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第七章
犬神の怪 前編 4
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「本部はここの地下一階だ。外から見ただけじゃ分かんないだろ?」
入り口の自動ドアを抜け、エレベーターの前に立った与一は、ボタン横のフロア案内を指さした。恭がよく見ると、B1の欄には「陰陽エージェンシー」と記載されている。
「ははあ。こう書くと会社の名前みたいに見えるな。これなら部外者が興味本位で入り込んでくることはなさそうだ」
恭は感心して呟く。
「セキュリティーはこれだけじゃないんだぜ」
与一が下りボタンを押し、三人はエレベーターに乗り込んだ。あっという間に地下一階に到着し、エレベーターから降りる。しかし、そこは狭いエレベーターホールで、向こう側が見えない無機質なドアが行く手を阻んでいた。
「ここを通るには、電子組合員証に書かれた個人IDとパスワードの入力が必要なんだ」
与一は携帯端末で番号を確認しながら、慣れた手つきでドアの横についたテンキーを叩いた。
入力が終わると、カチャッと解錠の音が鳴る。
「いいか? 入るぜ」
与一はドアノブに手をかけて振り返り、恭が頷くのを確認してからドアを押し開けた。
「失礼しまーす」
与一が愛想よく挨拶しながら一番に入っていく。部屋の中から溢れ出してきた明るい光に、恭は驚いて思わず目を細めた。
地下だから薄暗いものとばかり思っていたのだが、どうやら天窓から陽光を取り込んでいるらしい。中庭にはしめ縄が巻かれた榊が植わっているのが見える。何とも奇妙なつくりの建物だ。
美鵺子の後に続いて中に入り、ドアを後ろ手に閉めた時、はじめて恭は前の二人が床に目を向けて立ち尽くしていることに気が付いた。
「ど、どうしたんですか!? これ!?」
美鵺子が声を上げる。恭が視線を落とすと、そこには畳の上にずらりと布団が並んでいて、病人と思しき人達が青い顔で横になっていた。
「おお! 安倍家の娘。無事だったか! ここの者たちはみんな犬神に返り討ちにされちまった組合員だよ!」
患者たちの看病にあたっていた男性の一人がこちらを振り返って叫んだ。
「そんな! 一晩でこんなに!?」
「ああ! 人的被害が余りに大きすぎる! こんなことは京都陰陽師組合の歴史上初めてだ!」
「お、お父さんは!?」
「奥の間にいるよ。今は賀茂家の当主と面会中だ」
「げっ。オカンもいるのかよ。めんどくせえ」
与一が露骨に嫌そうな表情を浮かべた。賀茂家は現当主が女性の珍しい一族なのである。
「何で? 与一は毎日実家で親と会ってるやろ?」
美鵺子は布団の間を縫うように足早に歩き始めた。与一は慌ててその後を追いながら答える。
「いやー。なんかさー、親と話してるところを友達に見られるのって恥ずかしくねえ?」
「思春期か」
恭が思わず後ろで呆れ声を漏らす。三人は中庭を通過し、畳の広間の突き当りの襖を開けた。
「失礼します」
一礼して中に入ると、そこは小さな茶室のような部屋だった。安倍昌鸞と派手な紫色に髪を染めた白ブラウスの女性――恭が会うのは初めてだったが、こちらが与一の母親ということだろう――が難しい顔をして向かい合っているのが目に飛び込んでくる。
「美鵺子、来たのか」
昌鸞が落ちくぼんだ目を三人に向けて言った。
「与一! 無事やったんやね! お母さん心配したんよ!!」
ほぼ同時に与一の母が弾けるように立ち上がり、こちらに走り寄ろうとする。――が、正座で足がしびれていたのか、すぐに膝を折ってその場にへたり込んでしまった。与一はたちまち苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「勘弁してくれよ。友達の前で……。大丈夫だって何回もメールしただろ?」
「うん。でも、あんたの顔を見るまでは安心できへんかったんよ」
そう言うが否や、与一の母は両手に顔を埋めていきなり泣き崩れた。その様子を横目で見る昌鸞の視線が冷たい。どうやら両当主は決して仲が良いわけではなさそうだ。
「それで美鵺子。私に一体何の用だ?」
昌鸞は与一の母を無視し、若干よそよそしい口調で尋ねてきた。その時、美鵺子の口元がわずかに強張るのを、恭は見逃さなかった。こちらはこちらで親子関係がぎくしゃくしているのだろう。美鵺子が半ば強引に実家を出てしまった経緯を思うと、無理もないことである。
「えっと。あ、あのね、お父さん。昨晩の犬神のことやねんけど、どうやら敵は、恭を利用しようと狙ってるみたいやねん。だから、組合で恭を保護してもらえへんかと思って――」
美鵺子は遠慮がちに切り出し、事情を説明した。昌鸞は腕組みをして聞いていたが、やがて「分かった」と言うと、片手を上げて美鵺子の話を遮る。
「その件だが、我々は今日の日没までには決着をつけるつもりだ。昨日のうちに八卦と占星術を駆使して、犬神を放った者とその居場所は突き止めた。これから会議で組合員に情報を共有し、総力を挙げて奇襲を仕掛ける」
「そうなん!?」
美鵺子は驚いて思わず声を上げた。
「ああ。こういった非常時には迅速な対応が求められる。攻撃は最大の防御と言う。悪いが、今は守りに戦力を割く余裕はない」
昌鸞は険しい表情で扇子をパチンと鳴らす。
「あの……敵は誰で、どこにいるのか教えてもらってもいいですか?」
入り口の自動ドアを抜け、エレベーターの前に立った与一は、ボタン横のフロア案内を指さした。恭がよく見ると、B1の欄には「陰陽エージェンシー」と記載されている。
「ははあ。こう書くと会社の名前みたいに見えるな。これなら部外者が興味本位で入り込んでくることはなさそうだ」
恭は感心して呟く。
「セキュリティーはこれだけじゃないんだぜ」
与一が下りボタンを押し、三人はエレベーターに乗り込んだ。あっという間に地下一階に到着し、エレベーターから降りる。しかし、そこは狭いエレベーターホールで、向こう側が見えない無機質なドアが行く手を阻んでいた。
「ここを通るには、電子組合員証に書かれた個人IDとパスワードの入力が必要なんだ」
与一は携帯端末で番号を確認しながら、慣れた手つきでドアの横についたテンキーを叩いた。
入力が終わると、カチャッと解錠の音が鳴る。
「いいか? 入るぜ」
与一はドアノブに手をかけて振り返り、恭が頷くのを確認してからドアを押し開けた。
「失礼しまーす」
与一が愛想よく挨拶しながら一番に入っていく。部屋の中から溢れ出してきた明るい光に、恭は驚いて思わず目を細めた。
地下だから薄暗いものとばかり思っていたのだが、どうやら天窓から陽光を取り込んでいるらしい。中庭にはしめ縄が巻かれた榊が植わっているのが見える。何とも奇妙なつくりの建物だ。
美鵺子の後に続いて中に入り、ドアを後ろ手に閉めた時、はじめて恭は前の二人が床に目を向けて立ち尽くしていることに気が付いた。
「ど、どうしたんですか!? これ!?」
美鵺子が声を上げる。恭が視線を落とすと、そこには畳の上にずらりと布団が並んでいて、病人と思しき人達が青い顔で横になっていた。
「おお! 安倍家の娘。無事だったか! ここの者たちはみんな犬神に返り討ちにされちまった組合員だよ!」
患者たちの看病にあたっていた男性の一人がこちらを振り返って叫んだ。
「そんな! 一晩でこんなに!?」
「ああ! 人的被害が余りに大きすぎる! こんなことは京都陰陽師組合の歴史上初めてだ!」
「お、お父さんは!?」
「奥の間にいるよ。今は賀茂家の当主と面会中だ」
「げっ。オカンもいるのかよ。めんどくせえ」
与一が露骨に嫌そうな表情を浮かべた。賀茂家は現当主が女性の珍しい一族なのである。
「何で? 与一は毎日実家で親と会ってるやろ?」
美鵺子は布団の間を縫うように足早に歩き始めた。与一は慌ててその後を追いながら答える。
「いやー。なんかさー、親と話してるところを友達に見られるのって恥ずかしくねえ?」
「思春期か」
恭が思わず後ろで呆れ声を漏らす。三人は中庭を通過し、畳の広間の突き当りの襖を開けた。
「失礼します」
一礼して中に入ると、そこは小さな茶室のような部屋だった。安倍昌鸞と派手な紫色に髪を染めた白ブラウスの女性――恭が会うのは初めてだったが、こちらが与一の母親ということだろう――が難しい顔をして向かい合っているのが目に飛び込んでくる。
「美鵺子、来たのか」
昌鸞が落ちくぼんだ目を三人に向けて言った。
「与一! 無事やったんやね! お母さん心配したんよ!!」
ほぼ同時に与一の母が弾けるように立ち上がり、こちらに走り寄ろうとする。――が、正座で足がしびれていたのか、すぐに膝を折ってその場にへたり込んでしまった。与一はたちまち苦虫を嚙み潰したような表情になる。
「勘弁してくれよ。友達の前で……。大丈夫だって何回もメールしただろ?」
「うん。でも、あんたの顔を見るまでは安心できへんかったんよ」
そう言うが否や、与一の母は両手に顔を埋めていきなり泣き崩れた。その様子を横目で見る昌鸞の視線が冷たい。どうやら両当主は決して仲が良いわけではなさそうだ。
「それで美鵺子。私に一体何の用だ?」
昌鸞は与一の母を無視し、若干よそよそしい口調で尋ねてきた。その時、美鵺子の口元がわずかに強張るのを、恭は見逃さなかった。こちらはこちらで親子関係がぎくしゃくしているのだろう。美鵺子が半ば強引に実家を出てしまった経緯を思うと、無理もないことである。
「えっと。あ、あのね、お父さん。昨晩の犬神のことやねんけど、どうやら敵は、恭を利用しようと狙ってるみたいやねん。だから、組合で恭を保護してもらえへんかと思って――」
美鵺子は遠慮がちに切り出し、事情を説明した。昌鸞は腕組みをして聞いていたが、やがて「分かった」と言うと、片手を上げて美鵺子の話を遮る。
「その件だが、我々は今日の日没までには決着をつけるつもりだ。昨日のうちに八卦と占星術を駆使して、犬神を放った者とその居場所は突き止めた。これから会議で組合員に情報を共有し、総力を挙げて奇襲を仕掛ける」
「そうなん!?」
美鵺子は驚いて思わず声を上げた。
「ああ。こういった非常時には迅速な対応が求められる。攻撃は最大の防御と言う。悪いが、今は守りに戦力を割く余裕はない」
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