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第六話 お土産はいちごショート
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暖かい日が続いて、ソメイヨシノの蕾は一気に開き、週末の鎌倉にはどっと人が押し寄せた。
東京から電車でやってきた美保と美香は、互いにべちゃくちゃとしゃべりながら忙しく動き回っている。
「お母さん、まだこたつは仕舞わなくていい?」
「これから花冷えがあるかもしれないし、あと一、二週間くらいはそのままにするわ」
「お母さん、クリーニングするものとかあったら、今お姉ちゃんと出しに行くよ?」
「それくらい自分でできるわよ」
老いた母のひとり暮らしって、そんなに心配なものだろうか。美保がデパートで買ってきたという紅茶を淹れてくれて、美香がいい匂いー、と喜んでいた。しばらく、子どもの話や旦那の話など、世間話が続く。やがて美保が改めて、という調子で私を見据えた。
「それでね、お母さん。今後のことなんだけれど」
やや硬い声のトーン。私もつい、背筋がすっと伸びる。
「美香とも話し合ったの。やっぱり、いつまでもお母さんひとりで、ここで暮らすのは心配だから。この家だって、お母さんひとりで維持していくのは大変でしょう? だからわたしたちのどちらかと、一緒に暮らしてくれたらうれしいなって。お母さんは私と美香、どっちと一緒がいい?」
「わたしのところ、子どもがまだ小さいし。お母さんがいてくれるとすごくありがたいな」
心配だ、という言葉に他意はないのかもしれない。美保も美香も、ふたりの旦那さんもいい人だし、案外こちらの心配なんか杞憂で、同居しても今までどおり、仲良くやっていけるかもしれない。
でも、私はもう決めたのだ。
「ふたりがそう言ってくれるのはありがたいけれど。私はお父さんと過ごしたこの家から、離れる気はないわ」
「お母さん……」
四つの眉が残念そうに下がった。そんな顔をされると申し訳ないけれど、言いたいことは言わなきゃ伝わらない。ふたりにもずっと、そうやって教えてきた。
「あなたたちが私のことを心配してくれるのはうれしい。でも、それって鎌倉を離れるのが大前提になってるじゃない。こちらの立場になって考えてみて、私はもう三十年以上も鎌倉に住んでるのよ。
美保も美香も都会に住んでいるし、この歳になってそんなところで新しく暮らすなんて、想像するだけでおっかないの。だいいち、この家はお父さんと過ごした大切な家よ。かんたんには手放せない」
「気持ちはわかるけれど……お母さんは、寂しくないの?」
美香に言われ、ちょっと考えてから言った。
「寂しいわよ、とても。でもその寂しさの種類は、あなたたちが抱えている寂しさとは、少し違う。美保と美香にとっては、父親を喪う寂しさよね。
でも私が亡くしたのは、何十年も一緒に暮らしてきた、人生を共に歩もうって決めた人なの。だから家族とはいえ、この気持ちを完全に、あなたたちと分かち合うことはできないと思う。一緒に暮らしても、どれだけ乗り越えるよすがになるかっていうと、疑問に思っちゃうの」
「わたしたちじゃ、お母さんの役に立てないってこと……?」
「そうじゃないわ。人生にはね、乗り越えようのないことってあるの。少なくとも今はまだ、無理に前を向こうとか、乗り越えようとか、そんなことを考える段階じゃないと思う。
お父さんと一緒に過ごしたこの家で、お父さんのことを思い出しながら、お父さんとの日々を慈しんで、浸っていたい。心配かもしれないけれど、しばらく見守っていてくれないかしら」
美保は口をつぐみ、美香は考え込む顔になった。こうして言葉を尽くしてみても、まだ結婚して日の浅いふたりには、パートナーを喪う苦しみなんて、どうしたって想像できないのだ。
私が抱えている寂しさも、苦しさも、悲しさも、すべて私ひとりで抱きしめていくしかない。
それらの気持ちにどう折り合いをつけるかが、私が人生の最後にすべきことなのだから。
「わかったよ、お母さん」
美香が言って、美保がちょっとおどろいた顔になる。
「お母さんの気持ちはわかった。正直ちょっと心配だけれど、今は見守ることにする。お姉ちゃんも、そうしてあげようよ。お母さん、病気とかじゃないし、ちゃんと身体も動くんだし、今すぐ同居って急ぐ状況でもないしね」
「そうね……でもお母さん、何か困ったことがあったら、すぐにわたしか美香に言って。いつでもすぐに駆け付けるから。わたしたち、いつまでも子どもじゃない。今はちゃんと社会に属している大人なのよ、頼れる余地はたくさんあるんだから」
「ありがとう。ふたりとも、わかってくれてうれしいわ」
ふと庭に目をやると、片隅でジンチョウゲが白い花を広げている。結婚当初にお父さんが植えた、春になると芳しい香りを楽しませてくれる、少し地味だけど可憐な花。花言葉はたしか、「永遠」「不死」、あとは、「甘美な思い出」――
「お父さんの身体はもうどこにもないけれど、お父さん自身は、死んでないわ」
私のなかにも、美保のなかにも、美香のなかにも、まだお父さんは生きている。
あの人がくれた言葉や笑顔が、私たちの身体にちゃんと染み込んでいて、これから生きていくためのヒントになるはずだ。
「美寿、定年したらふたりで全国を回らないか。僕たち、北海道にも沖縄にも行ったことがないだろう? 何歳からだって、ひとは成長できる。世界を広げられるんだよ」――
そんなことを言っていた矢先に、がんが見つかってしまったお父さん。まだやりたいことがたくさんあったのに、早すぎる死だった。
だからこそ、遺された私は。
「気が済むまで泣いて悲しんで、涙がすっからかんになった時に。自分のなかに、何が残っているかたしかめたい。きっとそれが、これからやりたいことだと思うの」
「やりたいこと?」
「年寄りにだって、可能性はあるのよ。せっかく独身に戻ったんだもの。恋をしちゃうかもしれないわね」
「何それ!」
「美保ってばなんて顔してるの。冗談に決まってるじゃない。お父さん以外の人なんて、考えられないわ」
からからと笑うと、美保はんもう、とため息を吐き、美香はお母さんってば、と目を細めていた。
恋はしないだろうけれど、ひとりきりの世界でも、いくらでも色をつけられる。
また働いてもいいだろうし、趣味に生きるのもいい。これからあと十年か、二十年か、三十年かわからないけれど、私にはまだまだ時間がたくさんある。
お父さんと一緒に作った思い出がたくさんある世界なんだから、地獄にしちゃいけないんだ。
東京から電車でやってきた美保と美香は、互いにべちゃくちゃとしゃべりながら忙しく動き回っている。
「お母さん、まだこたつは仕舞わなくていい?」
「これから花冷えがあるかもしれないし、あと一、二週間くらいはそのままにするわ」
「お母さん、クリーニングするものとかあったら、今お姉ちゃんと出しに行くよ?」
「それくらい自分でできるわよ」
老いた母のひとり暮らしって、そんなに心配なものだろうか。美保がデパートで買ってきたという紅茶を淹れてくれて、美香がいい匂いー、と喜んでいた。しばらく、子どもの話や旦那の話など、世間話が続く。やがて美保が改めて、という調子で私を見据えた。
「それでね、お母さん。今後のことなんだけれど」
やや硬い声のトーン。私もつい、背筋がすっと伸びる。
「美香とも話し合ったの。やっぱり、いつまでもお母さんひとりで、ここで暮らすのは心配だから。この家だって、お母さんひとりで維持していくのは大変でしょう? だからわたしたちのどちらかと、一緒に暮らしてくれたらうれしいなって。お母さんは私と美香、どっちと一緒がいい?」
「わたしのところ、子どもがまだ小さいし。お母さんがいてくれるとすごくありがたいな」
心配だ、という言葉に他意はないのかもしれない。美保も美香も、ふたりの旦那さんもいい人だし、案外こちらの心配なんか杞憂で、同居しても今までどおり、仲良くやっていけるかもしれない。
でも、私はもう決めたのだ。
「ふたりがそう言ってくれるのはありがたいけれど。私はお父さんと過ごしたこの家から、離れる気はないわ」
「お母さん……」
四つの眉が残念そうに下がった。そんな顔をされると申し訳ないけれど、言いたいことは言わなきゃ伝わらない。ふたりにもずっと、そうやって教えてきた。
「あなたたちが私のことを心配してくれるのはうれしい。でも、それって鎌倉を離れるのが大前提になってるじゃない。こちらの立場になって考えてみて、私はもう三十年以上も鎌倉に住んでるのよ。
美保も美香も都会に住んでいるし、この歳になってそんなところで新しく暮らすなんて、想像するだけでおっかないの。だいいち、この家はお父さんと過ごした大切な家よ。かんたんには手放せない」
「気持ちはわかるけれど……お母さんは、寂しくないの?」
美香に言われ、ちょっと考えてから言った。
「寂しいわよ、とても。でもその寂しさの種類は、あなたたちが抱えている寂しさとは、少し違う。美保と美香にとっては、父親を喪う寂しさよね。
でも私が亡くしたのは、何十年も一緒に暮らしてきた、人生を共に歩もうって決めた人なの。だから家族とはいえ、この気持ちを完全に、あなたたちと分かち合うことはできないと思う。一緒に暮らしても、どれだけ乗り越えるよすがになるかっていうと、疑問に思っちゃうの」
「わたしたちじゃ、お母さんの役に立てないってこと……?」
「そうじゃないわ。人生にはね、乗り越えようのないことってあるの。少なくとも今はまだ、無理に前を向こうとか、乗り越えようとか、そんなことを考える段階じゃないと思う。
お父さんと一緒に過ごしたこの家で、お父さんのことを思い出しながら、お父さんとの日々を慈しんで、浸っていたい。心配かもしれないけれど、しばらく見守っていてくれないかしら」
美保は口をつぐみ、美香は考え込む顔になった。こうして言葉を尽くしてみても、まだ結婚して日の浅いふたりには、パートナーを喪う苦しみなんて、どうしたって想像できないのだ。
私が抱えている寂しさも、苦しさも、悲しさも、すべて私ひとりで抱きしめていくしかない。
それらの気持ちにどう折り合いをつけるかが、私が人生の最後にすべきことなのだから。
「わかったよ、お母さん」
美香が言って、美保がちょっとおどろいた顔になる。
「お母さんの気持ちはわかった。正直ちょっと心配だけれど、今は見守ることにする。お姉ちゃんも、そうしてあげようよ。お母さん、病気とかじゃないし、ちゃんと身体も動くんだし、今すぐ同居って急ぐ状況でもないしね」
「そうね……でもお母さん、何か困ったことがあったら、すぐにわたしか美香に言って。いつでもすぐに駆け付けるから。わたしたち、いつまでも子どもじゃない。今はちゃんと社会に属している大人なのよ、頼れる余地はたくさんあるんだから」
「ありがとう。ふたりとも、わかってくれてうれしいわ」
ふと庭に目をやると、片隅でジンチョウゲが白い花を広げている。結婚当初にお父さんが植えた、春になると芳しい香りを楽しませてくれる、少し地味だけど可憐な花。花言葉はたしか、「永遠」「不死」、あとは、「甘美な思い出」――
「お父さんの身体はもうどこにもないけれど、お父さん自身は、死んでないわ」
私のなかにも、美保のなかにも、美香のなかにも、まだお父さんは生きている。
あの人がくれた言葉や笑顔が、私たちの身体にちゃんと染み込んでいて、これから生きていくためのヒントになるはずだ。
「美寿、定年したらふたりで全国を回らないか。僕たち、北海道にも沖縄にも行ったことがないだろう? 何歳からだって、ひとは成長できる。世界を広げられるんだよ」――
そんなことを言っていた矢先に、がんが見つかってしまったお父さん。まだやりたいことがたくさんあったのに、早すぎる死だった。
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「気が済むまで泣いて悲しんで、涙がすっからかんになった時に。自分のなかに、何が残っているかたしかめたい。きっとそれが、これからやりたいことだと思うの」
「やりたいこと?」
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