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取り替えられた結婚相手
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「私たちには話し合いの余地があると思うんだ」
ベッドの上で、男が女に言うセリフとしては、最悪の部類だろう。
数時間前に婚姻の宣誓を交わし、初夜を迎える夫婦にしては……大変におかしなものであり、不適切だった。
もちろん、ディアナベルは怒った。
目の前が真っ赤になるような怒りだ。
「……わたくしの夫になる殿方たちはわたくしを貶めないと気がすまないのですか?」
ディアナは目元が熱くなってきたが、ぐっとこらえる。
ディアナベルは公爵令嬢だ。そう、だった。
このトラス王国で唯一の。
貴族の中では王妃や大公妃、その次に敬われてしかるべき女性。
いくら成人したてで、自分に権力はないと知っていても。
特徴的なアッシュブロンドに、赤みががった金色の瞳以外、平凡な容姿であったとしても、公爵家令嬢の名に恥じぬよう、努力研鑽を積んできた。
生まれたときから王家に嫁ぐことに決まっていたから、ディアナベルは物心ついたときから、未来の王妃となるべく励んだ。
遊びや休憩などもってのほか。マナーは10歳のころまでに全て体に叩き込み、デビュタントまでに貴族の家を覚え社交界の話題をすべて網羅し、淑女のたしなみは完璧に。
その結果が、今日だ。
なぜか、夜の寝室に、子爵だというこの家の主人の、上にまたがっている。
ネグリジェはまだ着たままだ。それに手をかけようともしない子爵に、苛立ったのはディアナベルだった。
さっさと夫婦の務めを果たしなさい――と、急きょ、数時間前に夫となった彼に、乗り上がったのは確かにはしたないが。
けれど、その後の彼の言葉に、怒らないほうがおかしいだろう。
話し合い?出来るものならとっくにしているだろう。
出来ないから、ここでディアナベルは17年間婚約者だった王子のベッドではなく、夜会で数度見かけた子爵のそれにいるのだ。
王命だ、この数時間前に決まった結婚は。
けれど、子爵はのんびりと、寝る前に飲む酒を吟味するような、そんな表情でディアナベルを見ている。
「そんなことをいうものではないよ。私は少なくとも、君の意思を何よりも尊重するつもりだけど」
「ならば、なぜ、夫の義務を果たさないのです?わたくしたちは、夫婦ですのよ!?」
「本当に、きみが心からそう思うならね」
「ええ、王命ですもの。この国の貴族として生きる以上、まっとうしなければ」
「……そうだね、きみはそう言うのだろう」
「……?いいかげんになさって、どこまでわたくしを……」
こんな問答も惜しいと、ディアナベルが男の夜着に手をかけたとたんに――くらりと、めまいがした。
「あ……?」
……こんな香、さっきまで香っていたかしら。
そう思うほど、突然鼻腔に入ってくる、甘くて、いいようがない癖がある匂い。寝室に焚くお香だろう。
不快ではないのだけれど……匂いが鼻をくすぐるたび、くらくらする……
「やっとか」
やれやれ、と男は嘆息する。
ふらりと力を失ったディアナベルを、優しい手つきで抱きとめながら体を起こす。
ディアナベルは、とつぜん力が入らなくなったことに驚いているものの、それがなぜなのか、すでに判断できないほど思考力が落ちていた。
「興奮していたからかな?間に合ってよかったよ……まあ、いいや」
苦笑して、低い声がディアナベルの耳をゆっくりと撫でる。
「おやすみ、ディアナベル嬢。良い夢を」
――今まで聞いたこともない優しい声だわ。
眠りに落ちる直前、そんなことを思って……
「っと、よかったよ……本当に間に合って……」
パイロープはドキドキする胸を片手で押さえた。もう片手は、さっきまで親の仇もかくやと自分を睨んで押し倒してきた女性を丁寧に抱えている。
「いやはや、義務を、とか……そんな……は、」
慌てて頭を振ると、クリムゾンレッドの長い髪がさらさらと夜着の袖に擦れた。
弱ったような、柔らかいダークグリーンの目は、腕の中の女性に注がれている。
女性は、小さく丸まって、パイロープの腕にすがるように腕を伸ばす。むにゃとちいさなむずがるような声も一緒に。
「……はっ」
また注視していた男は、今度こそ表情をまじめなものに切り替えた。
ちいさく、口の中でアナ、と名を呼ぶと、程なくして寝室に女性が入ってきた。
簡素なドレスの、表情が薄い黒髪の少女だ。お辞儀をすると、
「整いましてございます」
「うん、ありがとう」
少女にはいたわり、パイロープはそうっとディアナベルを抱えてベッドから降りた。
片腕でちいさな体を支え、念のためにもう片手でその背中に添えた。
「こう、なるんだね、きみは」
「……」
「ああ、アナも複雑だろうけれど……きっと、彼女はすべて理解してくれると思う。苦労かけるだろうと思うけど、頼む」
「旦那様のご意思ならば」
「……よろしくお願いするよ」
腕にあるのは、ちいさな、あたたかい体だ。
目が覚めて、きっと傷ついて、ディアナベルは泣くのだろう……誰にも見られないように、ひっそりと。
その後……笑顔を見せてくれるように、自分は努力しなければならない。
夜の優しい闇は、アナの持つ燭台が一瞬押しのけて、ほどなく子爵邸をゆるやかに包んだ。
ベッドの上で、男が女に言うセリフとしては、最悪の部類だろう。
数時間前に婚姻の宣誓を交わし、初夜を迎える夫婦にしては……大変におかしなものであり、不適切だった。
もちろん、ディアナベルは怒った。
目の前が真っ赤になるような怒りだ。
「……わたくしの夫になる殿方たちはわたくしを貶めないと気がすまないのですか?」
ディアナは目元が熱くなってきたが、ぐっとこらえる。
ディアナベルは公爵令嬢だ。そう、だった。
このトラス王国で唯一の。
貴族の中では王妃や大公妃、その次に敬われてしかるべき女性。
いくら成人したてで、自分に権力はないと知っていても。
特徴的なアッシュブロンドに、赤みががった金色の瞳以外、平凡な容姿であったとしても、公爵家令嬢の名に恥じぬよう、努力研鑽を積んできた。
生まれたときから王家に嫁ぐことに決まっていたから、ディアナベルは物心ついたときから、未来の王妃となるべく励んだ。
遊びや休憩などもってのほか。マナーは10歳のころまでに全て体に叩き込み、デビュタントまでに貴族の家を覚え社交界の話題をすべて網羅し、淑女のたしなみは完璧に。
その結果が、今日だ。
なぜか、夜の寝室に、子爵だというこの家の主人の、上にまたがっている。
ネグリジェはまだ着たままだ。それに手をかけようともしない子爵に、苛立ったのはディアナベルだった。
さっさと夫婦の務めを果たしなさい――と、急きょ、数時間前に夫となった彼に、乗り上がったのは確かにはしたないが。
けれど、その後の彼の言葉に、怒らないほうがおかしいだろう。
話し合い?出来るものならとっくにしているだろう。
出来ないから、ここでディアナベルは17年間婚約者だった王子のベッドではなく、夜会で数度見かけた子爵のそれにいるのだ。
王命だ、この数時間前に決まった結婚は。
けれど、子爵はのんびりと、寝る前に飲む酒を吟味するような、そんな表情でディアナベルを見ている。
「そんなことをいうものではないよ。私は少なくとも、君の意思を何よりも尊重するつもりだけど」
「ならば、なぜ、夫の義務を果たさないのです?わたくしたちは、夫婦ですのよ!?」
「本当に、きみが心からそう思うならね」
「ええ、王命ですもの。この国の貴族として生きる以上、まっとうしなければ」
「……そうだね、きみはそう言うのだろう」
「……?いいかげんになさって、どこまでわたくしを……」
こんな問答も惜しいと、ディアナベルが男の夜着に手をかけたとたんに――くらりと、めまいがした。
「あ……?」
……こんな香、さっきまで香っていたかしら。
そう思うほど、突然鼻腔に入ってくる、甘くて、いいようがない癖がある匂い。寝室に焚くお香だろう。
不快ではないのだけれど……匂いが鼻をくすぐるたび、くらくらする……
「やっとか」
やれやれ、と男は嘆息する。
ふらりと力を失ったディアナベルを、優しい手つきで抱きとめながら体を起こす。
ディアナベルは、とつぜん力が入らなくなったことに驚いているものの、それがなぜなのか、すでに判断できないほど思考力が落ちていた。
「興奮していたからかな?間に合ってよかったよ……まあ、いいや」
苦笑して、低い声がディアナベルの耳をゆっくりと撫でる。
「おやすみ、ディアナベル嬢。良い夢を」
――今まで聞いたこともない優しい声だわ。
眠りに落ちる直前、そんなことを思って……
「っと、よかったよ……本当に間に合って……」
パイロープはドキドキする胸を片手で押さえた。もう片手は、さっきまで親の仇もかくやと自分を睨んで押し倒してきた女性を丁寧に抱えている。
「いやはや、義務を、とか……そんな……は、」
慌てて頭を振ると、クリムゾンレッドの長い髪がさらさらと夜着の袖に擦れた。
弱ったような、柔らかいダークグリーンの目は、腕の中の女性に注がれている。
女性は、小さく丸まって、パイロープの腕にすがるように腕を伸ばす。むにゃとちいさなむずがるような声も一緒に。
「……はっ」
また注視していた男は、今度こそ表情をまじめなものに切り替えた。
ちいさく、口の中でアナ、と名を呼ぶと、程なくして寝室に女性が入ってきた。
簡素なドレスの、表情が薄い黒髪の少女だ。お辞儀をすると、
「整いましてございます」
「うん、ありがとう」
少女にはいたわり、パイロープはそうっとディアナベルを抱えてベッドから降りた。
片腕でちいさな体を支え、念のためにもう片手でその背中に添えた。
「こう、なるんだね、きみは」
「……」
「ああ、アナも複雑だろうけれど……きっと、彼女はすべて理解してくれると思う。苦労かけるだろうと思うけど、頼む」
「旦那様のご意思ならば」
「……よろしくお願いするよ」
腕にあるのは、ちいさな、あたたかい体だ。
目が覚めて、きっと傷ついて、ディアナベルは泣くのだろう……誰にも見られないように、ひっそりと。
その後……笑顔を見せてくれるように、自分は努力しなければならない。
夜の優しい闇は、アナの持つ燭台が一瞬押しのけて、ほどなく子爵邸をゆるやかに包んだ。
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