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第六章
恭の脱ひきこもり作戦 鴨川デルタ編 2
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美鵺子は元気よく立ち上がると、袋から花火を一本引き抜いて恭に差し出す。
「ああ……。ありがとう」
恭はそれを受け取りながら、のろのろと腰を上げた。
二人は並んで蝋燭の火に花火の先をかざす。火が燃え移ると、すぐに花火の先から鮮やかな火花が噴き出した。
花火を眺め、二人は沈黙する。
子どもの頃と同じことをしているはずなのに……いや、だからこそだろうか、何かが決定的に変わってしまっていることを実感させられる。
このかけがえのない時間は永遠ではない。
命が尽きるように、花火の炎が消えた。
美鵺子に手渡された二本目の花火に火をつける。
――いつまでこの関係を続けられるのだろうか。
顔を上げると、美鵺子の瞳も愁いの色を帯びているように見えた。その表情は、いつになく大人びて映る。
もう美鵺子は魅力的な女性だよ……。
恭は心の中で呟いた。
なのに、どうしてお前は俺なんかに構い続けているんだ?
「あのさ……」
恭が口を開きかけると、同時に美鵺子が言った。
「来年も花火できたらいいね」
「ああ……。うん」
恭は言葉を飲み込んだ。美鵺子がどうしてそんなことを口にするのか、真意を測りかねて黙り込む。
恭と美鵺子の花火が続けざまに消えた。
「なあ」
美鵺子が次の花火を袋から取り出す前に、恭は切り出した。
「お前……俺のこと、どう思ってる?」
「えっ!?」
美鵺子は目を丸くして弾けるように顔を上げた。――見つめ合う二人。
その時であった。刹那、凍るような風が吹き抜け、蝋燭の火が消えた。
妖気!?
尋常じゃない気配を背中に感じて、恭は振り返った。
洲の反対側から悲鳴が上がる。
川の水面を駆け抜け、無数の黒い影が四方から迫ってくるのが目に飛び込んできた。
「三尾!」
恭は素早く印を結ぶと、式神を呼び出した。
影は疾風のように接近してきて、恭の二メートル先で足を止める。それは犬の形をしていた。鋭い双眸が真っ赤に光っている。
うっ。凄まじい怨念……。
その目に射すくめられた瞬間、恭は焼けつくような痛みを感じて胸を押さえた。
こいつは祇園祭に遭遇したのと同じ種類の妖怪だ! でも、あの時より妖力が格段に強い! しかも、尋常じゃないほどに数が増えている!
「恭! 大丈夫!?」
「み、美鵺子……。背中は任せた……」
恭は絞り出すように答え、正面の影の犬を見つめた。――妖力は俺の三尾の狐の方が強いはずだが、撃退できるか……?
「み、三尾……。やれるか……?」
そう言って恭は自分の式神を見下ろし、たちまち臍を噛んだ。妖狐は三本の尻尾を後足で挟み込むようにぴったりと伏せて、頭を下げ、耳を寝かせて後ずさっている。怯えている証拠だ。
しまった。忘れていた。妖狐は犬に弱い妖怪だった!
影の犬は目の前の妖狐が恐れるに足らずと判断したのか、ナイフのような歯をむき出し、大胆ににじり寄ってくる。
三尾の狐は悲鳴のような鳴き声を上げ、恭の足の間に逃げ隠れてしまった。
もはや影の犬と恭の間の距離は一メートルもない。
やられるっ!
恭がそう身構えた瞬間――
「妖扇っ!」
美鵺子が懐から取り出した陽炎の如き扇を一振りし、二人の周囲の敵を一気に吹き飛ばした。
「助かった!」
恭が首を回して振り返ると、美鵺子は依然険しい顔をして辺りに目を走らせている。
「油断せんといて! まだ近くにいる!」
美鵺子が手を払うように動かすと、扇が煙のように消え、代わりに切っ先の欠けた妖刀が姿を現した。
「これで祓えればいいけど……。数が多すぎる!」
その声には切迫した響きがあった。影の犬の包囲網が狭まってくるのが妖気の高まりで分かる。頭痛と吐き気が恭を襲った。すでに彼の体は変調をきたしている。
このまま波状攻撃を続けられたら、二人が力尽きるのは時間の問題だ。
赤い目が輪になってじりじりと迫ってくる。
やばい……。目が、霞む……。
その時、薄れゆく意識の中で、恭の記憶が一点で結び付いた。
そうか……。この怨念の正体は……。
*
「恭! 恭! 大丈夫!?」
美鵺子に激しく肩を叩かれ、恭は目を覚ました。
「あ……あの、犬たちは……?」
恭は頭を手で押さえながら上体を起こす。美鵺子が心配そうにその背中を支えた。
「犬たちは恭が倒れたのを見て、すぐに引き返して行ったよ。理由は分からへんけど……」
「……そうか」
恭は束の間沈黙してから、再び口を開いた。
「……つまり、あれは俺に力の差を見せつけるためのデモンストレーションだったということか……」
「えっ?」
美鵺子が聞き返すと、恭は険しい表情で橋の上を見上げた。
「あの犬から感じた怨念の正体にやっと気が付いたんだよ……。あれは、前に寺町で接触した老人の怨念そのものだ」
「えっ? 老人……って、あの時の!? でも、どうして……」
「それは、影の犬があの老人の手によって作り出された式神だからだろう。聞いたことあるだろう? 犬の霊に人間の怨念を混ぜて生み出される最悪の人工妖怪……」
「まさか」
目を見張る美鵺子。恭は硬い表情で首を縦に振った。
「そう……。間違いない。あの影の犬たちは『犬神』だ――」
「ああ……。ありがとう」
恭はそれを受け取りながら、のろのろと腰を上げた。
二人は並んで蝋燭の火に花火の先をかざす。火が燃え移ると、すぐに花火の先から鮮やかな火花が噴き出した。
花火を眺め、二人は沈黙する。
子どもの頃と同じことをしているはずなのに……いや、だからこそだろうか、何かが決定的に変わってしまっていることを実感させられる。
このかけがえのない時間は永遠ではない。
命が尽きるように、花火の炎が消えた。
美鵺子に手渡された二本目の花火に火をつける。
――いつまでこの関係を続けられるのだろうか。
顔を上げると、美鵺子の瞳も愁いの色を帯びているように見えた。その表情は、いつになく大人びて映る。
もう美鵺子は魅力的な女性だよ……。
恭は心の中で呟いた。
なのに、どうしてお前は俺なんかに構い続けているんだ?
「あのさ……」
恭が口を開きかけると、同時に美鵺子が言った。
「来年も花火できたらいいね」
「ああ……。うん」
恭は言葉を飲み込んだ。美鵺子がどうしてそんなことを口にするのか、真意を測りかねて黙り込む。
恭と美鵺子の花火が続けざまに消えた。
「なあ」
美鵺子が次の花火を袋から取り出す前に、恭は切り出した。
「お前……俺のこと、どう思ってる?」
「えっ!?」
美鵺子は目を丸くして弾けるように顔を上げた。――見つめ合う二人。
その時であった。刹那、凍るような風が吹き抜け、蝋燭の火が消えた。
妖気!?
尋常じゃない気配を背中に感じて、恭は振り返った。
洲の反対側から悲鳴が上がる。
川の水面を駆け抜け、無数の黒い影が四方から迫ってくるのが目に飛び込んできた。
「三尾!」
恭は素早く印を結ぶと、式神を呼び出した。
影は疾風のように接近してきて、恭の二メートル先で足を止める。それは犬の形をしていた。鋭い双眸が真っ赤に光っている。
うっ。凄まじい怨念……。
その目に射すくめられた瞬間、恭は焼けつくような痛みを感じて胸を押さえた。
こいつは祇園祭に遭遇したのと同じ種類の妖怪だ! でも、あの時より妖力が格段に強い! しかも、尋常じゃないほどに数が増えている!
「恭! 大丈夫!?」
「み、美鵺子……。背中は任せた……」
恭は絞り出すように答え、正面の影の犬を見つめた。――妖力は俺の三尾の狐の方が強いはずだが、撃退できるか……?
「み、三尾……。やれるか……?」
そう言って恭は自分の式神を見下ろし、たちまち臍を噛んだ。妖狐は三本の尻尾を後足で挟み込むようにぴったりと伏せて、頭を下げ、耳を寝かせて後ずさっている。怯えている証拠だ。
しまった。忘れていた。妖狐は犬に弱い妖怪だった!
影の犬は目の前の妖狐が恐れるに足らずと判断したのか、ナイフのような歯をむき出し、大胆ににじり寄ってくる。
三尾の狐は悲鳴のような鳴き声を上げ、恭の足の間に逃げ隠れてしまった。
もはや影の犬と恭の間の距離は一メートルもない。
やられるっ!
恭がそう身構えた瞬間――
「妖扇っ!」
美鵺子が懐から取り出した陽炎の如き扇を一振りし、二人の周囲の敵を一気に吹き飛ばした。
「助かった!」
恭が首を回して振り返ると、美鵺子は依然険しい顔をして辺りに目を走らせている。
「油断せんといて! まだ近くにいる!」
美鵺子が手を払うように動かすと、扇が煙のように消え、代わりに切っ先の欠けた妖刀が姿を現した。
「これで祓えればいいけど……。数が多すぎる!」
その声には切迫した響きがあった。影の犬の包囲網が狭まってくるのが妖気の高まりで分かる。頭痛と吐き気が恭を襲った。すでに彼の体は変調をきたしている。
このまま波状攻撃を続けられたら、二人が力尽きるのは時間の問題だ。
赤い目が輪になってじりじりと迫ってくる。
やばい……。目が、霞む……。
その時、薄れゆく意識の中で、恭の記憶が一点で結び付いた。
そうか……。この怨念の正体は……。
*
「恭! 恭! 大丈夫!?」
美鵺子に激しく肩を叩かれ、恭は目を覚ました。
「あ……あの、犬たちは……?」
恭は頭を手で押さえながら上体を起こす。美鵺子が心配そうにその背中を支えた。
「犬たちは恭が倒れたのを見て、すぐに引き返して行ったよ。理由は分からへんけど……」
「……そうか」
恭は束の間沈黙してから、再び口を開いた。
「……つまり、あれは俺に力の差を見せつけるためのデモンストレーションだったということか……」
「えっ?」
美鵺子が聞き返すと、恭は険しい表情で橋の上を見上げた。
「あの犬から感じた怨念の正体にやっと気が付いたんだよ……。あれは、前に寺町で接触した老人の怨念そのものだ」
「えっ? 老人……って、あの時の!? でも、どうして……」
「それは、影の犬があの老人の手によって作り出された式神だからだろう。聞いたことあるだろう? 犬の霊に人間の怨念を混ぜて生み出される最悪の人工妖怪……」
「まさか」
目を見張る美鵺子。恭は硬い表情で首を縦に振った。
「そう……。間違いない。あの影の犬たちは『犬神』だ――」
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