解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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「だ、だから……街を見に行きたいのよ……」
 目の前のケープにしがみつきながらベルタは必死に言った。
 アウリスが耳元で囁く。
「また勉強か。なかなか体力があるのだな」
「お陰さま、で、よく眠れてるから、……やっ!」
 指先に力を込められ飛び上がる。
 もう限界だ。
「お……終わり! もう良いでしょ!」
 腕を突っ張ってアウリスを引き剥がすと、両手をわきわき動かすのを見せつけられた。
「物足りないのだが」
 ベルタは顔が燃える思いでお尻をかばった。今の今まで撫でまくられていた場所を。
「知らないわっ。それで出かけてもいいの、悪いの!?」
「構わないが、一人で行くのか?」
「ええ。あなたが一緒に来てくれないかと思ってたけど、ここに来たら気が変わったわ」
「……怒っているのか?」
 寂しげな目で問われる。ベルタは一瞬詰まった。
「怒っては、ないけど」
「そうか」
 ころっと笑顔になるのを見てようやく少し怒りが湧く。
「一緒に行きたい気は山々なのだが、あいにくやることがあるのだ」
「そう……分かったわ」
「だが一人きりは駄目だ。共を選ぶから連れて行ってくれ」
 そんな暇な人間がこの城にいるとは思えなかったが、これは城主の判断だ。
「そうするわ。じゃあ、準備してくるわね」
「ああ。行っておいで」
 アウリスは微笑んでベルタを見送った。

 先日の研究所見学の後、ベルタはロシュメールについて勉強し始めた。アウリスが暮らす街を知ればアウリスを理解することに繋がると考えたのだ。
 始めてみると学ぶことは多かった。人口や産業、気候や食文化。なにせ遠い土地から来たので基本的なことすら知らないのだ。
 だが、文字を追うだけでは足りないことの方が多い。閉じこもってばかりで見聞が広がることなどないのだ。
 そういうわけでベルタは街を散歩することにしたのだった。

「……よし」
 リボン飾りのついた帽子を被り鏡を覗く。
 そこには軽やかなドレスに身を包んだ淑女がいる。歩くことを考えてスカートは少し短めを選んだ。
 ノックが聞こえ、ベルタは振り返る。
「どうぞ」
「し、失礼します」
 聞いたことのない声だ。ドアを開けたのはエプロン姿の少女だった。
 歳はベルタよりいくつか下に見える。いかにも緊張した様子だ。
「あなたが一緒に来てくれるの?」
 優しく声を掛けると、少女はぎこちなく頷いた。
「はい、お出かけにお供させていただきます、ルイーズと申します」
「ルイーズね。今日はよろしく」
「はい。あ、あの、鞄をお持ちします」
「ありがとう」
 小さな鞄を預けると、ルイーズはそれを大事そうに両手で握った。
 きっと誰かの共をするなど初めてのことなのだろう。侍女というよりは妹のような感じがする。
「行きましょう」
 ベルタはルイーズを誘うように部屋を出た。

 よく晴れた気持ちのいい昼だ。古城の前の坂道を下りながら、ベルタは海からの穏やかな風で胸をいっぱいに満たす。
 坂の上からは街が眺められる。少し古風な赤い屋根の家並みは都市とはまた違う趣があった。
「ルイーズはこの街のことは詳しい?」
「え、えっと、多分……。生まれてからずっとこの街にいますので」
「そうなの。じゃあ今日は色々教えてちょうだいね。わたし、皆の暮らしを知りたいのよ」
「暮らし、ですか?」
「そう。皆が豊かに暮らせているかどうかとか、どんなお店があるのかとかね。まずはどこを見たらいいかしら?」
 ルイーズはまだ遠い街を眺めながら考える。
「市場に行ったら、お店がいっぱいあります。食料品は皆そこで買うし、布屋さんもあります」
「なら、そこへ行きましょう」
 坂道は相変わらず荒れている。いつかここを整備することを提案してみよう、とベルタは心に書きとめた。
 木々の間から住宅地へ出た。前回ここを通った時は暗かったため分からなかったが、城の入り口周辺とあってこの辺の家は大きいものが多い。ただ、家臣の住まいとして利用されていたのは昔のことだろう。今の城には臣下などはいない。
 家並みを抜けた先が広場だ。
 城下の賑わいは華やかだった。露店が並び、人々が商品を売り買いする声が絶えない。街を見回る衛兵の横を子どもが無邪気に走っている。
「まぁ、やっぱりベルタ様よ」
 誰かが声を上げたのをきっかけに人々の注目が集まる。坂を下りてくる姿を見られていたのだろう。ベルタははにかんだ。
「ごきげんよう、皆さん」
「ご機嫌麗しゅう存じます。今日はお出かけですか?」
「ええ。まだこの街を見て回ったことがなかったから、散歩に来たの」
「でしたら今日はちょうどいいですね。いいお日和になって」
「そうね」
 露店の多くは食材を売っていた。海が近いので一番多く売られているのは新鮮な魚介だ。野菜も採れるが、果物は近隣の土地から買い付けられている。森で狩れる動物の肉も少しある。
 食材の他には生地がある。ロシュメールは昔から機織りが盛んな土地らしい。街には小さいが昔から続く工場があり、仕立て屋はそこと提携して高級服を売っている。
「奥様、新しいドレスをお作りになりません?」
 色とりどりの布地を見ていると、店主の女性が話しかけてきた。
 ベルタは困り笑いをして答える。
「どうかしら」
「結婚式のドレスはお作りにならなかったでしょう。もちろん、あのドレスでもお美しかったですけれど、きっと伯爵は奥様だけのドレス姿をお望みだったんじゃないですか?」
 商魂たくましい人につかまってしまったようだ。ベルタが困り笑いを浮かべていると、脇からさらに人がやってきた。
「そうよ、せっかくの美男美女なのだから新しい衣装くらい用意すればよろしかったのに!」
「そんな時間はなかったのよ」
「つまり結婚はつい最近決まったってことですか?」
「ええ……そうね」
 まぁー、といつの間にか集まっていた人々が騒ぎ立てる。
「どんなふうに出会われたのかしら」
「伯爵も隅に置けないわねぇ」
「しかもあんなに若くてお美しくて!」
「自分が恥ずかしいわよ。醜男だなんて噂して」
 ベルタは首を傾げた。一人の女性が取り繕う。
「いえ、ね。みんな伯爵の姿を見たのはこの間の結婚式が初めてなんですよ。それで舞い上がっちゃって」
「初めて……?」
「伯爵は城からお出にならない方ですから、誰も姿を見たことがなかったんです」
「そうなの?」
 大人しく隣に控えるルイーズを振り返る。こくこく頷き返された。
(外が嫌いなのかしら)
 なぜだろうかと考えてみれば、あの色素の薄い肌だ。日光に弱いのかもしれない。
「それで、爵位を賜ってもう三年になるのにどうしてかしらって思うでしょう。そしたら誰かが『二目と見られない醜男だからじゃないか』って……」
「ベルタ様、どうか笑い話だと思ってくださいませね」
 言われるまでもなくベルタは笑った。
「帰ったら話してみるわ」
「勘弁してくださいな」
 広場を出ると店舗の立ち並ぶ商店通りが続く。加工食品や値の張る品物はこの通りで売られているようだ。パン屋が焼き立ての香りをあたりに漂わせていた。
「ルイーズ。手芸用品を売ってるお店を知ってる?」
「はい。あっちの方にあります」
 ベルタは色んな店先を覗きながらルイーズが指した方へ向かった。仕立て屋と薬屋の前を通りかかると礼を受けた。
 手芸用品店は品揃えに富んでいた。ベルタはそこでかぎ針と細い毛糸を買った。
「何を作るんですか?」
 店を出るとルイーズが尋ねる。
「作れるほどじゃないわ。練習するの。母がやっていたからわたしもやろうと思って」
 母はレース編みが趣味で、家のいたるところに作品を置いていた。ベルタは少し教えてもらったが長続きしなかった経歴がある。
 それをもういちどやってみようと思ったのは、なんとなくのことだった。あえて言うなら、いつも身の回りで目にしていたものがなくて落ち着かないからかもしれない。
「……さて、帰る前におやつでも食べましょうか」
「え、い、いいんですか」
「皆には秘密よ」
 ルイーズは嬉しそうに笑った。
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