世界樹の庭で

サコウ

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 吐息だけだった世界に硬質な金属音が響いた。ささやかな音ではあったが、二人で身を震わせるのに十分だった。振り向いた先、暖炉の方だ。
「将軍だ」
 合図の銀細工が動いたのだ。こちらが閉めていなければ、彼はいつも通りにやってきただろう。危ないところだった。
「今話しておかないとしばらく機会が取れないだろう」
 ロジェさんが言う。首都までは片道五日間ほどだと聞いている。明日も夜明け前には出立するのに、わざわざ来る目的があるのだろうか。
「報告は済んでいたのでは」
「塔のことは話していない」
 濃霧の区画と大型の魔獣が生息しているエリアまで到達したことと、持ち帰ったものの報告だけだ。秘書官たちは毎回手土産にばかりに目を輝かせていて森自体には興味がないから、それ以外のことを聞かれることもない。そもそも、森深く進まなくても十分貴重品が採れるのに奥まで行くこと自体消極的だ。
「本来の目的でしたね」
 いろいろあって忘れていたが、元々はそんな話だった。であれば、さっそく報告すべきだ。素早く身だしなみを整えた僕たちは、部屋も整えて来客を迎えた。
「ご苦労さん」
 窮屈な通路から姿を現したブルイエ将軍が勧めた椅子にどっかと座る。変わらず堂々とした躯体に自身に溢れた佇まいが眩しい。
「それで、どうだった」
「ご懸念の塔、ネクロネの街を発見しました」
 ロジェさんが言う。ネクロネ。僕にとっては聞きなれない言葉だが、将軍はそうではないらしい。一瞬だけ目を見開いたあと、すぐに眼を細めた。
「懐かしい名だ。よく知っていたね」
「アルディ副官から伺いました」
「そうか。あれが知っている事は君も知っている、という認識でいいのかな」
「だいたいは。それで、石畳など区画だったであろう痕跡はございましたが、はっきりとわかるものは塔のみでした」
「それでも残っていたのか」
「それも、なんとも言い難く。塔の一階部分は確かに形を保ってはおりましたが、中の方はほとんどが朽ちており、ほとんどが巨木に飲まれているというような形でしたが」
「巨木か」
 心あたりのない様子ではあったが、次の言葉で引くと眉を動かした。
「はい。天を衝くほどの巨木で、全体を見ることはできませんでした。ただ、おっしゃっていた動く樹の一端は確認いたしました」
「なに、君たちも見たのか。それで、大丈夫だったのか」
「我々に対して危害を加えようという様子はありませんでした。魔物、というより魔力の宿ったものを攻撃対象としていたようです。巨木そのものもしくは一部のようでしたが、残念ながら時間がなく調べきれませんでした」
「そうか……いや、十分だ」
 目をつむり考えているようだ。時々うなづくのは何か納得することがあったのだろうか。だとしても、僕たちにとっては全然わからないままだ。
「今回は予定していた行程のために断念いたしましたが、お許しをいただければもっと多くのことがわかるかと」
「だが、危険が大きい」
「承知の上です。閣下もそれをわかって私たちにお命じになったのではありませんか。それにアルディ副官の予想が正しければ、あれが変異の核心。ここまでわかっていて引き下がることなんてできません」
「頼もしいことだが、くれぐれも気を付けてほしい。今のところ君たち以外に頼める者はいない。経営的にも安定はしてきていると言っても、時折の特産品でやっと王様の側近たちを黙らせている状況だ。森の伐採も進んで、ここ周辺もめったに魔獣が姿を現すこともなくなった。塔の解明に急ぐ理由はない。あるとすれば私の気持ちだけだからね」
 唇が緩やかに弧を描く。余裕のある笑み。なぜかそれだけで僕たちは安心してしまうのだ。でも、気がかりであることは明白だ。何としても力になりたい。
「他の兵士たちでは魔物狩りは難しいのでしょうか」
 ロジェさんが提案する。彼も僕と同じ気持ちのようだ。魔物狩りを任せられれば、僕たちは探索に集中できる。
「確かに、血の気の多い者たちがいるようだが、まだまだ危なっかしくてね。砦に引き付けて戦うには十分だが、森に入っての討伐はだめだな。ああ、勘違いしないでほしい。君たちなら大丈夫だと信じてはいるのだが、年せいか老婆心が沸いてきてしまってね。気を悪くさせていたら申し訳ない」
「もったいないお言葉。お心遣いには感謝の念に堪えません。ご期待にお応えできるよう、粉骨砕身より一層努めましょう」
「いやいや、そこまで気負わなくてもいいから。それでね、ナセル君」
「あ、はい」
 ずっとロジェさんに向かって話していたのに、急にこちらに話を振られて驚く。反射的に僕は背筋を伸ばした。
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