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1.生きていくには
しおりを挟むミカは走っていた、わけもわからず。
ただ、怖いという感情と、驚きと不安が小さな背中を押していた。
亜麻色の髪はボサボサで、金色の大きな瞳は濡れて歪んでいた。幼く愛嬌がある顔は、簡素なワンピースと一緒で薄汚れていた。とうに靴はなくなっていた。
細い肉のついていない足を懸命に交互に動かす。
(苦しい……立ち止まってはだめだ……)
逃げている。
現実から。
彼女はずっと同じことを思っていた。
どうしてまた、こうなるんだろう。
走って走って。
はっと気がつくと、ミカは知らないところで寝そべっていた。
「……?」
「あっ、起きたよ、ブロー!」
近くで声がしたと思ったら、視界いっぱいにわらわらと子どもが集まってきた。
知らない子たちだ……
「……え!?」
ここで、一体自分はどうしたのか、すこし前のことが思い出せなくて不安になった。
たしか、自分の家から逃げ出して――
そう、逃げ出したのだ、家から、父親から。
殴られて、驚いたし怖かった。
殴られていたのはしょっちゅうだった。
けれど、今回のはいつもの憂さ晴らしとは違う。
ミカが、仕事を貰えなかったから。
父親は怒ってミカを何度も殴り、蹴って、どこかの骨を折る。いや、もっとひどいことになるかも――
思わずぶるりと身を震わせると、子どものひとり……女の子がそっと手を伸ばして頭を撫でてくれた。
「だいじょうぶ?こわい目にあったのかな」
「あ……」
優しい子だな、と思う。
その心配する顔に、なんとなくほっとした。今周りにいるのは同い年くらいの……10歳前後の子供たちばかりだ。ミカをどうこうできるような子たちじゃない。
すこしものが腐ったような匂いと、ミカにかけられている肌触りのよくない毛布。
……あの怖い父親がいる家じゃない。
「……ここはどこ?」
「街の端っこさ。覚えてないのか?」
男の子が不思議そうに言った。
(街の端っこ……?ああ、あのスラム街)
汚れた町、と言って大人たちは嫌そうに近寄らなかった、スラム街。
そういう町が一体何なのか、今なら分かる。
そう、前世の記憶を取り戻したから。
(日本はともかく、海外だとまだあったりするって……)
そう、この世界でも――いや、文明が以前の世界の数百年以上前のこの世界では。
貧困で住む家もない人々の街がある。
思い出したのは、父親に殴られた時だ。
火花が散った、と思うくらいに強く殴られて、その時ふっと以前の生……日本という国に生きていた自分を思い出した。
(転生…っていうの?漫画でも見たけど)
自分がそんなことになるとは思わなかった。
「おい、聞いてるのか」
男の子のイライラとした声に、はっと我に返った。
「お兄ちゃん、そんなに言わないで。きっとなにかあったのよ」
「……わるかったよ」
さっき頭を撫でてくれた女の子……薄い色の髪に、薄水色の瞳の優しげな子が、勝気そうな金髪の男の子をたしなめている。
男の子も悪気はないようで、ミカにはいちおう謝ってくれた。
「ううん、ごめん、……あの、あなたたちは誰?」
「あ?そりゃ……」
面倒くさそうに、男の子は言った。
「親なしだ。全員な」
ばたん、と大きな音を立てて閉まる扉。
薄汚れた木の扉は、分厚くミカを拒む。
「たしかに……前よりぜんぜんだめね」
仕事をもらいたかったのに。
あの日、家から逃げ出す前まで、よく小さな商店や宿で雑用に雇ってもらっていた。
それでなんとかミカと父親の生活費は稼いでいたのだけれど……今は、どこに行ってもミカの身なりを見て一瞬で顔を背けられる。
もう何日も洗っていない体と、汚れが染み付いたワンピース。
見るからに浮浪児だと分かるから、当たり前なのかもしれない。
そういう差別は普通なのだ、今のこの世界では。
(けれど……諦めるわけには)
家に帰りたくない。
だから、一人でも生きていけるようにしなければ。
きゅっと唇を引き結んで、道を引き返す。
食べるものも買えないこの状況で、生きていくにはまずはお金だ。
けれどもう何日も仕事をもらえない。
これを、あの子供たち――スラムに住む子たちは最初からミカに忠告していた。
ぜったい、雇ってもらえるところなんてないと。
じゃあ、親も家もない彼らはどうしていたか。
街に出て、人の懐からお金を取ってくるのだ。
スリである。
(だめって言っちゃったし……やっぱり、だめだよ、犯罪だし)
彼らにスラムの入り口で倒れていたミカは助けられた。
どこにも行く当てがないのならと、彼らが住んでいる小さな家――というより、小屋に居候させてもらっている。
彼らに、盗みはやめよう、と言ったのは、以前の日本に暮らした記憶があったからだ。
以前もお金がない生活をしていた。
けれど、そういうスリや盗みなんて、どうしても出来なかった。法治国家と言われた国だ、どこも安全で、行政の仕組みもあった。だから、犯罪なんてしたことがない。
この世界では盗みは犯罪ではないのかというとそうじゃない。
むしろ、捕まったら日本よりも厳しく罰せられる。裁判もなしに。
それが怖いというのもある。
(でも生きていくには……)
……やはり、悪いこともする必要があるのか。
とぼとぼとスラムへの道を引き返していると。
ふと、街の家の影に、見覚えがある姿があった。
銀髪の、小柄な少年だ。ミカも大きくはないが、彼は同じくらいの背丈だった。ひょろっとしていて……けれど顔立ちが美しい子だった。
その子が、物陰に隠れて通りを見ている。
(……あ!)
ちょうど、彼のスリの現場を見つけたらしい。
(待って!)
慌てて彼に近づく。
彼がミカの気配に気づいたときには、彼の背後にいた。
「……だめ。危ないよ」
「……」
ぎろり、とにらまれた気がする。赤い目が、ミカの金の目とかちりと合う。
「あの人でしょ?黒いコートで大きな体の……」
「……」
「だめだって!」
むっつりとしたまま道に出ていこうとする彼の手を握った。
「ごめん。でもやめたほうがいい。その人の近くの建物の影」
「……!」
警吏が立っていた。彼は気づいていなかったらしい。
「捕まったら……手を切り落とされるって」
恐ろしい話を聞いた。
スリや盗みを働いた場合、もう二度と出来ないように腕を切るのが罰だという。
「……ごめんね……でも、私はあなたに捕まってほしくない……」
「……」
銀髪の少年の、その端正な顔は無表情のまま。
……どうやら、諦めてくれたらしい。
「今日は帰ろう?もう夕方になる」
自分たちのような子どもがいうことじゃないけれど、暗くなると犯罪率が上がる。
そんなものだから、弱くて身寄りがない子どもらは夜には絶対に外に行かないのだ。
渋々といったふうに、銀髪の少年はミカに手を引かれてスラムの方へと足を向けた。
あらめて見ても本当に綺麗な子だ。
「……ねえ、名前は?私はミカ」
住まいにしている崩れかけの小屋には、ミカを含めて10人の子どもがいた。そのうちの数人とは話したけれど、彼とは一度も口をきいたことがない。
「……ロダン」
ぼそりと答えてくれた。
少しは親しくなれたのかもしれない。
嬉しくて笑うと、ちょっと不思議そうな顔をした……気がした。無表情だけれど。
その後特に話すことはなかったけれど、同じ道を歩いて帰る仲間がいると、少しだけうきうきする。
今まで、このミカの人生ではそんなことはなかったから。
父親しか家族はおらず、彼はいつも酒瓶を抱えて外に出ない。同じ家にいても、一緒にはいない、そんな感覚だった。
だから、こんな状況でも、誰かがいるところに、同じく帰ろうとする人が近くにいるだけでうれしい。
けれど――そんな浮かれていられたのも、帰るまでだった。
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