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白い廊下をリフトの方へ戻りながらコルトがため息をつく。
「いやぁ、それにしてもあの伯爵がご結婚なさるなんてなぁ。それも可愛らしい人と。私らと同じ種類の人だと思ってたんだけどなぁ」
どういう意味だろうと首を傾げる。コルトが続けた。
「ほら、若くしてご隠居みたいにお暮らしだったわけじゃないですか。で、一人だから勉強の時間もたくさんあって。しかもお金があるからこんな施設まで作っちゃって。ね!」
ベルタにはピンとこなかった。
コルトは取り繕うように言う。
「えっと、今日はレーヌ製薬研究所にお越しいただいてありがとうございました」
「こちらこそ。お邪魔したわ」
「とんでもない、楽しかったです。伯爵によろしくお伝え下さい。ところでお帰りの際なんですが……」
コルトはリフトではなく、その隣を指さした。
「そこの階段を上るしかないんですよ」
ベルタは目を見開いた。
「え? どうして?」
「リフトは構造上、下がる専用なんです」
初耳だ。ベルタは階段を見上げた。四角い渦が幾重にも折り重なって果てしなく続いている。
「実はここは崖の足元にあるんですよ。だから、街から城に上がるために登る坂があるじゃないですか、それと同じ高さを上るわけです」
「……気が滅入るわね」
「頑張ってください!」
コルトに見送られ、ベルタは階段を上り始めた。
こんなことになると知っていたら細身のスカートなんか履かなかっただろう。
数個目の踊り場に上がったところで息を整える。ついでにスカートを手繰り上げた。
「今日中に、帰れるかしら……」
思わず弱音が溢れる。我ながら洒落にならないので歩みを再開した。
しばらくすると、自分以外の足音が聞こえてくることに気づいた。
上からだ。リフトがあるのにわざわざ階段を使っているのだ。
「……アウリス?」
上へ向かって呼びかけると、足音が止んだ。
「ベルタ」
手すりから身を乗り出して見上げると、遠くでアウリスがこちらを見下ろしていた。
「迎えに来たぞ」
「あれで下りてこないの?」
「苦手でな。君はどうだった?」
「わたしは……少しびっくりしたわ。少しね」
「そうか」
アウリスは笑って顔を引っ込めた。
再び足音が聞こえてくる。ベルタも一歩一歩上った。
「……あなたのやっていることは立派ね」
靴音とともに声が響く。
「研究所も考えていたよりずっと大きかったし、皆熱心だったわ」
「なかなかの善人だろう、私は」
「そうね。あれだけの施設を作って人や物を集めるなんて、同じことができる人はなかなかいないと思うわ」
一度立ち止まり、ベルタは息をつく。
「一つだけ聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「昨日のお客には何か売ったの?」
靴音が止む。
「心配しなくても、そっちの客は滅多に来るものじゃない」
「本当に?」
「本当だ。昨日のは医者だった。慈善的な方の仕事の話だったよ」
ベルタはしばし考え、再び脚を動かし始めた。
二つの足音が近づき合う。
「心配いらない、と言いたいところだが、はっきり言って私の出資がなければあの事業は成り立たないだろう。正直、錬金術師に金の錬成でもさせようかと思ったことが何度かある」
「それって罪に問われると思うわ」
「心配ない。話を持ちかけたら金の錬成方法はまだ確立されていないと言われた」
ならいいけど、とベルタは口の中で呟く。
頭上で足音がして顔をあげる。アウリスが目前の踊り場へ姿を現した。
「私も聞いていいか」
「なに?」
「どうして君は魔法を解くことを急ぐのだ?」
ベルタは段の途中で足を止めた。
「私が薔薇をあげれば君は必ず平穏な夜を過ごせる。それでいいとは思わないのか?」
確かにそうかもしれない、とベルタは思う。
ここへ来たのはそもそもザカリーとの結婚から逃れるためだった。解呪を口実にして家から逃げ出したのだ。
だからアウリスと結婚してザカリーを遠ざけた今、言われたとおり焦る必要はないのかもしれない。
だが、ベルタは首を横に振った。
「薔薇は有限だし、呪いがかかったままだなんて怖いもの。それに、今日思ったの。解呪はあなたのためでもあるって」
「……私?」
アウリスが驚く。
「呪いのことを自分の責任だ、ってあなたは言ったけど、責任を背負い続けるなんて辛いことよ。それも結婚してまでなんて……」
最初は、恐ろしい魔法を売るなんて罪深い人だと思っていた。責任を取りたいと言われても、当然のことだとどこかで感じていた。
だが、今はそうじゃない。
この人は『魔術卿』であるだけではない。優しい心を持った一人のひとなのだと知っている。
「だからわたしはあなたのことも解放したいの。わたしのことで重荷を感じてほしくないのよ。将来、わたしと結婚したことを後悔してほしくないから」
ベルタは顔を上げる。
「それに、魔法を売ったお金でこんな立派なことをしていると知ってしまったんだもの。余計にそう思うわ」
アウリスは苦笑の吐息をもらす。
「罪滅ぼしのつもりなのかもしれないぞ」
「それならそれでもいいわ。あなたが無情な人ではないなら、それで」
「……ベルタ」
差し伸べた手を取って踊り場へ上がる。明かりの下、アウリスは切なく微笑んでいた。
「変な話になるが……聞いてくれるか」
「ええ」
アウリスはためらいがちに口を開いた。
「私はずっと……ずっと一人だった。だから君が結婚してほしいと言った時、半分信じていなかった。孤独に慣れすぎて現実味を感じられなかったのだ。君のことも信じられなくて、どうせ一時の気の迷いだったとか言って式の前になって逃げ出すだろうと思っていた。だが……迷っていたのは誰でもなく私だったのだ。一番信じられないのは自分のことだったのだ」
美しい瞳が感情に揺れる。
「正直に言って、今もそうだ。もしかしたら全て幻で、君も本当はここにはいないのかもしれない、と……」
ベルタは白皙の頬へ片手を伸ばし、つねった。
ぽかんとアウリスが呆ける。
「は……」
「幻じゃないわ」
もう一方の手でもつねる。端整な顔も形無しだ。
「これが幻だったら許さないんだから」
「ベルタ、いたい」
手を離すとアウリスはニヤけた。
ベルタは眉を寄せる。
「どうして笑ってるの」
「痛かった」
「……変な人」
呆れて呟くと抱き寄せられた。
「私が君との結婚を後悔することなど、死んでもないだろうな」
晴れ晴れとそう言われ驚きに目を瞠る。
次いで照れくさくなり、目の前の体を押しのけた。
「なら……もう行きましょう」
「そうだな。先は長い」
すっかりいつもの調子に戻ったアウリスを通り越してベルタは先を行く。だが足取りは重かった。
「押してあげよう」
「い、いいわ別に……っ」
腰に手があてがわれる。ベルタは後ろを睨んだ。
「変なところ触らないでっ」
「まだ触っていないが」
「まだって何!」
「今はまだ見るだけだ」
視線があからさまに下りる。お尻だ。意識すると肌をじりじりと焦がされているような気分になる。
「素敵な服だな」
「っもう!」
やけくそ気味に階段を上った。
しばらくこのスカートは履かないだろう。
「いやぁ、それにしてもあの伯爵がご結婚なさるなんてなぁ。それも可愛らしい人と。私らと同じ種類の人だと思ってたんだけどなぁ」
どういう意味だろうと首を傾げる。コルトが続けた。
「ほら、若くしてご隠居みたいにお暮らしだったわけじゃないですか。で、一人だから勉強の時間もたくさんあって。しかもお金があるからこんな施設まで作っちゃって。ね!」
ベルタにはピンとこなかった。
コルトは取り繕うように言う。
「えっと、今日はレーヌ製薬研究所にお越しいただいてありがとうございました」
「こちらこそ。お邪魔したわ」
「とんでもない、楽しかったです。伯爵によろしくお伝え下さい。ところでお帰りの際なんですが……」
コルトはリフトではなく、その隣を指さした。
「そこの階段を上るしかないんですよ」
ベルタは目を見開いた。
「え? どうして?」
「リフトは構造上、下がる専用なんです」
初耳だ。ベルタは階段を見上げた。四角い渦が幾重にも折り重なって果てしなく続いている。
「実はここは崖の足元にあるんですよ。だから、街から城に上がるために登る坂があるじゃないですか、それと同じ高さを上るわけです」
「……気が滅入るわね」
「頑張ってください!」
コルトに見送られ、ベルタは階段を上り始めた。
こんなことになると知っていたら細身のスカートなんか履かなかっただろう。
数個目の踊り場に上がったところで息を整える。ついでにスカートを手繰り上げた。
「今日中に、帰れるかしら……」
思わず弱音が溢れる。我ながら洒落にならないので歩みを再開した。
しばらくすると、自分以外の足音が聞こえてくることに気づいた。
上からだ。リフトがあるのにわざわざ階段を使っているのだ。
「……アウリス?」
上へ向かって呼びかけると、足音が止んだ。
「ベルタ」
手すりから身を乗り出して見上げると、遠くでアウリスがこちらを見下ろしていた。
「迎えに来たぞ」
「あれで下りてこないの?」
「苦手でな。君はどうだった?」
「わたしは……少しびっくりしたわ。少しね」
「そうか」
アウリスは笑って顔を引っ込めた。
再び足音が聞こえてくる。ベルタも一歩一歩上った。
「……あなたのやっていることは立派ね」
靴音とともに声が響く。
「研究所も考えていたよりずっと大きかったし、皆熱心だったわ」
「なかなかの善人だろう、私は」
「そうね。あれだけの施設を作って人や物を集めるなんて、同じことができる人はなかなかいないと思うわ」
一度立ち止まり、ベルタは息をつく。
「一つだけ聞きたいことがあるの」
「何だ?」
「昨日のお客には何か売ったの?」
靴音が止む。
「心配しなくても、そっちの客は滅多に来るものじゃない」
「本当に?」
「本当だ。昨日のは医者だった。慈善的な方の仕事の話だったよ」
ベルタはしばし考え、再び脚を動かし始めた。
二つの足音が近づき合う。
「心配いらない、と言いたいところだが、はっきり言って私の出資がなければあの事業は成り立たないだろう。正直、錬金術師に金の錬成でもさせようかと思ったことが何度かある」
「それって罪に問われると思うわ」
「心配ない。話を持ちかけたら金の錬成方法はまだ確立されていないと言われた」
ならいいけど、とベルタは口の中で呟く。
頭上で足音がして顔をあげる。アウリスが目前の踊り場へ姿を現した。
「私も聞いていいか」
「なに?」
「どうして君は魔法を解くことを急ぐのだ?」
ベルタは段の途中で足を止めた。
「私が薔薇をあげれば君は必ず平穏な夜を過ごせる。それでいいとは思わないのか?」
確かにそうかもしれない、とベルタは思う。
ここへ来たのはそもそもザカリーとの結婚から逃れるためだった。解呪を口実にして家から逃げ出したのだ。
だからアウリスと結婚してザカリーを遠ざけた今、言われたとおり焦る必要はないのかもしれない。
だが、ベルタは首を横に振った。
「薔薇は有限だし、呪いがかかったままだなんて怖いもの。それに、今日思ったの。解呪はあなたのためでもあるって」
「……私?」
アウリスが驚く。
「呪いのことを自分の責任だ、ってあなたは言ったけど、責任を背負い続けるなんて辛いことよ。それも結婚してまでなんて……」
最初は、恐ろしい魔法を売るなんて罪深い人だと思っていた。責任を取りたいと言われても、当然のことだとどこかで感じていた。
だが、今はそうじゃない。
この人は『魔術卿』であるだけではない。優しい心を持った一人のひとなのだと知っている。
「だからわたしはあなたのことも解放したいの。わたしのことで重荷を感じてほしくないのよ。将来、わたしと結婚したことを後悔してほしくないから」
ベルタは顔を上げる。
「それに、魔法を売ったお金でこんな立派なことをしていると知ってしまったんだもの。余計にそう思うわ」
アウリスは苦笑の吐息をもらす。
「罪滅ぼしのつもりなのかもしれないぞ」
「それならそれでもいいわ。あなたが無情な人ではないなら、それで」
「……ベルタ」
差し伸べた手を取って踊り場へ上がる。明かりの下、アウリスは切なく微笑んでいた。
「変な話になるが……聞いてくれるか」
「ええ」
アウリスはためらいがちに口を開いた。
「私はずっと……ずっと一人だった。だから君が結婚してほしいと言った時、半分信じていなかった。孤独に慣れすぎて現実味を感じられなかったのだ。君のことも信じられなくて、どうせ一時の気の迷いだったとか言って式の前になって逃げ出すだろうと思っていた。だが……迷っていたのは誰でもなく私だったのだ。一番信じられないのは自分のことだったのだ」
美しい瞳が感情に揺れる。
「正直に言って、今もそうだ。もしかしたら全て幻で、君も本当はここにはいないのかもしれない、と……」
ベルタは白皙の頬へ片手を伸ばし、つねった。
ぽかんとアウリスが呆ける。
「は……」
「幻じゃないわ」
もう一方の手でもつねる。端整な顔も形無しだ。
「これが幻だったら許さないんだから」
「ベルタ、いたい」
手を離すとアウリスはニヤけた。
ベルタは眉を寄せる。
「どうして笑ってるの」
「痛かった」
「……変な人」
呆れて呟くと抱き寄せられた。
「私が君との結婚を後悔することなど、死んでもないだろうな」
晴れ晴れとそう言われ驚きに目を瞠る。
次いで照れくさくなり、目の前の体を押しのけた。
「なら……もう行きましょう」
「そうだな。先は長い」
すっかりいつもの調子に戻ったアウリスを通り越してベルタは先を行く。だが足取りは重かった。
「押してあげよう」
「い、いいわ別に……っ」
腰に手があてがわれる。ベルタは後ろを睨んだ。
「変なところ触らないでっ」
「まだ触っていないが」
「まだって何!」
「今はまだ見るだけだ」
視線があからさまに下りる。お尻だ。意識すると肌をじりじりと焦がされているような気分になる。
「素敵な服だな」
「っもう!」
やけくそ気味に階段を上った。
しばらくこのスカートは履かないだろう。
応援ありがとうございます!
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