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3.小さな天使
しおりを挟むその日、天使がスラム街に降臨した。
酔って足を滑らせた男が、地面に転がって呻いている。
どうも打ちどころが悪かったらしく、足の痛みがひどくて起き上がれなかった。
そういう輩はこの街に多い。
そして……そういう間抜けなものは、他の悪い人間が身ぐるみ剥いで行く。殺されもする。
男は痛みとこれからの恐ろしい未来に涙していた。
そこに、通りかかる小さな影がふたつ。
「なあ、おっさん」
少年の声だ。
男は涙がにじむ目をその影に向けた。
2つの影は濃い色の布をすっぽりかぶって姿が見えない。
「そのケガ、治してやろうか」
「はあ……?」
「治したくないのか?ここにいたらそのうち追い剥ぎにあうぞ」
「分かってらあ……!けどこんな痛えの、どうしようもねえんだよ!」
「だから、治したくないのかって聞いてるんだ」
「はん、治せるならとっくに……え?」
もうひとりのローブが、身をかがめた。
そっと、小さな手が放り出された男の脚に触れそうなほど近づき……光った。
「え?……痛くない……!?」
「どうだ、治っただろう?」
「なんだお前ら」
「おっと、なにも聞くな。治ったのはこの……この人が、とくべつに神さまに祈ったんだ。どうだ、ありがたくないか?」
「お、おう……」
「じゃあ、その気持ちを、なにか形にしろ」
「はあ?金をせびろうってのか」
「いいや、おまえ持ってないだろ」
「このガキ」
「だからさ、そこの飲みかけの酒でいいよ」
転んだときにこぼしてしまったが、細口の瓶の形のおかげでまだ中身は残っていた。
「うぐ……、まあ、安酒だ、仕方ねえ」
「じゃあ、もらってく」
ひょいと酒瓶を持ち上げ、その2つの影は去っていった。
「……なんだったんだ?」
おそるおそる立ち上がるが、いつもよりも調子がいいくらいだった。
「……なんか変なもんに会っちまったかな」
なんだか毒気を抜かれた男は、それからしばらくのちにスラム街を出ていった。
娘が、怪我をした。
裕福な男が飼っていた犬が脱走し、たまたま街に出ていた娘が噛まれたのだ。
誰も助けることができず、腕をずたずたにされた娘は生死の境をさまよっている。失血と傷が膿んで高熱を出し、両親が払えるお金で呼んだ薬師では手の施しようがなかった。
当然のように、飼い主は知らん顔だ。
しずかに、刻一刻と娘の命が消えていく……そんな日々。
こんこん、とドアを叩く音がして、泣き疲れた妻がおそるおそる開くと。
小さな天使がそこにいた。
実際はふたりの子どもらしく、ローブをかぶっていて人相はわからなかった。
娘を治してやると言われて、高額の寄付をせびる神殿には用はないと言ったら、そんな奴らと一緒にするなよ、と少年の声で怒った。
「子どもを助けたくないのか」
「助けたい……!」
「じゃあ、おれたちを家に入れろ」
彼らが、娘を癒した。
しゃべらないもうひとりのほうが祈るように手を合わせると、光った。
かと思えば、娘の腕はみるみると治っていき……
「ああ、何でも持っていけ、パンか?野菜もあるぞ!」
「ハムはこれだけしかないの……!また来てくれたら、もっとたくさん用意しておくわ!」
「ありがとう!お兄ちゃんたち!」
天使たちは山ほどの食べ物を抱えて、逃げるように家を出た。
「なあ、ミカの言ったとおりだな……?」
「う、うん、ハムなんてどうしよう……?」
「ま、まあくれるって言ったし……こわくなってきた、はやく帰ろう」
「……うん!」
ミカが来た時は崩れかけた小屋だった場所は、今は賑やかだ。
「もうちょっと、えっと……上!」
「おおきい板って残ってる?」
「ハンマーどこだ!」
だめになった場所を壊し、トントンカンカンと、あちこちで板を当てて釘を打っている。
みんなで、小屋を――家を直していた。
「メレちゃん、今日もお宿?」
「うん、そうだよ」
慣れたようにローブを羽織るメレに、小さな板を持った女の子が話しかけていた。
「今日もお客さんいっぱいだといいね!」
「ね!」
ミカは、そんな会話を聞きながら自分もローブを着た。
メレがスキル開花してから、しばらく経った。
ミカがあの日提案したのは、メレの力で人々を癒し、そのかわり何かをもらおうというものだった。
お金、というと、神殿と一緒になってしまう。
だから、メレには本当に困っている人にスキルを使ってもらい、なんでもいいから、物をもらう。
(競合を避けるのと、お金じゃないからハードルが下がる)
最初はスラム街で転んで怪我をした男だった。
彼からは酒と、その瓶をもらう。
次も同じような男から、やはり酒を。
勇気を出して街に行くと、不幸にも犬に噛まれた女の子を助け。
ちょうど事故に巻き込まれて、脚がつぶれそうになった荷運びの人を。
喧嘩で頭から血を流していた人を。
――そうやっているうちに、いつしかメレは『小さな天使』と呼ばれて、街の噂になった。
今では直接探しに来る人もいるくらいだ。
今日は、宿の酒場の一部を借りて、そこで患者を待つ。
街の、神殿には行けない人たちと、大きな怪我でもないから医者にかかりたくない人たち、駆け出しの冒険者たちも同じようにお金がなくて、怪我はほうっておくしかできない――宿は、人が集まるからうってつけだった。
メレとミカがローブで顔を隠し、宿に入ると歓声が上がる。
「天使ちゃん!」
「へえ、あれが……」
「頼む、治してほしい……!」
「小さいな、子どもだろう?」
「本当に治せるのか?」
「はいはい、あんたら大きい声出すんじゃないよ!」
おかみさんがぴしゃっと言うと、宿の酒場は静かになる。この宿ではおかみさんの言うことがぜったいなのだ。
メレがおずおずとその角の席に座ると、わらわらと人が集まってくる。
メレはひとりひとり丁寧に傷を治していく。
気をつけなければいけないのは、興味本位でメレにちょっかいをかけてくる人間と……彼女の限界だ。
メレはがんばりやさんなので、目を離すと疲れてもスキルを使い続ける。
ミカもよく分かっていなかったが、どうやらスキルを使うためのエネルギーが必要らしい。前世のところの漫画ゲームでいうMPとかいうものだろう。
メレはスキルの練習中に、そのエネルギーを使い切って倒れた。
あとから治療した冒険者にこっそりと聞くと、やはりスキルを使い続けると疲れるのだということを教えてくれた。
(無理はさせたくない……)
みんなのため、とメレは張り切っているけれど、それは彼女が健康だからできることだ。
もしメレになにかあったら……ミカは謝っても謝りきれない。
こうやって街に連れ出したのは、ミカだから。
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