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3-9 スコット侯爵領
夏の夜は短い。日が昇り始めたと同時にオリヴァーは起床して身支度を整えてから訓練場へ向かう。これまで使用人に全てを任せていたが、ここでは自分のことは自分ですると祖父の命が下されている。三ヶ月も経てば慣れてスムーズに行えた。
さすがに王子相手に同じことは言わないだろう。最低限しかいない使用人のほどんどをルドルフに付け、今はまだぐっすりと眠っているはずだ。夜が明けたばかりのほのかに冷たさを含んだ風が頬を撫でる。一日のうちで一番心地よい時間帯だ。
昨日はひどく長い一日だった。その割にぐっすり眠ってしまったせいで翌朝がすぐにやってきた。今日も一日、あれと対峙するのかと思うと、胃がキリキリする。
パシャ、と水の音が聞こえてそちらを見ると井戸の前にアランが立っていた。丸一日会わなかっただけだが、昨日が濃すぎたのかとても久しく感じてしまった。どこに誰がいるか分からない以上、声を掛けるのは控えておくべきか。そんなことを考えていると視線を感じたのか、アランがこちらを見た。
「オリヴァー様」
「おはよう」
「おはようございます」
オリヴァーがにこりと微笑むと、アランも破顔する。そのまま訓練場へ向かってもよかったが、彼の人懐こい笑みに誘われてオリヴァーは少し会話しようと彼に近づく。
「昨日は一日寮にいたのか?」
「はい。騎士団の皆様も良くしていただきました」
そうか、と頷いて次に何を言おうか迷う。避けている以上、ルドルフの話はしにくいし自分もしたくない。かと言って知り合ってさほど時間が経っていないのもあり、何を話せばいいのか分からない。一瞬だけ沈黙が続くと、「アレっ……」と声がしたと同時にオリヴァーとアランの間にバルナバスが割って入った。
「なんだ、オリヴァー様でしたか」
「なんだってどういうことだ」
呆れたような表情にオリヴァーはムッとする。
「アラン様。エッカルト様からの言いつけ、忘れたわけではないでしょう?」
オリヴァーのことは無視してバルナバスはアランと向き合う。ピリピリとした空気にため息を吐き、オリヴァーは踵を返して訓練場へと向かう。なんだか自分がここにアランを連れ出したようで気分が悪い。
「あっ、オリヴァー様……」
名残惜しそうにアランが名前を呼んだので振り返ってみたもの、バルナバスから向けられる敵意にオリヴァーはすぐに向き直る。
「ば、バルナバス! ここへ来たのは俺の判断だ。オリヴァー様に失礼なことをするな」
「……そうなんですか? それでもこっちのほうに来ちゃダメじゃないですか」
二人の会話が遠ざかっていくのを背中で聞きながら、オリヴァーは訓練場へ向かった。
「さっきはすみませんでした」
剣の素振りをしているところにバルナバスがやってきた。ぺこりと深く頭を下げているのを見て、何に謝っているのか理解できなかった。
「……どうした?」
「先程の態度はとても失礼だったと反省しているんです」
「ああ……」
思い出したらむかむかとしてきたけれど、特段、気にしていたわけでもないので「別に構わない」と答えて素振りを続ける。以前ならば相手のミスに付け込んであれこれと理不尽なことをしてきたが、ずいぶんと丸くなったな、などと感慨にふけってしまう。
「オリヴァー様は何も尋ねないんですね」
顔を上げたバルナバスは不思議そうにオリヴァーを見ている。
「何をだ?」
「疑問には思っているでしょう。アラン様のことですよ」
止まってしまっていた手を再び動かす。ブン……、と木製の剣が空気を切り裂いて音を立てる。
「それは――……」
誰も説明しないのは、今は自分に話すべきではないと判断しているからだ。そう思うからあえて尋ねもしないのだが、話そうとしたところで「オリー!」と上機嫌な声が聞こえて、オリヴァーはぎくりとしながら入り口を見た。至福な時間の終了のお知らせだ。
「で……、殿下」
ずんずんと進んできたルドルフはバルナバスを一瞥するとオリヴァーの前に立つ。
「使用人に聞いたらとっくに起きて訓練していると聞いて飛んできたよ。いつもこんなに早く起きているのか?」
「ええ。大体、日の出と同時ぐらいには起きております」
「それなら俺も明日から同じ時間に起きて、一緒に訓練しよう」
「えっ……、ですが、殿下は……」
剣はあまり好きではないですよね、とは言えない。これは前回の人生で知ったことだ。
「ん? どうしたんだ? オリー」
ニコニコとほほ笑みながら顔を覗き込まれて、オリヴァーは反射的に一歩引いてしまう。ルドルフはそんなことお構いなしにずんずんと進んでくる。
ふと、視界にバルナバスの足が入った。強引ではあるが話を変えてしまおう。
「あ、殿下。ジュノ辺境伯のご令息をご存じですか?」
「ああ……、何度か挨拶はしたことある。なあ」
ルドルフは興味なさそうにバルナバスを見る。バルナバスは胸に手を当て、頭を下げたまま何も言わない。
「バルナバス、と言ったか」
「はい、殿下」
「二度と俺の前に立つな」
ルドルフはニコニコと笑いながらそう言う。ピシャリと騎士達の空気が凍るのをオリヴァーは感じた。
さすがに王子相手に同じことは言わないだろう。最低限しかいない使用人のほどんどをルドルフに付け、今はまだぐっすりと眠っているはずだ。夜が明けたばかりのほのかに冷たさを含んだ風が頬を撫でる。一日のうちで一番心地よい時間帯だ。
昨日はひどく長い一日だった。その割にぐっすり眠ってしまったせいで翌朝がすぐにやってきた。今日も一日、あれと対峙するのかと思うと、胃がキリキリする。
パシャ、と水の音が聞こえてそちらを見ると井戸の前にアランが立っていた。丸一日会わなかっただけだが、昨日が濃すぎたのかとても久しく感じてしまった。どこに誰がいるか分からない以上、声を掛けるのは控えておくべきか。そんなことを考えていると視線を感じたのか、アランがこちらを見た。
「オリヴァー様」
「おはよう」
「おはようございます」
オリヴァーがにこりと微笑むと、アランも破顔する。そのまま訓練場へ向かってもよかったが、彼の人懐こい笑みに誘われてオリヴァーは少し会話しようと彼に近づく。
「昨日は一日寮にいたのか?」
「はい。騎士団の皆様も良くしていただきました」
そうか、と頷いて次に何を言おうか迷う。避けている以上、ルドルフの話はしにくいし自分もしたくない。かと言って知り合ってさほど時間が経っていないのもあり、何を話せばいいのか分からない。一瞬だけ沈黙が続くと、「アレっ……」と声がしたと同時にオリヴァーとアランの間にバルナバスが割って入った。
「なんだ、オリヴァー様でしたか」
「なんだってどういうことだ」
呆れたような表情にオリヴァーはムッとする。
「アラン様。エッカルト様からの言いつけ、忘れたわけではないでしょう?」
オリヴァーのことは無視してバルナバスはアランと向き合う。ピリピリとした空気にため息を吐き、オリヴァーは踵を返して訓練場へと向かう。なんだか自分がここにアランを連れ出したようで気分が悪い。
「あっ、オリヴァー様……」
名残惜しそうにアランが名前を呼んだので振り返ってみたもの、バルナバスから向けられる敵意にオリヴァーはすぐに向き直る。
「ば、バルナバス! ここへ来たのは俺の判断だ。オリヴァー様に失礼なことをするな」
「……そうなんですか? それでもこっちのほうに来ちゃダメじゃないですか」
二人の会話が遠ざかっていくのを背中で聞きながら、オリヴァーは訓練場へ向かった。
「さっきはすみませんでした」
剣の素振りをしているところにバルナバスがやってきた。ぺこりと深く頭を下げているのを見て、何に謝っているのか理解できなかった。
「……どうした?」
「先程の態度はとても失礼だったと反省しているんです」
「ああ……」
思い出したらむかむかとしてきたけれど、特段、気にしていたわけでもないので「別に構わない」と答えて素振りを続ける。以前ならば相手のミスに付け込んであれこれと理不尽なことをしてきたが、ずいぶんと丸くなったな、などと感慨にふけってしまう。
「オリヴァー様は何も尋ねないんですね」
顔を上げたバルナバスは不思議そうにオリヴァーを見ている。
「何をだ?」
「疑問には思っているでしょう。アラン様のことですよ」
止まってしまっていた手を再び動かす。ブン……、と木製の剣が空気を切り裂いて音を立てる。
「それは――……」
誰も説明しないのは、今は自分に話すべきではないと判断しているからだ。そう思うからあえて尋ねもしないのだが、話そうとしたところで「オリー!」と上機嫌な声が聞こえて、オリヴァーはぎくりとしながら入り口を見た。至福な時間の終了のお知らせだ。
「で……、殿下」
ずんずんと進んできたルドルフはバルナバスを一瞥するとオリヴァーの前に立つ。
「使用人に聞いたらとっくに起きて訓練していると聞いて飛んできたよ。いつもこんなに早く起きているのか?」
「ええ。大体、日の出と同時ぐらいには起きております」
「それなら俺も明日から同じ時間に起きて、一緒に訓練しよう」
「えっ……、ですが、殿下は……」
剣はあまり好きではないですよね、とは言えない。これは前回の人生で知ったことだ。
「ん? どうしたんだ? オリー」
ニコニコとほほ笑みながら顔を覗き込まれて、オリヴァーは反射的に一歩引いてしまう。ルドルフはそんなことお構いなしにずんずんと進んでくる。
ふと、視界にバルナバスの足が入った。強引ではあるが話を変えてしまおう。
「あ、殿下。ジュノ辺境伯のご令息をご存じですか?」
「ああ……、何度か挨拶はしたことある。なあ」
ルドルフは興味なさそうにバルナバスを見る。バルナバスは胸に手を当て、頭を下げたまま何も言わない。
「バルナバス、と言ったか」
「はい、殿下」
「二度と俺の前に立つな」
ルドルフはニコニコと笑いながらそう言う。ピシャリと騎士達の空気が凍るのをオリヴァーは感じた。
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