28 / 46
第三章
兎神社のみなしご狐 9
しおりを挟む
岡崎神社に通いはじめて三十日目。梅雨も終わりに差しかかった頃。紬が蝉の合唱に包まれた境内に足を踏み入れるや否や、
「あっ! 来たーっ! 今日こそ、あの怪しいやつの中身をのぞいてやる!」
と、岡丸は興奮気味に尻尾をブンブン振りながら走り寄ってきた。
言うまでもなく、これは紬が毎日欠かさず鳴釜を持参し、岡丸の好奇心を刺激し続けてきた努力の結果である。ところが、この日、紬は一つも付喪神を身に着けていなかった。岡丸は彼女の姿を見るなり、露骨にがっかりした表情を浮かべる。
「なあんだ。今日は手ぶらかあ。つまんないのーっ」
そう言って、すぐに引き返そうとする岡丸を、紬は「待って!」と慌てて引き留めた。
灼熱の太陽が照り付ける境内に他の人影はない。ちょうど今は祇園祭の山鉾巡行の真っ最中なので、観光客はそちらの方に集中しているのだろう。紬はこの機を利用して、ある試みに挑戦するつもりだった。
紬は心の中の緊張を表に出さないように努めて笑顔で続ける。
「ねえ、岡丸! 提案なんだけど、今日は私と一緒に遊ばない?」
「え?」
キョトンと目を瞬く岡丸。紬は彼が足を止めてくれたことに安堵しつつ、おもむろに懐から一枚の形代を取り出した。だが、それはいつも彼女が使っている人形代ではない。狐型に切り抜かれた紙で、「狐形代」とでも言うべきものだった。
「なにそれ? 変なの」
岡丸は少し警戒した様子でじりじりと後ずさる。
「これは私の分身を作り出してくれる呪具だよ。ただ、この形代はちょっと特殊でね。身代わりが自分の姿じゃなくて狐の姿で出てくるようにしてみたんだ」
紬はそう答えるや、両手の中に包み込んだ形代に息を吹きかけた。途端、彼女の手の中から靄のようなものが流れ出してたなびき、空中にわだかまってみるみる狐の輪郭を形作っていく。そして数秒後には、わずかにぼやけた狐の幻影がそこに浮かんでいた。
「どう? 結構リアルでしょ? ここまで鮮明に出すのは苦労したんだよ?」
紬は目を丸くしている岡丸の反応を伺う。
そう。これこそ、紬が吉田山で思いついた秘策であった。人の身でできないことは「式神」という使いのあやかしに任せてこその陰陽師である。この狐の姿をした身代わりは、紬が自らの霊力を込めて作り出した式神の一種だった。
もっとも、狐の姿をした式神の操作は、人のそれよりはるかに難しい。体のつくりが異なるので、直観的に動かすことができないし、ちょっとでもミスすると、現実の狐にはありえない不自然な動きになってしまう。
そのため、紬はここ数日、時間を見つけては吉田山の妖狐たちを相手に、狐の式神を使って一緒に遊ぶ練習を重ねていたのであった。
「いくよ!」
紬がそう言って手を打ち鳴らすと、いきなり空中に光のボールがポンと現れ、落ちてきたそれを狐の式神が本物さながらに口でキャッチする。岡丸はさっと身を伏せて式神に狙いを定めた。
紬はニヤリとする。親からもらった餌をきょうだいの間で取り合わなければならない子狐のさがなのだろう。みなしごの妖狐でも、他の狐が持っているものはやはり気になってしまうようだ。
「ほらほら~。いいでしょ~。このボール~。取れるもんなら取ってごらん~」
紬は挑発的に式神を岡丸に近づけては、素早く飛び退く動きを繰り返す。岡丸の目はすっかり式神に釘付けだ。
(よし! いいぞ!)
紬はさらに意識を集中し、式神の操作の精度を限界まで高める。そして、岡丸が攻撃をしかけてくるタイミングを見計らい、式神を岡丸から逃げる方向に全力で走らせた。
「あっ! この! 待てーっ!」
狙い通り、岡丸はダッシュで式神を追いかける。紬は式神の速度をほどよく調整し、すぐに岡丸が追いつけるようにした。
「捕まえたーっ!」
興奮した声を上げて式神の首筋に噛みつく岡丸。
「うわーっ! 捕まったー!」
紬は大袈裟にリアクションしながら式神を操り、岡丸に反撃しようと口を開いた拍子にボールを取り落とさせる。
「やったーっ! 取ったーっ!」
岡丸は大歓喜で尻尾を振りながらボールを拾って再び駆け出した。攻守交代。今度は紬が岡丸を追う番である。
「よくも取ったな~っ! 待てーっ!」
紬は笑いながら、式神を岡丸の方へと走らせたのだった。
「あっ! 来たーっ! 今日こそ、あの怪しいやつの中身をのぞいてやる!」
と、岡丸は興奮気味に尻尾をブンブン振りながら走り寄ってきた。
言うまでもなく、これは紬が毎日欠かさず鳴釜を持参し、岡丸の好奇心を刺激し続けてきた努力の結果である。ところが、この日、紬は一つも付喪神を身に着けていなかった。岡丸は彼女の姿を見るなり、露骨にがっかりした表情を浮かべる。
「なあんだ。今日は手ぶらかあ。つまんないのーっ」
そう言って、すぐに引き返そうとする岡丸を、紬は「待って!」と慌てて引き留めた。
灼熱の太陽が照り付ける境内に他の人影はない。ちょうど今は祇園祭の山鉾巡行の真っ最中なので、観光客はそちらの方に集中しているのだろう。紬はこの機を利用して、ある試みに挑戦するつもりだった。
紬は心の中の緊張を表に出さないように努めて笑顔で続ける。
「ねえ、岡丸! 提案なんだけど、今日は私と一緒に遊ばない?」
「え?」
キョトンと目を瞬く岡丸。紬は彼が足を止めてくれたことに安堵しつつ、おもむろに懐から一枚の形代を取り出した。だが、それはいつも彼女が使っている人形代ではない。狐型に切り抜かれた紙で、「狐形代」とでも言うべきものだった。
「なにそれ? 変なの」
岡丸は少し警戒した様子でじりじりと後ずさる。
「これは私の分身を作り出してくれる呪具だよ。ただ、この形代はちょっと特殊でね。身代わりが自分の姿じゃなくて狐の姿で出てくるようにしてみたんだ」
紬はそう答えるや、両手の中に包み込んだ形代に息を吹きかけた。途端、彼女の手の中から靄のようなものが流れ出してたなびき、空中にわだかまってみるみる狐の輪郭を形作っていく。そして数秒後には、わずかにぼやけた狐の幻影がそこに浮かんでいた。
「どう? 結構リアルでしょ? ここまで鮮明に出すのは苦労したんだよ?」
紬は目を丸くしている岡丸の反応を伺う。
そう。これこそ、紬が吉田山で思いついた秘策であった。人の身でできないことは「式神」という使いのあやかしに任せてこその陰陽師である。この狐の姿をした身代わりは、紬が自らの霊力を込めて作り出した式神の一種だった。
もっとも、狐の姿をした式神の操作は、人のそれよりはるかに難しい。体のつくりが異なるので、直観的に動かすことができないし、ちょっとでもミスすると、現実の狐にはありえない不自然な動きになってしまう。
そのため、紬はここ数日、時間を見つけては吉田山の妖狐たちを相手に、狐の式神を使って一緒に遊ぶ練習を重ねていたのであった。
「いくよ!」
紬がそう言って手を打ち鳴らすと、いきなり空中に光のボールがポンと現れ、落ちてきたそれを狐の式神が本物さながらに口でキャッチする。岡丸はさっと身を伏せて式神に狙いを定めた。
紬はニヤリとする。親からもらった餌をきょうだいの間で取り合わなければならない子狐のさがなのだろう。みなしごの妖狐でも、他の狐が持っているものはやはり気になってしまうようだ。
「ほらほら~。いいでしょ~。このボール~。取れるもんなら取ってごらん~」
紬は挑発的に式神を岡丸に近づけては、素早く飛び退く動きを繰り返す。岡丸の目はすっかり式神に釘付けだ。
(よし! いいぞ!)
紬はさらに意識を集中し、式神の操作の精度を限界まで高める。そして、岡丸が攻撃をしかけてくるタイミングを見計らい、式神を岡丸から逃げる方向に全力で走らせた。
「あっ! この! 待てーっ!」
狙い通り、岡丸はダッシュで式神を追いかける。紬は式神の速度をほどよく調整し、すぐに岡丸が追いつけるようにした。
「捕まえたーっ!」
興奮した声を上げて式神の首筋に噛みつく岡丸。
「うわーっ! 捕まったー!」
紬は大袈裟にリアクションしながら式神を操り、岡丸に反撃しようと口を開いた拍子にボールを取り落とさせる。
「やったーっ! 取ったーっ!」
岡丸は大歓喜で尻尾を振りながらボールを拾って再び駆け出した。攻守交代。今度は紬が岡丸を追う番である。
「よくも取ったな~っ! 待てーっ!」
紬は笑いながら、式神を岡丸の方へと走らせたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています
六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。
しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。
「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!
幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について
いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。
実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。
ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。
誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。
「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」
彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。
現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。
それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
視える宮廷女官 ―霊能力で後宮の事件を解決します!―
島崎 紗都子
キャラ文芸
父の手伝いで薬を売るかたわら 生まれ持った霊能力で占いをしながら日々の生活費を稼ぐ蓮花。ある日 突然襲ってきた賊に両親を殺され 自分も命を狙われそうになったところを 景安国の将軍 一颯に助けられ成り行きで後宮の女官に! 持ち前の明るさと霊能力で 後宮の事件を解決していくうちに 蓮花は母の秘密を知ることに――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる