鵲が運ぶ、名もなき声

ぜろの

文字の大きさ
2 / 4
1章

名もなき噂1-1

しおりを挟む
淡い金色の光が、障子の隙間から静かに差し込んでくる。
朝の気配は、昨日とは少し違う空気の温度で目覚めを告げる。

蓮羽れんうは布団の中でまどろみながら、遠くで聞こえる鳥の鳴き声に耳を傾けた。
どこかの誰かの声が、風に乗って流れてきたような、そんな感覚。

「……もう朝か。」

ふっと短く息を吐き、布団を蹴飛ばして起き上がる。
冷えた床板の感触が足裏に心地よく、眠気を一瞬で吹き飛ばしてくれる。

窓を開けると、澄んだ空が広がっていた。
雲は薄く、まるで水鏡に浮かぶ模様のように、ゆるやかに漂っている。

「晴れてるな。今日もいい日になりそうだ。」

肩に止まっていたかささぎ型の式神、烏鵲うじゃくが小さく「カァ」と鳴いた。
まるで蓮羽の独り言に相槌を打つかのように、気怠げな一声。

蓮羽は微笑みながら、指先で烏鵲の頭を軽くつついた。

襖を開けて廊下を歩くと、香ばしい香りが鼻先をくすぐった。
母の耀菜ようなが、台所で何やら鍋をかき混ぜている音が聞こえる。

「おはよう、母さん。」

「おはよう、蓮羽。ちゃんと顔、洗った?」

耀菜は振り返ることなく、軽やかな声で返してくる。
鉄鍋の中からは、温かな湯気とともに出汁の香りがふわりと立ち上っていた。

蓮羽は小さく苦笑しながら、手早く顔を洗い、食卓へ向かう。
すでに父の蓮誠れんせいが静かに座っており、黙々と湯呑みの茶をすすっている。
その横で兄の蓮耀れんようが帳簿を広げ、真剣な表情で何かを書き込んでいた。

「兄さん、朝から真面目すぎない?」

蓮羽の言葉に、蓮耀は小さく目線だけを動かして苦笑する。
「商いは朝が勝負だろ。」

「ま、自分は頭を使う前に腹を満たしたいけど。」

蓮羽が座ると、耀菜が湯気の立つ味噌汁と炊き立ての米、焼き魚、漬物を並べた。
その手際の良さは、まるで鍛冶場で刃物を鍛える職人のような無駄のない動きだった。

「今日の味噌は、少しだけ特別な麹を使ってみたのよ。」

「ふーん、違いがわかるかな。」

蓮羽は湯気をふっと吹いてから、一口すすった。
塩気と甘味が絶妙に調和し、口の中に広がる優しい味わい。

「……うまい。」

素直な感想に、耀菜は満足げに頷いた。

「そりゃ良かった。」

蓮誠は静かにご飯を口に運びながらも、家族の会話を静かに聞いている。
無口だが、その眼差しはどこか温かい。

烏鵲は蓮羽の肩から食卓を覗き込んでいたが、耀菜に軽く睨まれると、しぶしぶ畳の上に降りた。

「うじゃくにはまだ早いわよ。」

蓮羽はクスクス笑いながら、残りのご飯をかき込んだ。

食事を終えると、蓮羽は立ち上がり、肩に烏鵲を乗せる。
「今日の集合場所、いつもの広場でいいかな。」

烏鵲は小さく羽を広げ、蓮羽の符にふわりと触れる。
その瞬間、指先から淡い光の波紋が広がり、情報が式神のネットワークを通じて流れていった。
身支度を済ませ、鞄の中身を確認し蓮羽は家から飛び出していった。


少し離れた市場の通り、樹良きらは朝の喧騒の中を歩いていた。
乾いた土の匂いと、新しい果物の甘い香りが入り混じる通り。
彼の肩には狸型の式神霧丸がちょこんと乗っており、蓮羽のメッセージを受信すると小さく身震いした。

「お、蓮羽からか。」

樹良は符を指先で軽く弾き、式神に命じる。

「朔夜に伝えてくれ。集合は広場で、遅れるなってさ。」

狸型の式神はコクリと頷くように小さく身を揺らし、次の瞬間、空気に溶け込むように姿を消した。
霧丸はステルス機能を持つ、人混みの中でも誰にも気づかれずに情報を届けることができる。

貴族街の静かな屋敷。
朝の光が紙障子を淡く照らし、微かな埃が舞う静寂の空間。

朔夜は机に伏せて眠っていた。
ふと、窓辺に現れた狸型の式神が静かに震える。

「……また、蓮羽たちか。」

淡々と呟き、符に触れて情報を確認する。
家には厳しい規律があるものの、両親は朔夜の交友関係に干渉しない主義だった。
式神が家の警戒網をすり抜けてきたことも、気づかれていないふりをされている。

朔夜は静かに立ち上がり、窓の外を一瞥する。

「広場か……どうせ蓮羽が、また何か余計なことを嗅ぎつけたんだろう。」

そう呟くと、身支度を始め広場に向かう準備を始めた。

広場には蓮羽はすでに到着していた。
空を見上げ、肩には烏鵲が気ままに羽繕いをしている。

「遅いな、樹良も朔夜も……」

その時、狸型の式神が小走りで蓮羽の前に現れた。
足元でピタリと止まり、尻尾をピンと立てて軽く跳ねる。

「お、もうすぐ来るってことだな。」

少しして、樹良が到着した。
そして、遅れて朔夜も静かに姿を現す。

「朔夜、来たか!」
蓮羽が手を振ると、朔夜は無言で軽く頷いた。

樹良がふざけたように肩をすくめる。
「蓮羽がまた面白い噂を拾ってきたらしいぞ。」

蓮羽はニヤリと笑い、烏鵲の頭を軽く叩いた。
「同じメッセージが何度も届く現象、興味ないか?」

朔夜は一瞬だけ目を細め、静かに呟いた。
「……繰り返される情報。普通なら、あり得ない現象だな。」

樹良はわざとらしく肩を竦めて笑う。
それでも、誰もその噂を軽んじていない。

朝の光が街角を淡く照らす中、蓮羽、朔夜、樹良は啓明舎へ向かって歩いていた。
石畳の道を踏みしめるたび、霧丸は蓮羽の足元をくるくると駆け回り、烏鵲は蓮羽の肩の上で羽繕いをしている。

「結局、同じメッセージが何度も届くってのはどういうことなんだろうな。」
蓮羽がポツリと呟く。

樹良はポケットに手を突っ込みながら気だるそうに返す。
「式神への指示ミスか、誰かの悪ふざけだろ。ほら、うちの霧丸みたいに勝手気ままなやつもいるしな。」

霧丸はその言葉に耳をピクリと動かし、不満そうに蓮羽を見上げる。

「でも、普通は一度で止まるはずなんだよ。同じメッセージが繰り返されるなんて、どこかおかしい。」

朔夜が静かに口を開く。
「それが意図的なら、もっと気味が悪いな。何かを隠すためのカモフラージュかもしれない。」

「カモフラージュ……なるほどな。」
蓮羽は眉をひそめ、思案顔を浮かべる。

ふと、樹良が思い出したように言う。
「そういえば、別の話だけどさ朧って名前を最近聞かないか?」

蓮羽と朔夜が同時に樹良を見た。
「朧?」

「うん。なんか、元は陰院にいたやつで、今は行方不明だとか。あちこちで噂になってるんだよ。何をしたのかは知らないけど。」

蓮羽は心の中でその名前を反芻する。
(朧……何か関係があるのか? いや、メッセージの件とは別か。でも気になる名前だな。)

朔夜は特に反応せず、視線を前に戻した。
「噂は噂だ。蓮羽は繰り返されるメッセージのほうが気なってるはずだ。そっちから考えよう」

啓明舎に到着すると、蓮羽たちは席に着いた。
今日の授業は歴史。教壇には教師の篠森 葉月が立ち、講義が始まった。

「みんな、知っているとは思うが八尋国が形成された初期、式神の使役は限られた者だけの特権だった。
特に情報の伝達は、碑《いしぶみ》と呼ばれる石の装置を通じて行われていた。」

蓮羽は授業に集中しているふりをしつつ、心の中では噂話のことが頭から離れなかった。
(碑……。今の水鏡や式神が普及する前は、そんなものを使っていたのか。もしかしたら、同じメッセージが繰り返される現象も古い仕組みと関係がある?)

葉月の声が教室に響く。
「碑の技術はやがて衰退し、式神と水鏡が普及することで、より迅速で正確な情報伝達が可能になった。しかし、古い碑の中には未だに稼働しているものがあるという記録も残っている。」

蓮羽はハッとした。
(もし、古い碑が何かしらの形で今も動いていたら……それが原因でメッセージが繰り返されている可能性も?)

そんな思考の隙間に、ふと視線が隣の席へと向かう。そこには、綾芽が静かに座っていた。

綾芽あやめは、静かに佇む空気を纏った少女だった。
淡い色の着物の袖から覗く指先は細く繊細で、いつも何かしらの書物を手にしている。
家は書物を扱う商いをしており、古文書から最新の巻物まで幅広く取り揃えていることで知られている。
その影響もあってか、彼女は物事を冷静に観察する癖があった。

言葉数は少ないが、必要な場面では鋭い意見を迷いなく口にする。
蓮羽はその知識の深さに一目置いており、何かを調べる時は自然と彼女を頼るようになっていた。

授業が終わると、蓮羽はすぐに立ち上がり、綾芽の元へ向かった。
「綾芽、ちょっといい?」

綾芽は机に広げた書物から顔を上げ、面倒くさそうに蓮羽を見た。
「また変な噂話? それとも宿題の代筆?」



「違うって!」蓮羽は苦笑しながら言う。
「同じメッセージが繰り返し届く現象について調べたいんだ。古い碑とか、式神の伝達異常について記録されてる本、知らないか?」

綾芽は少し考え込み、指で本の角をトントンと叩いた。
「うーん……確か、**『伝霊記《でんれいき》』**って書物に、古い情報伝達システムの不具合について書かれてたはず。」

「伝霊記?」

「そう。古代の碑や式神の通信網に関する文献。今の水鏡とは違う、もっと原始的な仕組みが記されてる。家の店にあると思うから、放課後に見に来なよ。」

蓮羽はぱっと顔を輝かせた。
「助かる!ありがとう、綾芽!」

綾芽は小さくため息をつき、微かに笑った。
「まったく、騒がしい人ね。でも、こういうの嫌いじゃないわ。」

蓮羽は綾芽に感謝しながら、再び心の中でパズルのピースを組み立て始めた。
同じメッセージが繰り返される現象、空き家の式神、そして朧の噂。
それぞれは別々の話かもしれない。
それでも、どこかで線が繋がる気がしてならなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。

雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。 その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。 *相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜

ソニエッタ
ファンタジー
森のはずれで花屋を営むオルガ。 草花を咲かせる不思議な力《エルバの手》を使い、今日ものんびり畑をたがやす。 そんな彼女のもとに、ある日突然やってきた帝国騎士団。 「皇子が呪いにかけられた。魔法が効かない」 は? それ、なんでウチに言いに来る? 天然で楽天的、敬語が使えない花屋の娘が、“咲かせる力”で事件を解決していく ―異世界・草花ファンタジー

処理中です...