人間観察記『ドヤの店』

具流次郎

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海パンの人

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  商売にも慣れ、客にも慣れ、精神的にも安定して来た頃・・・秋(飽き)が来た。

 九月。
祭りも過ぎたある暑い日の事であった。
今日もまた、愛すべき常連の「変客」が、朝から買い物に来ている。
 午後。
忙しさも一段落した頃、いつものように石田さんが、『おでん制作中! 暫し待て』の 札(フダ)を鍋にぶら提げ、おでんを作り替えている。
静子はフロアーに出て、売れ残った朝刊の返却整理をしている。
するとドアーチャイムが鳴り、男が店に入って来る。
静子はお客様の足元に邪魔にならない様に、整理した新聞をフロアーの隅に移動する。

 「いらっしゃいませー」

静子は男を見上げる。
男の風体(フウテイ)は上から順番に、まず阪神タイガーズの野球帽を被り、アロハシャツを羽織って耳に「赤鉛筆」を挿している。
が? その下は、濃紺の競泳用『海水パンツ』にビーチサンダルである。
静子は急いで視線を逸(ソ)らす。
男は「おでんを制作中」 の石田さんの前に来て ジッと鍋の中を覗(ノゾ)いている。
石田さんは男を見て、

 「オデンはまだ出来てないっスよ」

男は薄気味悪い笑いを浮かべて一言。

 「シラタキ」

石田さんは怒って、

 「オデンは出来てないでスッ!」
 「いいよ」

石田さんは声をはって、

 「だから、売れませんッ!」

男は石田の言葉を無視して、

 「シタラキ」

石田さんは呆れた顔で、

 「オナカ壊(コワ)しても知りませんよ」

男は石田さんの忠告を無視して、

 「二つ」

石田さんが舌打ちをし、

 「暖(アッタ)めてから食べて下さいよ」

シブシブ、発泡スチロールのトレイを取り出しシラタキを入れる石田さん。
男はまた不気味な笑いを浮かべて、

 「クシ!」
 「え~え、ダメですよー」
 「カマネエーよ」

石田さんは男を睨みながら串を一本、トレイにのせる。
男は小銭をカウンターに置き、トレイを片手に店を出て行く。
 『ハエが一匹、男の後を追って行く』
静子は、そっとその男を目で追う。
弾ける様な海パンの腰に、「競馬新聞」が折り曲げて挿してある。
すると、男は道路の真ん中にしゃがみ込み、競馬新聞を見みながらシラタキを串に刺して、旨そうに食べ始める。
男は静子の視線を感じたのか、振り返り静子に笑顔を送る。
静子は急いで視線を逸らす。
石田さんはおでんの味見をしながら

 「・・・あんなのばっかりっスよ」
 「あのお客さん水着だったわね」
 「え? ああ、アイツ、夏は海パンで通してるんス。洗濯しなくて良いからでしょ」

静子は驚いて、

 「え~えッ! そんな。・・・でも、あんなの食べてお腹壊さないかしら」
 「だって、本人が冷たくたて良いッて言うンだもん。アイツ、トコロテンか何かと間違ってんじゃないスか。『ウマキチ』だけっスよ。あんなの喰えるヤツは」
 「ウマキチ? ああ、あの競馬新聞ね」
 「違いますよ。アイツの名前(ナ・マ・エ)!」
 「ええッ!?」
 「アイツこの前、うちの店留メ(ミセドメ)で田舎(イナカ)からリンゴ、送って来(コ)させたんスよ。そこに、藤田馬吉(フジタ ウマキチ)って書いてあったんス」
 「ああ、それで・・・」
 「最初、夜勤(バイト)の藤田のヤツかなっと思ってたんスけれど。アレが取りに来たんス」
 「でも、うちの店留めって、馬吉さん住む所ないのかしら」
 「知らないっスよ、そんな事まで。だいたい、この店の住所を家代わりに使ってるヤツは 山谷の町 広しといえど、あの海パン男だけっスよ」

静子は思わず笑いを堪え、

 「イシちゃん、アンタって本当に面白い娘(コ)ねえ」
 「なに言ってんスか。面白いのはこの店の客っスよ」
                つづく
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