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第一章 coastline
夏の衝動 1
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その場に足を踏み入れたとたん、駿は心地よい音に満たされた。
薄暗い室内には、うっすらとタバコの匂いが漂っていた。
それに関しては特に珍しいことではない。けれどこのライブハウスは、いつも駿が行く場所と趣が違っていた。
床はコンクリートではなく板張りで、ワックスの艶がいい感じに剥げている。バーカウンターの壁面にはずらりと世界各国の酒瓶が並び、ハイネケンビールのネオンがおぼろげな光を放っている。
客はまばらで、何人かがドリンクを飲みながら喋ったり、音に聞き入っている。
バーカウンターからよく見える位置に、ステージがある。アンプやスピーカー等の機材がこぢんまりと並んでいるさまは、ライブハウスというよりは外国のバーのようだった。
ステージでは、誰かがドラムの前でビートを刻んでいる。
体の奥底に響くような打楽器の音だった。全身が波にさらわれ、揺れる。
少しだけ開いていた入口ドアから、遠く潮騒が聞こえてきた。駿は少しだけ目を閉じてその音に聞き入った。
ドアが閉まり、波の音が消えた。駿は目を開ける。いつの間にか、隣にあの男がいた。
「ね、いい音でしょ?」
ふだんの駿なら、わかったような口をきくな、と気分を害していたかもしれない。けれど、不思議とそうは思わなかった。
おまえにはあんのか、と問いかけた駿に、あるよ、と返した男。
初対面でこんな場所にまでついていくなど、正気ではないと自分でも思う。けれど駿は、この男の回答の意味をもっと知りたかった。
男は駿の背をそっと押した。
「さ、ここだと邪魔だから入って。あ、なんか飲む?」
彼は自然にバーカウンターへ駿を促した。
「ソフトドリンクしか出せないけどさ。コーラとかでいい?」
駿は無言でうなずいて、背の低い丸椅子に腰を下ろした。カウンター越しに見える酒瓶のきらめきが、どうにも落ち着かない。
男が頼んだジンジャーエールの氷が、グラスの中で軽快に鳴る。
「ほら、飲んで。落ち着くよ」
男はそう言って自分のグラスを掲げる。駿も仕方なく、出されたグラスを受け取った。口に含むと、炭酸が喉の奥をはじけさせる。思ったより冷たくて、少しだけ頭が冴えた。
「……さっきの音、本当に良かった」
男は何も余計なことは言わなかった。ただ、駿の音を称賛しただけだった。
男の言葉に、駿の心臓がどくんと跳ねる。
いつもなら、そんなことを言われても「うるせぇ」で片づけるところだ。けれど――ここではなぜか、素直に受け取ってしまいそうになる。
「オーナー、耳が肥えてるんだ。今も……もら」
「……は?」
駿は眉をひそめた。男が指差した方向を向くと、そこにはステージがあった。
明かりは乏しく、ミラーボールのキラキラした光がその場を彩っていた。ステージの上にはドラムセットがあり、大柄な男がドラムを叩いていた。店に入ったときに見た人影だ。
顔はよく見えないが、視覚など必要なかった。ゆるやかだが、しっかりと体の芯を揺らすビート。駿にはそれだけで十分だった。
(……音!)
駿の胸の奥で、ざわつく何かがあった。それがなんなのか、自分でも判断がつかなかった。
ただ、このままじっとしてはいられなかった。駿はグラスを置き、席を立った。
後ろから呼ぶ声がしたが、駿は構っていられなかった。
薄暗い室内には、うっすらとタバコの匂いが漂っていた。
それに関しては特に珍しいことではない。けれどこのライブハウスは、いつも駿が行く場所と趣が違っていた。
床はコンクリートではなく板張りで、ワックスの艶がいい感じに剥げている。バーカウンターの壁面にはずらりと世界各国の酒瓶が並び、ハイネケンビールのネオンがおぼろげな光を放っている。
客はまばらで、何人かがドリンクを飲みながら喋ったり、音に聞き入っている。
バーカウンターからよく見える位置に、ステージがある。アンプやスピーカー等の機材がこぢんまりと並んでいるさまは、ライブハウスというよりは外国のバーのようだった。
ステージでは、誰かがドラムの前でビートを刻んでいる。
体の奥底に響くような打楽器の音だった。全身が波にさらわれ、揺れる。
少しだけ開いていた入口ドアから、遠く潮騒が聞こえてきた。駿は少しだけ目を閉じてその音に聞き入った。
ドアが閉まり、波の音が消えた。駿は目を開ける。いつの間にか、隣にあの男がいた。
「ね、いい音でしょ?」
ふだんの駿なら、わかったような口をきくな、と気分を害していたかもしれない。けれど、不思議とそうは思わなかった。
おまえにはあんのか、と問いかけた駿に、あるよ、と返した男。
初対面でこんな場所にまでついていくなど、正気ではないと自分でも思う。けれど駿は、この男の回答の意味をもっと知りたかった。
男は駿の背をそっと押した。
「さ、ここだと邪魔だから入って。あ、なんか飲む?」
彼は自然にバーカウンターへ駿を促した。
「ソフトドリンクしか出せないけどさ。コーラとかでいい?」
駿は無言でうなずいて、背の低い丸椅子に腰を下ろした。カウンター越しに見える酒瓶のきらめきが、どうにも落ち着かない。
男が頼んだジンジャーエールの氷が、グラスの中で軽快に鳴る。
「ほら、飲んで。落ち着くよ」
男はそう言って自分のグラスを掲げる。駿も仕方なく、出されたグラスを受け取った。口に含むと、炭酸が喉の奥をはじけさせる。思ったより冷たくて、少しだけ頭が冴えた。
「……さっきの音、本当に良かった」
男は何も余計なことは言わなかった。ただ、駿の音を称賛しただけだった。
男の言葉に、駿の心臓がどくんと跳ねる。
いつもなら、そんなことを言われても「うるせぇ」で片づけるところだ。けれど――ここではなぜか、素直に受け取ってしまいそうになる。
「オーナー、耳が肥えてるんだ。今も……もら」
「……は?」
駿は眉をひそめた。男が指差した方向を向くと、そこにはステージがあった。
明かりは乏しく、ミラーボールのキラキラした光がその場を彩っていた。ステージの上にはドラムセットがあり、大柄な男がドラムを叩いていた。店に入ったときに見た人影だ。
顔はよく見えないが、視覚など必要なかった。ゆるやかだが、しっかりと体の芯を揺らすビート。駿にはそれだけで十分だった。
(……音!)
駿の胸の奥で、ざわつく何かがあった。それがなんなのか、自分でも判断がつかなかった。
ただ、このままじっとしてはいられなかった。駿はグラスを置き、席を立った。
後ろから呼ぶ声がしたが、駿は構っていられなかった。
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