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残り香.5
しおりを挟む納品日。
今日、最終チェックしてお渡しする。
私は、この瞬間が好きだ。
今日着てきたYシャツは、教えた通りのサイズ感。こっちの方がきちんとして見える。
気まぐれだった。
スーツとは別にネクタイを渡した。
このスーツ以外のにもそれなりに合うだろう。
プレゼントだ。
「あのー、普段着るスーツもここで作っていいですか?」
あら、顧客獲得です。
甥っ子クン喜べ。君の代になっても通ってくれそうな人だよ。
「ありがとうございます」
「デートして下さい」
なんだ?
「お断りします」
即答だ。
「これ着てるところ見てほしい」
食い下がってくる。
さっき着て貰って、チェックしたじゃん。
本番までに汚しても困るだろう。
以前、着て動いてる姿が見たくて、納品日にデートに誘った子がいたな。
お客さまには手を出さないと決めていたが、お客さまという距離感じゃなくなって、声をかけてしまった。
んーーー、確かにちょっと見てみたいなぁ。
悩み出してしまった。
「レセプションパーティーの後、あのバーに行きます。来て下さい」
脈ありと見たのか、畳み掛けてくる。
隙を見せてしまった。
後か……。
あー、パーティーの後って、雑用係はやる事色々あるんじゃないのか?
「遅くなっても必ず行きますから」
あー、心が読まれてる?
なんだか、流されてるな。
「ーーーー良かったら、貴方を抱きたい」
変わってないな、コイツ。
見たい欲に流されかけていた思考にブレーキがかかる。
「私は抱く方だって言ったよな」
ぼやんとした思考がスーッと冷えて、素の自分がいた。
彼は目を見張って、目を伏せた。
キツイ顔をしてただろうか。
俯き加減の顔が曇っているが、何か考えてるようで……。
「ーーー貴方になら、抱かれてもいい」
きっと顔を上げて、見つめてきた。
キリッとして眩しい。
「はぃい?」
おいおい! あの時も考え直せって言ったよね?
「君は、ネコした事ないだろ? 止めとけ。それに、私とは無い」
はぁー、甥っ子よ、すまぬ。顧客獲得は無理なようだ。
「ネコは……、そうですけど。貴方となら」
「ーーーー申し訳ないのですが、次のご予約の時間が迫っておりますので」
楚々とお辞儀。
「あ、すみません。ーーーバーで待ってます」
バタバタと帰り支度している。
カランランラン……
ドアベルが軽やかに鳴って、去っていった。
やれやれ……。
久々のジントニックを口にしている。
マスター、渋みが増してご健在でなによりです。
久々過ぎて、痺れる感覚が頭まで侵食してくる。
なんて事でしょう。来てしまいました。
「最近飲んでなかったでしょ…」
フレーバーウォーターをカクテル風に出してくれた。
ミントとライムか。
爽やかで、痺れが取れる。
「ありがとうございます」
声を掛けようかと、寄ってくる子はどの子も若い。私の冷めた笑顔が怖いのか、早々に去っていく。
ま、「去れ」と怨念込めて睨んだからな。
「パートナー見つかったのかと思ってましたよ」
珍しくマスターから声がかかる。
「それなら良かったんですけどね。紅茶に目覚めましてね。茶店巡りしてました」
「そして、戻ってきたのは、彼ですか?」
マスターの視線が出入り口に。たぶん彼が来たのだ。
今見たら「待ってました」となってしまう。
待ってたんだけど。いや、来たかっただけで。たまたまで……。
そう! スーツを見に来ただけだ。
横に来た。
ホワイトムスクが香る。
「お待たせしました」
息が上がってる。汗もかいてるのだろう。
「待ってないよ」
跳ねる気持ちを抑えこむ。
横の彼を余裕を持って見遣る。
少し着崩れているが、許容範囲だ。
しっかりフィットしてる。
自然とスーツの襟を撫でていた。肩を、腕を、手が辿る。
ーーーーうん。大丈夫。
自分の作品を愛でる。
あ………!
彼の顔が赤い。
しまった。
スーツに目が行ってしまって、いつものチェックをしてしまった。
「エロいです…」
咳払いして、スーツから手を離してグラスを傾ける。
「すまない。ーーーちょっと夢中になった。自分の作った物が、長時間着られた後のを見られるは、滅多に無いからね。」
「自分の一部みたいでした。動き易かったです」
前のめりに感想を言ってくれてる。素直に嬉しい。
自然と笑みが溢れる。
誤魔化すように、グラスを傾ける。
「マスター、お久しぶりです」
「ですね。ーー何になさいますか?」
そばにまだいたのね。
「清水さん、私のお薦め飲んでくれます?」
「私はこれがあるから、自分で飲め。…あ、謎かけ。…言葉遊びか?」
「はい」
嬉しそうに笑ってる。エクボ。
マスターがそっと離れる。
「アプリコットフィズ」
フレーバーウォーターを飲みながら、考える。
「ーーーカンパリソーダ」
呟いた。
驚いた顔だ。
「そういう関係でいいのなら。付き合ってもいい」
『振り向いて』と恋人にと囁くカクテルに、『ドライな関係』一夜限りの関係は、恋人とは程遠い。
「こういう事は別な子にして上げなさい」
「貴方がいい」
困った。
一途な子が欲しいと思った事もあったが、これは困ったな。
ひと回り近くも離れてるだろう。それにタチ同士…。すでに詰んでる。
クラッシャーの私でも、相手の可能性を潰すような事はしたくない。
他のパートナーが出来る可能性のある男を転向させてまで縛るつもりはない。
今の私には、そんなエネルギーもなくなったと思う。是が非でも寝たいと思わない。
ココにだって、もう来る事もなかったのだから。
「何を飲む? ココはバーだ。マスターも困る」
「そうですね」
マスターを呼ぶ。
彼を見た。
少し考えて「ジントニックを」と言った。
ふぅ…
「飲みたいだけです」
「それならいい」
グラスを重ねる。
「お疲れ様」
「来てくれてありがとうございます」
静かにグラスを傾けた。
店内の騒めきが耳に心地いい。
でも、これで飲み納めだな。
最後のジントニックを飲んで締めよう。
マスターに告げる。
手元のフレーバーウォーターを下げてもらう。
「マスター上手ですね。カクテルかと思ってました」
「飲み納めにするよ。酒は身体に合わなくなったらしい」
相変わらずの美しい手つきでジントニックが出来上がる。
「そんな年じゃないでしょ?」
出されたグラスを眺めて、一口。
「そんな年じゃないと思ったが、久々だからか、よく回る」
キリリとして…ココのコレは好きだ。
「送りますよ」
「ひとりで帰る。送りオオカミになりそうな男には近づかない」
「狙ってるの分かります?」
「若いってエネルギーかね。仕事疲れからか?」
彼が脚を組み替えた。
少々辛そうだ。
「誰か誘ったらどうだ? スーツで魅力増しだよ。私が離れれば、あの辺りが直ぐ来るよ」
ちょっとピッチを上げる。
感覚が戻ってきた感じがする。喉が痺れる。
効くなぁ。やっぱり美味いわ。
「さて、スーツも見れたし、私は帰るか」
マスターに合図を送る。
あのルーティン。
財布を仕舞って、スツールを降りる。
おっと…
脇をすり抜けようとしてよろけた。
支えられた。
逞しい腕。
「もう大丈夫。カナエくんは楽しんで」
敢えてそこを強調して、外に出た。
追ってこない。立てないのかもな。
雑踏をBGMに帰路についた。
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