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しおりを挟むすべての講義が終わって、どっと疲れてしまった。
久しぶりの講義はやはりほとんど分からなくて、後でイワンに教えてもらおうとノートを片付ける。そのイワンは、別の講義が終わり次第来てくれるだろう。
「待たせたかい」
10分後にやってきたイワンはもう帰り支度をしていた。彼がやってくると、周りにいたクラスメイトたちは、いつものようにさあっといなくなってしまった。
彼の何をそんなに気にしているのだろうか?けれど話が長引かずちょうど良かったので、ミズリィも荷物をまとめて立ち上がる。
「さて、お悩みとは?」
「どこか人のいないところで話したいわ」
「わかったよ。外に出ようか」
馬車の乗り場までの道を、しばらく他愛のない会話をしながら歩いていく。たまに、ミズリィが『数日前』のことを忘れていたりすることがあって、イワンは少し不思議そうだった。
「具合は大丈夫か、本当に」
「ええ平気よ」
「……今日の君は少し変だな」
「へ、変て?」
「うん、なんていうか……」
イワンが気難しそうに唸って、ふと視線をミズリィから外した。すると、大きく目を開く。
それでミズリィもそちらを見て……その光景に、ぶわっと、心の中から何かが吹き出した。
「どうなさったの、エヴァーラ嬢」
口を開くと、自分でも驚くような大声が出た。
停留所は近くて、自分の家の馬車を待つ生徒が大勢いる中、ミズリィの声に驚いて視線が集まる。
それはどうでも良かった。問題は――
今名前を呼んだのは同じ進学コースの伯爵家の令嬢だ。多少距離があるのを大股で歩いて、彼女と、その取り巻きたちに近づく。
「ま、まあ、ペトーキオ様!」
驚いてタジタジとなっているけれど、逃げるつもりはないらしい。
「お帰りですの?ああ、イワン様も、」
「どうなさったの、と、お聞きしたのですけれど」
「ええ、その、」
「あなたの足元を良くご覧なさい」
エヴァーラの磨かれた靴の下に、無惨に踏みにじられたその緑色の服は、昼間に見ていた。
「……わたくしには、その服はこちらのスミレの持ち物に見えるのだけれども」
エヴァーラの前に、あの紫髪のスミレがうつむいて立っていた。
「まあ、ごめんなさい!落し物かしら?うっかり見落としていたようですわ」
にこりと、まるでそれが事実だったかのように無邪気に笑うその令嬢に、また何かが――強い感情が、こみ上げる。
ごまかせると思っているのだろうか 、ミズリィが声を上げるまで、何度も足で踏みつけて、スミレに怒鳴っていたのを見ているのだ。
足を上げたエヴァーラ、ミズリィは膝をついてスミレの外套を拾い上げた。
ざわめく周囲。
外套を差し出すと、スミレは顔を青くしながら、それを両腕で抱き締めた。
「……もう手放してはダメよ」
「申し訳ございません!」
スミレは頭を下げるが、それには頷いておく。
「な……なんてことをミズリィ嬢になさるのかしら、平民!」
わなわなと震えているエヴァーラのわざとらしい大声。なにかおかしなことを言っているようだが、それよりも。
「何をお話しされていたのかしら。わたくしにも聞かせてくださる?」
「いいえ、些細なことですわ!それよりもそこの、」
「その些細なことをお聞きしたいですわ」
強く言うと、エヴァーラはぐっと息を飲み込んだ。
「……なんでもありませんのよ、少し、彼女と言い争いをしてしまって」
「どんなことです?こんなところで大声を上げていらしたものね、よっぽどのことでしょう」
「彼女が私が話しかけたのに無視しようとして。いいえ、思えばそんなことはなかったかもしれませんわ」
「無視をしたのです?」
スミレに目を向けると、彼女は黙ったままだった。
しかたなく、エヴァーラに向き合う。
「注意くらいは必要かもしれませんが、大勢の前で何もそこまで怒らなくても……勘違いかもしれないのに。そして、彼女の服を何度も踏みにじって、貴女は謝りもしないのですね」
「無視をしたのですから……」
「あら、勘違いかもしれないのでしょう?」
「何度も踏んでませんし」
「この目で見たのですよ、わたくしが嘘をついたというの?」
「そ! そのようなことは」
「いいわ、スミレ。あなたはエヴァーラ嬢を無視したの?」
スミレは外套を抱えたまま、うつむいている。それを、イワンがそっと肩に触れると、びくりと震えて、それから彼を見る。うなずく彼に、ようやくスミレは顔を上げた。
「……気が付きませんでした。後ろから突き飛ばされるまで」
「嘘ですわ。これだから平民は」
「平民かどうかは関係ありませんわ。貴族とか平民とかの前に、あなたもわたくしも、彼女も学院の学生ですもの」
「そちらが嘘です! 何故その平民の話ばかり聞いて私を嘘つき呼ばわりするのですか?」
それもそうですね、と言ったのはイワンだった。
「これだけの人がいるのですから、誰か見ている人がいるでしょう。その人に聞けばいいんです」
飄々と、いつもと変わらないイワンの表情からは何を思っているかは分からないが、言っていることは間違っていなさそうだ。
「その人たちの話を聞いて、どちらが嘘を言っているのか分かれば、お相手に謝っていただくのは」
「それがいいわね」
ミズリィは頷く。
スミレはまっすぐエヴァーラを見つめ、エヴァーラと取り巻きたちはうろたえている。
ミズリィは声を上げた。
「どなたか、このおふたりのお話しを見ていた方がいらして?」
帰りの馬車は公爵家のもので、御者はよく見知った家の者で、ミズリィのわがままも愛想良く笑い街の方へと馬を歩かせた。
「ここは僕の家のお得意先がやってるサロンさ」
小洒落た異国風の内装の、個室が用意されるようなカフェだろうか。
女性が入ってもいいのかと思ったが、店の支配人は笑顔で対応してくれた。
「気軽に夫婦やカップルがよく使うよ。同伴なら文句ないそうだ。それに、僕は特別さ」
ふふん、と自慢するイワンがそうやっておどけるのも、ミズリィと、ずっと緊張しているスミレに気を使っているのだろう。
前はそんなイワンの気遣いにも気づかなかった。
今は、何故かそういう細かいことにも、敏感になっていた。
(きっと、誰も彼もいなくなったから)
ミズリィを捨てたのはどうしてなのか、それも知りたくてしょうがないのだ。
「このようなおもてなし、感謝に絶えません……」
スミレはそうそつなく言うけれど、やはり緊張して、顔色も悪い。
イワンは少し考えて、付いていた給仕に何かを言って下がらせた。
テーブルには不思議な香りのするお茶と、プティングより硬そうな黄色い四角のお菓子が載っている。
「さっきのことも含めて、僕は何がなんだか分からないんだけど、教えてもらっていいかな?」
「ええ、そうね……」
あらましを語った。
スミレを見つけたのは偶然で、裏手の庭で、繕い物をこっそりとやっているようで――驚かせてしまったお詫びに新しいものを差し入れようとしたら、急に立ち去ってしまったこと、どうして彼女がそんなふうに拒絶するような態度になったのか、予想もできないこと。
イワンは、段々と難しい顔になり、最後は頭を抱えてしまった。
「イワン?」
「……いや、公爵令嬢なら、なんにもおかしいところはないんだな」
「どういう意味ですの?」
ミズリィが不思議がっていることが、イワンには分かったらしい。
彼はちらりと小さくなっているスミレを見て、顎を引いた。
「……僕は君の友人だと思うから、これは言ってしまうんだが」
「何でもおっしゃって」
「いいのか?正直、身分が上のお嬢様に言うことじゃない、不敬罪で僕の首が胴と離れてもおかしくないんだ」
「そんなことはしないわ。だって友人ですもの、いくら失礼なことと言っても私のために言ってくださるのでしょう」
そんなことでいちいち腹を立てるつもりはないのだけれど。
イワンは苦笑したようだ。
「信頼は嬉しいけどね。じゃあ、思い切って言うよ。まず……ミズリィ、君はスミレとどうなりたいんだ?」
「え?どうなる……とは?」
「聞いていると、君たちは親しい間柄じゃないんだろう?どうしてそこまで悩んでいるのかって」
「スミレがどうして断ったのか、それが不思議なだけですわ、悩みというのは……」
「いや、さっきだって、見なかったことにすればいいじゃないか」
「放ってはおけないでしょう?」
「そうやって、誰彼構わず親切にするの?」
「もちろんですわ」
「そう、君ならそう言うんだろうね」
イワンは苦く笑っている。
どういう意味だろう。困っている人を放っておくのは正しいことではないのだ。
「じゃあ、スミレ。君はどう思った?」
スミレはピクリと肩を震わせた。
「どう、とは」
「公爵令嬢に、助けていただいた形だけれど、君の気持ちが知りたい」
「――……」
真っ青になっているスミレ。
どうしてそこまで緊張しているのだろう。
「……そんなに言いにくいことなら、構わなくてよ?」
無理に外套も送るつもりはなかったのだし。
けれど、イワンはこだわった。
「じゃあ、僭越ながら、僕が君の気持ちを代弁しよう」
「! いいえ、ビリビオ様、」
「『困ったな、放っといてくれないかな』……こんな感じ?」
「――!」
スミレはとうとう絶句して、俯いてしまった。
「……どうして、そう思ったのかしら」
ショックじゃなかったとは言わない。
けれど、どうして贈り物ひとつでそこまで迷惑に思われたのだろう。それが不思議だった。
スミレという人間は、ミズリィの目には新鮮に写った。何を考えているのかわからない。
もちろん、悪人ではないのだろう。けれど、今まで見たことがない人間だった。
目の前が晴れていく気がする。
彼女を知れば、ミズリィの悲しく死んだ前世の理由がわかるかもしれない。
「お願いです、スミレ。教えてください。わたくしはあなたを困らせたのですか?」
俯いたまま口を割らないスミレ。
それを眺めていたイワンが、ため息をひとつ。
「彼女は、いじめられているんだ」
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