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第一章
狐と鼠の陣取り合戦 6
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十分も経たずに二人がたどり着いたのは、哲学の道付近の工事現場だった。住宅地の中で全面をシートに覆われた建物の外観をうかがうことはできないが、その大きさから推察するに一軒の京町屋のようだ。
「改築中の古民家……ですか?」
紬の問いに、喬は小さく首を縦に振る。
「あたり。小春は生前、この空き家の床下で子育てをしていたんだ」
「えっ!? 床下で!?」
紬は目を丸くした。喬は淡々と続ける。
「いわゆる『都市ギツネ』ってやつさ。最近は野生の狐が市街地に進出することはそう珍しいことじゃない。そして、新しい環境に適応した彼らは、自分たちで巣穴を掘る代わりに、人工物を巣として利用することもあるんだ」
「えっ。それじゃあ……」
ガンガンと何かを打ち鳴らす音が聞こえてくる工事現場を見やり、紬は息を呑んだ。喬は沈んだ表情で嘆息する。
「不幸な事故としか言いようがない……。狐の母親は出産後、しばらく父親が運んでくる餌に頼って、巣の中で子狐たちと一緒に過ごす。工事が始まったのはちょうどそのタイミングだったんだ」
「ああ……。そっか。それで小春ちゃんはあの神社に……」
紬はしんみりした声音で呟いた。つまり、あの子は命のみならず、生前の住処すらも奪われ、仕方なく近所の神域に身を寄せていたのだ。
「――事情を知れば、簡単に結論を下すことができなくなる、とあなたがおっしゃっていた意味がよく分かりました」
紬は肩を落とす。と、今度は千綾がふわりと浮かび上がり、喬に食ってかかった。
「おい! こんなの、てめーの作戦通りに妖狐を追い出せても、めちゃくちゃ後味が悪いじゃねえか! あいつらをまた同じ憂き目に遭わせちまうってことだろ!?」
しかし、喬は冷静な態度を崩さずに答える。
「そういうことになるね。だけど、僕は狐番の務めとして、自分が知っている背景事情と、考えうる解決策を提示しただけだ。それを実行に移すかどうかはあんたたちが決めることだよ」
「くそっ! 結局こっちに責任を丸投げしやがって!」
「千綾、それで彼を責めるのは筋違いだよ。もとより、怪異絡みのトラブル解決は私たちの仕事なんだから」
紬は口の悪い猫又を毅然とした口調で黙らせ、喬に挑戦的な眼差しを向けた。
「このことを見越しての猶予だったんですね。私に足掻くチャンスをくださってありがとうございます。きっと、狐も鼠も不幸にならない解決策を見つけてみせますから!」
どちらか一方に犠牲を強いる選択肢しかないなんておかしい! 紬は最後まで別の道を諦めるつもりはなかった。喬はふっと口元をほころばせる。
「そっか。十五日間で間に合うよう祈ってるよ」
「ええ。私は負けませんよ!」
紬の心にはメラメラと激しい炎が燃え上がっていた。
***
それからというもの、紬は毎日大豊神社に通っては、現地の状況を調べつつ、課された難題に頭を悩ませるようになった。
「神域……。棲み分け……。結界……」
訳の分からない言葉をブツブツと呟きながら、昼夜問わず境内を隅々まで歩き回る彼女の姿は、観光客の目にはある種の怪異のように映ったことだろう。それどころか、その鬼気迫る奮闘は、当の妖怪たちから見ても異様だったようだ。
「ねえ、あんた、ちゃんと寝てんの? そんな無茶してたら、十五日経つ前に倒れてしまうで?」
小春は心配そうに声をかけてくれたが、紬は目の下にクマを作った顔に笑みを浮かべ、「大丈夫です。ありがとうございます」と答えるだけだった。
絶対に後悔はしたくない! その思いで、紬はあらゆる手立てを考案し、幾度となく棄却した。しかし結局、正解が見つからないまま、日にちばかりが無情に過ぎていく。
そうこうしているうちに、猶予期間の十日目がやってきてしまった。喬の作戦通りに鳶の妖怪を神社に放つなら、そろそろ計画を実行に移さないといけないタイミングである。
その日、紬は別の依頼に時間を割かれ、ようやく大豊神社を訪れたのは夕暮れ時だった。茜色に染まった境内には烏の鳴き声がわびしく響いている。鳥居をくぐる紬の足取りは重い。
(ううう……。今夜中に解決策が思いつかなかったら、明日の朝には鳶番に協力をお願いしないとダメだろうな……)
疲労した頭を無理やり働かせて紬は考えた。まだわずかに時間は残っている。だが、彼女はすでに心のどこかで敗北を悟っていた。
(結局、両者が納得できる方法は見つからなかったな……。これ以上粘っても、きっと新しいアイデアは浮かんでこないだろうし……。ごめん……。小春ちゃん……)
静かな境内を紬はトボトボと進んでいく。と、その時であった。
「ばんざーい! ばんざーい!」
突如、正面から歓声を上げて妖鼠たちが駆け寄ってきたので、紬はびっくりしてその場に立ち止まる。
「改築中の古民家……ですか?」
紬の問いに、喬は小さく首を縦に振る。
「あたり。小春は生前、この空き家の床下で子育てをしていたんだ」
「えっ!? 床下で!?」
紬は目を丸くした。喬は淡々と続ける。
「いわゆる『都市ギツネ』ってやつさ。最近は野生の狐が市街地に進出することはそう珍しいことじゃない。そして、新しい環境に適応した彼らは、自分たちで巣穴を掘る代わりに、人工物を巣として利用することもあるんだ」
「えっ。それじゃあ……」
ガンガンと何かを打ち鳴らす音が聞こえてくる工事現場を見やり、紬は息を呑んだ。喬は沈んだ表情で嘆息する。
「不幸な事故としか言いようがない……。狐の母親は出産後、しばらく父親が運んでくる餌に頼って、巣の中で子狐たちと一緒に過ごす。工事が始まったのはちょうどそのタイミングだったんだ」
「ああ……。そっか。それで小春ちゃんはあの神社に……」
紬はしんみりした声音で呟いた。つまり、あの子は命のみならず、生前の住処すらも奪われ、仕方なく近所の神域に身を寄せていたのだ。
「――事情を知れば、簡単に結論を下すことができなくなる、とあなたがおっしゃっていた意味がよく分かりました」
紬は肩を落とす。と、今度は千綾がふわりと浮かび上がり、喬に食ってかかった。
「おい! こんなの、てめーの作戦通りに妖狐を追い出せても、めちゃくちゃ後味が悪いじゃねえか! あいつらをまた同じ憂き目に遭わせちまうってことだろ!?」
しかし、喬は冷静な態度を崩さずに答える。
「そういうことになるね。だけど、僕は狐番の務めとして、自分が知っている背景事情と、考えうる解決策を提示しただけだ。それを実行に移すかどうかはあんたたちが決めることだよ」
「くそっ! 結局こっちに責任を丸投げしやがって!」
「千綾、それで彼を責めるのは筋違いだよ。もとより、怪異絡みのトラブル解決は私たちの仕事なんだから」
紬は口の悪い猫又を毅然とした口調で黙らせ、喬に挑戦的な眼差しを向けた。
「このことを見越しての猶予だったんですね。私に足掻くチャンスをくださってありがとうございます。きっと、狐も鼠も不幸にならない解決策を見つけてみせますから!」
どちらか一方に犠牲を強いる選択肢しかないなんておかしい! 紬は最後まで別の道を諦めるつもりはなかった。喬はふっと口元をほころばせる。
「そっか。十五日間で間に合うよう祈ってるよ」
「ええ。私は負けませんよ!」
紬の心にはメラメラと激しい炎が燃え上がっていた。
***
それからというもの、紬は毎日大豊神社に通っては、現地の状況を調べつつ、課された難題に頭を悩ませるようになった。
「神域……。棲み分け……。結界……」
訳の分からない言葉をブツブツと呟きながら、昼夜問わず境内を隅々まで歩き回る彼女の姿は、観光客の目にはある種の怪異のように映ったことだろう。それどころか、その鬼気迫る奮闘は、当の妖怪たちから見ても異様だったようだ。
「ねえ、あんた、ちゃんと寝てんの? そんな無茶してたら、十五日経つ前に倒れてしまうで?」
小春は心配そうに声をかけてくれたが、紬は目の下にクマを作った顔に笑みを浮かべ、「大丈夫です。ありがとうございます」と答えるだけだった。
絶対に後悔はしたくない! その思いで、紬はあらゆる手立てを考案し、幾度となく棄却した。しかし結局、正解が見つからないまま、日にちばかりが無情に過ぎていく。
そうこうしているうちに、猶予期間の十日目がやってきてしまった。喬の作戦通りに鳶の妖怪を神社に放つなら、そろそろ計画を実行に移さないといけないタイミングである。
その日、紬は別の依頼に時間を割かれ、ようやく大豊神社を訪れたのは夕暮れ時だった。茜色に染まった境内には烏の鳴き声がわびしく響いている。鳥居をくぐる紬の足取りは重い。
(ううう……。今夜中に解決策が思いつかなかったら、明日の朝には鳶番に協力をお願いしないとダメだろうな……)
疲労した頭を無理やり働かせて紬は考えた。まだわずかに時間は残っている。だが、彼女はすでに心のどこかで敗北を悟っていた。
(結局、両者が納得できる方法は見つからなかったな……。これ以上粘っても、きっと新しいアイデアは浮かんでこないだろうし……。ごめん……。小春ちゃん……)
静かな境内を紬はトボトボと進んでいく。と、その時であった。
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