赤十字(戦死者達の記録)

具流 覺

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43頁 彼岸の兵隊

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 川を下る壊れた兵隊(患者)サン達。
前を歩く兵隊(患者)サンの頭を見ながら、虚(ウツロ)な目をしてフラフラと歩いて行きます。
まるで何かに吸い寄せられる様に。
私は前を歩く兵隊(患者)サンにカスレた声で、

 「頑張りましょう。ウエワク迄はもう少しですよ」

と声を掛けました。
何の反応もありません。
私もそれ以上の声は出ませんでした。

 「バサッ」

・・・音がしました。
列の中ほどを歩いていた兵隊(患者)サンが倒れました。
私は急いで傍により、

 「大丈夫ですか! しっかりして下さい」

私は涙を流しながら叫びました。
杉下(スギシタ)サンと云う『上等兵』でした。
野嶋婦長サンも来て、

 「杉下上等兵、起きなさい!」

と気合いの入った声を掛けました。
杉下サンはニッコリと笑って立とうとしましたが無理の様でした。
緒方軍医長も急いで杉下サンの傍に来て診ています。
河村、原の両看護兵は杉下サンの周りを囲み、励ましていましたが、残念ながら息を引き取りました。
兵隊(患者)サン達は自分の事以外に考えられない様で、亡くなった杉下サンを茫然と見て居るだけでした。
軍医長達は杉下サンの遺骸を川まで引きずって行き、流しました。
私はただ震えて見ているだけです。
もう涙もでません。
暫く歩いて行くと、緒方軍医長が立ち止りました。
そして、前を歩く旗手(赤十字の旗)の伊藤衛生兵に、

 「おい、少し休もう」

と小声で言いました。
兵隊(患者)サン達は、川岸に打ち上げられた流木に腰をおろしました。
誰も何も喋りません。
私は人数を数えてみました。
緒方軍医長とワタシ達を入れて七名、兵隊サンが九名、全部で『十六名』に成ってしまいました。
「ラエの病院」を後にした時は、百名近く居た歩ける兵隊(患者)サン達。
今は私達病院関係者を入れてもたった十六名しか居ないのです。
皆、この川の向こう岸、彼岸(ヒガン)に逝ってしまったのです。
私はふと川の向こう岸(彼岸)を見ました。

 「?」

釣りをしている『兵隊サン』が二人居ます。
私はとうとう、自分も精神までやられてしまったのかと思いました。
すると緒方軍医長が、

 「あそこに居るのは日本兵じゃないのか?」

と言いました。
腰を下ろして居る兵隊(患者)サン達も、それを聞いて呆然と二人の日本兵を見ています。
すると、一人の日本兵が魚を釣り上げました。
と、マングローブの林の中から五~六人、ボロボロな軍服を纏(マト)った日本兵達が笑いながら出て来ました。
私は狐に摘まれた様な感覚に襲われました。
それはまさに『遊兵』です。
幽霊ではない「ユウヘイ」なのです。
緒方軍医長は伊藤衛生兵の握る『赤十字の旗』を奪い力いっぱい振りながら、

 「おーい!」

と声を掛けました。
向こう岸の兵隊サン達も「赤十字の旗」を振る私達に気付いたのか手を振っています。
すると一人の兵隊サンが私達に、釣った魚を数匹投げてよこしました。
私達と兵隊(患者)サン達は急いで『此岸(シガン)』に落ちた魚を拾いに行きました。
緒方軍医長は、

 「ありがとう。アンタ達は何人居るのだ?」

と声を掛けました。
すると、

 「十人居ます。フィンシハーフェンの残兵です」

と言う返事が返って来ました。
その姿は髭や髪は伸び放題で、まるで私には『原始人』の様に見えました。
多分、私達も相手から見たらそう見えたのでしようが。
そして彼等は緒方軍医長の持つ『赤十字の旗』を見て、

 「医療隊ですか? クスリはお持ちでしょうか」

と聞いて来たのです。
軍医長は、

 「アカチンと馬油なら持っています」

と答えると、彼岸(ヒガン)の兵隊サンは驚いた様に、

 「アカチン? お願いします! 足をヤラレタ仲間が居るのです」

と返して来ました。
私はこの「やり取り」を聞いて居て、これはもはや完全に軍隊では無いと思いました。
緒方軍医長は赤十字の雑嚢から『アカチン』をひと瓶取り出し、魚のお返しに向こう岸に投げました。
向こう岸の兵隊サンはアカチンの瓶を手に取り、高く上げて、

 「助かりました。何か欲しいモノは有りますか?」

と尋ねて来ました。
緒方軍医長は、

 「欲しいモノだらけです。糧抹(食料)はお持ちですか?」

すると、

 「持ってますよ。沢山あります。逃げだす時にカッパラってきましたから」

と、笑いながら元気よく答えて来ました。
それを聞いて緒方軍医長が、

 「それは良い! 私達と一緒にこの川を下って、ウエワクまで行きませんか」

と言いました。
すると、

 「この川はハンサまで続いています。ウエワクはもう一つの先の川を渡らなくては行けません。その川の下流のハンサには日本軍の陣地は在りません。自分達と合流して『マダン』に行きましょう。マダンはまだヤラレていません」

緒方軍医長以下全員が驚き、そして動揺しました。
壊れた兵隊(患者)サン達は全員、緒方軍医長を見て、

 「軍医長殿、マダンに行きましょう。あの兵隊達と合流してマダンに行きましょう!」

そして、私達はあの『彼岸(ヒガン)』に居る兵隊サンの言った『マダン』に最後の希望を託したのです。
                つづく
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