解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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 鏡台に映る自分の顔は少し疲れている。
「はぁ……」
 ベルタは髪を梳りながら鏡の中を眺めた。自分の背後には天蓋付きのベッドがあり、その脇のテーブルには黒薔薇が一輪挿しに生けられている。
 数時間前、ベルタがパーティの最中に両親へ帰りたいと頼むと、両親は娘が花を貰っていることに気づき、たいそう喜んだ。帰路の馬車の中で花をくれた相手について何度も尋ねられたが、ベルタは何も答えなかった。
 幸い両親は可愛い恋心から沈黙しているのだと思ってくれたようだ。誤解をそのままにしておくことに罪悪感はあるが、本当のことを打ち明けるなんて、とてもじゃないができそうにない。
 再びため息をつき、力なくブラシを置いてベッドに入った。
 部屋の明かりを落とすといつもと同じ夜の静寂が訪れる。眠りを迎え入れるため、呼吸を整えながら瞼を閉じた。

 気づけばベルタは暖かく狭い場所にいた。不明瞭にしか見えないが、天井が低い空間だ。体は起こせても立ち上がることはできそうにない。
(夢……)
 夢の中でベルタはベッドの上で横になっていた。
 さらり、と肌の上を布が滑っていく。寝衣の気持ちいい肌触りだ。風がいたずらするように、生地は何度も肌の上を滑る。
 誰かがいる、と感じた。姿は見えないが、誰かが自分の寝衣に手で触れている。
 その手が生地を大きく引っ張る。するすると寝衣が脱がされ、一糸まとわぬ肌がさらされていく。
「……!」
 ベルタは飛び起きた。
 そこは自分の部屋で、暖かなベッドの中だ。もちろん服もちゃんと着ている。
「夢……」
 力なくつぶやき、再び枕に顔を埋めた。

 朝、侍女に起こされたベルタは恥ずかしさに頬を染めた。
(なんだか、いやらしい夢だったわ……)
 ベルタはまだ恋を知らない。男性と手を繋いだことすらない乙女だ。だが男女の物事はいつか経験することだからと、既に一通りの知識は教えられている。
 その知識を元に男性との付き合いを思い描いてみたことは人並みにはある。しかし、今朝の夢は自分の想像とは違い、妙な現実感があった。
 夢は自分の記憶からしか生まれないと聞く。だからあんな感覚を夢見ることはないはず、なのに。
「お嬢様、どこか具合がよろしくないのですか?」
 侍女が鏡越しに声を掛ける。ベルタは我に返った。
「いいえ。大丈夫よ」
 慌てて答えると侍女は微笑んだ。その視線が鏡の中の黒薔薇を一瞥する。
 どうやら恋煩いだと思われているようだ。
 誤解がどんどん広がっているが今は耐えるべきだろう。本当のことさえ黙っていれば、いつかほとぼりも冷めるだろうから。

 だが、夢は終わらなかった。
 次の夢の中でもベルタはベッドに寝ていた。そして誰かに寝衣をいとも簡単に脱がされてしまう。その日は続きがあった。
 肌の上を布とは違うものが触る――手だ。誰かの手がベルタを撫で回す。
 最初は意味のない動きだった。それが段々と首筋や腕や胸、太腿に集中していく。ぞわぞわとした感覚が強まり、手の数が増える。一本、もう一本と増えていく。
 そこで初めて、自分の肢体が何人もの目にさらされていることを知る。
(そんな……)
 手たちは体を好き勝手にもてあそんだ。唇を撫で、耳を擦り、脇に指を入れる。指をつまんだり、足をくすぐったり、腰の下に入り込んだり……。
 次の日も夢を見た。
 手は寝衣を脱がさなかった。布の上から胸ばかりを揉みしだき続ける。
(なに、これ……?)
 くすぐったさとは違う初めての感覚がする。ぞくぞくと痺れるような刺激だ。
 何かが自分の体に起きている。
 恐ろしく思ったベルタは夢に抗おうとした。
 眠らずに夜を過ごしたり、夢も見ないほど深く眠るために睡眠薬を飲んだりした。見る夢を操る方法というものを試しもした。
 だが夢を止めることはできなかった。
 恐怖を抱えながら数日が経ち、夢は過激になっていた。
 ベルタは全身をなぶられていた。たった一週間前まで初心だったのに、もう暴かれていない場所はない。乳首も、花芯も、より深い場所も、幻の手の愛撫を受けている。
 夢で味わう感覚は日を追うごとに鋭くなっている。今や現実と錯覚しそうなほどだ。
 それなのに、ベルタは自分の体を全く動かせない。
(だめ……だめっ!)
 必死に首を横に振ろうとしても、現実の体がわずかに動くだけだ。半ば覚醒している意識が弱々しい衣擦れと苦しげな呼吸を聞く。
 ベルタの抵抗を面白がっているのか、手が両脚を大きく開く。中心に再び突き立てられた指がくちゅくちゅと音が立つほどの抜き差しをする。悔しい、恥ずかしい。自分でも触れたことのない場所なのに、まるで遊ばれている。
 どこからともなく手が増えて尻を揉みしだく。両手と思しき二つの手はつかんだ尻を左右に開くと、そこに潜む窄まりに触れた。
(いやっ……お尻、に……!)
 考えもつかない場所を探られて驚くベルタを嘲笑うように、指がめりめりと食い込んでいく。卑怯なことに非現実的な甘美の感覚が襲い来た。
「いや……いやぁ」
 しこった乳首と花芯を責め立てられ、蜜を掻き出されながら、新たな快楽に後押しされて絶頂へ昇った。
「やぁ、あぁぁぁ……!」
 自分の甘い声で目を覚ます。
 脚の間がぐっしょりと濡れており、じんじんと余韻で疼いている。
(わたし、夢で……?)
 気だるい体を起こしてみるが、真っ暗な部屋に他人の気配はない。確かに自分は一人だったのだ。
 ぶるりと肩が震える。汗だくの体を抱きしめてベッドに縮こまった。
(こんなの……おかしい。おかしくなってしまう)
 自分のことが怖い。
 涙は夜明けまで止まらなかった。

 泣き腫らした目元は冷やして治めたが、疲労と寝不足はごまかしようがない。ふらふらと朝食の席に着くと、両親はすぐにベルタの顔色の悪さに気づいた。
「どうしたのベルタ。よく眠れなかった?」
「……いえ。遅くまで本を読んでいたの」
「そうなの?」
 母は納得していない様子だった。
「最近元気ないじゃない。一週間前まではあんなに出かけていたのに」
「今は家にいる方が楽しいの。大丈夫よ」
「薔薇のお方はいいの?」
 背中に嫌な汗が滲んだ。
「……考えたんだけど、わたしとは合わない人だと思うの」
「そう。それなら言うことはないわ。でもあまり選り好みしてもいけないわよ」
「そうだぞ、ベルタ」
 父が厳格な声色で言う。
「おまえももう十八歳だ。そろそろ結婚相手を決めないといけない」
「……分かっているわ」
「なら、この父が相手を決めてしまうことも考えておきなさい」
 そう言うと、父は懐から封筒を取り出す。
「昨日、おまえに縁談が来た。デュラフォワ男爵からだ」
「え……!?」
 思わず耳を疑った。
「デュラフォワ、男爵……?」
「そうだ。パーティで見かけたおまえを是非息子のザカリーの妻に、とのことだ。うちとしても縁を結ぶのに申し分のない相手だと思っている。デュラフォワ家は家族全員が実業家で景気も良いしな」
 ベルタは言葉を失った。父はいっそう厳格な顔で言う。
「そういうことだから、いつまでも遊んでいてはいけないぞ」
「……は、い」
 反射的に返事をしたが、頭の中は真っ白だった。
(ザカリー……どうしてこんなことを?)
 友人たちの言葉が蘇る――やめたほうがいい。よい噂を聞かない。本当に気をつけて。
 皆は彼の本性に気づいていたのだ。自分は甘かった。
(でも、あの薔薇だけは真心だったはず)
 部屋に飾られている黒薔薇を思い出す。毎日手入れしてもらっているお陰で今朝も瑞々しいままだった。
 そこまで考えて違和感に気づいた。
 薔薇だ。あの薔薇をもらった日から全てがおかしくなったのだ。
「……お父様、お母様。わたし、今朝はこれで失礼します」
「あら、全然食べてないじゃない」
 青白い顔に微笑みを浮かべ、ベルタは逃げるように部屋へ戻った。
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