赤子も、一歳を過ぎる頃までは私の姿が見えていたのだから、何ら不思議ではない。ただ皆んな大きくなるにつれて、私の姿は見えなくなるのだ。
この子もすぐに私が見えなくなるだろうと少し寂しく思いながら、気まぐれに構ってやったりしていた。


だが、この赤子…蒼は今までの子と違った。二歳、三歳と年を経ても、私の姿が見えているのだ。見えているだけではない。私が意図して姿を消しても、蒼には通じない。どれだけ強い術で隠遁しても、必ず私を見つけ出すのだ。
そしてなぜか、無愛想で何の面白みもない私にひどく懐いて、私を見かけると必ず追いかけて来た。


最初はしつこくついて来る蒼に辟易して、逃げてばかりいた。だけど、どんなに邪険に扱っても、にこにこと笑いながら寄って来る蒼がだんだんと可愛くなり、一緒に遊んでやったり蒼が知らない事を教えてやったりした。


蒼と毎日を過ごすようになって、ふとした瞬間、楽しいと思っている自分に気づいて驚いた。
こんな感情は、一体いつ振りだろうか。
蒼といると、今までの自分とはまるで別人のように、様々な感情が溢れて楽しい。


私からしたら、蒼と過ごす時間は短い。人の生きる時間は決められているのだから、どうしようもない。
それならば、この限られた時間を、出来る限り蒼の為に費やそうと、私は神使にあるまじき思いを抱いた。
 

倉橋神社は、長年、陰陽師を輩出してきた神社だ。蒼の祖父などは、かなり力の強い陰陽師だった。蒼の父は、全くその力を受け継がなかったが、蒼は祖父の力を受け継いでいたらしく、祖父から目をかけられて直々に鍛えられていた。


私の姿が見えるが故に、蒼は周りから、独り言の多い変な子に思われていたようだ。その上、陰陽師の修行を受けていた為に、ますます近寄り難い存在として、あまり友達も出来なかった。


蒼は、「白がいるからええねん」と笑っていたが、私には蒼が寂しそうに見えた。
私は蒼がいるおかげで、楽しく毎日を過ごせている。
私も蒼の為に何か出来ないだろうかと思い悩むうちに、時が過ぎて、蒼は高校生になった。


高校生になった蒼は、今までと違って毎日が楽しそうだった。なんでも「クラスに友達になりたい子らがいるねん。その子らを見てると楽しいねん」だそうだ。


 「そうか。仲良くなれるといいな」


私がそう言うと、弾けるような笑顔で頷いた。


秋の遠足の後から、やっと仲良くなれたらしく喜んでいた。
正月には、蒼が友達になりたいと言っていた者達が、この神社に来た。
私は本殿の上から見ていたのだが、なんと一人は狐の妖ではないか。妖狐と友達になりたいなどと、やはり蒼は変わっていると、呆れて溜め息を吐いた。
もう一人は、人の子だった。だが、その人の子も普通ではない。かなり距離があるここにいても、人の子からは、天狗の匂いが強く香って来る。しかもあれは…、天狗に精を注がれている?
なぜに?人の、しかも男が?天狗の精を?私はどういう事なのかを知りたくて、その人の子にひどく興味を持った。


そして、すぐに謎は解決した。
一人で神社に来た人の子に声をかけ、事情を聞いたのだ。
人の子は、天狗と愛し合っていた。しかも、花嫁の契約を交わすほどの深い愛だ。


人間と天狗…。長年生きていると、そんな話も聞いた事がある。だがそれは、男と女の話だ。
人間と妖で、男と男で。それも有りなのかと、なぜか納得し、感心し、感動した。


そうか…。ならば、神使と人間でも、よい…のだろうか。
 

ふと過った考えに、慌てて頭を振る。


今、何を考えた?私は神の使いだ。しっかりせねばならぬ。


深く息を吐いて、境内に目を向ける。
そこに、境内を箒で掃く蒼がいた。スラリと背筋の伸びた、気高い蒼。

 
私の、大事な愛し子だ。


季節が巡り、一つ学年が上がった蒼のところへ、椹木と清忠が泊まりに来た。
椹木が龍に連れ去られる騒ぎで、三人の信頼関係がずいぶんと深まったようだ。
泊まりに来た椹木にくっついて、銀色の天狗も来た。心配で片時も離れていたくないのだろう。
 

天狗と酒を飲みながら、ばーべきゅうというものをする蒼を見た。椹木に何やら教えながら、楽しそうに笑っている。誰かといてあんなに笑う蒼は初めてだ。蒼に、友達が出来てよかった…と嬉しく思うのに、なぜかもやもやとする。
あまりにも長く、私は蒼を見つめていたのだろう。天狗が意地の悪い笑みを浮かべて私を見た。


 「…なんだ」
 「ふん、ずいぶんと人間らしい心を持ってるのじゃないか?神使だ人間だと線を引く必要はない。素直にならないと、大事なものを失うぞ?」
 「おまえ…、私を侮辱してるのか?蒼の友の大事な天狗といえど、許さんぞ」
 「侮辱などするものか。俺は、助言してやってるんだよ。まあ、あんた達のことなど、俺には関係ないけどな。俺は凛が傍にいれば、それでいい」


愛しげに椹木に目をやる天狗に苛立ちを覚える。が、反面、少し羨ましいとも思う。
この天狗のように、私も惜しげも無く愛情を注げばよいのだろうか。私なりに注いできたつもりだが、よくわからぬ…。





また季節が巡り、境内の紅葉が色づき始めた頃、天狗の部下が騒がしくやって来た。
蒼に半泣きで訴えている話によると、清忠に彼女が出来て悔しい、ということだった。
ひと通り騒いで帰った後に、ふと不安がよぎって蒼に尋ねる。


 「蒼、おまえは彼女とやらはいらないのか?」


蒼は目を見開いて私を見ると、思わず見惚れてしまう綺麗な笑顔で言った。


 「俺には白がいるからええねん」


その言葉に、今度は私が目を見開く。


そうか。なら、真剣に考えようと思う。神の使いの役目から外してもらい、蒼と同じ時間を生きる事をーー。



…end.
 
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