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女と女、そして女と男。その狭間で私は、女に恋をする。

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髪は乱れ、シャツの胸元ははだけわずかな膨らみが垣間見える。
目は潤み、赤く塗ったルージュがよれていた。
そして、「彼女」は部屋を出て行った。

やっと、子供が小学校に入学し、私は毎朝慌ただしく朝ご飯やら登校の準備を手伝いながら、見送った後は、暇な時間を過ごしていた。
「今日は、何しようかな」
家事も一通り終えて、私は散歩をすることにした。
5月の気候はすがすがしくて、空を見上げながら空いっぱいに広がる青い景色をただただ見つめていた。
ふと、前を見つめ直すと、幼稚園の頃、PTA会長を務めていた二宮さんに会った。
二宮さんは子供の学年が1つ上で歳は私より3歳年上。小顔でどこかアジア的な顔立ちながら端正な顔立ちで、幼稚園で見かける程度だったが、とても目立っていた。
私は、そんな彼女に憧れの念を抱いていた。
「こんにちはー。」「こんにちはー。」
互いに顔は知っていたから、挨拶だけ交わして私達はすれ違った。すれ違ったあと、私は振り向き、彼女の姿が消えゆくまで見送ろうと思っていた。
二宮さんは、少し歩いたところで急に振り返った。私は、ドキッとした。
向こうも一瞬、びっくりしたようで顔がこわばったが、すぐに笑顔になり会釈した。
二宮さんとは、家が近所だし、子供の小学校も一緒だから、また会うだろう。
私は、予期しなかった二宮さんの振り向きに、胸を高鳴らせながら、次に会うことを楽しみにその場をあとにした。

「小野先生―!会議室の部屋の鍵貸してください」。
小学校で、役員をやることになった私は度々学校に出向いた。受付で仕事をしているその先生は、私より歳が5つ上で、お兄さんみたいな存在だった。
「あー、お疲れ様―。鍵、そこにあるよ」
共通の趣味があったせいか、先生なのにまるで友達のように接する機会が多かった。
缶に入った鍵を勝手にとると、会議室のドアをあけてそれぞれの役員あてに入ってくるプリント類をチェックし始めた。
「次の会議の資料、入ってる」
さっと、次回の会議内容に目を通しながら、狭い部屋を見渡した。役員はいくつかあって、クラス委員・広報・郊外など、色々とお役目があるのだ。
「あ。」
クラス委員のボックスに目をやると、そこに「二宮」という名前を見つけた。
(そういえば、二宮さん、クラス委員やってたんだった)
何かと目立つ彼女は、幼稚園時代でも幼稚園代表として演説したり、会長を務めたり趣味が歌だったから、皆の前でコーラス指導をしたり。その存在は、唯一無二だった。
そんな二宮さんに、密かにあこがれる人は少なくなかっただろう。
学年は違ったが、二宮さんとは幼稚園で行われた「委員会」を通して意見交換をしたことがある。当時、共働き世帯増加で保育園需要が高まり、幼稚園の入園児童数は減少の一歩をたどるばかりだった。
それをなんとか改善しようと、二宮さんを筆頭に話し合いが行われたことがあるのだ。
私は、早速二宮さんに、今の在園児の現状・これからの入園児童数を増やすための意見をメールで送った。
二宮さんからは、丁寧な返事が返ってきた。
「あなたの意見、大変参考になりました」と。
私は、二宮さんとメールでだが話ができたこと、二宮さんに認められたこと、それがとても嬉しかった。
彼女に会いたい。そう思った、矢先だった。
会議室の扉が開いた。振り返ったその先には、二宮さんがいて。一瞬時が止まった。
「また、会いましたね。こんにちは」
二宮さんは、ハキハキした声で私にそう話しかけてきた。私は、この人の少し低めの声になんとも言えぬ魅力を覚えるのだった。
「こ、こんにちは」
私の心臓は、一気に跳ね上がった。どうしよう、目の前に二宮さんがいる。
「岸本さんも、資料取りに来てたんですね」
二宮さんは、私の手元をみてそう言った。「あ、はい」とだけ、私は短く答えた。
どうしよう、何を話そう。
彼女が現れたことで、狭い会議室の空気が変わった。
二宮さんは、緊張してる私を尻目にクラス委員の資料に目を通す。その横顔を、ずっと見ていたい、と思った。でも、それは長くは続かなかった。
「それじゃ」二宮さんは、そう言うと資料を持って立ち去ろうとした。
(まだ、行かないで!)そう心の中で呟いた。
「あ・・・」
口から、言葉にならない言葉が出たとき、机に置いてあった私の荷物が「ガシャーン」と派手な音を立てて床に散らばった。肘が荷物に当たって、鞄が落ちたのだ。
「ごめんなさい!」財布から携帯、化粧ポーチやらが鞄から飛び出しあちらこちらに散らばった。
「大丈夫ですか?」二宮さんは、きびすを返すとしゃがみ込み、私の荷物を拾い上げてくれた。
「あ、大丈夫です。ほんと、すいません」震える両手を握りしめ、必死になってそう答えた。
(恥ずかしい・・・)私の頭は、混乱した。
二宮さんは、「スマホ割れなくてよかった」。そういって私にスマホを渡してくれた。
「岸本さんが役員やってるなんて思わなかったな」
二宮さんは、笑って話しかけてくれた。予想外だった。二宮さんが話しかけてくれるなんて。
動揺する心を制止ながら、「そ、そうなんです。そろそろやらないとまずいかなって」。
小学校の決まりで、各家庭1度は何かしらの役員につくことがこの学校の決まりだったから。
何か話さなくちゃ、何か話さなくちゃ・・・。私は、自分の顔がこわばって返答していることに気付いていた。目もまともに合わせられず、二宮さんにはどう映っているのか不安だった。不意に、二宮さんが聞いてきた。
「緊張してる?」
(やばい、ばれた!!)私は一気に、顔が熱くなるのが分かった。
「すいません、すいません!私人見知りで!!」咄嗟に嘘をついた。二宮さんだから緊張するのだ。
「あはは、謝ることないよ。前にメールしたときとは、印象違うね」
二宮さんは覚えていてくれた。私の中で、何かが弾けた。
「岸本さん、年下だと思うんだけど、すごくしっかりした印象あったのでね。今の反応意外」
「そ、そうですか」
「うん。なんか可愛い」
(か、可愛い!?)その言葉にますます顔が熱くなった。
「二宮さんはすごいですよねっ。いつも何かしら役員やってたり、歌も凄いし、翻訳の仕事だって」
そこまで言ってハッとした。仕事をしていることは、実はあまり周りの人は知らない。
しかもそれが帰国子女である二宮さんが翻訳の仕事をしていることを。
こっそり、私が二宮さんのブログをチェックしたからこそ知っているのである。
一瞬、目を丸くすると「よく知ってるね」と笑った。
もう、私は、この場から逃げ出したい気持ちだった。なのに、もっと話したいと思う気持ちも混在していた。

「せっかくなので、ちょっと話しませんか?」二宮さんから驚きの言葉が発せられた。
頷くしかない私。
それから私達は、会議室の狭い4席しかない席に向かい合わせで座って話した。
幼稚園時代のこと、小学校生活は慣れたか。その一つ一つの会話に一生懸命受け答えした。
「そんなに緊張しなくていいよ」
時々、笑いながら何度もその言葉を二宮さんは発した。
緊張しながら私も、少しずつ質問した。お子さんのこと、学校のこと・・・。
少し、会話が打ち解けた頃だった。
その瞬間はふいに、訪れた。
「指、細いね」彼女が、私の手を見つめながら、そっと指を撫でてきたのだ。突然の事に、私の思考は止まった。
いや、止まったのではない。「その先のこと」が私の脳裏をよぎったのだ。
直感した。
ブログには、仲の良いママ友さんだろうか。「今度、デートしましょう」そんなフレーズが日記には書かれていて、私の頭を埋め尽くした。
この人は「そう」なんだ。
私は、二宮さんをみつめた。二宮さんも指を撫でながら、私のほうを見つめ返してきた。
その瞳は、優しい瞳ではなかった。どこか、欲望にみちた瞳だった。
蛇ににらまれたカエルのごとく、私の身体は動かなかった。聞こえるのは、心臓の音だけ。
二宮さんが、ゆっくりと顔を近づけてきた。


「岸本さん、遅いねぇー。鍵戻してもらわないと。」
俺は、かれこれ1時間も会議室から出てこない岸本さんの姿を待っていた。
「なんか、印刷物やってんじゃないっすか?それにしても、小野先生、岸本さんと仲いいじゃないですかぁ。もしかして気が合ったりして」
同僚がふざけながら話しかけてきた。俺と、この同僚は仲がよかった。実は、岸本さんとは出身高校が一緒で、俺たちは先輩・後輩にあたる関係だったことが、岸本さんとの会話で判明した。
共通の知り合いがいることも分かった。それだけに、岸本さんとの距離は教師と保護者を超える部分があった。
「馬鹿言うなよ。からかって面白がってんだろ?俺、そろそろ本気で帰らなきゃいけないんだけど」
俺には、まだ幼い子供が居て、保育園に通わせている。今日は、自分が子供達を迎えにいく当番だ。岸本さんは、入学した夏頃から度々顔を合わせていた。共通の趣味もあって、教師とはいえ出身校が同じだった俺は、保護者である岸本さんとは距離が近かった。
岸本さんが、長かった髪をバッサリ切ったとき、そのイメージの違いに惹き付けられた。
思わず「イメチェンした?よく似合うよ」と声に出した。
彼女は、肩をすくめながら笑い「ありがとうございます」と言った。可愛い人だと思った。
「ちょっと、会議室覗いてくるかな」
「了解っす」教師のくせして、暇になればこの受付にやってきてコーヒーを飲んでいるこいつを置いて、俺は会議室を目指して歩き出した。
きっと、なにか作業をしているんだろう。岸本さんの顔をもっと見たかった。

天窓から夕日が差し込んでいた。その夕日のなかで、二つの身体の二つの唇が重なっていた。
正面にいた、二宮さんは、私の唇を塞いだ。
初めての感触だった。柔らかい唇・女性特有の香り。最初は、唇と唇を押し当てる程度の軽いキスだった。それでも、私の身体には電流みたいなものが走った。
次は、もっと生暖かい、唇よりもっとするどい舌の感触が私を襲った。
「はぁっ・・・」息継ぎの瞬間がよく分からなくて、苦しくなり途中で唇を離した。
一旦離れた身体を、二宮さんは強く引き戻した。
甘い感覚が立て続けに私を襲った。正面にいた、私達は立ち上がりそして抱き合いながらキスをした。
私の身長は高い方であるが、二宮さんは私よりも2.3センチほど背が高かった。
二宮さんの手が私の長い髪を撫でる、撫でながら、唇を塞ぎ、舌を探り合った。
二宮さんは、私の背後に手を回してきた。その手を、ゆっくりと服の中へ差し入れ私の肌をまさぐった。触られる度、「もっと」という想いが私の頭を駆け巡った。
二宮さんは、片手でいとも簡単に私の下着を外した。その手が、背後から胸の頂に伸びてくる。私も、一旦身体を離し、シャツのボタンを1つ2つと外した。
彼女の唇・舌が、私の首筋鎖骨を伝い、私の息は荒くなった。濡れてくるのが分かった。
「はぁ・・・あぁ」
二宮さんの指は、胸の周りをなで回したが決して真髄には触れてこなかった。私のそれは、固くなり早く摘まんで、とばかりに赤く充血した。しばらく弄ばれたあと、軽く触れられた。
「んっ!」
待っていましたとばかりに、身体に甘い感覚が流れ、下着が濡れてくるのが分かった。
「どこが気持ちいい?」
二宮さんは囁き、しっとり汗をかいていた。
(そんなこと聞かないで、言わせないで)私は、崩れ落ちそうになる身体を支えるため、椅子に座り、二宮さんは立て膝を突きながら、私の脚の間に割って入ってきた。
(欲しい、欲しい・・・)
私は、二宮さんの指が自分に入ってくるのを心待ちにしていた。

その時だった。息づかいしか聞こえなかった部屋に、携帯の着信音がけたたましく鳴り響いた。私の携帯電話だ。ハッと我に返り、二宮さんを押しのけ携帯を持ち上げた。
「自宅」の文字。
急いで電話に出ると、子供からだった。「ママー、なにしてるのー?早く帰ってきてー。」
時計を見る。かれこれ、1時間は経過していた。「すぐ戻るね」と言って家に子供を残し私は、書類を取りに来たのだ。
(私は、何をしてるのだろう)余韻は完全に醒め、頭の中は家に残してきた子供の事でいっぱいになった。
「ごめんなさい」と言ったが、二宮さんは、黙ってこちらを見ていた。黙ってもう一度、唇を重ねようとしてくる。
私は、この場から早く逃げなきゃ。そう思って、荷物も書類もぐちゃぐちゃにしながらとりあえず、全てを抱えて部屋を出ようとした。

俺は、会議室に向かいながら、これまでの岸本さんとのことをぼんやり考えていた。
何故か、広い校舎の中で、いつも岸本さんを見つけた。
仕事をしていると、岸本さんから話しかけてくることも度々あった。
他の保護者と話をすることも多々ある。岸本さんだけが例外じゃない。なのに、何故、彼女のことを考えるのか。
「なんだかなぁー・・・。とりあえず、鍵回収して子供迎えに行かなきゃ」
会議室で、なにやら仕事をしているであろう岸本さんの姿を想像しながらドアを開けようとしたときだった。勢いよく扉が開いた。
「彼女」と目が合った。
髪は乱れ、シャツの胸元ははだけわずかな膨らみが垣間見える。
目は潤み、赤く塗ったルージュがよれていた。
「あ。」
岸本さんは、俺を見つけると目を丸くして一瞬ひるんだが、すぐに部屋を出て行った。
一体、何があったのか。
ふと、部屋の中を覗くと、見たことのある姿があった。
確か、学年委員をやってる二宮さんだ。
「大丈夫ですか?」俺は、そう話しかけた。
「大丈夫です」二宮さんの言葉が木霊した。「あの、鍵なんですけど・・・」
「はい、これ。ありがとうございました」
二宮さんは、目を合わせず荷物をまとめ、軽く会釈すると俺に鍵を渡して帰って行った。
心なしか、会議室は外気よりも一段熱を帯びていたように思う。


「見られた!小野先生に見られた!!」
荷物を持ち、トイレに駆け込んだ私は、その乱れた髪と服装と、口紅がよれていることに気付いた。私の心は、めちゃくちゃだった。二宮さん・小野先生・子供達。
今、一番優先しなくちゃいけないのは、子供達だ。
私は、何をしていたのだろう。夢をみていたのだろうか。いや、夢じゃない。
夢じゃないのだ。私は、二宮さんとキスを交わしたのだ。
その事実を胸に、急いで私は帰路についたのだった。






あれから1週間。二宮さんに会うことはなかった。メールが来ることもなかった。
その最中、夫に求められた。だが、私の頭の中は二宮さんとの一件で頭が一杯だった。
義務感のセックス。
男の性欲とは何なのだろうか。女をただの欲望のはけ口にしてはいないだろうか。
夫とのセックスは淡泊なものだった。昔から、そうだった訳ではない。
なのに、年月とは悲しいものだ。私は、私の満足するセックスが出来ずに居た。
夫の吐き出す精液など見たくもなかった。

愛しい我が子が眠りについた夜、その夜は夫の帰りも遅く、静かな空気が流れていた。
リビングに携帯を置いて、私は風呂に入った。
服を脱いで全裸になると、まず下腹部の帝王切開の傷痕が見えた。人間とは不思議なものだ。
見たくもない、あの白濁した液体と私の中の卵子が融合して人の形が出来上がる。
初めは米粒だったものが、次第に人間の姿に変わり、それは日に日に肉をつけて赤ん坊として私のお腹の中で育った。この傷は、1つの生命を産みだした証として私の一生の勲章だ。
それから、二つの胸の膨らみを見た。決して、大きいとも形が綺麗とも言えない乳房。
この胸に、夫以外の人が触れたのだ。
出来ることなら、あの続きをもう一度したい。そう思った時だった。
携帯のメールの着信音が鳴った。
バスタオルを巻いて、携帯をのぞき込むと、それは二宮さんからの1通のメールだった。
題名は無題で、
「岸本さん」とだけ入っていた。当時は、まだラインが流行り出す前で、私と二宮さんは携帯メールだけで繋がっていた。
その「岸本さん」だけの、メールを見て、私の心は熱くなった。
(なんて、返事をしよう)迷ったが、すぐさま返事をした。
「なんですか?」とだけ、返信した。しばらく返信は来なかった。ラインのように「既読」がつけば相手に読んでもらえたことが伝わるのに、メールがちゃんと届いたかどうかも分からない、読んでもらえたのかも分からない。返信が来るまでの数分が何倍にも感じられた。
携帯のメールの着信音が鳴った。
「明日、会えませんか?」
私の答えは、勿論「はい」だった。

二宮さんの自宅は、歩いて20分もかからないところにあった。二宮さんの住んでいる一帯は、開拓地で次々と新築の家が建っていた。真新しい家に囲まれる、彼女の家。
「どうぞ」
そう言うと、二宮さんは私を部屋の中へ招き入れてくれた。男の子がいる家らしく、家の中はお世辞にも綺麗に片付いているとは言えなかった。
「汚くてすみませんね」
「いえ、うちも似たようなもんですから」私達は普通に会話をした。私はソファーに案内され横並びになりながら出されたコーヒーを飲み、しばらく沈黙が続いた。
二宮さんの表情が見えない。何を考えているのだろう。
「あの、」
「はいっ!」私の勢いよく飛び出した返事に、二宮さんは笑った。
「元気だね」そう言って、二宮さんは更に笑ってくれた。私は、その笑顔をみてホッとした。

「担当直入に言うけど、この前はあんなことをしてすみませんでした」
「あんなこと」と言う言葉に、高揚と悲しみが入り交じった感覚が私を襲った。
私の中では、あんなことではないから・・・。
しばらくまた沈黙が続くと、
「実は、岸本さんのこと、幼稚園時代から気にかかってました。特に、あのメールでの返事に、心惹かれました」
「・・・そうなんですか?」
思ってもいない言葉だった。私は、二宮さんに憧れを抱いていたけれど、二宮さんも私のことを気に掛けてくれていたなんて・・・。
「岸本さん、目立つから」「ええぇっ!?」
目立つのは二宮さんの方であって、私ではない。そう思ったが、自分が思うほど私は地味ではなかった。
「だって、綺麗だし可愛いでしょ?」
私は、言葉を失った。この言葉は幾度か男性から言われたことはある、けれど、女性から言われるのは初めてで、しかもその台詞に気恥ずかしさを感じたからだ。
「えっと・・・」私は、少女のように顔を赤らめて下を向くばかりだった。
「・・・そういうところも可愛い」
二宮さんは、身体の向きを私の方へむけて、髪を撫でた。
(あ、また始まる・・・)何が始まるかは言うまでもない。
二宮さんは、どこか中性的だった。外見だけじゃない。立ち居振る舞い・考え方、その一部しか垣間見たことはないが、女性なのか・男性なのかよく分からない。
どこで聞いたのか忘れたが、「人間は元々、中性だった」という話を思い出した。人類にはある一定の時期まで性別が存在しなかった、という話だ。
二宮さんを見ると、その話は本当のことに思えた。
平日の昼下がり、私達は全裸になってソファーの上で折り重なった。


教師である俺は、月に一度、教員のために行われる研修に参加するため学校を後にした。
前方から、岸本さんが歩いてきた。彼女はこころなしか微笑んでいるようだった。
「こんにちは」
小野が声を掛けると、「こんにちはー」と彼女は答えた。
「どこ行くんですか?」
「ちょっと、研修を受けに行ってきます。まぁ、出張みたいなもんです」
「お疲れ様です」にこやかに笑った。
(そういえば・・・)
1週間位前だったか、岸本さんは会議室から何やら慌てて出てきたが・・・。その光景を思い出し、小野は急に彼女が心配になった。
実は、岸本さんが泣いている姿を見たのはこれが二度目だからだ。あのときは、岸本さんの不注意から別の保護者に怪我を負わせてしまい、大事には至らなかったが、動揺して泣いている彼女の姿を思い出したからだ。
「あの、」
そう言いかけて、信号が青に変わった。
「いってらっしゃいませ」彼女のこういう茶目っ気のある言葉が、小野は気になっていた。
ロングスカートをなびかせながら、岸本さんは手のひらをひらひらと返した。
「それじゃ、また」
同じように手を振ると、俺は駅の方へ歩き出した。。
小野は知らない。数時間前に、岸本さんに何があったかを。
男は皆知らないことが多いのだ。






私は、夫を愛している。その愛は、男女の愛ではないかもしれないが、人として彼を尊敬しているし、何より彼と築き上げる「家庭」が宝物だった。
一方で、女の姿を目で追う自分があり、また別の男を目で追う自分がいて、その女こそが二宮であり、その男こそが小野であった。私には、いくつもの心があった。

小野先生とは、ある夏の暑い日の体育館で出会った。保護者と先生方の親睦を深めるため、体育館で球技大会が開かれていて、そこに私は参加したのだった。
遅れて参加してきた私に「お、若い人が来たね!頑張って」と小野先生は声を掛けてきた。
実際は、5つしか年齢が違わないのだが、歳より童顔な顔立ちをしていた私はだいぶ年下に見られたようだ。
彼は、スポーツ全般が好きで明るく爽やかな印象を受けた。
私もスポーツが趣味だったから、話が合った。その親睦を深める球技大会での彼の姿は、私の目を惹き付けて止まなかった。
以来、教師である彼とはちょこちょこちょこ学校で顔を合わせる機会が多かった。
正直にいえば、彼は私の好みの異性だったのである。
ある「親子親睦会」が小学校で行われた時のこと。体育館では、ドッチボールが行われた。
自分が小学生以来のドッチボールだった。懐かしい・・・妙に興奮を覚え私は球技に夢中になった。夢中になりすぎて、ボールを避けようと後ろ手に走った私は、味方の保護者である母親にぶつかり転倒した。その人は、足首を押さえていた。球技は中断し、私は顔が青ざめていくのが分かった。「怪我をさせてしまった」
彼女は「大丈夫だから」と言いながら、医務室に運ばれていった。球技は中断したが、彼女が医務室に運ばれると何事もなかったかのように、また始まった。
球技どころではない私は、オロオロしながらも医務室に向かった。その医務室へ同行したのが、その様子をそばで見守っていた小野だったのだ。
幸い、怪我はたいしたことなかった。「ほんとうに、ごめんなさい!」
私は、何度も彼女に謝った。謝りながら、涙が出そうになったが、ぐっと堪えた。
スポーツに怪我はつきものだ。だが、人一倍感受性が強い私にその出来事は大きなできごとだった。医務室をでると、涙が出てきた。(楽しむ為の親睦会で空気を乱した上に人に怪我をさせた)その事実で、涙がポロポロ流れてきた。
体育館では、子供達や保護者達が待っている。戻らなきゃ・・・。
「大丈夫?」
男の人の声がした。小野先生だった。慌てて涙を拭いたが、泣いていたのは一目瞭然だった。
「すみません。私、、、」
「あー、いいよいいよ。怪我なんてつきものなんだからさ。相手のお母さんも大丈夫って言ってるし。俺なんて、何回も怪我させたり、病院送りにしたこともあるんだぜ?」
小野先生は、そう言いながら笑った。
「気にするなって。大丈夫だよ」。私と小野先生は体育館へと戻った。


俺は、研修会場へと向かいながら、岸本さんが涙を流したあのときの出来事を思い出していた。
(また、別の保護者と何かあったのかな。でも、服も乱れていたしなぁ・・・。喧嘩??)
あの狭い会議室で、何が起こっていたのか歩きながらしばらく考え込んでいたが、会場に着き研修が始まるとそんなことは忘れていた。
ただ、笑って手のひらをひらひらと返し「いってらっしゃいませ」と言っていた岸本さんの笑顔だけが脳裏に焼き付いていた。

その日の夜、俺は子供が寝静まったのを見て、妻にビールを勧めた。
「今日もお疲れ様」「ありがとう」妻は、グラスに注がれたビールを受け取りながら「ふーっ」とため息を漏らした。妻もまた仕事をしていた。自分の家庭には、まだ幼い子供2人が居た。
「疲れてる?」「どうして?」妻は、気怠そうに答えた。妻とは結婚して10年以上経つ。
子供が出来たのは、結婚してからだいぶ経ってからのことだ。
「いや・・・。今日は、どうかな、と思ってさ」「・・・・・・ごめん、今日はそういう気分じゃないから」
分かっていた。そんなことは。だから、俺も素直に「抱きたい」と言えなかった。
妻とは、下の子供が生まれてからセックスレスになっていた。妻に拒否をされる度、自分の中の「男」のプライドが引き裂かれるような思いだった。
妻が寝た後、こっそり起きて、妻が起きないよう気を配りながらパソコンを開いた。
「アダルト専門チャンネル」自分で自慰行為をするしかなかった。画面には、魅力的な身体をした女性達が、男性と絡み合っていた。もう自分は何年もしていない。
こんなことがあと何年続くのか。妻の気持ちは、当分こちらに向きそうにない。
一人の髪の長い愛らしい顔をした女性が画面に映った。少し癖のかかった髪型をしたその女性が、岸本さんの癖のかかった髪型と重なった。
「いってらっしゃいませ」そう言って、ひらひらと手のひらを返す岸本さんを思い出した。
同時に、会議室から飛び出してきた、あのときの岸本さんも思い出した。
シャツの間から、チラリと胸の谷間が見えそうだった。
(やばい・・・)画面の女性に、彼女の姿を重ねてしまった。
彼女も夫とセックスをするのだろうか?一体どんな身体をしているのか。どんな風に喘ぐのか。画面から聞こえてくる喘ぎ声に、勝手に彼女の喘ぐ姿を想像して、固くなった。
彼女は、いつも屈託なく話しかけてくる。でも、あの会議室から出てきた彼女は違った。
画面の女は、大きな乳房を揺らしながら、だらしなく口を開き、その口からは「やめて」と叫びながら、男のそれが何度も何度も彼女の中を突いていた。四つん這いで後ろから突かれるその姿に、興奮は頂点に達しそうになっていた。彼女を、同じように犯したい。
あの可愛い笑顔を、自分の手で泣かせてみたい。その姿のギャップを想像して小野は果てた。

「はぁ・・・・」
自慰行為が終わると、虚しさが漂った。出来ることなら、本物の肌と肌を重ねたい。
パソコンの画面の横には、色々な広告が貼り付けられていた。
その中の一つに目がとまった。「既婚者サークル」
(なんだろう・・・これ)小野は、興味本位でその広告をクリックした。
イベントを中心に出会いや友達作りを提供するサークルだった。
表向きは「趣味仲間」を探すサークルとうたっているが、どうやら「婚外恋愛」を求める出会いのサークルでもある様子だった。「婚外恋愛」。考えたこともなかった。
自分には妻が居るし、幼い子供が居て幸せな充実した毎日。ただ、セックスがないだけなのだ。でも、このときの小野はこの「既婚者サークル」に興味を持った。
(趣味仲間を探す出会いだけ・・・)そう、頭にたたき込みながら一つのイベントに申し込みを、してしまった。

1週間後の土曜日、「今日は仕事仲間と飲み会があるから」初めて妻に嘘をついた。
飲み会自体は誘われることがあるのだが、子供が小さいため、そのほとんどを断ってきた。
妻は、常日頃から育児に協力的な俺に「気をつけて行ってきてね」と快く承諾してくれた。
ほんの少しだけ、罪悪感が心をよぎった。だが、「既婚者サークル」という未知の世界に対する期待感のほうが大きかった。
会場は、横浜。場所はなんとなく見当がついた。緊張した面持ちで主催者を訪ねると「お待ちしてました」と、部屋に案内された。部屋は個室だった。どうやら、合コン形式で話をするらしい。もう既に何人かの男女が席について話をしていた。
「こんばんは」
一人の女性が話しかけてきた。慌てて「こんばんは」と返事を返す。
「初めてですか?お見かけしない顔ですね」上品そうな彼女は、小野をみつめた。
「サークル」というだけあって、一見さんもあれば常連さんもいる様子だった。
「そうですね、ちょっと初めてでして・・・」
保護者の女性と話すことはあるが、こうして「一人の女性」と話す機会はほとんどなかった。異性との会話に気分が高揚した。
「初めての方も、何人かいらっしゃるみたいだから。よかったら、あっちで話しましょう」
彼女は、小野の腕をとり席に招いた。
(勢いで来ちゃったけど、何を話したら良いんだ)
そんな心配をよそに、女性は話しかけてきた。歳は40を過ぎた頃だろうか?自分とそう歳は変わらない。
「ママ友と飲みに行くって言って実は出てきたの。ほら、あそこにいるのがママ友」
彼女の指さす方には、別の男性と楽しく話す女性の姿があった。その女性によると、お互い
の夫同士も仲が良く、彼女と飲みに行くと話せば、いつも快く承諾してくれる、という。
(手慣れてるな)
お酒を飲みつつ、このちょっとした異様な雰囲気に動揺していた。皆、趣味友達・話相手・大人の社交辞令の場として、この場に佇んでいるが、心の思惑までは分からない。
「婚外恋愛」それを望んでこの場にいる人々が実は大半なのかもしれない。
「小野さん、背が高くて素敵ですね。何かスポーツしていたの?」
彼女もまたお酒を飲みながら、身体を寄せてきた。
自慢ではないが、若い頃はそれなりにモテた。容姿には自信があるほうだった。
彼女が自分に既に興味を持ち始めていることに、小野は気付いていた。男としての自信を取り戻したようなそんな気持ちになった。
場内にいた、男性の視線が入り口に集中した。女性が受付をしているようだった。
「あら、新しい人が来たみたいね。男の人は珍しくないけど、女性の一人参加は珍しいわ」
(そうなのか)
申し訳ないが、この手の女性は好きではない。つけている香水の匂いも好きではなかった。
異性との会話は楽しいが、どこか自分が居るべき場所ではない、そんな気がしてきた。
(やっぱり、適当に流して帰ろう)
新しく来た「新入りさん」とやらも、どこか落ち着かない様子であたりを見渡し、一人の男性に捕まって話し始めた。後ろ姿しか見えないが、ヒールのせいかわりと長身だ。
彼女は髪をアップにして、黒いワンピースを着ていた。困ったように、でもきちんと相手の男性に対して受け答えしているようだった。
隣の彼女は相変わらず、身体を寄せてくる。たまりかねて
「ちょっとトイレへ」と席を立った。会場の入り口をでて、トイレに向かおうとしたその時だった。
「新入りさん」がこちらを振り返った。小野は息をのんだ。
その人は、自分のよく知っている女性だったからだ。


夫は、相変わらず淡泊だった。その間に、私は二宮さんと逢瀬を重ねた。彼女の時間の許す限り、私達はお互いを求め合った。
二宮さんは、綺麗な身体をしていた。自分と同じ、胸の膨らみを持っていた。同性同士、その身体の柔らかさと美しさに目を見張った。
「岸本さん、男と女、どっちのセックスがいい?」彼女はそんなことを聞いてきた。
「分からないわ」そう答えたが、夫とのセックスに満足を得ていなかった自分の中では女性とのセックスの方が、上のように感じた。
彼女の長い指が、私の中に入ってくる。胸の赤く充血したものを口に含み、転がされ、指は小刻みに私の膣内を突いた。
「んん・・・・はぁ、あ」
喘ぐ私の姿をみて、彼女は嬉しそうだった。「もっと、声だしていいよ」
私は、完全に彼女の虜になっていた。
そんな日が、1週間もたった頃、突然二宮さんから連絡が来なくなった。返事がきても「忙しくなった、ごめんね」とだけ返事が来た。翻訳の仕事でも忙しくなったのだろうか?
彼女は、いつも多くを語らなかった。普段、皆が見ている彼女は明朗活発でよく話し笑ったが、私の前では寡黙な部分があった。
それでも、お互いが身体を求めていたから、言葉なんていらなかった。セックスで会話をすることができたからだ。
連絡が来なくなって、3日後(彼女に会いたい)衝動的に私は、彼女に会いに行った。
自宅の前まで行く。
部屋の中からは、二宮さんの声が聞こえ、また別の女性の声がした。
(誰か来てる・・・。会って話はできないな。突然来ちゃったし)落胆した私に追い打ちをかけるような光景が目に入った。
庭の茂みのかすかな隙間。そこから、私は見えてしまったのである。彼女は、別の女性とキスをしていた。

無我夢中で走った。涙があふれてきた。どういうことなのか。あれは、誰なのか。
あんなに私を掻き抱いたあの人はどこへいったのか。
彼女のブログの「デートしましょう」。あれは、誰に向けての言葉だったのか。分からない、分からない。何が何だか分からない。
ただ、二宮さんは確かにキスをしていたのだ。私は、彼女のなんだったのか。

携帯に1通のメールが入ってきた。二宮さんからだった。「明日、会える?」
返事はしなかった。今は、無理だ、と思った。
真相をしりたい気持ちもあったが、知りたくない気持ちもあった。

携帯で女性との情事を検索していたからだろうか。携帯メールを使い始めるようになってから、迷惑メールが入ってくるようになった。ほとんどの連絡手段をラインで行っていた私は、メールを無視し続けた。しかし、迷惑メールはエスカレートする一方で私は携帯の迷惑メール対策を施した。メールはぱったりと来なくなった。
大量に入ってきた迷惑メールに一つ一つ目を通しながら、一つずつ削除していった。
間違えて、二宮さんから来たメールを消さないように・・・。
(ん?)
迷惑メールの1つに目がとまった。「既婚者サークル」と書かれたそのメールには、イベントを通して趣味仲間を見つけようと書いてあったが、「婚外恋愛」の出会いの場でもある内容が、それを見て伝わってきた。
インターネットを使って、「既婚者サークル」のことを色々と調べてみた。
二宮さんは、私に嘘をついている・・・。
どうでもよくなった。「男と女、どっちのセックスがいい?」
男とのセックスを、してやろうと思った。

「既婚者サークル」はいくつもあったが、会場の見当が付くイベントを1つ見つけた。
私は、思い切ってそのイベントに申し込みをした。
夫には、「役員で打ち合わせの飲み会があるから」と嘘をついた。
会場に着くと、男性と女性の受付者が入り口に立っていた。緊張した私は、受付で身分証明書をみせる手が震えた。もうすでに、何人かの男女が座りながら、お酒を飲み交わしながら話をしている。一応、サークルとはいえ、いつものジーンズにTシャツなんて格好でいくわけにもいくまい。考えた末、黒いワンピースにヒールの靴を履いていった。
「婚活パーティ」に参加したことがある、私自身の体験が頭をよぎった。
受付を済ませると、早速1人の男性が話しかけてきた。
「こんばんは。初めてですよね?」
(そうなんだ、ここには何度か来ている人も居るんだ)
「はい、初めてです。よく分からないので・・・。色々教えてください」
「あなたみたいな、綺麗な人、なかなか来ないですよ」
男は、私を口説き始めたようだ。(困ったな・・・勢いで来ちゃったけど・・・)
まるで、二宮さんに対するあてつけのごとく勢いで申し込みしてしまった自分に少し後悔をした。(どうしよう、適当に流して帰るか、この場限り楽しんで、やっぱり帰ろう)。
そう思うのには、理由があった。子供だった。
出掛ける間際「ママー、どこ行くのー。ママー、心配だよ-」
あの、会議室にいたときに電話をしてきた、あの声で私を呼び止めたのだ。
子供を見ると、我に返る。この会場に来る途中も、ずっと子供の事が頭から離れなかった。
(私、こんなことしてる場合じゃない)
会場に着いてからは、冷静な自分を取り戻していた。(男とセックスしようなんて、なんでそんなこと考えちゃったんだろう)
髪をいじりながら、適当に相づちを打っていると、背後に気配を感じた。
「すみません、ちょっといいですか?」
(また、別の男?)うんざりして振り返ると、私は絶句したのだった。小野先生の姿がそこにはあった。
「え!え?」
私は、一瞬何が起こったのか分からなかった。確かに目の前に小野先生がいる。
いや、この感覚は前にも味わったことがあったかもしれない。そうだ。あの二宮さんとの情事から会議室を飛び出した時に、彼と目が合った。「見られた!」あの感覚に近い。

「ちょっと、彼女お借りしますね」小野先生は、私の腕を引っ張ってトイレの方向へ向かった。
「岸本さん、なんでこんなところにいるの!?」
「いえ、あの、え?なんでって・・・」
「人のこと言えた義理じゃないんだけど。何?なんかあった?」
なんかあった?の一言に、彼女と知らない彼女がキスをしていた情景が浮かんだ。
「小野先生こそ、なんでこんなところにいるんですか?って、こんなことあるんですね」
知り合いに出くわすとは考えなかったわけではないが、まさかこんな身近な人に出くわすなんて。
「・・・・・ここ出ない?」小野先生は、私を誘った。返事をする間もなく、小野先生は受付に向かい「知り合いなんですけど、具合悪いみたいなので連れて帰ります」。
受付の男女は、呆気にとられたふうな雰囲気で「分かりました」とだけ答えていた。
遠くの方では、小野に話しかけていた女性が何事かとこちらを見つめていた。
小野先生は、少々強引に私を連れ出した。
曇りだった空は、いつの間にか小雨が降り始めていた。
「少し、話しようか」さっきまでの強引な態度は影を潜め、いつもの優しい笑顔の彼がいた。
私達は、二人きりで会話が出来るよう、カラオケボックスに入った。
「びっくりしたね。お互い」小野先生は、話し始めた。私は、黙っていた。
「あれさぁー、趣味仲間を探すサークルとか言ってるけど、本当は不倫相手探す社交場って知ってた?」それでも、私は黙っていた。沈黙が続く。
「なんか、あった?」再び彼は聞いてきた。「話したくないなら、いいけど」「・・・・・」
「岸本さん」。
「私、夫とセックスレスなんです」驚いたことに自分の口から、言葉が飛び出した。
「・・・・そうなの?」「・・・・・はい」
嘘をついた。だって、「彼女」とのことなんて話せない。
「そうかぁ。俺と同じだね」「え?」「いやー、興味本位で来ちゃっただけなんだけどね。本気で浮気するとか考えてなくて、そのー、勢いで・・・・」
彼は、ばつが悪そうにそう答えた。
小野先生は、背が高くて容姿端麗。優しいしスポーツも出来て魅力的だ。なのに、そんなひとでもセックスレスになるんだ。自分のことも忘れ、私は、彼を見入った。
それから、彼は、自分の子供の事・奥さんのことを少しずつ話してくれた。
「岸本さんに、話すのもどうかと思うんだけど。会った場所が場所だからね。言い訳できないし」
「でも、俺、岸本さん見たときに、この場にいさせちゃまずいなって思ったんだよね。強引なことしてごめんね」
謝ることなど何一つしていないじゃないですか。私は、また目から涙が出そうになった。
「うわー、泣かないで泣かないで!ほんと、ごめん、勝手なことして」
違う。違います。あなたのせいでは、ありません。
彼は、セックスレスだと思い込んだ私にこう話しかけてきた。
「俺、そばにいるよ?俺じゃ、だめ?」
真剣な眼差しだった。私の胸は高鳴った。私には、いくつもの心がある。夫を愛する心、子供を愛する心、二宮さんを想う心、ずっと小野先生を気に掛けていた心。
何も答えない私に「・・・・ごめん、変なこと言ったね。」と笑った。
「もう少ししたら、部屋でようか。気にするなって」また、「気にするなって」と言った。
「小野先生」ようやく、口が開いた。
開くと同時に、彼にしがみついた。彼は、びっくりした様子だった。「辛かったね」
先生は勘違いしている。でも、その言葉は間違えていない。
この人なら「いい」と思った。二宮さんのこと忘れさせてくれる。彼を見つめた。
彼も私をみつめた。キスしようと、彼が近づいてくるのが分かった。熱い吐息が間近に聞こえる。目を瞑った。
「ねぇ、男と女、どっちのセックスがいい?」急に、二宮さんが脳裏に現れた。
いますぐにでも重なりそうな唇を私は引き離した。なんで?なんで、彼女が出てくるの?
「すみません」私は勢いよく身体を離した。
だが、その勢いの何倍もの力で彼は私を引き寄せた。引き寄せて強引に唇を重ねようとしてくる。「やっ・・・!」
私は必死にもがいた。小野先生は、私の手首を押さえつけソファーに押し倒した。
(怖い・・・)そこには、一人の「男」の姿があった。力加減が「女」のそれとは全く違った。咄嗟に私は、手首を押さえつけていた彼の腕に噛みついたのである。「うっ」低いうめき声がしたが彼は動じなかった。だが、我に返った様子でほんの少し目を伏せた。
「・・・・ごめん。今日は帰ろう」小野先生は、手を緩め、私を抱き起こした。気まずい空気が流れた。
(今、何時だろう)携帯で時刻を確認する。
その携帯電話には、彼女からの着信履歴が残っていた。

横浜から、ほぼ無言で私達は帰路についた。途中、路線が違う小野先生は「じゃぁ、気をつけて」と言って、電車を降りていった。
最寄り駅に着くと、私は急いで二宮さんに電話をかけた。
何コールかして「もしもし」と彼女はでた。「今、大丈夫?」
「今ね、出先なの。ちょっと待って」私は、駅前の小さな公園のベンチに会話をするため腰掛けた。「出先なんだ」「うん」
私は、学生時代の友達に会うために外出していたと嘘をついた。一つ嘘をつくと、また一つ嘘をつく。雪だるま式に、嘘は膨れ上がっていくのだろうか。
「今から、会えない?」「え?」「会いたいんだ。家の近くの駐車場まで来て」
迷うことはなかった。時間は、まだ22時を少し過ぎたところだった。
彼女は、自宅近くに月極駐車場を借りて、自家用車をとめていた。車の中から彼女がこちらに手を振っているのが見えた。
「子供、大丈夫なの?」「うん、もう寝てるし、旦那もいるからね」
彼女の口から「旦那」という言葉を聞いて違和感を覚えた。子供が居るのだから、夫という存在が居て当たり前だ。しかし、中性的な彼女は生活感さへ、感じず、どこか現実離れしていた。彼女の夫とは、どういう人なのだろうか。
車の助手席に、座りながら、私はこの前見てしまった事実を問いただそうか迷っていた。
「最近、連絡していなくてごめん」
彼女は謝ってきた。「ううん、大丈夫」
「違っていたらごめん。ひょっとして、見てた?」ドキッとした。
心の中を見透かされたのかと思った。
「え、何が」「いや、あなたが何も言わず自宅近くを通り過ぎたのを見かけたから」
そう。僅かな隙間から、事実を目撃した後の私の姿を彼女は見つけていたのだ。
「見てた?」また、彼女は聞いてきた。「うん。別の女の人と、キスしていたよね」
今度は、彼女の方が黙った。その沈黙が事実を肯定していた。
「誰?」私は、聞いた。
「元カノ」と彼女は答えた。「あれね、お別れのキスだったんだよね」彼女は話し始めた。
「あなたに出会う前に付き合っていた彼女。私は、もう気持ちがなかったけど、彼女から時々連絡あってね」(そうなの?)裏切られたと思っていた。
「私には、今、気になる人が居るから、もう連絡しないでくれって言ったんだ。ここ数日、彼女と色々と話し合ってた。だから、決着つくまで連絡控えようと思ってた」
「だからって、キスする必要があったの?」
彼女が言ってることは事実なのか?まだ、どこか彼女を疑っている自分がいた。
「そうだね・・・。頼まれたからしたけど、する必要はなかったね」彼女の表情は暗かった。
「ただ・・・。本当に大事にしていた彼女だったから。あれで終わったよ。終わったんだよ」
彼女の言葉には重みがあった。一体、二宮さんと元カノとの間に何があったのか。
「そう・・・なんだ」
私は、彼女の言葉を信じようという気持ちになっていた。それは、今までに見たことがない彼女の表情だったから。
「今は、あなたを見てる」彼女は、私の手を握った。
「もう一度、言うけど、今は、あなたを見てる」もう事実か、そんなことどうでもよくなった。私を見つめてくる、この彼女の存在。私は、彼女に惹き付けられる。私はこの人が欲しいのだ。それだけが、真実だった。
狭い車の中で、互いに身体を寄せ合い、キスをした。(ああ、この感覚。この感覚は彼女でしか味わえない)舌を絡ませながら、私は彼女の短く切りそろえられた頭を撫で回した。
もう、私は知ってしまったから。この甘い蜜の味を。もう、逃れられないのだ。
私達は、後部座席へと移動した。ワンピースを着ていた私は、それを脱がされると下着だけになった。狭い座席に横たわる。彼女は、丁寧に丁寧に身体を舐めた。男とのセックスでは味わえない、きめ細かい愛撫だった。私の身体は、キスだけで十分潤った。
時間をかけて身体を舐められ、私は我慢できなくなって自分から上の下着を外した。彼女は嬉しそうに笑った。それから、下着の脇から、濡れた私の秘部に指を入れた。入れられた瞬間、私は彼女の指を締め上げた。1本だった指がもう一本加えられていく。
(もっと、もっと・・・)彼女の舌は、ありとあらゆる箇所を這った。彼女の息が上がっているのも伝わってきた。
「裕子」彼女は、私の名前を呼んだ。「薫」と私も彼女の名前を呼んだ。寄せては返す波のように幾度も絶頂に追いやられた。
もう私は、戻れない。秘密を抱えてしまった。でも、怖くはなかった。「薫」という存在が愛しかった。

小野は、自宅に着いた。すでに、妻と子供は寝ていた。
カラオケでの彼女とのやりとりを思い返していた。「あのとき」彼女は何を考えていたのだろうか。キスをしようと思えばできた。でも、彼女は躊躇した。彼女の脳裏には何が現れたのだろうか?夫への罪悪感か。
(夫への罪悪感に決まってるだろ・・・)
彼女の身体は柔らかかった。本能的に彼女を押し倒し、あのまま「抱きたい」と思った。
「俺じゃ、ダメ?」あれは、本心だった。彼女のために出来ることをしてあげたかった。
(早く、彼女に会いたい)小野の心は、「裕子」に奪われたのだ。

神話では、神は、「女」を「男」のあばら骨から作り上げたという。「女」は「男」の一部だったのだ。無くした一部を探し求め、男は彷徨う。恋い焦がれる。女は、男にとって自分が必要であることを知っている。男は知らないことが多いのだ。小野もまた、「ゆい」に恋い焦がれ、「ゆい」は小野にとって存在しなければならない理由を持った身体の一部なのだ。
女の方が、帰る場所を知っていた。






































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