テーラーのあれこれ

アキノナツ

文字の大きさ
上 下
8 / 15

残り香.8

しおりを挟む

納品前のチェック。

今回は微調整が入るかもと言ってある。
初めての試みをしてみた。

無言でチェック。
やはり肩の部分が上手くいってない。
まだまだだな。
リュックで負担がかかる事を考慮して内側に工夫してみたのだが、やり過ぎか。

「肩の部分ですか?」
どうしてわかった?
「この前作って貰った感じより肩の感じが違うんで」
色々見てくれてるのか。嬉しいね。

「リュックをお使いなので、負担をどうにか出来ないかと思ったんですが。やり直します」
仕事モードで接客中。
上着を脱がそうと手を添える。

「ちょっと待ってください」
ふいっと鏡の前から荷物のところへ移動する。自由人が!
リュックを背負う。

「おー、なんか違う」
下ろす。
そんな訳あるかぁー。

荷物を置くと、戻って、鏡を見てる。
「崩れてませんよ」
1度目だからね。
あー、ダル。

「回数を重ねていけば、ボロが出る。直すから脱いでくれないか」
背負ってすぐ分かる訳がないのだ。
イライラする。

仕事モード解除ッ。

なんとか励まそうとしてくれてる気はする。
無用な気遣いだ。

「清水さん、怒ってますよね」
上着を大人しく脱ぎながら、おずおずと前を向いたまま言葉を紡いでいる。

ああ、怒ってますともッ。

「その話は、しないで頂けますか?」
『これっきり』と言ったのを忘れたのか。
相も変わらず、ズカズカと。
仕事の話以外はするな。

「今しなかったら、いつしたらいいんですか?」
「永遠にするな」
「はぁあ?」
「カンパリソーダと言ったのはそっちだ。一度だ。それだけだ」
「一度だけですよ。今度は、僕のターンって事で、口説いてます」

こちらを向いて、まっすぐ目を見てくる。

真っ直ぐなヤツだ。

ーーー絆されるな。

「私には無理だ。お前は……凄いよ」

正直な感想を口にする。
上着の裏を確認して、メモをカルテに記す。

「天国ってただの比喩だと思ってましたけど、ホントでした。清水さんって凄いです」

何を褒められてるんだか。
相手の反応を見て気持ちのいい事をしてるだけだ。グズグズに蕩けさせる事をしただけ。

それでも引き止められず、みんな、去っていったんだよ。

「清水さんは、味わった事ないんでしょ?」
何を言ってるのか。

「気持ち良さなら、私も良かったが」
蕩ける相手を見る事で私は満たされる。

背を向けて、片付けを始めた。
上着を作業中の中に戻し、カルテを仕舞う。

背中が温かくなった。
香苗とはほぼ身長は変わらない。
彼の方が筋肉質でがっしりしてて、胸板が厚いだけだ。
なのに、背中から抱き付かれてると、すっぽり包まれてるように感じる。

「清水さんは寂しそうだ」
そう言えば、初めて会った時も言われたな。

「私は、日々充実している。寂しさなんて感じた事はないが?」
胸の前にある腕をポンポンと叩いた。

「バーでも、仕事してても、セックスしてても、寂しそう……」

眉間に皺がよる。
なんだそれ?

「酒は美味い。テーラーは天職だと思ってる。セックスは気持ち良かった。満たされてる。何も寂しい要素はない。全て充実してる。……ま、酒もセックスも辞めたがな」

皺を刻んだまま、言い募る。
胸の前にある腕をポンポンと叩き続けている。一向に離してくれる様子がない。

「なんか足らないって顔してる」
益々、分からない。
私は自分が満たされてると話してる。そう自覚してるのに、この男は、一体何を言ってるのか…。

「もういい加減離してくれないか?」
訳が分からない。

「このポンポンって叩き方、離して欲しい感じがしない。あっち行けって言ってた顔はここに居てって顔してた」

嗚呼、そうかもしれないな。みんな行ってしまうから。
でも、お前じゃない。

「そうだとしても……、お前じゃない」
スッと腕が解かれて、背中が寒くなる。

「直しが出来たら、連絡下さい」
静かな声だ。振り向けなかった。

カランランラン……
ドアベルが鳴っている。

香苗が出てった。

私は、その場に蹲っていた。

帰っただけだ。出てったんじゃない…。

よいしょっと立ち上がると、頬を叩いた。
気合いを入れねば。




納得がいく出来だ。
納品となった。

今の季節ものの注文が1着追加注文となった。
そう言えば、パターンオーダーからイージーオーダーに変更してるのは気づいてるのだろうか。
終わりがなかなか来ないな。

来る度に口説いてくる。
もうお定まりのパターンと化していた。

もうこれも愉しみになってるのかもしれない。

「いい加減笑ってないで、ウンって言って下さいよ」

「言ったら、私は食われるんだろ? 嫌だね」
カラカラと笑った。

片付けをする。
普通はお客さまが帰ってからの作業だが、香苗がなかなか帰らないので、仕方なくこうなっている。

「他を当たらないのかい?」
ふとそんな事を考えた。

「清水さん、下の名前教えて下さい」
はぐらかされた。

「………」
言いたくない。どうしたものか。

「お店の名刺、店主の名前書いてないですよ」
ワザと、だ。

それから来る度に、口説かれ、名前も訊かれた。

名前は教えてもいいか。面倒臭くなってきた。
「笑うなよ。あと、古臭いとかも無しだ」
取り敢えず、釘を刺した。

コクコクと頷いてる。片手も上げて何かに誓ってる。

「……コウタロウ。幸せに、太いに、朗らか」

掌に言われるまま指を動かしてる。

「コウさん…なんか違うな…。あー、タロさん。今度からは仕事以外では、タロさんて呼びますね」
ニッコリ。

きゅんとした。

???

したよ? きゅんって。

ナニコレ?!

「古臭いだろ? タロウだよ? 昔話かよって感じだろ?」
なんだか笑われないのが、変な感じがして、慌てて、同意して欲しくて言っていた。

「タロさんぽいです。好きですよ」
キュン…。

「もう帰れ!」
顔が熱い。

奥に引っ込んだ。
トタトタと追っかけてきた。

死角になってる小部屋に入って鍵を締めた。

「タロさん?」
私が消えて驚いているようだ。
少し頭を冷やしてから出ていこう。

「帰りますね」
作業場で声がする。
私が何処かにいると確信しいるのだろう。

ドアベルが鳴って、出ていった。

鍵を開けて、小部屋を出る。

片付けを再開する。

「タロさん…」
呟く。
フッと自然に笑みが溢れた。
胸が温かい。




納品すると、追加が入る。
そろそろ次の季節ものを作ろうと思ってたので、それを告げると、そのあとの注文となった。

また終わりが遠くなった。

「ヤるかヤらないは別にして、付き合いませんか?」
「付き合った先は食われるんだろ? 嫌だよ」
生地束を片づける。次の次に作る物の生地を決めた。
切れ間がない。

食われてもいいとは言わない香苗くん。
一度きりはホントらしい。
あの身体を組み敷くのは、気分が良かったな。

「タロさん、デートしたい。健全なデート」

ん? 健全なとな。吹き出してた。

「健全? どんな?」
笑いが止まらまい。

「えーと、映画とか美術館とかショッピング?」
「どれも興味がない」
「タロさんの今の趣味って何?」
カルテを棚に仕舞う。

茶店サテン巡り。紅茶と適度な騒がしさを探してる」

今は香苗くんとの騒がしさが心地いい。

「お茶しに行きましょう。紅茶の美味しい喫茶店探します」

「この辺りのは、もう殆ど巡ったが」
「被ってもいいじゃないですか。僕とは初めてなんだから」

ーーーそれもそうか。

「分かった」


しおりを挟む

処理中です...