3 / 16
1巻
1-3
しおりを挟む「妹は俺より三つ年下で、ティナという名だった。生まれた時から身体が弱かったが、立て続けに親を亡くした俺たちに医者にかかる金なんてなくてな……。それでも心配かけまいと気丈に笑ってみせる妹を、俺はなんとか助けてやりたかった」
そんな時に耳にしたのが、『幻の魔石』と呼ばれる赤く美しい石の話だった。
「万能薬の材料になる〈カーバンクル〉という名の魔石だ。魔獣を倒した際にドロップアイテムとして出現すると言われているが、その確率はかなり低い。よしんば出たとしても稀少品ゆえに市場にはほとんど出回らない。当然かなりの高額だ。だから俺は自分で探すことにした」
「それで魔獣を倒す旅を?」
ランバートが無言で頷く。
当時のことを思い出しているのだろう。彼は苦いものを噛み締めるように顔を歪めた。
「魔獣を倒して倒して倒しまくった。森を出るのは妹を見舞う時と、ギルドに達成報告をする時だけだ。その足で街の素材屋に行ってドロップアイテムを金に換えて、装備屋で防具や剣を新調して森に戻る。そのくり返しだ。それでも〈カーバンクル〉は出なかった」
そんな暮らしを四年も続けた頃。幻の魔石を手に入れるより早く、彼の唯一の肉親にして最愛の妹は亡くなった。ランバートは旅をする理由を失い、自分自身さえ見失った。多額の報奨金も、S級冒険者という称号も、大切なものを失った彼の心は癒やせなかった。
「はじめて味わう大きな挫折だった。絶対に助けてやると約束したのに……!」
ランバートは昂ぶった気持ちを押し込めるように息を吐く。
「そんな時だ。〈カーバンクル〉に『魂を慰める』という言い伝えがあると聞いたのは……ティナからのメッセージのような気がした。若くして亡くなったあいつの魂を慰めるために、俺は今も〈カーバンクル〉を探し続けている」
決意を語るランバートの横顔をハルは息を詰めてじっと見つめた。
彼がはじめて冒険の旅に出たのは十八歳。
旅の目的を失ってもなお、初心を貫き続けていることに驚いた。もはや意地だ。再び立ち上がるまでにどれだけの苦しみがあったか、歩き出してからもどれほどの無念に苛まれたのか、自分には想像すら及ばない。旅は彼なりの供養でもあるのだろう。
「やっぱり、ランバートさんは強い方です」
詰めていた息を吐き出しながらハルは思わず呟いた。
「恐ろしい敵に立ち向かう勇気だけじゃなく、心の強さにも圧倒されてしまいました。苦しかったでしょうに……それでも前を向き続けるなんて、誰にでもできることじゃありません」
「実際には褒められたものじゃない。ただ自棄になっていただけだ」
「それでも乗り越えたじゃないですか。心の中にいるティナさんに誇れる自分であるようにって、自分で自分を励ましながら頑張ってきたんじゃないですか?」
「心の、中に……?」
「強くてやさしいお兄さんを誇らしく思っていたはずですよ、ティナさんは。今でもきっと」
自分が同じ立場だったらそう思う。自分を助けようと遮二無二頑張ってくれる兄の姿は、きっととても頼もしく、そして眩しく映ったに違いない。
ランバートは目を見開き、やがてハルの言葉を噛み締めるようにゆっくりと目を細めた。
「そんなふうに考えたことはなかった。……そう、だろうか。そうだったらいいな」
「もちろん」
背中を押すつもりで力強く頷く。
ランバートは大きく息を吐き出した後で、ふと我に返ったのか、照れくさそうに下を向いた。
「誰かにティナの話をするのははじめてだ。人に聞いてもらうなんて考えたこともなかった」
「ぼくで良かったんでしょうか」
「あぁ。おまえで良かった。……いや、おまえだから良かった」
ランバートがハルの目を見て言い直す。それから彼は、自分自身の心に向き合うようにもう一度焚き火に目をやった。
「俺は長い間、自分で自分が許せなかった。ティナとの約束を守れなかった自分を恥じてもいた。だが、今の俺を受け入れてもいいのかもしれないと、おまえに言われてはじめて気づいた」
「いいんですよ! そんなの当たり前じゃないですか! ランバートさんは言ってくれたでしょう、『おまえはおまえだ』って。だから、今度はぼくが言いますよ。『あなたはあなただ』って。ランバートさんがランバートさんとして存在するだけでいいんです。どうかご自分を責めたりしないでください」
ハルは一度言葉を切ると、「それに」と戯けて片目を瞑る。
「ランバートさんに生活能力がないのは知ってますし、それはぼくがカバーしますから」
「おい」
「まぁまぁ。ぼくの運動音痴や方向音痴はランバートさんがカバーしてくれたでしょう」
「まったくひどいものだったからな」
「ちょっと! 少しはやさしくしてくださいよ」
はじめは苦笑に留めていたランバートだったが、ハルの顔を見るうちに我慢できなくなったのか、とうとうふたり揃って噴き出した。
「おまえのおかげで心が軽くなった。礼を言う」
「お役に立てて良かったです。ランバートさんの事情も教えてもらいましたし、これからはもっと気合いを入れて協力していきますね」
「心強いことだ。おまえには本当に助けられる」
「いえいえ、そんなのぼくの方が」
「いいや。俺だ」
負けず嫌いはお互い様か。再び顔をつき合わせたふたりは、またしても「ぷっ」と噴き出した。あんまり笑ったものだから涙まで出てきてしまい、それを手の甲で拭うハルを見て、ランバートが感慨深げに目を細める。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ。ティナが生きていた頃以来かもしれない。……ハル。おまえに出会えたことは俺にとって大きな意味があったのだと思う」
「……え?」
一瞬、反応が遅れた。なんだかとても大切なことを言われた気がした。
「いや、何でもない。そろそろ寝よう」
それなのにランバートは話を切り上げ、早々にテントに入っていってしまう。その頬がうっすら赤らんでいたように見えたのは自分の気のせいだっただろうか。
ふわふわした心地とともにハルもテントに向かう。
こうして、波瀾万丈な異世界一日目は更けていくのだった。
次の日から、〈カーバンクル〉を求めて魔獣を倒しつつ、〈浄化ポット〉の改良に取り組む日々がはじまった。
ハルはもちろん後者の役目だ。
把手を調整したことで前より水を注ぎやすくなったし、蓋もつけたので移動の際に水がこぼれる心配もなくなった。おかげで毎日大活躍だ。これとマジックバッグさえあれば、いつでもどこでも安全で冷たい水を飲むことができる。
それぞれの役割をこなしつつ、ともに旅を続けること五日。
ふたりはいったん森を出て、ドロップアイテムを換金するため城塞都市マイネルに向かうことになった。
森しか知らなかったハルにとっては何もかもが新鮮だ。道中、牧草地の羊や農地を耕す人たちにいちいち立ち止まっては見入ってしまったし、巨大な都市の門が見えた時なんてあまりの大きさにあんぐりと口が開いた。
そしてそれ以上に、門を潜った先に広がるにぎやかな街に度肝を抜かれた。
「うわぁ……! 本当にこんな世界があるなんて!」
映画で見た近世ヨーロッパの街そのものだ。大通りには石畳が敷かれ、その上を人や荷車がひっきりなしに往来している。通りの両側には店がずらりと並び、威勢のいい呼び込みや客同士の笑い声が絶え間なく響いていた。
なんて活気にあふれたところだろう。
はじめて見る城塞都市に昂奮が収まらず、キョロキョロしながらランバートについていく。
大通りを抜け、広場の手前で脇道に逸れた彼は、しばらくして一軒の店の前で足を止めた。剣の形の張り出し看板をぶら下げた、こぢんまりとした店だ。
「ここが馴染みの道具屋だ。素材屋も兼ねている」
ランバートが扉を押し開けると、奥にいた店主が大声で「よう!」と声をかけてきた。道具屋というだけあってがっしりした体つきの、五十代ぐらいの男性だ。
「久しぶりだな、S級殿。またたんまり稼いできたか」
「驚かせるほどじゃないさ。こいつを買い取ってくれないか。それから、いい素材があれば譲ってほしい」
ランバートが腰の革袋をカウンターの上に置く。
「素材? 珍しいな。おまえさんが使うのか」
「連れ合いが魔道具師なんだ」
そこでようやくハルの存在に気づいたらしい店主は「へぇ!」と驚きの声を上げた。
「一匹狼のおまえさんがとうとうパーティを組んだってか」
「たまたま森で出会ってな。いい道具を作るんだ」
目を丸くしてこちらを見る店主に、ハルははにかみながら会釈を返す。
正式に魔道具師を名乗っていいかはわからないけれど、それでもランバートに「いい道具を作る」と言ってもらえたのは嬉しい。
勝手知ったる他人の店とばかりに店内を物色したランバートは、一目で高級品とわかるケースに入った素材のひとつを手に取った。
「珍しいものが入ってるじゃないか。これをもらおう。それからこれも」
「ランバートさん。それもしかして、〈青竜の鱗〉じゃないですか……?」
「よくわかったな」
「眠気を抑える高級素材だって参考書で読んだので……って、そっちの手に持ってるのは持久力を高める〈鷲獅子の尾〉ですよね? どちらもかなりの高級品です。それを、買う? ……え?」
「いずれおまえの役に立つだろう。ついでにこいつももらおうか」
「ちょっと! 何言ってんですか。〈世界樹の枝〉なんて超がつくほどの高級品ですっ!」
下手したら全財産が吹っ飛んでしまう。いや、それでも足りないかもしれない。
ハルが必死の形相で訴えているにもかかわらず、ランバートは涼しい顔だ。
「心配するな。金なんてどうにかなる」
「そんなこと言ったって、旅には資金も必要ですよ」
「素材との出会いは一期一会だ。また手に入るとは限らないぞ」
彼の言いたいことはよくわかる。それでも、旅を安全に続けることの方が大切だ。
「今晩宿に泊まれなくなったら困ります」
「その時はその時だ」
「ご飯も食べられなくなるかもしれないんですよ」
「なんとかなるだろう」
「んもう!」
生涯お金に困らない大富豪でもあるまいし、どうしてここまで頓着しないのだろう。
その時ふと、嫌な予感が頭を過った。
「ねぇ、ランバートさん。もしかして、お金の管理とか苦手な方です?」
「したことがないな」
「はい?」
「なくなれば稼ぐ。それだけだ」
「………………」
ダメだ、これは。
ハルはまたしても片手で顔を覆った。
―――この流れ、前もあったな……
彼がアウトドアに全振りしてきた人間だと判明した時だ。どうりで金銭感覚も常人の域を超えている。
「えーと……」
まずは本来の目的を達成しよう。素材の買いつけはその後だ。
「とりあえず、今日はドロップアイテムを買い取ってもらいましょうか。素材のことはまた後日、あらためて。それと、お金の管理はぼくがやってもいいですか?」
「おまえが? 任せるのは構わないが、面倒なだけだぞ」
「いいんです。ぼく、管理とか大好きなので!」
こうなったらヤケクソだ。恩人が身を持ち崩すところなんて見たくない。
ハルはランバートから残金を預かり、今日の売上とあわせて大事にマジックバッグにしまった。ここに入れておけばなくす心配はないので安心だ。
店の主と話があるというランバートを待つため、ハルは一足先に外に出る。店先のちょっとした階段に腰を下ろし、見るともなしに往来を眺めながら今しがたのやり取りを思い返した。
「ランバートさんって、大らかな人なんだなぁ」
魔道具師として歩きはじめた仲間にいろいろ買ってやりたい、そう思ってくれたことは嬉しい。とはいえ、有り金がすっからかんになっても構わないというのは自分だったら恐ろしいけれど。
彼ほどの冒険者なら魔獣を倒して、ドロップアイテムを売るだけでも暮らしていけるのだろう。森なら食料も調達できるし、街と違って野宿が基本だ。
けれど自分は違う。魔獣なんて怖くて倒せないし、できるならテントより宿屋がいい。
「せめてぼくも、お金だけでも稼げれば……」
ランバートの負担を増やさずに済むし、金銭面から彼を助けることもできるはずだ。そうすればもっといい装備が買える。
だったら、どんな手段が考えられるだろう。討伐はダメ、護衛もダメ、たぶん魔草や薬草採取も向いていない自分にできることと言えば魔道具を作って売るか、あるいは技術者だった頃のように発明を権利化して儲けるぐらいしか……
「それだ!」
勢いよく立ち上がると同時に、ランバートが店から出てきた。
「どうした。大きな声で」
「いいこと思いついたんです。ぼくを特許庁……じゃなくて、えーと、それっぽいところに連れていってほしくて……」
「それっぽい? 何のことだ」
「えーとえーと」
首を傾げるランバートを横目に、ハルは大急ぎで鞄から『魔道具入門』を取り出す。「魔道具とは何か」「魔道具の種類と作り方」のような説明がたくさん載っている参考書だが、後ろの方には「魔道具師になるには」「魔道具の売買」「魔道具の権利化」といった情報も記載されていた。
まさに、今ほしかった情報だ。
それによると、『商人ギルド』というところにメンバー登録をしないといけないらしい。身分を証明してくれるものだ。そこに魔道具を紐付けることで一緒に権利化することができる。
「なるほど、商人ギルドか!」
「ギルド? いったい何をするんだ」
「いいことですよ。善は急げって言うでしょう。早く早く」
不思議そうな顔のランバートをせっつく。
案内されたのは広場の一角に建つ重厚な館だった。珍しい三階建ての大きな建物で、煉瓦造りの壁を覆う蔦が歴史の重みを感じさせる。
飴色の扉を開けると中はいわゆる銀行のようになっていて、手前に椅子、奥にギルドスタッフのいるカウンターがあった。
「冒険者ギルドとはずいぶん雰囲気が違うんだな」
ランバートが驚いたように中を見回す。
「そんなに違うんですか?」
「あっちは血気盛んな荒くれ者が多いからな、依頼掲示板に近づくだけでも一苦労だ。殴り合いもよく起きる。こんなふうに和気藹々としたところは見たことがない」
「そ、そうなんですね……」
一口にギルドと言っても職種によってだいぶ違うようだ。商人ギルドはその名のとおり商売人がメインということもあって落ち着いている。
ハルは受付に行くと、カウンターにいたスタッフの女性に話しかけた。
「こんにちは。魔道具を登録したいんですが、できますか?」
「はい、できますよ。審査が必要になりますが」
「お願いします。それと、ギルド自体がはじめてなので、ぼく自身の登録もお願いします」
「では、こちらに必要事項をご記入ください。登録契約書もお渡ししておきますね」
受け取った用紙に名前や職業などを書いて提出する。それを確認してもらっている間に契約書にザッと目を通した。
魔道具の登録とは、特許のようなものだ。
発明の新規性を権利化することで、模倣品が発見された場合には権利を主張することができる。正式に作りたい人には許可と引き換えに使用料を徴収したり、事業契約を結んだり、権利ごと譲渡して対価を得たりすることも可能になる。契約書にもその旨がきちんと書かれていた。
登録できるのは、この国の成人として認められる十六歳以上。有効期限は登録した日から七年だ。少し短いような気もするけれど、新しい魔道具が次々に生み出されていくことを思えばこれも妥当かもしれない。
「ハルさんのご登録が完了しました。では次に、登録したい魔道具をどうぞ」
スタッフに促され、ハルはいそいそとポットをカウンターに置く。
「〈浄化ポット〉といいます。毒などで汚染された川の水をきれいにすることができます。漏斗とピッチャーをひとつにして、持ち運びに便利なように蓋もつけました。この〈水の魔石〉ひとつで半永久的に使えます」
「まぁ。毒を!」
「なんだって」
「毒を浄化するそうだ」
スタッフの声に、他の職員や、話を聞いていた人たちも周りに集まってきた。よほど珍しかったのか、誰もが興味津々で〈浄化ポット〉を見つめている。
「きみ。きみ。今言ったことは本当かね」
そこへ、ひとりの男性が割り込んできた。金細工飾りが施された杖をつき、立派な身なりをした七十代半ばほどの老爺だ。
「実に興味深い。詳しく聞かせてくれんか。効果の実証実験はどうしたのかね?」
「えぇと、それは森で……あっちの方の……」
「ヴダスの森で六日間使った」
ランバートが助け船を出してくれる。
それを聞いた途端、老人は「なんと!」と目を丸くした。
「あそこは有毒魔獣が出たはずだ。汚染された川の水を飲んだと言うのか」
「そのとおりだ」
「信じられん……魚は死んだ。人間だって、飲めば痺れや吐き気が出ると聞いたが」
「この〈浄化ポット〉が毒水を真水に変えてくれた。嘘じゃない」
ランバートが力強く頷く。
最強と謳われるS級クラスの冒険者は商人ギルドにも顔が利くようで、「あのランバートさんが言うなら本当なんでしょうね」とスタッフたちが話しているのを聞いて、はじめは半信半疑だった老人もハルに縋るような目を向けてきた。
「ものは相談なんだが、これは川の水以外にも使えるだろうか。……実は、私の住む街で井戸水が飲めない状態になってしまっての。困っていたところだったんだよ」
「それは……、お辛いでしょう。井戸水で試したことはまだありませんが、バケツで汲んだ水をポットに移し替えてもらえれば大丈夫だと思います。直接ポットで汲んでも構いません。この中に入りさえすれば、浄化作用が働きますから」
「そいつはありがたい!」
老人は喜びを噛み締めるように天を仰ぐ。
「すまないが、今すぐ複製を作ってもらえないだろうか。もちろん代金は支払う。持って帰って、井戸水が飲めるかどうか確かめたいんだ。問題なければ権利を買い取って私の店で扱いたい」
「え? え?」
「この方はアズーレ商会の商会長、アズーレさんです」
目を白黒させるハルに、スタッフの女性が耳打ちしてくれた。
「どうかね。考えてみてくれんかね」
「とてもありがたいお申し出です。まさか、登録に来てその場で価値を認めてもらえるなんて……でも、権利の買い取りはちょっと考えさせてください」
「どうしてかね」
「ぼくたちは冒険の資金が必要なんです。だから継続的にお金が入る仕組みを作りたくて。権利を売っちゃうと、それっきりになってしまうでしょう?」
「なるほど。それなら、権利の使用料を払うことにしよう。安全な水は生活に欠かせないものだ。〈浄化ポット〉は私の街以外でも売れるだろう。需要がある限りずっと生産し続けることになる。そうすればきみも定期的な収入を得られる。どうだね」
「ありがとうございます、アズーレさん。ぜひ、そうさせてください」
「よし。決まりだ」
アズーレ商会長が、ドン、と杖を打ち鳴らす。
かくして登録審査もその場で行われ、ギルド長をはじめ皆が見守る中、〈浄化ポット〉は無事に登録権利となった。まさに異例のスピードだ。
「おめでとうございます。ハルさん」
スタッフからギルドカードと権利書を手渡される。
「ありがとうございます。わぁ、魔道具師って書いてある……」
ギルドカードが交付されたということは、正式に魔道具師として認められた証だ。
「良かったな、ハル」
「はい。ありがとうございます」
ランバートと顔を見合わせ、喜びを噛み締めたハルは、〈浄化ポット〉を商会長に差し出した。あらためて複製品を作っても良かったのだけど、どうせなら権利化したものを試してもらった方がいいだろうし、手元には改良前の試作品がいくつもある。
「ありがとうよ。とても助かる」
アズーレ商会長はよほど嬉しかったのか、何度も頭を下げながら受け取った。
「それじゃ、急いで帰って井戸水を試してみるとしよう。明日の夕方、もう一度ここに来る。その時にまた細かい話をさせておくれ。それから、いざ作るとなった際は、有事に備えて工場の生産が軌道に乗るまで街に留まっていてほしい。その分の宿泊費はこちらで持つ」
「わかりました。喜んでお手伝いします」
ハルはランバートとともにアズーレ商会長と握手を交わし、ギルド長やスタッフにも挨拶して商人ギルドを後にする。
一歩外に出ると同時に、お互いに顔を見合わせた。
「すごいことになったものだな」
「ぼくもびっくりです。こんなにトントン拍子に進むなんて……」
これで身分は保証されたし、ポットの件がうまく運べば旅の費用も工面できる。その上、しばらくの間は街の滞在も楽しめそうだ。
「ふふふ。ぼく、宿屋に泊まってみたかったんですよねぇ」
「それなら、この先に食堂つきのいい宿がある。街に来た時はいつもそこと決めているんだ」
ランバートの定宿は広場のほど近くにあった。
一階が食堂兼酒場、二階が寝室という造りになっている。
運良くふたり分の空き部屋があったので十日分の支払いを済ませ、各自の部屋に荷物を置くなり意気揚々と一階に下りた。そこではすでに大勢の男たちが楽しそうに酒盛りをしている。
ふたりは店の一番奥のテーブルに陣取ると、木製のビールジョッキを手に向き合った。
「ハルの魔道具師としての出発と、〈浄化ポット〉の権利化を祝して」
「これを弾みに〈カーバンクル〉も見つかりますように。冒険の道中、危険がありませんように。ついでにぼくたちの健康も願って」
「欲張りすぎだ」
苦笑するランバートと「乾杯!」と笑顔でジョッキをぶつけ合う。
この世界に来てはじめてのビールだ。日本にいた頃はお酒を飲む機会が少なかったから違いはよくわからないけれど、苦みもほどほどでとてもおいしい。少し濁りがあって香りも良く、舌触りはトロリとしている。
料理の注文は常連であるランバートに任せた。
店主と顔馴染みの彼は今日のオススメを聞き出すなり、魔獣肉の香草焼きに魔獣肉のパイ包み、魔獣ソーセージと豆の煮込み、魔鳥のマイネル揚げ、魔草のスープなど、次から次へと注文してはハルを驚かせた。
「そ、そんなに食べきれます?」
「問題ないが?」
真顔で返され、彼の食べっぷりを思い出す。
―――そうだ。そうでした。この人は大鍋いっぱいのスープだって平らげる人でした……
そうこうしている間に届いた皿でテーブルが埋まった。湯気を立てるおいしそうな料理を前に、ランバートの目も輝いている。
「さぁ、食おう。どれもマイネルの名物料理だ。気に入ってもらえるといいが」
「すごくおいしそうですね。いただきます」
ハルはスペアリブのような魔獣肉の香草焼きに手を伸ばすと、豪快に手掴みで齧りついた。
「ん!」
一口囓った途端、口の中にじゅわっと肉汁があふれ出す。肉は噛み応えがあってジューシーで、鼻腔を抜ける香草の香りも小気味よく、濃いめの味つけがビールによく合う。
「んん!」
魔獣肉のパイ包みは手のひらほどの大きさで、サクサクのパイをがぶりと噛むと、中には地元のワインで煮込まれた肉がぎっしり詰まっていた。フィリングもさることながら、煮汁が染みて少しふやけたパイがまたおいしい。
「んんん!」
魔獣ソーセージは魔獣の血とミンチを使って作る、マイネル伝統の加工食品だそうだ。煮て良し、焼いて良し、蒸して良しの万能選手で、特に豆と一緒に煮込むとその旨さは倍増する。ホッとするようなやさしい味はいくらでも食べられそうだ。
唐揚げに似た魔鳥のマイネル揚げも、滋味深い魔草のスープも、どれもとてもおいしかった。
「ん~~~最高!」
夢中になっていたところへ、店主がビールのおかわりを運んでくる。
「いい食いっぷりだなぁ、兄ちゃん。ランバートに負けず劣らずだ」
「だってすごくおいしくて! こんなお料理があるんだって感動してたんです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。ランバートの知り合いか?」
肘で小突かれ、ランバートはくすぐったそうに笑った。
「俺の連れ合いだ。ハルという。良くしてやってくれ」
「へぇ、ひとりもんのおまえさんが連れ合いねぇ。よっぽどウマが合ったんだな」
「あぁ」
「そんじゃ、今夜は楽しくやってくれ。酒ならまだまだたくさんある。ハルもな」
「ありがとうございます」
カウンターに戻っていく店主を見送って、注ぎ立てのビールで二度目の乾杯をする。
75
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する
SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
欠陥Ωは孤独なα令息に愛を捧ぐ あなたと過ごした五年間
華抹茶
BL
旧題:あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~
子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。
もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。
だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。
だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。
子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。
アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ
●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。
●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。
●Rシーンには※つけてます。
「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」
星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。
ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。
番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。
あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、
平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。
そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。
――何でいまさら。オメガだった、なんて。
オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。
2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。
どうして、いまさら。
すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。
ハピエン確定です。(全10話)
2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。