鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫

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第五話 本命チョコはフォンダンショコラ

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離婚を切り出すと、将司はあっさり受け入れてくれた。


「里英はもう僕のことも、お母さんのことも、二度と信用できないと思う。だからもう、仕方ないよね……」


 最後まで自分が悪いとは言わず、あくまで私に非があるような言い方をするのに腹が立ったけれど、この人をそんな人だと見抜けなかった私にも責任がある。これ以上、凛太朗も私自身も、不幸にしちゃいけない。


 離婚が決まってからは、毎日大変だった。凛太朗の転校手続き、新しい学校の入学手続き。年度が変わるまでは今の学校に通うけれど、春休みに引っ越しを済ませて、新しい学校へ通う予定。

昼間、凛太朗が学校に行っている間、八年間住んでいた家を少しずつ片付けていた。私のものだけじゃなくて、凛太朗のものも少ない。アルバムなんて、赤ちゃんの頃のものしかなかった。


「写真を撮る余裕もないくらい、追い詰められていたんだなあ……」


 たしかに凛太朗は大変な子で、ふつうと違うのは事実。写真を撮るにしたって、素直にカメラの方を向いてくれることは少ない。


 でも、これから私に少しでも余裕ができれば。大変なだけじゃない、やさしい子に育ってくれた凛太朗と、きちんと向き合うことができたならーー。


 離婚が決まってから、将司は土日も家にいないことが増えた。朝ご飯を食べると、「ちょっと出かけてくる」とさっさと家を出てしまう。

義母と話し合っているか、例の見合い相手と会っているのかもしれない。もうどうでもいいことだけれど。


「大仏見たい」
 シンクでお皿を洗っていると、凛太朗が近づいてきてそんなことを言い出した。


「大仏って、高徳院の?」
「大きな大仏」
「大仏かあ……」


 せっかく鎌倉に住んでいるのに、よく考えたらいちばんメジャーな観光地である、高徳院にさえ行ったことがなかった。あんなに人がうじゃうじゃいる場所で、凛太朗がパニックを起こしたらどうしようかという懸念もある。

 でも、最後ぐらい望みを叶えてあげてもいいかもしれない。


「凛太朗、ちょっと待ってて。お皿洗ったら、すぐ支度するから」

 洗いものを済ませてぱっぱとナチュラルメイクをし、ワンピースの上に未だ寒い鎌倉の地向けの分厚いコートを着て、凛太朗と手をつないで家を出た。


 高徳院に行く前に、寄りたい場所があった。鶴岡八幡宮近くの停留所で降り、この前の住宅街を目指す。あのお兄さんは、カウンターで泣きだした私のことを本気で心配していた。

あの時間が、彼の言葉が、してはいけない決断に至った私を思い止まらせてくれたんだ。来月末には鎌倉を去るんだし、その前に感謝を伝えないと。

 しかし、あのしっとり黒い建物はどこにもなく、代わりに白い外壁のお洒落な外観のカフェが建っていた。


「おかしいなあ、場所を間違えていないはずなんだけど……」


 まさに狐につままれたような気分。スマホでマップアプリを開いたり、検索をかけてみても、あのお店は出てこない。ネットに情報を出していないんだろうか。

 不思議な気持ちのまま佇んでいると、凛太朗がむっつりした顔で私の袖を引く。


「大仏」
「そうだね……行こっか」


 なんとなく、もうあのカフェにはたどり着けないんだという確信があった。お兄さんにお礼を言えないのは名残惜しいけれど、あれは一期一会だったのだとあきらめるしかない。


 土曜日の江ノ電は乗車率が高く、リュックを背負った外国人観光客の姿が目に付く。凛太朗に何度も、「静かにしていてね」と言ったけれど、凛太朗は車内で一度も騒がなかった。長谷で降りて、高徳院へ向かう。

春のまだ来ない寒い日でも、さすが土曜日の鎌倉。狭い歩道には人がひしめいていて、立ち並ぶ飲食店やお土産屋の店内も賑やかだ。


「アイス食べたい」
 いわゆる映えアイス、というやつだろう。外国人観光客が手にしているカラフルなアイスを目にした凛太朗が、そっちを指さして言う。目が輝いていた。


「こんな寒い日にアイス?」
「アイス食べたい」

 こうなってしまうと、凛太朗は買ってあげないと梃子てこでも動かない。でも、今日はちゃんと向き合ってみることにした。


「大仏様もね、神社みたいに、お願いを叶えてくれるの」
「お願い?」

「そう。凛太朗がいい子になれますようにってお願いしたら、いい子にしてくれる。だから、アイスとかおいしいものは、お参りの後。そのほうが、大仏様も喜ぶよ」


 こんな理屈で通じるかなあ、と思ったけれど、凛太朗は何かを考え込むような顔になって、そして聞いてきた。


「神社と大仏様は、違うの?」
「えっとそれは……」


 向こうは神様、大仏様は仏教。厳密には違うはずだけど、上手く説明できない。子どもらしい無邪気かつ非常に高度な問いに無言になってしまった。凛太朗はじっと答えを待っている。


「違うけど、違わない……が正解かな?」
「違うけど違わない?」

「そう。神様も仏様も、私たち人間がいい方向に進めるように、幸せになれるように、祈ってくれてる。だから、お参りに行く時は、精一杯の敬意を持たなきゃね」

「アイス後にする」


 素直にそう言ってくれた凛太朗の頭をやさしく撫でた。

 ちゃんと言い聞かせてやれば、この子だって我慢できる。成長する余地は、たくさんあるんだ。

 寒空の下、厳かに目を閉じている大仏様を、観光客たちがパシャパシャと写真に収めている。

境内には二メートルくらいありそうな大きなわらじがあったり、すっかり葉を落とした紅葉の下には石碑が佇んでいて、大仏様の他にもそこかしこにフォトスポットがあった。

凛太朗は大きなわらじが気に入ったらしく、じっと見つめている。

 他の人たちと一緒に、少し離れた場所から大仏様に向かって手を合わせた。


 大仏様、今まで私は、決していい母親じゃありませんでした。

 ちっとも思い通りにならない凛太朗に不満を募らせて、勝手に被害者ぶって、挙句の果てにはしてはいけないことをしようとしていた。

 それでも私は、あきらめたくない。あきらめてはいけない。

 凛太朗はたしかに大変な子だけれど、それだけじゃないんです。

 どうか私と凛太朗の未来が明るいものであるよう、祈っていてください――。


 長々と手を合わせると、近くにいた外国人観光客に笑顔でスマホを差し出された。どうやら、写真を撮ってほしいらしい。

突然の英語におどおどしつつ、大仏様をバッグに幸せそうなカップルを撮ってあげると、今度は私のスマホを指さした。これは、お礼に私たちも撮ってあげるよ、ということなのか。


「プリーズ」

 大仏様を背に、凛太朗と一緒にカメラに収まった。お礼を言って、スマホを受け取る。ぎこちない笑顔の私の隣に、もっとぎこちない顔をしている凛太朗。

 ほんの少しだけ、微笑んでいるように見えなくもない。


「グットボーイ」

 別れ際、彼らが言ってくれたそんな小さな言葉が、胸に染みた。
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