解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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 月が冴え冴えと輝く夜。賑わうパーティ会場から一歩外へ出ると、静寂に包まれた中庭がある。
 そこで小さな悲鳴が起こった。
 生け垣の陰にいるのはパーティを抜け出してきた若い男女だ。男が令嬢のか細い腕を掴み上げている。
「は、離してくださいっ」
「嫌がるフリだろ? 下手な芝居はやめろよ」
 男は語気を強めたが、突然動きを止めた。
 回廊の方から足音が聞こえたのだ。
「あ、誰か……」
「黙れっ」
 令嬢は口を塞がれた勢いで生け垣にぶつかった。ごまかしようのない音が立ち、男は唇を歪めて舌打ちをする。
 足音の主――子爵令嬢ベルタ・ティトルーズはすぐに二人を見つけた。淡い金茶色の髪をなびかせて姿を現すと、青く澄みきった瞳を真っ直ぐに男へ向ける。
「何をしているの?」
 男は表情を歪めて答えなかった。ベルタはさらに近づき、令嬢を押さえたままの手を叩きのける。
「悲鳴が聞こえたわ。ただの逢瀬とは思えないわね」
「だから俺が悪いと? そもそもこの女の方から誘ってきたんだぞ!」
「だからといって乱暴をしていいはずがないでしょう」
 男はベルタを睨むが、意思の強い瞳で見つめ返すと、うろたえて視線を外した。
「ちっ。つまらない女どもめ……!」
 どすどすと恐ろしい足取りで男が去っていく。その姿が見えなくなり、令嬢は息をついてベルタの方を向いた。
「ありがとうございます。あなたがいなかったら今頃……」
「いいのよ。でも良かった、偶然通りかかったところだったの」
「本当に助かりました。話しているうちに勘違いをされてしまったみたいで、どうすればいいか分からなくて……。私、もう父のところに戻ります」
「それがいいわね」
 令嬢は最後にベルタに頭を下げた。細い背中がパーティ会場へ駆け戻ってゆくのを見送り、安堵のため息をつく。
(思いがけず人を救ってしまったわ)
 ささやかな興奮で顔が熱い。ベルタは頬を両手で挟み、充足感に微笑んだ。

 王国貴族の邸宅で毎日のように開かれる社交パーティは、年頃の貴族子女にとって恋愛や婚姻の相手を見繕う絶好の機会だ。
 十八歳のベルタも両親の勧めで結婚相手を探している真っ最中だ。開かれるパーティにはできるだけ参加し、自分を覚えてもらえるよう努力を重ねている。
 だが今のところ、ベルタに縁談が訪れるきざしはない。決して地味ではないのだが、少々正義感の強い性格が親しみにくい印象を与えてしまい、恋人を求める男性たちを遠ざけてしまっているのだ。
 両親はそんなベルタを心配し始めているが、当の本人はパーティ自体を楽しむことに夢中なのだった。

 今宵も月よりまばゆいシャンデリアの下で華麗なる子女たちが踊る。
 今回の会場は大きなパーティホールだ。広い踊り場をいくつものテーブルが取り囲んでおり、軽食や酒、菓子がお喋りを弾ませている。
 楽隊が曲を演奏し終わり、ベルタはダンスの相手と一緒にテーブルの一つに着いた。既に友人たちがそこで待っている。パーティの度に顔を合わせているうちに紳士淑女の隔たりなく話すようになった面々だ。
「上手でしたよベルタ。ステップが上達してきたみたいですね」
「見ていらっしゃったの? 練習したかいがあったわ」
 手渡されたグラスを皆と掲げる。一口飲むと、甘い果実酒が乾いていた喉にしみるようだ。
「ねぇ聞きまして? あそこのお二人は恋人同士なんですって」
 おやまぁ、と皆が一斉に興味を示す。
「そんなふうには見えませんわ。笑顔のひとつもありませんわよ」
「周りに気づかれたくないんじゃないかな? 君、いったい誰からその話を?」
「私はあの方からよ。ほら、あそこの青いドレスの……」
 楽隊が次の曲を奏で始める。音色に耳を傾けていると、一人の使用人がテーブルへ近づいてきてベルタに耳打ちした。
「ザカリー・デュラフォワ様がお庭でお待ちです」
 ベルタは目をまたたく。
「確かにわたしへの伝言なの?」
「ベルタ・ティトルーズ様へ、と」
「……分かったわ」
 使用人が去ると、ベルタは皆へ尋ねた。
「誰か、ザカリー・デュラフォワって方をご存知?」
 それを聞き、何人かがかすかに表情を曇らせた。
「呼び出されましたの?」
「ええ。でも覚えがないの」
「ならやめたほうがいいんじゃないかしら。その方、よい噂を聞かないわ」
 同調して皆が頷く。だが、ベルタは一同の心配そうな表情を見回して立ち上がった。
「それならなおさら行ってくるわ。噂だけで恐れていては失礼だもの」
 皆は驚いてベルタを見上げる。
「そうか……君らしいね」
「でも本当に気をつけてね」
「ご心配をありがとう。では、また後で」
 ベルタは皆に一礼をしてホールを出た。
(ザカリー……もしかしてあの人かしら?)
 友人たちの忠告を全く気にかけていないわけではない。
 頭に数日前のパーティで起こった出来事が浮かんだ。中庭で一人の男性が令嬢へ強引に迫っていたので、自分が割って入ったのだ。
 彼は問い詰められても悪びれることなく、むしろ悪態をついて去っていった。あの様子からして良くない性質を持っていそうだ。
(でも、もしあの人でも……そうと決めつけてはいけないわね)
 いちど呼吸すると、夜の空気が冷静さを思い出させてくれた。
 広い庭園へ足を踏み入れる。ザカリーと思われる人影はすぐに見つかった。トピアリーの間を通り抜けた先にある噴水の前でこちらへ背を向けて待っている。
「ごきげんよう、ザカリー様」
 男性はおもむろに振り返った。やはり、見覚えのある姿だ。だが彼は以前とは違い、いかにも紳士的な笑顔を浮かべた。
「ごきげんよう、ベルタ様。突然お呼び立てしてしまって申し訳ないね」
「お会いするのは二度目ね。どんなご用でしょうか」
「ああ、実はこの間のことのお詫びをしたくてね」
「お詫び……ですか」
 その言葉を完全には信じきれないのはザカリーの笑顔に含みがあるせいだろう。それにずっと、後ろ手に何かを隠している。
 ベルタの視線に気づき、ザカリーはその手を見せた。
「これかい? これはお詫びの品だよ。ほら」
 差し出されたのは美しく包まれた一輪の黒薔薇だ。むせ返りそうな強い香りが漂い、ベルタは少し距離を取る。
「ありがとうございます。でもお花を受け取れるほどのことはしていないわ」
「そんな冷たいこと言わずに。俺はあの時ひどい男だった。そして君は正しかった。そのことに気づいた証拠にこれを貰ってほしいんだ」
「でも……」
 ベルタはもう一度目の前の薔薇を見た。月光や庭園を彩るライトの光を少しも映さない、どす黒い薔薇――何か不吉な予感がする。
 なかなか手を出せないでいるとザカリーは唇を歪めた。そして突然距離を詰め、薔薇の細い包みをベルタの開いている胸元へ乱暴に差し込んだ。
「きゃあっ……!」
 咄嗟に胸をかばって後ずさる。ザカリーがせせら笑った。
「へぇ。少しは女らしくもできるんだな」
「な、なんてこと……お詫びだと言ったじゃない!」
「お詫びはお詫びさ。そっちは忠告だ。男との付き合い方が少しは身につくようにな」
「なっ……」
 ベルタは震えた。羞恥と怒りで全身が燃えるように熱いが、頭は氷水を浴びせられたように冷静だった。
「あなたは……最低の恥知らずよ」
 言い捨てて踵を返した。
 熱い目頭から涙が滲む。それを手の甲で拭いながら走り、植え込みの陰にしゃがみこんだ。
 胸の間に差し込まれたままの薔薇を引き抜くと、いつの間に握りしめていたのか、少し茎が曲がっている。
 捨ててしまおう。そう思い手を振り上げたが、それ以上はできなかった。
(……だめよ。この薔薇に罪はないもの)
 不気味な黒薔薇だが見事な大輪だ。丹精込めて育てられたに違いない。こんな扱われ方をされた挙げ句枯れ果てるのは哀れだ。
 ベルタはもう一度目元を拭って立ち上がった。
 友人たちには悪いが、今日はもう帰ろう。そしてこの薔薇に水をあげなければ。
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