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第三章
霊猿の怪 1
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「おーい。恭さーん。生きてるー?」
どんどん
と、扉を叩く音とともに、与一の声が聞こえる。
ああ……。またあいつか……。
恭は鉛のように重たい瞼をこじ開けると、もぞもぞと布団の中で寝がえりを打った。枕もとの携帯端末を拾い上げる。画面に表示された時刻は午後一時三十分。
「おーい。六月になっても五月病が治らねえのかー? 前の報酬を渡しに来たんだよ。開けやがれー。なんで金を払いに来た俺が借金取りみたいになってるんだよ」
今度はチャイムがけたたましく繰り返し鳴らされた。
恭は眉間に皺を寄せて体を起こすと、側頭部に手を当てながらふらふらと立ち上がる。頼りない足取りで玄関に向かった。
「もしもーし。何回メッセージを送っても全然返さねえし――いや、待てよ。まさか恭、本当に力尽きて……」
「うるせえ。勝手に殺すな」
内側から扉を押し開けた。
「良かった。生きてた」
扉の外の与一はほっとした表情で苦笑いを浮かべる。傘を傘立てに突っ込み、遠慮なく部屋に上がり込んできた。
「こんな時間まで寝てたのかよ」
与一はすぐさま乱れた布団に目を留めて眉根を寄せる。
「ああ……。どうにも疲れが取れなくてね」
「虚弱体質にも程があるだろ」
与一は呆れ顔になった。しかし、恭は言い返す元気もないらしく、無表情でこめかみを揉むばかりである。与一はため息をついた。
「あらましは大学で美鵺子ちゃんから聞いたよ。謎の陰陽師に絡まれて体調を崩したんだって?」
喋りながら勝手に冷蔵庫を開ける。
「うわ。食材ほとんど入ってねーし。お前、こんなんでよく生き延びられたな?」
「……たまに美鵺子が来て食料を差し入れてくれてたんだよ」
「美鵺子ちゃんが? あの子、本当に恭を甘やかしてるよなあ……。ちぇっ」
「だからそんなんじゃねえって。あいつは俺を寺町に連れ出したことに責任を感じてるんだろ」
恭は面倒くさそうに返すと、布団の上に腰を下ろして胡坐を組んだ。与一は冷蔵庫を閉め、机の前の椅子に座って恭に向かい合う。
「ほら。前に妖狐を祓った分の報酬だよ」
与一はポケットから茶封筒を取り出して言った。
「サンキュー。机の上に置いといてくれ……」
恭の声には覇気がない。与一は少し苛立った表情を浮かべると、突然手を打ち鳴らして声を張り上げた。
「こら! いい加減にシャキッとしろ! やっちまえ、小鬼!」
たちまち小鬼が与一の肩の上に姿を現し、恭の顔面目掛けて躍りかかる。
「うわっ! やめろ! 痛くはないけど微妙に気持ち悪い!」
恭は両手を顔の前でバタバタと動かしたが、空をかくばかりで当然手ごたえはない。
「ほーら。やっぱり動けるじゃねーか。お前の不調は気持ちの問題だろ」
「うるせえ。心が不健康だと、体も不健康になるんだよ!」
恭が言い返しながら両手で印を結んで息を吹きかけると、小鬼は風に飛ばされるように宙を舞い、与一の手元に戻った。
恭はうんざりした様子で乱れた前髪を整え、ぶつぶつと続ける。
「はあ……。傍目からだとやる気がないように見えるんだろうけどな。こっちはまじで精神的に疲弊してんだよ。胸が塞いでどうしようもなく憂鬱だし、梅雨に入ってからずっと曇り空だから気分が晴れないし……」
「あー分かった、分かったよ。全く。お前はどうしていつも他人の怨念の影響だけでそんなことになるんだ?」
「知らん。そういう体質なんだから仕方ねえだろ」
恭はいじけてしまったように布団の上に仰向けに転がった。
「おーい。起きろよー。このままだと本当にダメ人間になっちまうぞ?」
与一の声が降ってくるが、恭は構わずに目を閉じる。
「どうせ俺は社会不適合者だよ。そもそも人間に生まれたのが間違いだったんだ」
「投げやりになるなって。お前には陰陽の才能があるだろ?」
「あーそうだな。使い物にならない能力だけれどな」
「そう不貞腐れるなよ。ほら、先週アップされた新しい依頼見たか?」
「……依頼?」
恭が聞き返すと、与一はやれやれと深いため息をついた。
「やっぱり見てなかったのか。陰陽師組合のウェブサイトは定期的にチェックしとけって」
「何でだよ。依頼の受注はお前に任せる約束だったじゃねーか。で、それはどんな依頼なんだ? 動物妖怪絡みなのか?」
恭は気怠そうに体を起こしながら尋ねる。与一は「ちぇっ」と舌を鳴らし、依頼の詳細が表示された携帯端末の画面に目を落とした。
「ああ、そうだよ。嵐山で子どもが行方不明になる事件が三件も連続して起こっているらしい。行方不明になった子どもは全員その日のうちに山の中で見つかったんだけど、その子たちが全員、『猿に連れていかれた』って証言しているってことだ」
「猿に連れていかれた……か」
恭は顎に手を当て、思案げな表情を浮かべた。
「――確かに、子どもは大人よりも怪異の影響を受けやすい。その『猿』が妖怪である可能性も高いってことか……」
「そういうことだ。だけど、猿の妖怪なんて馴染みがないがない陰陽師がほとんどだから、この依頼は誰にも受けられずに放置されている」
「なるほど。そこで、俺を引っ張り出そうってわけだな?」
「その通り。しかも、この依頼は他と比べても報酬が高いんだ。何しろ、京都で指折りの観光地で事件が起こっているんだからな。これ以上ない儲け話だぜ?」
どんどん
と、扉を叩く音とともに、与一の声が聞こえる。
ああ……。またあいつか……。
恭は鉛のように重たい瞼をこじ開けると、もぞもぞと布団の中で寝がえりを打った。枕もとの携帯端末を拾い上げる。画面に表示された時刻は午後一時三十分。
「おーい。六月になっても五月病が治らねえのかー? 前の報酬を渡しに来たんだよ。開けやがれー。なんで金を払いに来た俺が借金取りみたいになってるんだよ」
今度はチャイムがけたたましく繰り返し鳴らされた。
恭は眉間に皺を寄せて体を起こすと、側頭部に手を当てながらふらふらと立ち上がる。頼りない足取りで玄関に向かった。
「もしもーし。何回メッセージを送っても全然返さねえし――いや、待てよ。まさか恭、本当に力尽きて……」
「うるせえ。勝手に殺すな」
内側から扉を押し開けた。
「良かった。生きてた」
扉の外の与一はほっとした表情で苦笑いを浮かべる。傘を傘立てに突っ込み、遠慮なく部屋に上がり込んできた。
「こんな時間まで寝てたのかよ」
与一はすぐさま乱れた布団に目を留めて眉根を寄せる。
「ああ……。どうにも疲れが取れなくてね」
「虚弱体質にも程があるだろ」
与一は呆れ顔になった。しかし、恭は言い返す元気もないらしく、無表情でこめかみを揉むばかりである。与一はため息をついた。
「あらましは大学で美鵺子ちゃんから聞いたよ。謎の陰陽師に絡まれて体調を崩したんだって?」
喋りながら勝手に冷蔵庫を開ける。
「うわ。食材ほとんど入ってねーし。お前、こんなんでよく生き延びられたな?」
「……たまに美鵺子が来て食料を差し入れてくれてたんだよ」
「美鵺子ちゃんが? あの子、本当に恭を甘やかしてるよなあ……。ちぇっ」
「だからそんなんじゃねえって。あいつは俺を寺町に連れ出したことに責任を感じてるんだろ」
恭は面倒くさそうに返すと、布団の上に腰を下ろして胡坐を組んだ。与一は冷蔵庫を閉め、机の前の椅子に座って恭に向かい合う。
「ほら。前に妖狐を祓った分の報酬だよ」
与一はポケットから茶封筒を取り出して言った。
「サンキュー。机の上に置いといてくれ……」
恭の声には覇気がない。与一は少し苛立った表情を浮かべると、突然手を打ち鳴らして声を張り上げた。
「こら! いい加減にシャキッとしろ! やっちまえ、小鬼!」
たちまち小鬼が与一の肩の上に姿を現し、恭の顔面目掛けて躍りかかる。
「うわっ! やめろ! 痛くはないけど微妙に気持ち悪い!」
恭は両手を顔の前でバタバタと動かしたが、空をかくばかりで当然手ごたえはない。
「ほーら。やっぱり動けるじゃねーか。お前の不調は気持ちの問題だろ」
「うるせえ。心が不健康だと、体も不健康になるんだよ!」
恭が言い返しながら両手で印を結んで息を吹きかけると、小鬼は風に飛ばされるように宙を舞い、与一の手元に戻った。
恭はうんざりした様子で乱れた前髪を整え、ぶつぶつと続ける。
「はあ……。傍目からだとやる気がないように見えるんだろうけどな。こっちはまじで精神的に疲弊してんだよ。胸が塞いでどうしようもなく憂鬱だし、梅雨に入ってからずっと曇り空だから気分が晴れないし……」
「あー分かった、分かったよ。全く。お前はどうしていつも他人の怨念の影響だけでそんなことになるんだ?」
「知らん。そういう体質なんだから仕方ねえだろ」
恭はいじけてしまったように布団の上に仰向けに転がった。
「おーい。起きろよー。このままだと本当にダメ人間になっちまうぞ?」
与一の声が降ってくるが、恭は構わずに目を閉じる。
「どうせ俺は社会不適合者だよ。そもそも人間に生まれたのが間違いだったんだ」
「投げやりになるなって。お前には陰陽の才能があるだろ?」
「あーそうだな。使い物にならない能力だけれどな」
「そう不貞腐れるなよ。ほら、先週アップされた新しい依頼見たか?」
「……依頼?」
恭が聞き返すと、与一はやれやれと深いため息をついた。
「やっぱり見てなかったのか。陰陽師組合のウェブサイトは定期的にチェックしとけって」
「何でだよ。依頼の受注はお前に任せる約束だったじゃねーか。で、それはどんな依頼なんだ? 動物妖怪絡みなのか?」
恭は気怠そうに体を起こしながら尋ねる。与一は「ちぇっ」と舌を鳴らし、依頼の詳細が表示された携帯端末の画面に目を落とした。
「ああ、そうだよ。嵐山で子どもが行方不明になる事件が三件も連続して起こっているらしい。行方不明になった子どもは全員その日のうちに山の中で見つかったんだけど、その子たちが全員、『猿に連れていかれた』って証言しているってことだ」
「猿に連れていかれた……か」
恭は顎に手を当て、思案げな表情を浮かべた。
「――確かに、子どもは大人よりも怪異の影響を受けやすい。その『猿』が妖怪である可能性も高いってことか……」
「そういうことだ。だけど、猿の妖怪なんて馴染みがないがない陰陽師がほとんどだから、この依頼は誰にも受けられずに放置されている」
「なるほど。そこで、俺を引っ張り出そうってわけだな?」
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