幽 閉(大川周明)

具流次郎

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堀田善衛の経歴

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 堀田が102号室を覗く。

 「賑やかですね」

周明氏が振り向き、

 「おお、堀田くん! 聞こえたか。皆な、声が大きいからね。入らないか」
 「じゃ、失礼して」

堀田が部屋に入って来る。
机の前にキチッと正座する堀田。
肥田を見て、

 「? 面会人ですか」
 「うん? あッ、紹介しょう。こちら 肥田春充くんだ」
 「初めまして、堀田善衛(ホッタヨシエ)です」
 「堀田くんは隣の住人でね。大陸からの引揚者なんですよ。今は作家の卵?・・・かな」

周明氏の紹介の仕方に、むッとする堀田。

 「大陸? どこに居たのですか」
 「上海です」
 「上海? で何を」
 「国際文化振興会の上海支所で事務員を」
 「事務員?」

周明氏はそれを聞いて驚く。

 「国際文化振興会?・・・。何だ、君はそんな所に居(オ)ったのか。いやいや、私はただの引き上げ者かと思ってたよ」
 「国際文化振興会と云うと、君は『海軍』だったのか」
 「いや、僕は軍人じゃないですよ。事務員。でも、肥田さんは良くご存知ですね」
 「うん?・・・うん」
 「海軍と云う所はスマートだ。そう云う財団を作り情報を集めていたんだ。表面的はそんな名前を付けているが、実態は海軍軍令部の中国情報班の巣じゃないか」

堀田は胡散臭そうに周明氏を見て、

 「大川さんて何者ですか」
 「私は、ただの彫刻家だよ」
 「それは嘘でしょう。さっき隣の部屋で聞こえましたよ。あの大川周明氏でしよう」
 「そう。戦争の証明者だ」

周明氏は否定する。

 「証明ではない! 立証だ」
 「戦争の立証ですか。敗戦国に立証の権利なんか有るんでしょうかねえ」

周明氏は憤慨して、

 「敗戦国だからこそ立証するのだ」
 「その通り!」

周明氏は堀田を説得するように、

 「堀田くん、君はキミの作った花壇の前で私に話たね」
 「え?」
 「今は柵だけだけど、その内に雑草が生え、名もない花が咲き、立派な花壇になる」
 「ああ、あの花壇ですか。あの花壇の根底に流れているのは共生と云う清水(シミズ)ですよ。いろんな雑草が、いろんな生き方をして、いろんな花をさかせ、思い思いの季節に枯れて行く」
 「共生と云う清水(シミズ)?・・・なるほど。私は王道楽土、五族協和を唱えて友人の石原莞爾君と壮大な理想国家構築の為に動いた。しかし、軍部は統帥権を盾に、侵略を目的とした行動に日本の方向を変えてしまった。日独伊の三国同盟など、もっての外だ。この同盟を結べば五国協和が米英相手の世界戦争に成ってしまう。世界戦争などに成れば、石原が予言したように殲滅戦争に成る事は明らかである。私は戦争を起こす為に、満州にこのスローガンを掲げたわけではない。あくまでもアジアを、日本中心とした新秩序共同体に築きたいが為だ。それは、あのまま時代が進んだら、アジアは西欧の列強諸国によりすべて植民地化されてゆく事は火を見るより明らかであった。まあ、遅かれ早かれアジアは醜い侵略戦争の渦の中に巻き込まれて行っただろう。それが為に五族協和を以て、西欧諸国の侵略に対抗する力を創ろうとしたのである」

堀田がさっそく周明氏に噛みつく。

 「しかし、その考え方は非常に危険で利用されやすいのではないですか?」
 「列強に対抗するには抑止力が必要だ。その抑止力が日本の強力な軍部である」
 「それは違う。強力でない軍を強力にする事だ。軍を拡充し装備を充実させる事によって抑止力が備わる。ノモンハンなど勇み足極まりない。一個師団をも消費して、その結果得たものはあまりにもお粗末な装備の差である。そんな装備力で世界を相手に戦争を挑むなど無謀どころか狂気に近い。結局、連合軍に大敗してしまい、五族協和どころか日本が最も嫌(キラ)ったアメリカの植民地に成ってしまったではないか。彼等は宣戦布告無しで戦争を仕掛けたという事で大義名分を保ち、日本にやりたい放題の事をしたではないか。広島や長崎を見ろ! まさに、石原の言ったホロコーストの典型に成ってしまった。二十万の犠牲で満州を安定させるどころか、三百万もの犠牲で国を破綻させてしまった」

肥田が膝を叩き、

 「その通りッ! だから私はあの時、死を覚悟で東条に抗議したのだ」

 「う~ん。・・・戦争を正当化してるようにしか聞こえませんね。詰まるところ戦争を前提の事じゃないのですか」
 「君の批評は勝者の理論だ。私は正当化などしていない。戦争を抑止する為の理論だ。西欧はアジアの資源を求めて鵜の目鷹の目で狙っていた。アジアには無限の資源が眠っている。君はそれを忘れている。それを聞いたら堀田君の考えが変わるだろう」
 「資源?」
 「そう。仏領インドシナ半島には石油、石炭、鉄、ニッケル、ボーキサイト、錫、石炭、ゴム、綿花、茶 木材、それと、米、砂糖。何と言っても人材と云う資源がある。その資源を求めて西欧は三百年も前からアフリカ、アメリカ、北、南アジア、南洋の島々、中国、琉球、日本迄も遠征しょうとしたではないか。要するに欧州は世界を征服しようとしていたのだ。そこに理論なんかはない。あるのは欲望のみである。旧約聖書に、まだ言葉が一つだった頃、天までとどけと バベル(混乱) なる塔を拵(コシラ)えた。しかし神の怒りに触れ、一つだった言葉を神はバラバラにした。考えや思いが伝わらなく成ったのだ。勿論、世界もバラバラになり、今日の創りに至ったとある。それを彼等は、彼等の宗教に反して世界を今一度、一つの言葉にして統一しようとしているではないか。列強が弱小国を植民地化し宗教を押し付け、教育と云う名の下に総てを侵略する。これは、いかなるものか」

堀田は黙ってしまう。

 「戦争とは昔から資源と人材の奪い合いである」
 「日本の満州進攻もその事からじゃないのですか?」
 「勿論!」
 「進攻ではない! 進出だ。昭和五年、堀田くんがまだ中学の頃かな。日本、いや、世界の経済に大恐慌の嵐が吹き荒れた。それに加え米仏から不戦条約なる物を押し付けられ、アメリカは日本の中国国民革命への武力干渉から日本軍の不穏な動静を予見、更なる軍縮を強要した。ロンドン軍縮条約である。これこそ我が国に対しての内政干渉ではないか。日本は中国の共産主義化を押さえる為に満州国を日本の理想国家の模範に創り上げようとした。中国の反日分子はアメリカにこの醜聞実態を報告、日本を更に人道的に問題有りの烙印を押した」
 「戦争の予兆のような観が有りますね」

肥田が口を挟む。

 「観方は自由だ。日本国家、国民の為だ。それをしなければ日本は破綻(ハタン)する」

周明氏は更に、

 「日本の経済はまだ米国に依存していた。しかし、米国は徐々に日本貿易の蛇口を閉めてきた。国内は大不況に更に拍車が掛かった。軍部はこの頃からアメリカを意識し始めた。士気は大いに上がっていた。私は東条に何度も言った。一時の感情で挑むべきではないと。東条は一時は私の話も聞いてくれ、数日悩む日もあった。アメリカと戦うのなら現兵力国力の最低五倍は必要だ。鉄も石油も米すらも行き渡らない現状で対戦を挑むべきではない。確かに憤(イカ)りは解る。しかし、一億国民を戦争に駆り立てる事はやるべきではない。中国を安定させてからでも遅くは無い筈だとね」

肥田がまた膝を叩き、

 「その通りッ!」

周明氏は続ける。

 「軍部は戦争をやりたくてしょうがなかったのだ。何しろ日本は神国、負けたことが無い国だからね。しかし、アメリカとの戦争は中国軍との戦争ゴッコどころではない。ノモンハンの教訓をまったく悟ってない。陸海空軍の三軍を作り、波状攻撃の作戦を企てる。短期決戦、最小の経費で最大の効果をもたらす。敵を知り己を知る。これこそ孫子の兵法である。それが出来なくて世界大戦など挑めない。一対一の刀の切り合いではないッ! 東条は希代稀なる阿呆男だ。思想も作戦も行き当たりばったりだったじゃないか。私はあの時、東条を殺しておけば良かった」

肥田が更に膝をキツく叩き大声で、

 「その通りッ!」
 「大川さんは満州事変から戦争が始まったとは思わないのですね?」
 「思わないな。満州と対米戦は根本的に違う。しかし」

 突然、廊下から、例の岡田の独り言が聞こえて来る。

 「石井兵長! 船は見えるか。・・・この根っ子は喰えるのか。・・・ああ、昨日のあの肉は旨かったなあ・・・。兵長! 船はまだか。皆で、国へ帰ろう。死ぬなよ、死んでたまるか! 皆で一緒に帰るんだ」

三人は急に話を止める。

廊下をふらついている岡田。
岡田がまた独り言を喋り始める。

 「ここに残るのは欠損者と病弱者と頭のイカレタ者だけだ。お前達はこれからの戦(イクサ)に足手まといに成る。もう皇軍にあらず! 各自、手榴弾か、弾一発を選べ! 生きて虜囚の辱めを受けず! 最後の国に対するご奉公は死を以て善(ヨシ)とすべし。解ったか。以上ッ!」

 三人が一〇二号室で耳を澄まして聴いている。

岡田が廊下に座り込む。

 「石井、聞くな。無駄だ。俺達は武装解除されたんだ。もう、戦争とは関係ない。部隊長は気が狂ってる。二三名の兵隊を転進させても日本は勝てる筈がない。いずれ全滅だ・・・石井、抗命してこの島で生きよう。いつかきっと助け舟が来る」

岡田は床(ユカ)を拳(コブシ)で殴り、急に泣き出す。

 「泣くな岡田! これが運命(サダメ)だ。こんな時代に生まれた俺達の運命(サダメ)だ。とにかく生きるんだ」

岡田の声が聞こえなくなる。
暫くして鈍い音がする。

 「ドンッ!」

岡田の声。

 「チクショウ、俺は夢を見ているのか。死神が目の前に見える。こんなに死神がはっきり見えると言う事は・・・。よし! 今ある敵はあの死神だ。石井、全員に気合を入れよ! 石井!石井はどこだ。アメコウの肉を持って来い。ハハハハ。ハハハハハ」

 肥田が周明氏を見て、

 「戦争病か?」

堀田が、

 「ニューギニアの生き残りですよ」
 「ニューギニア? ああ、あそこは酷(ヒド)い。よく生きて帰れたな」

堀田は、

 「生きて帰れても廃人です。まだ、戦争をして居るじゃないですか。あの時、自殺した方が良かったかもね」

周明氏が、

 「ようやく帰国しても自分の居場所さえ分からない。何て事だ」

堀田が、

 「もう一人、同じような患者が居たらしいですよ。でも風呂場で自殺したらしい。見事な死にっぷりだったとか言ってましたよ」

肥田は、

 「見事な?」
 「東に向いて天皇陛下万歳と大声で気合を入れて、寝巻きの腰紐で首を・・・」
 「ほう」
 「この病院は月に一人位の割合で患者が死んで行きます」

周明氏が、

 「そうだったのか」
 「隣が一番多かったらしいです」

肥田は、

 「隣と云うと、一〇一号?」
 「あまり多いんで、開かずの間にしてしまったそうです」

肥田は少し驚いて、

 「なんだそれはッ!」

肥田は周明氏の顔を見る。
周明氏が、

 「・・・そうだったのか」

 廊下で岡田の身体が更に萎(チジ)んで居る。

 「トシコ・・・もう少しで会えるからな。ヨシオカの伯母さんは元気か? トシコ・・・」

廊下が静かに成る。
すすり泣く声が聞こえる。
岡田が泣いているのである。

 「もう直ぐ帰るからな。トシコ、トシコ」

廊下に子供の様にうずくまる岡田。

 「・・・今、帰る・・・」

 朝倉看護婦が廊下を走って来る。
俯いて座っている岡田の傍に来て、いつもの芝居をうつ。

 「岡田准尉立ちなさい!」

岡田が、

 「おお、来てくれたか。俺の左腕を持って来い! 突撃だ。お前も俺に続け!」

朝倉看護婦が、

 「分かりました。さあ、行きましょう」
 「よしッ! 身体を起こしてくれ」
 「はい!」

岡田と朝倉看護婦が病室に戻って行く。

肥田が、

 「・・・下士官だったのか」

堀田が、

 「自分は学徒兵だと言っています」
 「学徒兵? 大学は」
 「朝倉が九州帝大だと言ってました」

周明氏は驚いて、

 「九州帝大?・・・」

 「参 考」
五族協和「日・漢・朝・満・蒙」
                つづく
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