人間観察記『ドヤの店』

具流次郎

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松前漬けの人

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 晩秋の朝であった。

店の在るアーケードを少し歩いた所に、町の「集会場」がある。
今日は花輪が三つ上がっていた。

葬儀屋の男が集会場の周りを掃除していた。
龍太郎も店の周(マワ)りを掃除している。

 ダストボックスの上で『雉トラ猫』が顔を洗っている。

龍太郎が眼を上げると葬儀屋の男性の視線とぶつかる。
軽く会釈する龍太郎。
葬儀屋の男も会釈する。
龍太郎は急いで売り場に戻り、

 龍太郎「店長、不祝儀(ブシュウギ)あるよね」

静子が売り場の奥から、

 静子「有るわよ。また?」
 龍太郎「うん。まただ」
 静子「誰が亡くなったんでしょう」
 龍太郎「花輪が三つだから、老人の孤独死じゃないか」
 静子「花輪の名前、見た?」
 龍太郎「見ないよ。その内分かるんじゃない」

ドアーチャイムが鳴り、常連の「飯田さん」が前髪にカールを巻いて店に入って来る。

 龍太郎「いらっしゃいませ~」

飯田さんは龍太郎を見て、

 飯田「いや~ねえ、またお葬式。ご祝儀を出すためにパートに行ってるんじゃないんだけど」
 龍太郎「そうですねえ。うちも祝儀袋がなくなる事なくなる事。で、誰が亡くなったんですか?」
 飯田「それがね、そこの橋本マンションの土屋って人(シト)」
 龍太郎「ツチヤ?」
 飯田「そう。いつも松葉杖を突いて。あ、この店にも何回か来てたでしょう」
龍太郎は驚き、

 龍太郎「ええ! あのツチヤが!」
 飯田「そう。アタシは関係ないんだけど今年は班長でしょう。班長なんてやりたくないわよ~。立替ばっかりよ。集金するのが大変!」
 龍太郎「班長さんですか。それはそれは。で、土屋って方は何で亡くなったんですか?」
 飯田「病気ですって」
 龍太郎「あ~あ、ビョウキね」

龍太郎は「あの時の事」を思い出す。

 龍太郎が土屋のポケットを触っている。

 龍太郎「・・・これは?」
 土屋「それは違うよ~」
 龍太郎「じゃ、この缶詰めは」
 土屋「缶詰め? そんなの知らねえよ」
 龍太郎「このソーセージ!」
 土屋「それは、ここじゃねえ」
 龍太郎「ウソ吐くなよ。みんなカメラに映ってんだから」
 土屋「カンベンしてくれよ。俺は足が悪りいし、病気だからよう」
 龍太郎「だから何だ! 一回や二回じゃねえだろう。足が悪(ワリ)い? 手は元気じゃねえか。ナメんじゃないよ」
 土屋「分ったよ~。もう二度とこの店には入らねえ」
 龍太郎「何ッ! フザケやがって・・・」
と。

 龍太郎が飯田サンを見て、

 龍太郎「病気ですか・・・」

静子がレジカウンターに戻って来る。
飯田サンを見て、

 静子「いらっしゃいませー」
 飯田「あら店長、お疲れ様。アンタ達いつも二人で良いわね」
 静子「そんな事ないですよ。いつも喧嘩ばっかり」

龍太郎は静子を見て、

 龍太郎「土屋が死んだんだってさ」

静子は驚いて、

 静子「ツチヤ?・・・ええッ! ツチヤってあの松前漬けの?」

石田が休憩を終えてレジカウンターに出て来る。
石田は飯田サンを見て、

 石田「いらっしゃいませー」
 静子「イッちゃん、土屋さんが亡くなったんですって」

石田も驚いて、

 石田「ツチヤ? ええ! 『松前漬け』が? 信じられない。ああ云うのは死なないと思ってたのに」
 静子「今夜、お通夜ですって」

石田は信じられない様子で、

 石田「通夜? 本当に死んだんスか、ちょっとアタシ見て来ます」
 静子「よしなさいよ」
 石田「いや、うちの店もあれだけヤラレたんだから。ちょっと・・・」

石田が走って店を出て行く。

 静子「あ!イッちゃん」

飯田サンは静子を見て、

 飯田「ヤラレた?」
 静子「あッ、いや、こちらの話しです」
 飯田「いやーね~」

と言い残し、飯田サンは店の奥に不祝儀袋を選びに行く。
暫くして、石田が店に戻って来る。
静子を見て、

 石田「アイツです。棺おけの上に松葉杖が載(ノ)っかってましたから」
 静子「そう。可哀想に・・・。喪主は誰なんでしょう」

飯田サンが不祝儀袋を持って、カウンターに来る。

 飯田「それがねー、喪主さんは居ないみたいなのよ」
 龍太郎「居ない? 居なくても葬儀は出来るんですか?」
 飯田「出来るのよ~。町会費払ってるから」 
 龍太郎「ああ、そう云う事か。町葬ですね」

変な葬儀である。

 飯田「オーナーさんも送ってやれば」
 龍太郎「え? あ、そうですね・・・。百二十九円です」
 飯田「はい。百三十円!」
 龍太郎「有難うございます。一円、お返しです。またおこし下さいませ」

飯田サンは三人を見て、

 飯田「じゃ~ねえ」

店を出て行く飯田サンん。
静子はレジカウンターを見詰めて、

 静子「あの土屋さんが居なく成っちゃったの・・・」

龍太郎は静子を見て、

 龍太郎「送ってやればって言われても。ねえ」

静子も土屋が最後に店に来た時の事を思い出す。

土屋が入り口のドアーを松葉杖で叩く。

 音 「ゴン、ゴン、ゴン!」
 土屋「お~い! この間は悪かった」

静子と石田が、カウンターから土屋を睨(ニラ)む。

 土屋「松前漬け取ってくれよ。オレは出入り禁止だからよ~」

静子は売り場の奥に『松前漬け』を取りに行く。
と・・・その日は松前漬けが「欠品」している。
静子は店の入り口に来て土屋に、

 静子「ごめんなさい。今日は松前漬けは無いんですよ」
 土屋「ねえ? 何でねえんだよ。俺は足がワリーんだ。アキヨシ(食料品屋)迄は遠くて買いに行けねえよ。誰か買って来てくれよ。金はやるからよお」
 静子「困りましたねえ」

石田が静子の所に来て、
小声で、

 石田「ほっとけばいいっスよ」
 静子「でも~・・・」

土屋は入口で、

 土屋「頼むよ~お」

静子は何となく土屋さんが哀(アワ)れになり、

 静子「アタシ、ちょっと行って来るわ」

石田が、

 石田「いいスよ~お、あんな男」
 静子「でも~」

石田はシブい顔で舌打ちをして、

 石田「チッ、分かりました。買ってくればいいんでしょ」

ユニホームを脱いで店を出て行く石田。
土屋が入口で石田とすれ違いざま、

 土屋「ネエチャン、ワリーなあ」

土屋を睨(ニラ)む石田。
石田は自転車のスタンドを上げて、急いで『松前漬け』を買いに行く。
土屋はレジカウンターの静子に、

 土屋「俺は、北海道の生まれでよお、ガキの頃からいつも『松前漬け』喰ってたんだ。温かい銀シャリにかけてよ。毎日な」

静子は黙って聞いている。

 土屋「この間は悪かったな。オレはこの店が好きなんだよ」

静子はまだ黙っている。

 土屋「チュウキで足が悪りいしよ」

静子は土屋を睨み、

 静子「足と万引きは関係ないです」
 土屋「だから、俺の手が悪りいんだよ」
 静子「? 手もチュウキなんですか」
 土屋「ウンな事言うなよ。勘弁してくれよ、ネエさん」
 静子「ネエさん?・・・お客さん、あっちこっちでやってるんでしょう」
 土屋「ここの店だけだよ」
 静子「何、それ!この間と話が違うじゃないですか」
 土屋「あん時は捕まったからだよ。誰だって捕まったら嘘(ウソ)吐くだろう」
 静子「そんなの理由にならないですよ」
 土屋「だから、勘弁してくれって言ってんだろう。金は払うから。この財布から好きなだけ取ってくれよ」

土屋は首から提げた財布を見せる。

 静子「いらないわよ」
 土屋「そう言うなよ、ネエさん」

静子はだんだんムカついて来る。

 静子「アタシはアンタの姉(ネエ)さんじゃありません!」

静子が怒る。

 石田サンが白い袋を自転車のハンドルに提げて戻って来る。
土屋は腐った様な笑顔を浮かべ石田を見て、

 土屋「悪り~いな」

石田は土屋の言葉を無視してカウンターの静子に袋を渡す。

 静子「ご苦労さま。いくらだった?」
 石田「二三〇円と交通費五百円!」
 静子「交通費?」

土屋が聞こえてらしく、

 土屋「いいよ、いくらでもこの財布から取ってくれ」

静子が石田に、

 静子「交通費はアタシが出すわ。二三〇円ね」
 石田「店長、それはないスよ。店長から交通費は貰えないっスよ~」

土屋が、

 土屋「おい、早くしてくれよ。俺はもう金なんていられねえんだ。先がねえんだよ。いくらだってかまねえ」
 静子「はいはい。二三〇円ですって」
 土屋「この財布から取ってくれ」

静子は土屋の傍に来て、『松前漬け』の入ったレジ袋を松葉杖に縛(クク)り付ける。
首から提げた財布を開ける静子。
中に、「病院の診察券」とバラ札で六千五百円が入っている。

 静子「じゃ、五百円お預かりしますね。今、おつりを渡しますから」
 土屋「ツリなんていらねえ。千円取ってくれよ。迷惑かけているんだから」
 静子「うちは、そんな商売はやっていません。お金は大切にしなさい」
 土屋「ネエさん、良い女だねえ。気に入ったよ」
 静子「バカ言ってるんじゃないですよ」

静子は自分のポケットから財布を取り出し、オツリを見せて土屋の財布に入れる。

 静子「はい! 二七〇円入れたわよ」
 土屋「悪りいなあ。ついでに、あっちのネエチャンにそっから千円抜いて渡してやってくれよ」
 静子「ええ?」

静子は石田を見る。

 石田「・・・いいっスよ。足や手の悪い男から金は貰えないっス」

静子は土屋を見て、

 静子「ッて言う事です。もう無理して万引きはやらないで下さいね。体に良くないですから」
 土屋「分かったよ。『松前漬け』はいつも入れといてくれよな。俺は足が悪りいんだから」
 静子「分かりました。いつもアタシが注文しておきます」

土屋は石田を見て、

 土屋「ネエちゃん、世話掛けたな。オメーも良い女だったよ」

石田は土屋を見て、呆れた顔でため息を吐き、

 石田「気を付けて帰んな」
 土屋「おう!」

土屋は袋のぶら下がった松葉杖を突きながら帰って行く。
静かに成った店内。

 石田「店長って、優しいッスね」
 静子「何言ってんの。お得意さんじゃない」
 石田「はあ~?」

 翌日から静子は毎日『松前漬け』を入れておく。
が、・・・土屋は来なかった。
数日経った北風が吹く昼下がり。
静子は何気なくレジカウンターから外を見ている。
と、久しぶりに土屋が松葉杖を突いて店の前を通り過ぎる。
静子が、

 静子「あら? あの人、松前漬けいらないのかしら」

石田が静子のその言葉を聞いて外を見る。

 石田「ああ、飽きたんじゃないっスか」

静子は妙な予感がして表に出る。
土屋は「クスリ袋」を松葉杖にくくり付け、淋しそうに歩いて行く。
静子が土屋に声を掛ける。

 静子「あの~・・・」

土屋は振り向きもせず、痩せた脇の下に松葉杖を挟(ハサ)んでマンションの中に消えて行く。

 静子が土屋を見たのは『その日が最後』であった。
静子はレジカウンターで、

 静子「アンタ、行ってやんなさいよ。可哀そうじゃない」
 龍太郎「うん?」

ため息を吐く龍太郎。

 龍太郎「喪服は?」
 静子「その格好で良いじゃない。『松前漬け』を祭壇に挙げて来てね。あの人、好きだったんだから」

石田が突然、

 石田「アタシも一緒に行きます」
 静子「え?」

静子は石田を見詰めて、

 静子「そう。じゃ」

静子が香典袋を売り場から持って来て、

 静子「イッちゃん、打っといて」
 石田「はい」

静子はポケットから財布を取り出し、中から五千円を出す。

 静子「アンタ、これを入れて『アミーゴ下町店一同』で挙(ア)げてらっしゃい」

石田はそれを見て、

 石田「店長って格好良いっスね」
                つづく
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