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第二章
恭の脱ひきこもり作戦 寺町商店街編 1
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「認めんぞ!」
「いや、あの……師匠……」
困惑の表情を浮かべた恭は、黒い着物をまとった初老の男性と向かい合い、畳の和室に座している。開け放たれた窓の向こうでは、中庭の新緑が朝日に映えていて雅な雰囲気だ。――彼らがいるのは伝統的な京町家の「離れ」であった。
師匠こと、安倍昌鸞は語気を強めて、閉じた扇子の先を荒々しく恭の方に向ける。
「いいか! お前みたいなやつにうちの娘はやれん!」
「いや……俺たち、そもそも付き合ってないですし……」
「ふん! しょっちゅう会っておいて何を今更。そうやって草食系男子を装って、娘とお近づきになろうという魂胆だな! 私の目は誤魔化せんぞ!」
「違います! 娘さんが俺のことを心配してくれているだけで、お互いそんなつもりは毛頭ありません!」
「そんな言葉は信用できん! 私はお前を長年教えてきたからこそ、はっきりと分かる。お前は娘に相応しい男ではない!」
「うぐ。まあ、それは確かにそうでしょうけれど……」
恭は心の中で嘆息した。やはり予想通りの展開だ。こうなることが分かっていたから、師匠と会うのは気が進まなかったのである。
恭が昌鸞から陰陽道の手ほどきを受けたのは、高校に入ってから一昨年までの約五年間であった。
安倍家は恭の実家の近所だったため、それまでもよく遊びに来ていたが、正式に弟子になってからは毎日のように通って陰陽の技術を学んでいたのである。
陰陽師としての才能に溢れていた恭は、たちまち昌鸞と並ぶ腕になった。
しかし、これはあくまで陰陽道の実力に限っての話である。知っての通り、彼の問題は別のところにあった。
恭は昔から、高すぎる霊能力のせいで社会生活に支障をきたしていたのだ。そして、その弱点は就職活動中に完全に露呈した。
恭は精神のバランスを崩し、半ひきこもり状態に。それから何とか大学は卒業できたものの、就職できないまま現在に至るのである。
「陰陽の道は険しく、足を滑らせて脱落するものは珍しくない」
昌鸞の説教は続く。
「それについて、お前を責めるつもりはない。しかし、お前が娘とねんごろになっているのを見逃すわけにはいかん。いいか。うちは由緒正しい陰陽の家系なのだ」
――ちぇっ。そんなこと言われても……。恭はうつむいて不貞腐れた表情になった。
京都の歴史と伝統は素晴らしいが、こういう慣習やしがらみは本当に煩わしい。大体、今日は師匠に叱られに来たわけじゃないのだ。
「あの! 師匠!」
ええい、どうにでもなれ! と勢いに任せて、恭は顔を上げた。
「俺、動物妖怪専門の陰陽師になります! 京都陰陽師組合に紹介してください!」
「何ぃ!?」
――昌鸞が仰天したことは言うまでもない。
*
……恭と昌鸞の面談が終わったのは、それから一時間以上が経ってからであった。
「ありがとうございました。失礼します」
恭はさっさと逃げ出したい気持ちを抑えて慇懃に礼をしてから、そっと玄関を出て引き戸を閉じ、胸をなでおろした。
やれやれ。とりあえず説得には成功――といったところかな。
安倍家に面した路地を歩き始めながら、ポケットから携帯端末を取り出し、画面に目を落とす。時刻は十一時三十分。
昼前に終わって良かった。あまり遅くなると、美鵺子に怒られてしまう。
『――動物妖怪専門などという条件付きで実績が積めるとは思わんが、少しでも娘に見合う男になれるよう努力しろ』
昌鸞の言葉が脳裏によみがえり、恭は苦笑した。
あんなことを言われた直後に美鵺子に会うなんて、師匠は夢にも思わないだろうな……。
そう。実は、美鵺子こそ、安倍家の一人娘その人なのであった。
美鵺子は恭の一つ下で、まだ恭の出身大学に通っている。留年した与一と同じ学年だ。昌鸞は大学入学を機に家を出た娘のことが気がかりで仕方がないのである。
しかし、美鵺子が一人暮らしを始めたのは、実家のしきたりに縛られるのが嫌だったからだということを、恭は知っている。
要するに、恭と美鵺子は一筋縄ではいかない関係に身を置いているのであった。
「今日は寺町商店街で買い物か……。休日だし、さぞかし人が多いんだろうなあ」
恭は携帯端末に受信した美鵺子からのメッセージを見返し、憂鬱そうに呟く。
美鵺子は新しい服を調達したいらしく、恭と一緒に店を回りたいとのことだった。
だが、実際の誘い文句はそんなに素直なものではなく、あくまで恭がひきこもりを克服するのに美鵺子が協力するという書き方であった。何とも生意気な言いぐさである。
しかし、それでも許せてしまうのは、その言葉が方便に過ぎないことが分かっているからだろう。彼らはお互いに、「単なる幼馴染の関係」から抜け出さないよう気を付けている節があるのだ。
全く……。なんだかんだで、俺はいっつも美鵺子に付き合わされてるんだよなあ。
恭は携帯端末をポケットに仕舞い、路地の出口の角に置かれた一抱えもある石をつま先でこつんと蹴った。
これは通称「いけず石」と呼ばれ、京都の街ではよく見かける。一説には、車が家屋を傷つけるのを防いでいるらしい。
ふと思った。
……もし、何の障害もなければ、俺たちは恋仲になっていたのだろうか?
「いや」
一瞬浮かんだ考えを振り払い、恭は苦笑する。
「俺と美鵺子に限ってそんなことはねーか。どちらかというと兄妹みたいなもんだしな……」
「いや、あの……師匠……」
困惑の表情を浮かべた恭は、黒い着物をまとった初老の男性と向かい合い、畳の和室に座している。開け放たれた窓の向こうでは、中庭の新緑が朝日に映えていて雅な雰囲気だ。――彼らがいるのは伝統的な京町家の「離れ」であった。
師匠こと、安倍昌鸞は語気を強めて、閉じた扇子の先を荒々しく恭の方に向ける。
「いいか! お前みたいなやつにうちの娘はやれん!」
「いや……俺たち、そもそも付き合ってないですし……」
「ふん! しょっちゅう会っておいて何を今更。そうやって草食系男子を装って、娘とお近づきになろうという魂胆だな! 私の目は誤魔化せんぞ!」
「違います! 娘さんが俺のことを心配してくれているだけで、お互いそんなつもりは毛頭ありません!」
「そんな言葉は信用できん! 私はお前を長年教えてきたからこそ、はっきりと分かる。お前は娘に相応しい男ではない!」
「うぐ。まあ、それは確かにそうでしょうけれど……」
恭は心の中で嘆息した。やはり予想通りの展開だ。こうなることが分かっていたから、師匠と会うのは気が進まなかったのである。
恭が昌鸞から陰陽道の手ほどきを受けたのは、高校に入ってから一昨年までの約五年間であった。
安倍家は恭の実家の近所だったため、それまでもよく遊びに来ていたが、正式に弟子になってからは毎日のように通って陰陽の技術を学んでいたのである。
陰陽師としての才能に溢れていた恭は、たちまち昌鸞と並ぶ腕になった。
しかし、これはあくまで陰陽道の実力に限っての話である。知っての通り、彼の問題は別のところにあった。
恭は昔から、高すぎる霊能力のせいで社会生活に支障をきたしていたのだ。そして、その弱点は就職活動中に完全に露呈した。
恭は精神のバランスを崩し、半ひきこもり状態に。それから何とか大学は卒業できたものの、就職できないまま現在に至るのである。
「陰陽の道は険しく、足を滑らせて脱落するものは珍しくない」
昌鸞の説教は続く。
「それについて、お前を責めるつもりはない。しかし、お前が娘とねんごろになっているのを見逃すわけにはいかん。いいか。うちは由緒正しい陰陽の家系なのだ」
――ちぇっ。そんなこと言われても……。恭はうつむいて不貞腐れた表情になった。
京都の歴史と伝統は素晴らしいが、こういう慣習やしがらみは本当に煩わしい。大体、今日は師匠に叱られに来たわけじゃないのだ。
「あの! 師匠!」
ええい、どうにでもなれ! と勢いに任せて、恭は顔を上げた。
「俺、動物妖怪専門の陰陽師になります! 京都陰陽師組合に紹介してください!」
「何ぃ!?」
――昌鸞が仰天したことは言うまでもない。
*
……恭と昌鸞の面談が終わったのは、それから一時間以上が経ってからであった。
「ありがとうございました。失礼します」
恭はさっさと逃げ出したい気持ちを抑えて慇懃に礼をしてから、そっと玄関を出て引き戸を閉じ、胸をなでおろした。
やれやれ。とりあえず説得には成功――といったところかな。
安倍家に面した路地を歩き始めながら、ポケットから携帯端末を取り出し、画面に目を落とす。時刻は十一時三十分。
昼前に終わって良かった。あまり遅くなると、美鵺子に怒られてしまう。
『――動物妖怪専門などという条件付きで実績が積めるとは思わんが、少しでも娘に見合う男になれるよう努力しろ』
昌鸞の言葉が脳裏によみがえり、恭は苦笑した。
あんなことを言われた直後に美鵺子に会うなんて、師匠は夢にも思わないだろうな……。
そう。実は、美鵺子こそ、安倍家の一人娘その人なのであった。
美鵺子は恭の一つ下で、まだ恭の出身大学に通っている。留年した与一と同じ学年だ。昌鸞は大学入学を機に家を出た娘のことが気がかりで仕方がないのである。
しかし、美鵺子が一人暮らしを始めたのは、実家のしきたりに縛られるのが嫌だったからだということを、恭は知っている。
要するに、恭と美鵺子は一筋縄ではいかない関係に身を置いているのであった。
「今日は寺町商店街で買い物か……。休日だし、さぞかし人が多いんだろうなあ」
恭は携帯端末に受信した美鵺子からのメッセージを見返し、憂鬱そうに呟く。
美鵺子は新しい服を調達したいらしく、恭と一緒に店を回りたいとのことだった。
だが、実際の誘い文句はそんなに素直なものではなく、あくまで恭がひきこもりを克服するのに美鵺子が協力するという書き方であった。何とも生意気な言いぐさである。
しかし、それでも許せてしまうのは、その言葉が方便に過ぎないことが分かっているからだろう。彼らはお互いに、「単なる幼馴染の関係」から抜け出さないよう気を付けている節があるのだ。
全く……。なんだかんだで、俺はいっつも美鵺子に付き合わされてるんだよなあ。
恭は携帯端末をポケットに仕舞い、路地の出口の角に置かれた一抱えもある石をつま先でこつんと蹴った。
これは通称「いけず石」と呼ばれ、京都の街ではよく見かける。一説には、車が家屋を傷つけるのを防いでいるらしい。
ふと思った。
……もし、何の障害もなければ、俺たちは恋仲になっていたのだろうか?
「いや」
一瞬浮かんだ考えを振り払い、恭は苦笑する。
「俺と美鵺子に限ってそんなことはねーか。どちらかというと兄妹みたいなもんだしな……」
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